いつもは地面から聞こえる地下鉄の音が、頭の上から聞こえる。
昨晩、地下鉄の終電車に落とした忘れ物を探して、私は海抜800メートル下のどん底へと案内された。
「決して目を落として歩かないように」
地下を先導するベテランガイドはそう釘をさしたけれど、踏み外した一歩のつま先を追ってつい、
私が目を落としてしまえば、たちまちの暗闇!
そのドサクサに、日比谷線と銀座線が交差した地の底は、遠くメンフィスはギザのピラミッド、
その地下迷宮へと場所を変えた。
そこで出逢ったのは、玄室に眠る女王。そしてミイラ取りがミイラのノミ取り、地下で落とし物を探すうち、
迷宮に捕らえられ出られなくなった一人の男だった。
男は、私を「墓荒らし」だと言った。女王の墓前を荒らす墓荒らしだ、と。
このどん底に私が探しにきたもの。
それは財宝でもなく、遺品でもない。ただ一つ。終電車に落とした、ただ一つの忘れ物。でもそれが何だったのか…。
いつもは地面から聞こえる地下鉄の音が、頭の上から聞こえる。
私の名前はデルフィ・ワーシカ。
ど・ろ・ぼ・う、と指さされた背中を押され、地下への階段をまた一歩下った。
アユタ …チリリン。はい、国営地下鉄・落とし物係。え?忘れ物?昨晩の終電に忘れ物?ふふふ、マイったね、お客さん。終電の地下鉄車輛は一斉メンテナンスに入ったとこで。そーね、今頃は…ニヤリ。地下の地下、海抜800メートルのどん底にあるんスよ。…ホウ、取りに行く。800メートル地下へ取りに行く、ト。…いるんだ、そういう無鉄砲が。よく言った!嫌いじゃないスよ。嫌いじゃない。そうこなくちゃ。いーでしょ。ガイドを付けましょ。地下鉄の地下を歩き尽くした大ベテランのガイドをね。…オタクお名前は?
デルフィ …デルフィ・ワーシカ。
アユタ デルフィさん。そいじゃ国会議事堂前2番出口待ち合わせでヨロシク。国営地下鉄・落とし物係の、アユタ・ミートリイチが承りましたン。…ガッチャン!
アユタ、闇に消える。風景変わって、そこは荒涼とした地下。ルカと、デルフィがいる。と、一陣の風が吹く。
デルフィ ぺっ、ぺっ!埃っぽい風。…おえっ、目ん玉がジャリジャリ。
ルカ そんなに地面に目を落として、階段を下ってくるからです。
デルフィ だって地下への階段は、目を落として進むものでしょ。
ルカ シロートだなあ。逆ですよ。
デルフィ 逆?
ルカ 地下への階段はね、胸を張って、アゴを上げて、堂々と天を睨みながら下るんです。
デルフィ 足を踏み外すじゃない。
ルカ 目を落とすよりマシでしょ。延々、地下への階段を下って来たのは、何の為だと思ってるんだ。
デルフィ 忘れ物を取りに来たんだけど?
ルカ それは地下へ下る口実に過ぎない、私にとっては。
デルフィ ハ?
ルカ 何故、地下に下るのか?それは地面に目を落とす為じゃない。空を見上げる為です。見上げる為に下るんだ。分かるか、このガイネン。
デルフィ 落とし物を探しに来た乗客をダシに概念を語る地下鉄職員がいるか。
ルカ それが、ボク。どん底への案内人、ルカ・メドヴェージェフです。…あっ!(と、地面に伏して足元の土を掘る)。これは…?
デルフィ 知った顔の一つでも発掘した?
ルカ いえ、他人の空似でした。
デルフィ またあ?いい加減にしてよ。
ルカ 地下に目を落として彷徨ったまま、干からびた終電の亡者の顔は皆、よく似ている。
デルフィ アゴを上げて空ばかりを見上げているから、空似に足を取られるんじゃなくて?
ルカ シッ!…御覧なさい。遥か上空を地下鉄銀座線が通ります。
と、その時、ゴーッと地下鉄の通る音が上空から聞こえる。
デルフィ (その音に釣られて顎をあげる)…いつもは地面から聞こえる地下鉄の音が、頭の上から聞こえる、その物珍しさに思わず空を見上げたけれど…視線の先には何もない。今のいま、自分が下って来た階段の真っ暗闇が、ぽっかり口を空けているだけ…。私は、地下の風に目を落としてしまったのだろうか…?って、アレ?
