薔薇とダイヤモンド

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上演作品
▼薔薇とダイヤモンド














物語の底を抜く

「ところで」
男は話題を変えた。
「電話がかかってきますよ。私のか、あるいはあなたのケイタイに今」
「私は探偵です。唯の探偵じゃない。物語の探偵です。もしこの会話が物語の冒頭なら必ず電話が鳴るはずなのです」
「昔、一冊の本が教えてくれました。あらゆる謎解きの始まりはフイに鳴る一本の電話の音からだと。私はずっとそれを待っているのです。 探偵の仕事は待つことです。私は私の謎の手がかりをずっと待っている」
「物語の中で人が一人死ぬ。すると現実でも一人、人が死ぬのです。このことはまだ誰も知らない。 物語の中で殺された人間の数と現実に殺された人間の数がピタリ一致する。 これが、私が絶対に解きたい謎なのです。さて時間だ。電話がかかってきますよ」

そして電話が鳴った。私の、胸元で。























ミカエル フランツ君。
フランツ あっ。
ミカエル やっぱりだ。やっぱり今日もいるね。日、暮れる処にマーキングされた、途方よりの使者。
フランツ  用務員のおじさん。
ミカエル うん。私しがない用務員のミカエル・フォン・アルザイール12世です。
フランツ  なんて不相応に立派な名前だ。
ミカエル おかしいかね。用務員の名前が立派じゃ、おかしいのかね。
フランツ  おかしかないよ。(顔をみて)いや、ごめん。やっぱり、おかしい。
ミカエル いいのさ。天使の羽は、天使の背中に生えているべきなのさ。私は呪われた男さ。堕天使さ!天使のような悪魔の顔さ!
フランツ  自虐だ。
ミカエル 自虐さ。覚えたね。しがない用務員がたった一つ、君に教えてあげた言葉さ。
フランツ  小学生には不相応なボキャブラリーだ。
ミカエル 知ってて貰いたかったものだからさ、君にはね。おじさんの、マゾヒスティックな性癖をね。
フランツ  マゾなのかい。
ミカエル ボロ雑巾のように!庭にブチ撒ける米のとぎ汁のように!ぞんざいに、我と我身が虐げられることこそ喜びさ。「あっ用務員だ」「石ぶつけてやれ」そんな下校児童の、子供特有の、心無いいたぶりでさえ、甘んじて受け入れる。その瞬間!おじさんはもう、たまらないのさ。ビンビンさ。そういう男だよ、私は。
フランツ  どうしたら、そこまでオノレを捨てられるんだ。
ミカエル 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。紀元前の昔より変わらない、由緒正しい、それが我が家の家訓だったのさ。
フランツ  それで、立つ瀬はあったのかい。
ミカエル 居残り児童よ、世界は広い。忘れようとも思い出せない、そんな故事にもあるほどに、どれほど深く沈もうと願っても、願い適わずプカリと浮いてしまう、そんな水溜りが世の中にはあるのさ。
フランツ  なんだい、それ?
ミカエル 死海さ。
フランツ  シカイ?
ミカエル ザ・デッド・シー。死に絶えた海、という字を書くのさ。ヨルダンに陽が上り、イスラエルに陽が暮れる、そんな世界地図の片隅にね。塩分濃度30パーセント、浮かび上がろうとも沈むことの許されない、ヘブライ人の置き土産さ。
フランツ  無知と無学を売りにした自虐の用務員にしては、やけに博識なところを見せるね。
ミカエル 何、生まれ育った土地さ。実は私の家は、そこで代々、歯医者をやっていてね。私だって、そうさ。ここで働く前はね。歯科医だったんだ。
フランツ  死海の歯科医だ。
ミカエル デンタルクリニック・オン・ザ・デッドシー!次回公演のタイトルさ。
フランツ  嘘だろ。
ミカエル 嘘さ。
二人 ハハハハハ(と、笑う)
ミカエル (や、いなや)ああっ!(と、フランツの口の中を覗き込む)
フランツ  ろうひはんら(どうしたんだ)?
ミカエル ・・・親知らずが生えてる!
フランツ  え?
ミカエル 信じられない!まだ永久歯も生えそろっていない世間知らずに、親知らずが!
フランツ  それ、親知らずじゃありません。
ミカエル 誤診だと言つもりかい、青二才?先祖代々受け継いだ、死海の歯科医が見立てたカルテを!
フランツ  それ、姉知らずです。
ミカエル アネシラズ?

