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生活と創作のノート

update 2021.06.17

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ニッポンの長い

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#166 サイダーなくなる 2021.06.24 THU




■仕事の担当氏と、オンライン通話中に雑談。フと、「将来何になりたいか」でキャッキャと盛り上がる。アラサーとアラフォーが、将来、何になりたいかって。 俺は古本カレー屋で 担当氏は司書兼ネイルアーティスト。目指す場所があるわけではない。ただいつだって、もうここから出ていきたいだけだ。なりたい未来と、向かう未来はまったく別の地平に存在していてしかるべきなのだ。

■少しずつ、観劇を再開している。大きな劇場、小さな劇場、少し緊張しつつ出かける。 大きな劇場ほど以前と同じ環境を志向し、小さな劇場ほど極端な客席制限を自らに課している印象。そのムードに触れることが、いま貴重な体験だ。舞台の上で展開するドラマ以上に、客席で感じる空気に、ライブを観劇する醍醐味を覚える。 もとよりライブは、観客ひとりひとりが、個別の事情を持ち込んである時間・ある場所に集合することで成立する。その事情が画一的に整えられている瞬間の表現を、いま、肌に残したい。いずれ検証される時代を、傍観で過ごすのはもったいない。愚かであるなら愚かであった痕跡を残しておきたい。

■例えば、下北沢のフリースペースで行われた公演。受付を抜けると、客席は立錐の余地なく、人でギッシリだった。その瞬間、ギョッとして思わず立ちすくんだ。そして立ちすくんだ自分に、少なからぬショックを受けた。小劇場の客席に人が密集している、20年間慣れ親しんだその環境に、一瞬でもたじろいでしまった自分。20年の習慣が、僅か1年半の自粛生活によって、アッサリと書き換えられてしまう。それはパソコンのモニタで「動画」となった演劇を観るよりも遥かに大きな「変容」だ。一呼吸入れて、ポツンと一席残っていた最前列の桟敷席に座った。隣の人に膝が接触しないよう、目いっぱい、折り曲げた。芝居は面白かったが、腰が悲鳴を上げた。

■例えば、新宿の雑居ビル地下にある、小さな劇場。開演直前に到着すると、席はやっぱり最前列だったが、桟敷ではない。椅子がある。あるのだが、その上に、フェイスシールドマスクが置かれていた。最前列の観客はそれを着用するよう言われる。不織布のマスクをした上から、フェイスシールドを被る。さらに眼鏡もかけている私の視界は、吐く息によって一瞬でマッシロに曇った。その息苦しさに、途中、本当に窒息しかけた。30秒ほど目を瞑り、心を静める。俳優の喋る声が聞こえる。その声だけに集中して、ゆっくりと目を開けた。フィルターの曇りは半分ほど晴れていて、うっすらと俳優の姿が見えた。幾重にも重なった防護フィルターを通してまで、何をしているのかと言えば、いま、私は芝居を観ているのである。そこまでして、芝居を。そう思うと、楽しくなった。来てよかった、と心から思った。

■しかし、腰は大事だ。桟敷席で腰をイワしている場合ではないのだ。かつてその年一番の寒波に襲われた大晦日、本田劇場の床に、座布団1枚敷いて、ナイロン100℃の公演3時間45分に耐えた私だ。 衰えたものである。また床に寝るなどして、積極的に地面と仲良くなっていきたい。床に座ってこその芝居だ。床が呼んでいる。

■さて、『あ;今;いな;未ら;い』は明日より、LAYER1を配信公開する。5月、吉祥寺シアターで上演収録した4作品のうち、「Dance/Distance」と「エイリアス/エイリアン」の2本。 編集チェックで再生画面を覗く度、俳優が、思いもよらない事を喋りそうな予感が何度もした。上演記録ではなく、独立した作品として 「芝居を再生する」それは稀有な体験だ。状況がなければ決して手を付けなかった表現だ。 それを踏まえたうえで8月、劇場で観客を迎えることを願うばかりだ。その「願い」自体が、遠い未来への想いにも、当たり前すぎた過去への懐旧のようにも思える。

■7歳になる知人の娘から、LINE通話の着信。画面をタップすると、クリームソーダを飲むところを見ていて欲しい、というリクエスト。だが、なかなか飲まない。 ふざけながら、サイダーの上に浮かぶアイスフロートをストローでぶくぶくと沈めて溶かしては、「サイダーなくなっちゃう、なくなっちゃう!」と嬉しそうに叫ぶのだった。サイダーなくなる、サイダーなくなる…なんだか、この夏のテーマを貰った気分で、幸福だった。

小野寺邦彦



#165 アマゾンの石 2021.05.14 FRI




■石を買った。

■外出が出来なかった一年だった。子供の時分より日中、部屋にいることが苦手な性分だ。目覚めて、顔を洗う。その瞬間には文庫本を掴んで、もう外に出ていきたい。だが、それが出来なかった。