デルフィが顎を降ろすと、ルカの姿は消え、代わりにワット現る。
ワット …墓荒らしか?
デルフィ え?
ワット 墓荒らしだな。
デルフィ いや、落とし物の忘れ物を探しに…。
ワット 嘘だ!顎を上げて、空を睨みながら下ってきた!落とし物を探すつもりなら、地面に目を落とすハズだっ!
デルフィ だって、ベテランガイドが…。
ワット なるほど、ベテランの技か。…いいなあぁ。
デルフィ ン?
ワット 取引をしよう、墓荒らし。
デルフィ 取引?
ワット ウン。呪われし王家の墓荒らし。そのオゾましき人類史の汚点に、だがオレは目をこぼす。代わりに、オレの目を探してオクレ。
デルフィ 目を落としたんだ?
ワット そうです。目を皿にしてお宝を探すその最中、地下の風に舞い上がった埃にやられて…。
デルフィ なんだ、ミイラ取りがミイラじゃん。
ワット ミイラ取りのミイラのノミ取り。オレは、ワット・タタール。その名札が転がった眼球の裏に貼り付けてあるからサ。頼むぜ。なっ。
デルフィ (地面ケとばし)闇に慣らして目を凝らせば、落とした目玉だらけだ。名札なんかイチイチ見てる暇ないや。
ワット あっ、バカ!地面に目を落とすな!
デルフィ え?
その瞬間、突風。顔を臥せる人々の影が蜃気楼のように舞台に現れる。風が収まると中心にギザがいる。
ギザ ギザ・ギジ・ギズ・ギゼ・ギゾ。ハイ、言って。
人々 ギザ・ギジ・ギズ・ギゼ・ギゾッ!
ギザ よーこそ、目玉を落とした千鳥足の墓荒らしども。地下鉄国会議事堂前から溜池山王への迷宮を下った玄室の扉を開ければ、笑わば笑えの大ワラワ、ワラワこそギザのピラミッドのアルジ。女王、ギザ・ナースチャであるぞよ。…おろろろろっ。
と、ギザ、吐しゃ物を吐き出す。
人々 おろろろろっ。
デルフィ うわぉっ!汚ったねえ!なんだ、地下鉄の女王は終電の寝ゲロまみれだ。
ワット (地面に突っ伏し)…目玉が!目玉がゲロゲロのゲロだぁっ!
ギザ グビリ。ふふふ。まんまとやって来たね。終電に落とした忘れ物を探して、地下の地下、どん底のピラミッドその迷宮まで。さあ、目玉を置いていって貰おうかぁ。
デルフィ 畜生。それが国鉄のやり方か。クレーム電話入れてやる。
デルフィ、電話かけるアクション。と、人々の中からアユタ現れ、電話を取る。
アユタ (電話取るアクション)…チリリン。はい、国営地下鉄・落とし物係のアユタ・ミートリイチ。あ、デルフィさん。…え寝ゲロ?溜池山王のピラミッド地下が寝ゲロでゲロゲロ?わっかりましたン。直ちに清掃のエキスパートを向かわせますんで。よしなに。…ガッチャン!
ペトラとマハル、ニコイチで現る。
ペトラ (ハキハキと)天下の国鉄から地を這うどん底へ。はるばる天下って参りました。寝ゲロの後始末から、歴史の修正まで。まっさらクリーニング・サービスのペトラ・ヴィルギンスキーでっす。
マハル (ダラダラと)ちーす。
ペトラ (マハルに)…んもう!シャンんとして。シャツの裾をしまって。キチンとお名刺お渡しして。
マハル マハル・ワルワーナっす。
ワット (ペトラへ)いや、苦労しますな。やる気のない、腰掛アルバイトには。
ペトラ いや、僕がバイトです。今日、初出勤です。こちらのマハル先輩が、正社員で税金泥棒です。
ワット ドドド、ドロボー!