と、そこへ担任の先生が現れます。先生、何だかムダに色っぽい。

モモコ先生 ミカエルさん。
ミカエル あっ。
フランツ  モモコ先生。
モモコ先生 ・・・油を売ってますのね。
ミカエル ハイ、美しい先生に相応しい、地中海生まれのエキストラ・バージンオイルを。
モモコ先生 それってヘルシー?
ミカエル ええ。日、出る処、太陽の友達。ギリシア産まれの天然オリーブ100パーセント使用。
モモコ先生 ・・・大バカ者っ!(と、蹴り飛ばす)
ミカエル ひええっ!
モモコ先生 ミカエルさん。あなた、私という女について、何もご存知じゃない御様子。ここで会ったが百年目の気紛れにひとつ、教えてさしあげても良くってよ。
ミカエル おお無知なる用務員ミカエルに、何卒、知のお導きを下さいませ。
モモコ先生 コホン。高カロリーに高タンパク、暴飲・暴食、ヘビー・スモーキング。行きずりに相手を変える、週末ごとのただれたセックス。その全てが教育者・桃山モモコを支える礎(いしずえ)。ノンカロリー?ノンオイリー?ぺっぺっ!ちゃんちゃらおかしいっつーの。
フランツ  退廃的だ。
モモコ先生 小学生には不相応なボキャブラリーだったわね。
フランツ  思いの外の影法師。放課後ごとに一歩ずつ、なんだか大人に近づいてゆく気がします。
モモコ先生 ではそんなマセガキに、くれてやるわ、特別補習。
フランツ  あっ!また僕の知の泉に、不相応なさざなみが立ちます。
モモコ先生 お聞きなさい、フランツ君。五年三組、愛しい我が生徒。ヘルシーな食事をして、健康的な生活を送り、正常位で愛し合ったらキレイな女に生まれ変われるなんてことは、金輪際、あり得ないの。それがブスなら、ヘルシーなブスが。美人ならヘルシーな美人が生まれる、ただそれだけのこと、美しき物理法則。分かる?努力では、世界の根本にまで手を伸ばすことは出来ない。哀しいまでに無力なの。何をしようと、ブスはブス。どれほど壊れた生活を送っても、ビューティはビューティ。健康なブスと、病的なビューティ。生まれ変わるとしたならば、どちらを選ぶかしら?ユー、アンダスタン?
ミカエル ゾクゾクくるほど残酷な事実だ。
モモコ先生 そう、残酷。この身の毛のウブ毛も逆巻き立つテーマを身体ひとつで実践する、それが私、教育者、桃山モモコの寄って立つ大地。
フランツ  フラスコに溶け切らない過酸化水素水の塩分のように、立つ瀬のないやる瀬なさが沈殿してゆきます。
モモコ先生 ・・・それはもう、どうしようもないことなの。どれほど豊潤なボキャブラリーを誇ろうとも、君が所詮、小学生に過ぎない。ちょいとばかり背伸びした影法師をお供にラントセルを揺らすコドモでしかない。それと同じくらい、どうしようもないことなのよ。
フランツ  え・・・。
ミカエル フランツ君?(と、近づくが)
モモコ先生 ミカエルさん!
ミカエル ハイっ!
モモコ先生 随分と商いに精が出ますこと。・・・まだ油を売り足りなくって?
ミカエル あ、イエ、その・・・100パーセント天然パッキング、しとどに流れるこの脂汗で、十分です、ハイ。
モモコ先生 お仕事中のハズね。
ミカエル え?
モモコ先生 まだ残っているでしょう?油を売るより先に、用務員としての使命を果たすべき、大事な大事なお仕事が?・・・ねえ?そのハズね?
ミカエル は、は、ハイ・・・。
モモコ先生 時の色は金、沈黙の輝きは銀。銀食器を運ぶ亀だってあなたよりは機敏に動く。口を開かない分だけね。・・・理解できまして?私の言いたいこと。
ミカエル その冷酷な言葉の鞭が、無知の脳髄に喜びを打ち据えて、理解できます、痛いほどに。
モモコ先生 消えなさい、影法師も残さず。
ミカエル (打ちひしがれて)ハイ・・・(と、去りかけるも、振り返って)・・・チラっ。

