WORKS | KAKU-JYO
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ヒトはいつから人間か?

雨の夜。 私は、モスクワを目指す13人の姉妹と出会った。 だが彼女たちは、出国を許されない。 なぜなら、ワンダース+ワンの姉妹たちは、 それぞれ身体の一部を欠き、それを電子機械で補っていたのだ。 現在、彼女たちの身分は「人」ではなく「機械」に分類される。 機械に許されるのは、出国ではなく出荷だが、その順番は来世紀まで埋まっている。

私は13人姉妹の出国を叶えるため、彼女たちを手術したラボを訪れた。 だが執刀医のドクターは既に亡く、私を出迎えたのは、忘れ形見の一人娘だった。 彼女は私に言った。 生前、父の行った悪行により、私には呪いがかかっているのです。 呪い?私は聞いた。それはどんな? 性欲です。私は物凄く性欲が強いのです。これは性欲というより、暴力です。

私は二つの依頼を一度に請け負うことになった。 13人姉妹をモスクワへ出国させること。 執刀医の娘に掛かった呪いを解き、その性欲を常人並に戻すこと。 私は、カルバート・ブコウスキ。 頼まれごとを引き受ける、幻覚症状持ちの詩人である。


雑踏。人々が行き交う中に、女=シャルバート・シャーベットが立っている。

シャルバート …人は必ず死ぬのだから、言葉はきっと、後ろ向きなのだと教えてくれた人がいました。特急列車が置き去りにしてゆく風景のように、喋れば喋るほど、言葉は後ろに・後ろに、飛んでゆきます。夢中でお喋りし続けているうちに、自分の言葉に取り囲まれて、私は死の世界に辿り着いてしまいました。…でも腹をくくってしまえば、コレはコレで、なかなかの居心地です。そんなわけで、私はこんな具合。あなたは、どうですか?そちらは、どうですか?

シャルバート、雑踏に消える。人々の中から、一人の男が足を取られて転ぶ

ブコウスキ あっ(転ぶ)。

転んだ男=ブコウスキを、群衆が取り巻く。

群衆1 踵だ。
群衆2 踵で転んだ。
群衆3 汚れた踵だ。
群衆4 すり減った踵だ。
群衆5 見慣れない踵だ。
群衆6 愛想のない踵だ。
群衆7 悪びれない踵だ。
群衆8 不景気な踵だ。
群衆9 だが悪くない踵だ。
ブコウスキ (起き上がって)…ぬかるみぞに足をとられました。
群衆10 いいえ、取られたのは踵です。
群衆たち 踵ですっ!
ブコウスキ え?
群衆11 歩き慣れない街。
群衆12 歩き慣れない道。
群衆13 雨上がりの泥土。
群衆14 慎重に、極めて慎重に足を運んでいるつもりで、ついつま先歩き。
群衆15 ウッカリ、踵を忘れた瞬間のローリングストーン!

群衆、ゴロンゴロンと転がる。ブコウスキ、それを眺めながら。

ブコウスキ …歩き慣れない街。歩き慣れない道。雨狩りの泥土。ひっくり返って立ち上がってみると何故だろう、全ての人と建物が、私に背を向けている気がした。

雑踏の中から、シャルバートの声だけが聞こえる。

シャルバート この道は、暗渠(あんきょ)だから。
ブコウスキ 暗渠。
シャルバート 水のない水辺。かつて流れていた川を埋め立てて造った、ウォーターフロント。
ブコウスキ ではこの道の下に、水が。…(辞書を取り出し)暗渠…カルバート。…同じだ。私の名前と…。

と、群衆の中から、シマイ現れる。

シマイ 名前?
ブコウスキ え?
シマイ 今、名前の話をしたでしょ。聞かせて聞かせて。あなたのお名前、なんてーの。
ブコウスキ カルバート・ブコウスキ。
シマイ 湿っぽい名前だ。
ブコウスキ 湿った名前の男が、湿った道で踵を失ったというわけだ。
シマイ その失くした踵の道連れに教えてやるよ、カルバート。ぬかるみぞの暗渠の道を見抜くには、西日にささくれた建物に目を向けな。
ブコウスキ 建物?
シマイ 太陽はひとりぼっち。暗渠の傍らに立つビルは、例外なく、道に背を向けているんだから。