マハル 腰掛っす。腰掛正社員っす。夢は脱サラ・シナリオライターなんす。
ギザ ホウ。物語作家ね。
マハル 書くホン、書くホン、没の山す。そいで、原稿用紙に埋めた文字を修正液でもって、消しては書き。また消しては書き。消して消しまくるうちに…その歴史修正の腕を買われて、クリーニング・サービスにスカウトされてたンす。
ペトラ マハル先輩のクリーニング技術は、天才的です!
デルフィ どーでもいいけど、ピラミッドの頂点から噴火した、寝ゲロの掃除をしてよね。
マハル ちーす。
ペトラ …って、うわぉう!寝ゲロに足を取られたぁっ!
マハル 目を落とすよりマシだよ。
ペトラ 信じられねえほどドロドロだ。いったい。何人分のストマックがひっくり返されたんだ。
ギザ おーっほっほっほ。恐れ入ったか天下り。ピラミッドの三角を、ゴロリと丸ごとひっくり返したのヨン。
人々 おーっほっほっほ。
ペトラ 畜生。足を取られてマトモに立てない…ってああ!せせせ、先輩が!
マハル、踊るように、それでいてあくまでかったるく、人々の間を縫ってゆく。
マハル 床清掃の極意す。ポッケに片手を突っ込んで、取られた足を取られたママ。かったりぃっとばかりに、放り投げて歩くんす。
ペトラ さすが先輩だ。やる気のねえ、腰掛のステップだ。みるみる床が洗われていくぞっ!
ギザ ななな、なんとぉ!
ペトラ おやおやぁ。ゲロと埃が洗われた床から…見て見て、先輩。さすが終電のピラミッド。忘れ物が、こーんなに!
デルフィ あっ、忘れ物。
人々 あっ!
ギザ お待ち!忘れ物の中から、目だけは置いてお行き。その所有権はピラミッドのアルジたるこの私、ギザ・ナースチャに帰属する。
ペトラ いや、車輛の落とし物は全部国鉄のものです!探し物があれば、お電話下さいね。…んじゃ、帰りましょ。ソーしましょ。ねっ、先輩。…先輩?
マハル 帰れねっす。
ペトラ え?
マハル ウチら天下の天下り。天上から堕ちるスベはあっても、一度落下したピラミッドの底辺から頂点へ、再び上りつめる技術は持ち合わせちゃねえっす。
ペトラ じゃじゃじゃ、どーすんですか!
ワット ミイラ取りがミイラのノミ取りだ。えへへ。
マハル 地上への道を熟知した、ベテランガイドと待ち合わせてるす。現地集合で。
ペトラ・ワット えっ?
と、視線の先から、ルカ現る。
ルカ どもども。遅くなりました。どん底の案内人、ルカ・メドヴェージェフです。
デルフィ あっ。知った顔。
ルカ (ペトラ見て)落とし物の忘れ物はタンマリ頂きのよーですナ。
デルフィ でも数が多すぎて…。その中に、私の忘れ物があるかどうかは、まだ。
ルカ 仕分けは、地上で。…さ、帰りましょ。地上への直通電話を一本、失礼。
ルカ、電話をかけるアクション。別の空間に、アユタ。
アユタ (電話取るアクション)…チリリン。はい、落とし物係のアユタ・ミートリイチ。ああ、ベテランガイドのルカさん。落とし物が見つかった?りょーかい。ホイじゃ、引っ張りあげますねン。…よーそろ。
天上から光がさす。ルカ、人々を先導し、地上へ向かう。
ワット ままま、待ってくれ!目を持っていかないでくれ!そのどれか二個イチで、おれの名札が張り付いているはずなんだぁっ。
ギザ そーだ、イーぞ!食らいつけっ!地上に目を奪われるな!ギザのピラミッド、この三角の底辺にこぼした目玉を、陽の光に晒すなっ!
と、闇の奥からベロニカ現る。
ベロニカ ズドラーストヴィチェ。ご機嫌よう、どん底にお集まりの皆さま。
ギザ …あなたは。
ベロニカ 永い時間、ゴクローさまね。…はい、手を出して。
ギザ 手?
ベロニカ ゴホービのアメちゃん。
ギザ え?…コレは…
ワット 金ぴかだっ!金ぴかの目玉だっ!いいなあぁ!
ギザ いや違う。目玉、じゃない。これは…金ピカの…金歯だ?
アユタ ひっぱりまーす。
闇に溶けていく。
ルカ …あれ?なんかヘンなトコでちゃったな。
デルフィ 地上へ直通のハズよね、ベテランガイド?