と、唐突にフランツ君とミカエル、二人きりの空間に閉じられます。

フランツ  あっ!ミカエルが見返してる!
ミカエル そうさ、見返るミカエルさ。恨みがましくも見返った視線で語らせて貰うよ、フランツ君。
フランツ  思わせぶりに何を語るつもりだろう。
ミカエル さっき、君の親知らずを恥知らずにも誤診したときにね。カサカサに乾いた両のほっぺたから、懐かしい故郷の香りがしたよ。
フランツ  え?
ミカエル 海辺の香り、磯の香り。そうあれは乾燥してまだ間もない塩の香りさ。
フランツ  僕の肌が、海水浴にでも出掛けてたって言うのかい。
ミカエル 昔、誰かが言ったそうだよ。涙は、世界で一番小さな海だって。
フランツ  え・・・
ミカエル ・・・可哀想に。泣いていたんだね。
フランツ  どうして・・・
ミカエル 分かるんだよ。私にはね。分かってしまうんだ。大丈夫だよ。誰にも言わないから。誰にも、何も言わないでおくからね。
フランツ  ミカエルのおじさん。
ミカエル (クルリと背中を向けて)もう、見返らないよ。今日のことは、君は一瞬で忘れる。子供だからね。しょうがないんだ。これで、サヨナラさ。






