■気分を変えようと、本棚を作り、床に積まれた本の山を収納した。レコード棚を作って、溢れたレコードとCDを収納した。パソコンを自作した。スピーカーの吊り位置をいじり、アンプを新調した。電気圧力鍋を購入し、日に三度の自炊。気付けば、エレキギターの配線をハンダ付けまでしていた。イロイロやってはみたが、部屋はどう足掻いても部屋である。なんか、快適になればなるほど、あまり居たくない。散らかった部屋、足の踏み場のない部屋、崩壊した秩序、山のようなガラクタと寝床。それが私の部屋だ。滞在する場所ではない。帰ってくる場所だ。

■それで、庭をいじってみたのだ。家であり同時に屋外でもある場所、それが庭だ。毎朝起床して朝風呂に浸かり、珈琲を飲んだら庭へ「出勤」した。通勤時間、1秒。土を耕し肥料を与え、花を植え作物を収穫した。水を撒き、めだかまで飼った。そうやってニワカにウロついたもので、踏みしめた芝生がすっかり剥げてしまった。それで、踏み石を買ったのだ。Amazonで注文し、翌日には届いた。日焼けした、屈強な佐川急便のドライバーが「重いですよ」と渡してくれた石は、本当に重かった。梱包を解き、しばらく石を眺めた。

石だ。
石だよ。
石を買うような人間に、私はなってしまった。
かつて公衆電話ボックスで寝たこともある私が。電車賃がなく、三軒茶屋から吉祥寺まで、7時間かけて歩いた私が。石を。Amazonで。今は、冷蔵庫さえ持っている。すべては夢なのだと思う。石の上で冷たくなった、私の夢だ。

■稀に出かければ出かけたで、職務質問に遭遇する。

■10代の終わりから様々な場所で、様々なシチュエーションで、様々に職質を受けてきた。だが誇るべきか当然と言うべきか、一度だって御用になったことはナイ。となれば、職質それ自体・そもそもの効用を疑ってしまっても仕方ない。「シロ」である人間が何十回も掛かってしまう、ということは、その網はとんでもないポンコツという事だ。職務質問という方法は、不審者を網にかけるには、致命的な欠陥がある。それは私が身をもって実証してきた、事実だ。これまで夜道で私を拘束した都合何時間かで、何人の不届き者を取り逃がしてきた事か。初老の警官が私の荷物をひっくり返している間、もう一人の若い警官の目を一度も逸らさずそう言ってみたが、そいつは飄々と「この辺でねえ、亀の首を斬り落としてるヘンタイがいるんですよ。子供が怖がるでしょう。そういうのは」と言うのだった。つまり、そのヘンタイ野郎が、私ということだ。「そんな紅い帽子を被って。ハデだねー、ソレ」。

■翌日の昼間、まったく同じ格好で世田谷区の経堂を歩いた。信号待ちをしていると、紫色のスカーフを巻いたマダムが話しかけてきた。
「ちょっとゴメンね」
「はい」
「オニイさん、芸術家?」
私は何者だ。

■不自由な世界になった。いや、それは違う。はじめから、ずっと世界は不自由だったのだ。ホンのしばらく、透明なシートがその不自由の上に覆いかぶさって、忘れていただけだ。それが剥がれた。もともとの姿を現した。

■演劇は本質的に不自由なものだ。非合理・不合理、非経済・不経済、お手の物だ。私は自由が欲しいと思ったことはナイ。許しを得て、貰うものではない。 不自由な世界で自由にやる、せいぜい勝手に振る舞う、それが好きだ。コケてばかりだが愉しい日々だ。不自由な時代には、不自由な表現がある。8月の架空畳は、リーディングをやる。俳優が、台本を持って演じる。その不格好さ、不自由さ、あけすけさ。それによって、作品から削がれる芸術性は少なくないだろう。ひょっとしたら、舞台にかかるはずの魔法が、跡形もなく消えてしまうかもしれない。だが、それによって不自由を表現することは出来る。うまくいかなさ、それ自体を娯楽として現出させる。いつもながら、どうなるかは分からない。ただ、今、この特別の時代を、ただ何となく通り過ぎたくはない気分だ。今という時間にラベルを貼りたい。それがどれだけズレていて、滑稽なことであっても。我々は、ズレて滑稽なことをした。そんな2021年だった。曖昧な今だけが、未来。明日なにしようか、考えたことはない。目覚める。顔を洗う。文庫本を掴んで、ただここから出ていきたい、それだけだ。

■庭に石を埋めた翌日のことだ。突如として花が狂い咲いた。 ラッパ水仙につられて、冬に咲くはずで咲かなかった日本水仙、一旦枯れたクリスマスローズ、おまけに覚えのないない沈丁花まで咲いた。完全に季節がバグった不思議時空庭と成り果てた。石だ、石が怪しい。

小野寺邦彦




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