ルカ そのハズなんすけどね。おっかしいね。…ね?エヘヘ。
デルフィ エヘヘじゃないっ!コレってひょっとして、ひょっとすると、遭難?忘れ物探しに来て、遭難?ドーすんのよ。どーしてくれんのよ、えっ?
ルカ ご安心アレ。バックアップ電話を地上へ一本、失礼。もしもし?…もしもーし。
アユタ ツー、ツー、ツー、ツー。
ルカ あれえ?繋がりませんな。ハハハ。
デルフィ ガーン!
ペトラ (マハルに)これ遭難中も残業手当付くんでしょーか?付くんでしょーね。ね、マハル先輩。…先輩?何してんです?
マハル、手元のペラ紙に何か書きつけている仕草。
マハル 〆切が近いんす。
ペトラ 〆切?
マハル シナリオコンクールの〆切。でも、ナーンも思いつかない。こうなりゃ、ドキュメンタリーだ。この遭難をそのまま、シナリオにしちゃうっす。
ペトラ 先行き不明じゃないですか。
マハル なるよーになるす。
と、ベロニカ。マハルの手元から、そのペラ紙をサっと奪い取った。それを覗き込むコルスとヘンジー。
ベロニカ ご覧。発掘された古代のヒエログリフ。
コルス おっ、ヴィンテージ。
ベロニカ かつてどん底であったこの場所で、ナニがあったのか?ドキュメンタリー・タッチで克明に記されてるわ。カラー図解入りで。
ヘンジー ドッシリと腰を据えて動かぬ、歴史の証言ね。
コルス チョイ見せて。(周囲を見渡し)…ウーン。けどさ。これの、ドコが巨大人?今のアタシらと、背格好は同じじゃない?
ベロニカ (溜息をついて)…フー。
ヘンジー (嬉しそうに)あっ!溜息をついた!小馬鹿にした!冷たい目で憐れんだぁ!
ベロニカ 言ったでしょ。ここはかつてストマック。巨大人の胃の中だったって。つまり、
ヘンジー つまり巨大人の胃袋の中に、私ら人類の祖先が飲み込まれていた、その記録ってことね!ソーなのね!
ベロニカ ザッツ・ライト。そしてこのヒエログリフに記されているのは、飲み込まれた胃袋からの、手に汗握る脱出の物語ってワケ。アンダスタン?
コルス ンー。そうかなー?ちょびっと、苦しくない?
ベロニカ 苦しくないっ!…ホラ、ここ。ご覧。(マハルの背後に立って。囁きかける)…そこ、ちょっと消して。
マハル (キョロキョロして)え?
ベロニカ 消した上から、こう書くの。「目を落とした底の底の暗闇から、地上を目指して進むその最中、ワレワレは、ドロドロと逆流し、駆け上ってきた胃液に、足を掴まれた」!
マハル …「ドロドロと逆流し、駆け上ってきた胃液に、足を掴まれた」、と。
ペトラ マハル先輩。ソレってフィクション?ドキュメンタリー?
マハル ハテ?
と、その瞬間、地下から逆流するように、ギザとワットが現れた。
ギザ ギザ・ギジ・ギズ・ギゼ・ギゾ。ハイ、言って。
ワット ギザ・ギジ・ギズ・ギゼ・ギゾッ!
ギザ そーだ、逃がすな、食らいつけっ!寝ゲロまみれの両手で引っ掴め!
ワット ぴたっ。
ペトラ うわぉう!折角クリーニングしたボディがまたまた、寝ゲロでゲロゲロだぁっ!
ワット、逃げ惑う人々に対し、ドロドロの身体を次々と押し当てていく。
ワット ぴたっ。ぴたっ。ぴたっ。
デルフィ ヤダぁ。ひっくり返って逆流したピラミッドの三角に追いつかれたァ。
ルカ はっはっは。こりゃ収拾が付きませんな。はっはっは。
デルフィ バカッ!クリーニング代、国鉄に請求するからね!
この光景を、現在の時間から。
ベロニカ ネ。ご覧のとーり。現場は、逆流した胃液でドロドロのドロ。
ヘンジー ウラが取れたのね。この地が巨大人のストマックであったという、ウラが。
コルス ウーン?