ホームレス ・・・揃ってるな、諸君。
フランツ あっ!手前は!
ホームレス お早う、フランツ。昨晩はよく眠れたかね、錯乱の使徒。
フランツ 浪々の身の上には過ぎたること甚だしい砂上の楼閣、性懲りもなくまだウロついていやがったのか、このコジキ野郎っ!
アントーニ フランツ君!君、閣下に向かって何たる口の利き方だっ!
フランツ 閣下?
アントーニ 恐れ多くも恐れ足りない、グランドマスター・オブ・ナイトっ!騎士団長閣下にあらせらるるんだよっ。
フランツ 僕の頭の方がカッカ来てるんですけど。
アントーニ だからって乞食はないだろ。せめて日本書紀くらいにしときなさい。
フランツ ・・・何がナンだか、ワケが分からねえ。
ホームレス 結構、結構!・・・不思議がある。分からないことがある。素晴らしいことじゃないか、フランツ!騎士団の心臓は規律だ!規律とはすなわち行動の管理化だ!だがしかし、如何に行動を管理しようとも、心まで管理することは出来ない!不可解こそは21世紀に残された、最後の拠り所ではないか?我が騎士団は、団員の行動を規制する。だが心までは規制しない!そこんところが、下北沢辺りの貧乏臭い居酒屋でチャチな演劇論を振り回し、劇団員に罵声を浴びせ、ブスの女優と寝ることで精神の安定を図り、あまつさえ劇団員からチケットノルマまで徴収して家賃払っとるような劇団の主宰者とは違うところなんだねえ。
フランツ 何だ、騎士団って5時からサークルの演劇部みたいなモンか。
アントーニ 栄光ある我ヨハネ騎士団を慰安旅行の余興みたいに言うんじゃない!
フランツ じゃあ、一体何なんです。
ホームレス お答えしよう!ヨハネ騎士団、それは領土を持たぬ国家である!
フランツ 領土を持たない国家?
マーチェク 西暦1113年。聖地を守護する騎士修道会としてイェルサレムに発足した聖ヨハネ騎士団は、十字軍の時代、国家防衛の拠点となった。
シチューカ だが1187年。イェルサレムが陥落し聖地を追われるとアッコン、キプロスと逃げ延び1309年、東ヨーロッパ領ロードス島に本拠地を移した。
アリチア オスマン・イスラム勢力との度重なる攻防の末、騎士団はこれを死守したが、1522年、ついに壊滅的な敗北を受け、シチリア島に撤退した。
アントーニ だがナポレオンの時代、シチリア島がフランスに奪われると、騎士団は領土を失った。
ホームレス ところが、だ。1822年。領土を失っても、国家であることが国際会議で認められたのだよ
フランツ え?
ホームレス わかるかね。我々は世界でただ一つ、領土を持たぬ国家なのだ。あるのは概念だ。我こそが栄えある騎士団の一員であると願えば、その人間、そのものが国家になるのだ。
フランツ とんだ詭弁だ。
ホームレス 最小単位にして、最大領土。思い出せ、フランツ。貴様もその栄光ある騎士団の一員だったではないか!
フランツ だから身に覚えがないと言っているんだ!
ホームレス まあいい。徐々に思い出していくだろう。あの胸踊り胸騒ぐ日々を。
フランツ 今すぐに目の前から消えて欲しいんですけど。
ホームレス それは叶わん願いと知れ。俺はこのヒノイリ市を、領土なき国家の拠点を築くことに決めたのだ。
フランツ え?
ホームレス 諸君!諸君もまた、気高き薔薇の花びら一枚、胸に抱く身として、従事してくれたまえ。この、幻の国家運営に!
全員 はっ!
アントーニ ・・・して閣下。我々は具体的には、何をしたら宜しいので?
ホームレス ウム、何もしなければ良いのだ。
全員 えっ?
ホームレス わが騎士団、今日の凋落は全て、あのロードス島での敗北に尽きる。無敵を誇った騎士団が何故?ああも壊滅的なダメージを受けるに至ったのか?それは敵方に、不死、すなわち死なない戦士の存在があったからだ。
アントーニ 死なない戦士?
ホームレス そこで我々の国家でも、不死身の戦士を生産し、来るべき最終戦争、ラグナロックに備えるのだ。
アントーニ 幻の国家には、幻の国民が相応しいというわけで。
ホームレス その通りだよ、アントーニ。そこで諸君らの仕事は何か?言うまでもない。戸籍係だ。して、その業務内容は?
フランツ 婚姻届の受付。
マーチェク 離婚届の受付。
シチューカ 転居届の受付。
アリチア 出生届の受付。
ホームレス それだっ!
アントーニ え?
ホームレス 諸君らが業務をサボタージュすれば出生届けは当然、受理されない。すなわち、肉体はあれど社会に認知を許されぬ人間が生まれてしまうのだよ。大量にね。この目には見えぬ幻の住人で我が国家を埋め尽くすのだ!名づけて、
アントーニ 名づけて?
ホームレス 戸籍係りのサボタージュ作戦、ロードス島での攻防から学ぼう、すなわち、労働スト!
全員 労働スト?
ホームレス そうだ!労働スト!だがこれは、お役所の18番、たらい回しや担当者不在とはハッキリ違う。幻の国家運営に関わる、重要なサボリなのだ!そこんところ、ゆめゆめ忘れぬよう各々、切磋琢磨してサボタージュに励むように!本日は、以上っ!