再び、過去の時間。
マハル なーんてこった。私の書いたフィクションが、ドキュメンタリーを追い越したっ?
ルカ ホウ。予言ですな。
マハル 予言?
ルカ あるべき未来に、一歩、先回り。予言、或いは…。
マハル 或いは?
ルカ 待ち合わせ。
デルフィ えっ?
マハル 待ち合わせ。…天から降ってきたシナリオが、未来と待ち合わせた?
ギザ シャーッ!じゃかあしいっ!この地下ピラミッドの女王、ギザ・ナースチャを差し置いて、予言なんてちゃんちゃんらオカシーわ。…なっ。
ワット なっ。
マハル ムカッ。じゃーなんなんすか。
ギザ ぺっ、ぺっ。決まっておろーが。ンなもん、グーゼンよ、偶然。
と、別の空間のベロニカ。
ベロニカ 偶然?偶然だって?
コルス …ちょっと?名無しのレディー?
ベロニカ しらじらし!何が偶然か!偶然なんかであるもんか。これって断固、待ち合わせよ!思い知るがいい。
ヘンジー 古代より発掘された古文書に向かってクレームつけてるわ。見上げたバイタリティだわ。
ベロニカ、マハルの背中に立ち、その耳元に口を寄せる。
マハル ぞくぅ。くくく、来る。待ち合わせのシナリオが…フィクションが、降って来る!
ベロニカ …消しなさい。
マハル え?消す?折角書いたシナリオを、消す?
ベロニカ (手元を覗き込んで)ほら、ココ。それにココも。ココも。
マハル そんなに!いや、でも書かなきゃ。〆切が…。
ベロニカ 書くんじゃない。消すの。発想の転換。
マハル 発想の転換。
ベロニカ 数学もシナリオも同じコト。ポイントは、何を書くか?ではなく。何を書かないか?
マハル 引き算すね。
ベロニカ そう、引き算。消すことで書く。残された珠玉の一行だけが、未来に届く、その資格を得る。
マハル …!
マハル、手元のペラ紙に修正を加えるアクション。と、その瞬間、地下の人々は互いの存在を見失う。
デルフィ アレっ?急に真っ暗だ。真っ暗で、一人だ。…うっかり目を落としてしまったのだろうか…?
と、上空でゴーッという音。
デルフィ …地下鉄銀座線だ。たしかここへ下ってきた時も、頭の上であの音がした。今、私は…この地下道を、上っているのか?それとも下っているのか…?
と、その背後からギザがソロリソロリと近づき、パッとデルフィの手を掴んだ。
ギザ はい、タッチ!
デルフィ ひゃあっ!
ギザ おっほっほ。見失ったわね。足元を。
デルフィ 声はすれども、姿は見えず。
ギザ 暗闇で自分以外を見失ってしまったのなら。裏をひっくり返して、自分一人こそが、宇宙に存在する、ただ一つの点。
デルフィ ただ一つの点?
ギザ つまり、頂点。ピラミッドの頂上は、ただ一人きり。わかる?この概念。
デルフィ いや、ちょっと、何が何だか…。
ギザ おーっほっほっほ。おバカちゃん。でもネ。今、確かに譲ったわ。ピラミッドの頂上におわします、ただ一点。女王の座を。
デルフィ 譲った?え?は?何?女王の座を譲ったって?
ギザ そーよ。私だって譲られて女王、やってたんだから。先代の女王からね。
デルフィ なんてこった。地下鉄の女王は交代制だったのか。
ギザ 元々はね。落とし物の忘れ物を、取りに下りてきたのよ、私も。それで、目を落とした。帰れなくなった。…手を出して。
ギザ、デルフィに何かを握らせた。
デルフィ あっ、金歯。誰の金歯?
ギザ メメント。忘れないで。
デルフィ え?
ギザ メメント。忘れないで。憶えていて。人は想い出で出来ている。
デルフィ ちょっと…。
ギザ、闇に消える。
アユタ …お帰りなさい。どーでした?地下は。
ルカ あ、ウン。
アユタ 掘り出し物があったりして。
ルカ まさか。ガラクタばかりだ。
アユタ でも、また潜るんでショ。明日も。明後日も。地の底の底、どん底へ。
ルカ それが私だから。…どう?そっちは?
アユタ コッチ?コッチはそりゃ大分、変わりましたよ。昔はネ。あれだけジャンジャンかかってきてたクレーム電話ももう、殆ど…。(と、電話かかってきて)チリリン。はい、国営地下鉄・落とし物係のアユタ・ミートリイチ。
暗闇からワット、現る。
ワット ワット・タタールです。ミイラ取りがミイラのノミ取りの、墓荒らしです。
アユタ お待ちしておりましたン、ワットさん。あなたくらいのモンです。この電話番号に今でもかけてくるのって。
ワット 地下から出モノがあったって聞いて。
ルカ …ガラクタですよ。
ワット、眠る人々を一人ずつ、ひっくり返してゆく。
ワット …無い。名札がない。私の名前が二個イチで縫いつけられた私の、両目が…。
ルカ もう何十年も経ちました、あの事故から。お気の毒ですが、ご希望の遺品が出土される望みは…。
ワット かつてアナタは言った。この地の底から、ソレを必ず見つけ出す、と。
ルカ 確かに誓いました。あの日。グニャリとアーチを描いて曲がってしまった地下鉄のレールを前に。
幻のように、ゴーっと地下鉄が走る音。
ワット …いつも通りの朝だった。いつも通り。私は目に入れても痛くない、まだ幼い二人の子供と電車に乗っていた。私は出勤の為。子供たちは、私立小学校への登校の為。毎朝、決まって同じ地下鉄に乗ったのだ。その日も同じだった。丸の内線が国会議事堂前へと到着すると、込み合う車内から抜け出した。右手で息子の手を。左手で娘の手を。強く握って、私は階段を上った。改札で、私は二人の手を離した。私の務め先は、この改札の外にあり、二人の子供が通う学校は、銀座線に乗り換えてさらに一駅先だった。バイバイと、手を振っただろうか。そのまま背を向けて別れただろうか。憶えていない。あまりにいつも通りのことで。ただ私は、手を離した。目を落とした。大事なものから…。改札を抜け、地上への出口を登り切った直後、地面から巨大な音がして…!
と、一斉に電話が鳴る。アユタ、それを取る。
アユタ はい、こちら国営地下鉄…
ワット 息子が!娘が!落盤した銀座線の地下にいるんだ!生き埋めなんだ!目に入れても痛くない…私の両目が、二個イチで!救出作業は…
アユタ グニャリと曲がってしまった地下鉄のレールに阻まれ、作業は難航しております。
ワット そんなレール、トットとぶっ壊せ!
ルカ それが難しいのです。
ワット 誰だ、アンタ?
ルカ 現場責任者のルカ・メドヴェージェフです。救助は難しい。何故なら、曲がってしまった地下鉄のレールが、不幸な事に、アーチ構造を描いてしまった。
ワット アーチ構造?
ルカ とても堅牢な構造です。アーチ、すなわち流線形。この流線構造のくぼみが、落盤した土砂を大量に受け止めてしまった。総重量、何百トンという重さの土砂を。
ワット 上からぶっ叩けばいいじゃないか!
ルカ ところが衝撃を受けると、流線形が直線へとしなり…衝撃を受け止めてしまうのです。そして受け止めたエネルギーを、再び流線形へとしなり返すことで、押し戻す。押し戻された衝撃で、また土砂が落ちてくる。受け止める。押し戻す。繰り返しです。繰り返すうちに、アーチの上に降り積もる土砂の量はますます増える。何千トン。何万トン。その厚みを掘り進んで地下に辿り着くまで…何十年かかるか。
ワット それじゃ…地下に蓋をされたってことじゃないか!アーチの、蓋を!
ルカ その通り。地下への道を塞ぐ蓋は、非常に堅牢な流線形のアーチであり、同時に、グニャリと柔らかい、非流線形の直線でもある。流線形と非流線形の蓋にパックされて今、一足飛びで地下へ下りる手段は…ない。
ワット 絶望だ。どん底だ。
アユタ …電話。お切りしますね。ガシャン。
ワット せめて、遺品を。私の名前が縫いつけられた、子供たちの痕跡を。
ルカ 土砂の隙間を縫って分厚い地層をそれでも少しずつ掘り進み、持ち出すことが出来たのは…僅かこれくらいです。
眠る人々がゆっくりと起き上がると、掘り出された地下の遺品となる。ワット、震える手でそれに触れようとするが、その瞬間、電話が鳴る。
アユタ チリリン。どうぞお手を触れずに、そのママッ!