人々、アっという間に消えて気づけばアリチア一人。そこへ黒衣の女が現れる。

黒衣の女 ・・・おじょうちゃん。
アリチア えっ?
黒衣の女 一人?
アリチア はあ?
黒衣の女 今、一人?
アリチア まあ、そうですけど。
黒衣の女 いいモノ、あげよっか。
アリチア いいモノ?
黒衣の女 ハイ、腕出して。
アリチア (素直に腕を出す)何かしら?
黒衣の女 ちょこ~っと、ジっとしててね。(腕に注射をする)
アリチア まあ、くすぐったい。
黒衣の女 気持ちイイ?
アリチア ええ、最高。何ですの、コレ?
黒衣の女 シャブ。
アリチア へ?
黒衣の女 シャブよ、シャブ。覚醒剤。ハイ、それとオマケのヘロイン500グラムっと。(注射する)やった!これであんた、もう末期のヤク中よ。
アリチア ぎょええええええええええええええええええっっっ!!!
黒衣の女 今月の標語が決まったわね。『ホームラン打つより、覚醒剤打とう』
アリチア ななななな何てコトしてくれるんすかぁっ!!
黒衣の女 フっ。これでアンタもう一生私の言うなりになるしかないってワケよ。
アリチア 言うなり?
黒衣の女 ええ、そう。・・・コイツが欲しけりゃねぇ。高いわよぉ。1グラム給料3か月分。
アリチア あんたは人間やない。鬼や。畜生や。
黒衣の女 でも安心して、ちゃんと、お仕事してくれたら、打ってあげる、何発でも。ギブアンドテイク。私はね、忘れないのよ、借りたものは。報いるわよ、恩に。だから頑張って働いて頂戴。
アリチア 働くって・・・何をするんです?私、今、労働スト中なんですけど。
黒衣の女 ご安心めされい、お役人。それは日が昇り、日が沈むまで、9時~5時のオハナシでしょ?私の商売はアフター・ファイブ。ダブルワーク、歓迎よ。
アリチア 水商売っすか?
黒衣の女 そう。でも、カラダは売る必要がないの。代わりに。
アリチア 代わりに?
黒衣の女 ココロを売って貰う。
アリチア え?
黒衣の女 昼の顔は由緒正しい公務員、サボタージュによって不死の戦士を生産する、聖ヨハネ騎士団、その円卓の騎士。しかして、夜遊びOLも時計を見やる、急行最終夜10時を過ぎれば、もう一つの顔。その名も、十時軍。
アリチア 十時軍?
黒衣の女 これまで通り、昼間は何食わぬ顔でお役所へご出勤。けれどアフター・ファイブを経て、朧月夜も顔をしかめる夜十時からは十時軍に従事して貰うわよ、末期中毒患者。
アリチア ・・・!




















ベツィ もしもし、私です。・・・明日お願いしてもいいですか。ええ、ええ・・・そうね、口元を少しいじろうかしら。それと目を。特に念入りにね。
ミカエル ・・・お嬢さん。
ベツィ (電話切り)えっ?
ミカエル 少しお時間、宜しいですか。
ベツィ ・・・宜しくない。
ミカエル え?
ベツィ 時の色は金、沈黙の輝きは銀。(顔をまじまじと見て)それら煌く貴金属の時間と等価交換できるようなツラにはとても見えない。
ミカエル なんと言われようと動じない、ツラの皮の厚さを誇っております。
ベツィ ツラの皮の厚さなら負けない自信があるんですけど。
ミカエル ええ、心得ております。何度も何度も引っぺがされ、切り刻まれて分厚くなったツラの皮でしょう。
ベツィ え?
ミカエル 分かりますよ、その包帯の下の素顔は、ザマーミロのヴィーナス。美という気紛れな概念でもって彫刻された、主観と肉の芸術。
ベツィ ・・・誰?あんた。
ミカエル 歯科医のミカエル・フォン・アルザイール12世です。
ベツィ つむじ曲がったT字路の、暗がりに待ち伏せる不審者にしては、不相応に立派な名前ね。
ミカエル おかしいですか?暮れなずみきった暗がりに佇む歯科医の名前が立派じゃ、おかしいですか?
ベツィ 有り体に言って、どうでもいいんですけど。
ミカエル 有り体のリアリティをトロトロと吐露してくれて、どうもありがとう。
ベツィ そのリアリティに欠けた有り体の使徒が、いったい何の用なワケ?
ミカエル ・・・口を。
ベツィ ハ?
ミカエル 口を開けて貰えませんか?
ベツィ はぁ?
ミカエル いや、誤解してはいけない。上の口で結構。
ベツィ 誰がお前に下の口を開くかよ。
ミカエル 無駄口を利いている時間はないんだ。事態は一刻を争う。
ベツィ あらそう、と争うまでもなく、この時間の、このやりとり。全てが無駄のとば口なんですけど。
ミカエル そのとば口の鎧戸を押し上げて、ちょんの間の雨宿りをお許し願えませんか。
ベツィ お断りします。取り付く島も、にべもなく。
ミカエル ・・・どうしても?
ベツィ ええ、どうしても。
ミカエル ところがそうはいかない。
ベツィ え?
ミカエル ホラ、右と左の選択肢に慣れ親しんだT字路から、いつの間にやら問答無用の袋小路に誘い出されている。
ベツィ ・・・図ったわね。
ミカエル うるせえ!いいからトットと口を開いて、歯を見せやがれ!
ベツィ (ムリヤリ口を開かされる)!
ミカエル ・・・ハイ、リラックスしてねぇ。力を抜いて、アーンってしてみようか。・・・ああ、こりゃあ、ヒドい。ヒドいなあ。ボロボロじゃないか。ハイ、口ゆすいで・・・そう、ガラガラ、ペっ。・・・どうしてなんです?
ベツィ え?
ミカエル ・・・どうしてなんだ。これだけ、顔をイジっているのに。どうして、歯には無頓着でいられるんだ。
ベツィ 食後のブラッシングは欠かしてませんけど。
ミカエル そうじゃない、そういうことじゃないんだ。あんたが奥歯を噛み締めるたび、ギリギリと唸りをもって崩れ去るその軋みに、例え一遍だって耳を貸したことがあるのか。愛想笑いに微笑むたびに目尻に刻まれてゆく皺の百分の一ほどでも、想いを巡らせたことがあるのか。昼はすりこぎ、夜は歯軋り。不眠不休の労働者、歯と呼ばれる骨の行く末に!
ベツィ 骨?
ミカエル 日の元に晒された肉と皮には主観という美の刺繍を施しておいて、西日も当たらぬ日陰の骨にはまるで頓着しないだなんて、そんな差別は許されない。死海の歯科医が、許さない!