ワット え?
と、人々の中からコルス現る。
コルス ハイ、お手を触れずに。こちらの遺品は、地下鉄落盤事故、その歴史にアーカイブする為の貴重な検証材料として、国鉄が回収致します。
ワット ちょっと待ってくれ。
コルス 回収します。二度とこのような悲劇を引き起こさない為に。やがて未来、この事故を後世に残すためのパックツアーが企画されるでしょう。いま回収されるこれら資料が全て、その添乗員となる。
ワット ままま、待ってくれ!目を持っていかないでくれ!そのどれか二個イチで、おれの名札が張り付いているはずなんだぁっ。
コルス …ジロリ。おたく、お名前は?
ワット ワット・タタール。
コルス 国籍は?
ワット 始祖の代から、タタール人。
コルス ブリタニア国際大百科辞典を紐解けば、こうありますネ。タタール。その語源はすなわち…『その他の人々』。
ワット その他の人々?
コルス 残念ですが、回収された資料の中に、個人を特定できるお名前を見つけることは出来ませんでした。地下に埋まったのは…お名前不明の『その他の人々』。これが公式見解です。あしからず。
コルス、眠る人々の中に消える。
ルカ 私が探しますよ。何十年かかろうとも。かつてこのどん底に埋められた、あなたの両目。その名札を歴史に刻みつける為に。地下を歩くベテランガイドとなって。
と、眠るように倒れた人々の群れの中からベロニカ現れる。
ベロニカ 異議アリ。
ルカ え?
その瞬間、ワット、ドサリと崩れ落ちる。
ベロニカ 只今の物語に異議アリです、議長。そんな二束三文、ありふれたお涙頂戴のストーリーはたちまち消費され、歴史のチリと忘れ去られてしまう。落第です。
ルカ 落第?
ベロニカ 落第です。もっと独創的で、もっと興味を書き立てる物語を。百年、千年、万年。持ち重りするに余りある重みを堅牢なまでに支える、天上のアーチ構造のように。そうでなくては…そうでなくては、この地下の物語は忘れられてしまう。
ルカ 全ての人類が忘れ去ったその果てに、けれどいつか、偶然発掘されることだって…。
ベロニカ 何が偶然か!偶然なんかであっていいもんか!待ち合わせなさい。この地下に眠る物語を発掘して!ここよ!私はここにいる!…イッツ・ミー!
人々、弾かれたように起き上がって。
ヘンジー ハイッ!私、ヘンジー・イッツ・ミー、いえ、いずみですっ!
ベロニカ いいお返事。アメちゃん100個。さあ、読み上げて。修正液で上塗り続けた、歴史の証言を。
ヘンジー・ペトラ ここはどん底。崩落した生き埋めの地下鉄。
ヘンジー・マハル ここはどん底。王の眠る玄室、ギザのピラミッド。
ヘンジー・ペトラ ここはどん底。天上に太陽を頂く、デルフィ神殿。
ヘンジー・マハル ここはどん底、巨大人に飲み込まれてドロドロ、ストマックの中!
ルカ いー加減にしろっ!なんだって、そんな突拍子もない仮説ばっかり、吐き出すんです?地下鉄がギザのピラミッド?デルフィ神殿?巨大人の胃袋の中?誰が信じるんだ!こんなバカバカしい話!
ベロニカ だから吐き出すの。
ルカ えっ?
ベロニカ 突拍子もないバカバカしい話。とてもじゃないけど信じられない話。だからこそ、後の世の人々はそれを「真実に蓋をする為に捏造した、偽の物語」として読む。ウソ話で隠された、隠さなければならなかった「本当の話」が、この地に眠っているに違いない、そう考える。興味を引く。その興味に駆られた好奇の指先が…やがてこの地面を掘ってみる。だから、私は…。タダの物語ではダメ。ありきたりなお涙頂戴ではダメ。歪に疑われる物語でなければ…事実は隠され、忘れられてしまう。だって私は…私は…まだ…、
と、闇の中からギザとデルフィ、現れる。
ベロニカ・ギザ・デルフィ あの日から私はまだ、独りでずっと、ここに埋まったままなんだからっ!
地下鉄の音。どん底へ落ちていく。