ベツィ 何が分かるの、一介の歯科医の分際で。
ミカエル ・・・分かります。全てが。
ベツィ 全て?
ミカエル こうやって大口覗いているとね。骨に刻まれた歴史の声が聞こえてくる。
ベツィ どんな不毛なハナシ?
ミカエル あなたが信仰している「美」という目には見えない神様のミコトノリ。
ベツィ 神様?
ミカエル 肉体は本人ではない、魂こそ本人である。・・・そんな神に仕えていますね敬虔にも。だから切り刻み、痛めつけるんだ、肉体ばかりを。顔ではなくて心だなどという、そんな使い古された教義を守り、信奉するために。
ベツィ 分からない。あなたの喋ること、吐く空気。その一言一句、何もかも。
ミカエル いいや、あなたは分かっている。美とは、概念に過ぎないということを。そして、死もまたしかり。
ベツィ 死?
ミカエル そうです。死もまた、概念に過ぎない。それはあらゆる意味で反歴史的であり、詰まるところ、主観でしかないからだ。そう、美と死はとてもよく似ている。まるで、双子のように背中合わせの影法師だ。死は、美を語るように語られなければならない。美は、魂のようにその存在を疑われなくてはならない。・・・そうでしょう?そうですね?そうなんだっ!
ベツィ ・・・例え、そうだとして。
ミカエル え?
ベツィ そうだとして、どうだと言うの?死のように、美を与えてくださるとでも言うのかしら?あなたが、私に。
ミカエル ・・・いいえ、そのハナシはあべこべです。
ベツィ アベコベ?
ミカエル 美のように死を与えて差し上げます。私が、あなたに。
ベツィ え?
ミカエル もう直ぐです。もう直ぐ、麻酔が効いてきますよ、あなたがコレまでに味わった、どんな麻酔とも違う味です。この麻酔は、皮に打ち、肉に効いてくる、そんな麻酔とは一味違います。骨に効いてくる麻酔です。
ベツィ ・・・(独白)その瞬間、私は思い出していた。
ミカエル ・・・一体、何を?
ベツィ (独白)子供のころ。まだ私の皮膚と、私の肉が、冷たいメスの味を知らず、生まれたままの無防備な張りを誇っていたころ。あのころ、私がどんな顔をしていたのか。それは今ではすっかり忘れてしまったけれど、忘れられないことが一つだけ。それはいつかの新学期、春の定期健診。奥歯にバツの傷物を記された私は、放課後、たった一人で街外れの歯医者の椅子に座っていた。ほどなく、私の歯茎に麻酔の注射が打たれ、私の口は、磯巾着のようにダラリとだらしなく押し広げられた。流れ出るヨダレはとめどもなく、自発的に拭うこともできない。カラダはといえば、がっちりとゴム製のベルトで固定され、身じろぎ一つ、許されない。私は生まれてはじめて、なされるがまま、という状態にされたのだ。自分のカラダが、自分のモノでありながら、その全てを、今目の前にいる男にまるきり預けてしまうしかないという事実に、私はうろたえ、絶望し、そして・・・。
ミカエル そして?
ベツィ そして・・・興奮していた。自由にならないことに。カラダのすべてを見知らぬ男に預けてしまうことに。それはまるで。
ミカエル まるで?
ベツィ まるで、セックスのようだった。セックスそのものだった。幼い私は、興奮し、そして、恐ろしかった。途方もなく興奮し、途方もなく、恐ろしかった!
ミカエル ・・・さあ、麻酔が効いてきたようです。眠りなさい。眠って、美と死の両輪をその手にするといい。大丈夫。怖くはない。怖くはないからね。

刃物が肉をえぐる、イヤな音。舞台が一面、血に染まる。溶暗。














トラヴィス ・・・西暦1947年の、ある昼下がりのことです。イスラエルの要塞都市、クムランに住む羊飼いの青年、ムハンマド・エディープが、洞窟に迷い込んだ山羊を追い立てるために投げ込んだ一欠けらの石が、一つの陶器に当たったのです。その中には2千年もの間封印され続けた巻物のひとつが収められていた。死海文書。ヘブライ語、ギリシア語、アラム語と、バベルに落ちた雷によってバラバラとなった世界を束ねるために、歳末大バーゲンのチラシの裏に筆記された、大安売りのミコトノリだったのです。・・・明けの明星、天球のシリウス、ウマヤドの救世主(メシア)、そして、死海文書。歴史を掘り起こす者はいつだって羊飼いと、相場が決まっている。
アメ 随分な高値を付けますこと。
トラヴィス 乱高下に手を突っ込むなら一点突破に先物買いと決めていましてね。
アメ 無知蒙昧な羊飼いこそが、音に聞こえた駿馬たる歴史学者達の鼻を明かす。・・・皮肉ね。
トラヴィス その皮肉の皮と肉こそが、羊飼いの商売道具というわけです。
アメ 皮は?
トラヴィス 発作的な閃きと職人的な速記術を仲介する電極のパルス。パピルスに代わって歴史を記述する羊皮紙となりました。
アメ 肉は?
トラヴィス 永久に解けないソロモンの結び目を引き絞る万力。ラム、マトンとなって肉体労働の礎を支えてきたのです。
アメ では骨は?
トラヴィス え?
アメ 皮肉屋の羊飼いに、骨という商売道具が扱えまして?・・・うわべばかりの皮と肉では飽き足らない。そんなもの、もう充分。骨の骨、その骨髄。真髄まで届く真実だけを頂きたいんです、私。
トラヴィス 試しておられる?私も、所詮は上辺をなぞり、骨を持て余す、羊飼いに過ぎないと?
アメ どうでもいいの、そんなこと。・・・けれど。
トラヴィス けれど?
アメ 羊はゴメンだわ。あの目。あの疑うことを知らない目。毛を刈られ、皮を裂かれ、血を抜かれ、肉を焼かれてもキョトンとするばかりのあの間抜け。まるで、
トラヴィス まるで?
アメ まるで・・・そう、同じだわ。弟の顔と。
トラヴィス ミス・アメ。一口に羊と言いましても、にらめっこの距離に立ち入れば千差万別。イロイロと種類がございます。毛の色、目の色、肌の色。
アメ 肌の色?
トラヴィス そう、例えば・・・世にも稀なる、紅い羊。
アメ 紅い羊?
トラヴィス そう。仲間を喰い殺し全身に真っ赤な返り血を浴びた紅い羊です。
アメ えっ?
トラヴィス 群れの中にただ一頭。真っ白な雲に浮かぶ紅い花の一厘。非常に目立つ。逃げることも隠れることも出来ない。だが当の羊はそんなことに全く気がついていない。群れの中に紛れ込み、まんまと隠れおおせたつもりでいるのです。滑稽な話だ。それでこそ羊だ。・・・そう、思いませんか?
アメ 煙に巻かれるのは好きじゃありませんの。試すような物言いも。趣味が悪いわ。
トラヴィス 失礼致しました。趣味には自信がありませんで。・・・ところで。
 (独白)男は唐突に、話題を変えた。
トラヴィス そろそろ電話がかかってきますよ。
 (独白)電話?・・・意味を取りかねて、咄嗟に聞き返した。
トラヴィス ええ。私のか、あるいは、あなたのケイタイに。・・・今。
 (独白)今?今って、いつ?
トラヴィス すぐです。それまで休んでいけばいい。
 (独白)誰からかかってくるのです?私は聞いた。
トラヴィス 誰から、それは私にも分りません。でもかかってきます。それだけはハッキリしている。
 (独白)・・・よく分らない。
トラヴィス 言ったでしょう。私は探偵です。それもそれも唯の探偵じゃない。物語の探偵です。もしこの会話が
 (独白)この会話が?
トラヴィス この会話があなたの物語の冒頭ならば必ず電話が鳴るはずなのです。
 (独白)なぜ?・・・私は混乱している。
トラヴィス 昔、一冊の本が教えてくれました。あらゆる謎解きの始まりはフイに鳴る一本の電話の音からだと。私はいつだって、それを待っている。探偵の仕事は待つことです。私は私の謎の手がかりをずっと待っている。
 (独白)あなたの、謎?
トラヴィス ・・・物語の中で人が一人死ぬ。すると現実でも一人、人が死ぬのです。このことはまだ誰も知らない。誰もです。だがこれは統計的事実なのです。私には、確信がある。
 (独白)確信?
トラヴィス 物語の中で殺された人間の数と現実に殺された人間の数がピタリ一致する。これが、私が生涯で唯ひとつ。絶対に解きたい謎なのです。・・・さて時間だ。電話がかかってきますよ。
アメ ・・・そして電話が鳴った。私の、胸元で。

プルルルル、と電話の音が鳴り続ける。その音だけを残して、時間が凍りつく。

DATA

2011年
9月7日(水)・8日(木)
座・高円寺2
http://www.theater-green.com/

作・演出
小野寺邦彦

出演
岩松毅/ 山本駿/ 澤岡史織/ 本庄あゆみ/ 佐藤辰海/ 馬場貴大/ 田村友紀/ 村松由貴/ 森亜由美/ 松田紀子/ 桐村理恵

スタッフ
照明:志田順一/ 音響:久郷清/ 舞台監督:海老沢栄/ 舞台美術:二宮花梨/ 宣伝美術:orange21/ イラスト:朝倉世界一



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