シマイ、背を向ける。

ブコウスキ どちらへ?
シマイ モスクワへ。

すると、群衆から女たち一斉に振り返り、声を揃えた。

女たち モスクワへ(×13)
ブコウスキ 誰です?
シマイ 姉です。
ブコウスキ みんな?
シマイ ええ。
ブコウスキ 物語の幕開きに相応しいワンダーっすね。
シマイ ワンダースおります。
ブコウスキ プラス、あなた一人で、都合13人姉妹というワケだ。
シマイええ、ワタシ、シマイです。
ブコウスキ え?
シマイ 13人も娘を産んだママのおなかは、店じまいのおオシマイ。13人姉妹の末っ子、私の名前は、シマイ。
ブコウスキ でもワタシら出会ったばかりなのに。

シマイ、傘をさす。

シマイ 雨が降ります。カルバート。

その瞬間、弾丸のような雨粒の音!女たち、傘の中に姿を隠した。

ブコウスキ ある、雨の夜。私は13人の姉妹と出会い、そして別れた。…帝政ロシア時代の神話的文豪、レフ・ニコラエヴィッチ・トルストイには、13人もの子供がいた。13人。トルストイの妻であったソフィヤ・アンドレーエヴナは、18歳から33歳まで、青春の15年間をかけて、13人の子供を産み、育て、そして…トルストイは別の女性の元へ去った。私は、ソフィヤの人生を夢想する。「戦争と平和」。「アンナ・カレーニナ」。「復活」。今も全世界の図書館に収蔵されるトルストイの著作たち。ハードカバーに折り込まれ、黄金色の埃にまみれた、その物語の傍らにかつてあり、だが誰にも語られず、誰にも触れられることのない、彼女の…人生の物語を。

雨音が強まる。

アキレス ジャーン。これが世界記録を出す、新しい俺の足か!
キビス この光沢。このアール。よりシャープに仕上げてみましたン。
シジフォス えーっ?これが、足?…えーっ、えーっ!
キビス なぁに?
シジフォス だってぇ。コレってぇ、どう見ても…タダのぐにゃぐにゃした棒じゃんか。
キビス オメエだってぐにゃぐにゃしたボーキレじゃねえか。
シジフォス えっ。
キビス コホン。棒切れじゃねえんです。これぞ当キビス・ラボ開発、競技用義足の最新モデル。
シジフォス でも、踵だってないし…。
キビス 短距離走に踵は不要。無駄は極限までそぎ落とした、カーボン技術の結晶、インテグラル・タイプ、新発売。
アキレス インテグラル!カッコいい!よし決めた!こいつを俺の足にしよう。そーしよう。
シジフォス ねねね、やっぱやめとこーよ、アキレス。
アキレス なんで?
シジフォス オカシいだろ。今あるナマの足をブッた切って、わざわざ作り物の棒切れをくっつけるなんてサ。
アキレス このアキレス健太郎。風を切り、風をちぎる、短距離走者として人類史上最速の誉れを抱けるのであれば、その手段は問わない。
シジフォス でもでも、その足に変えたからって、ホントのホントに、世界記録が出せるって保証はないだろ。
キビス 出せます、世界記録。ズバリ、100メートル9秒フラット。
アキレス (右足を投げ出し)いまスグやってくれ!俺には時間がない!
キビス 時間?
アキレス 言うまでもない、モスクワ・オリンピック!短距離100メートル決勝、おれの時計の針は、そのゴールラインに合わせてある。
キビス 手ぐすね引いちゃう。それじゃオペの段取りを。
シジフォス 待てったら。もうチットばかし、地に足をつけた議論をしようよ。
アキレス 短距離走に踵はいらない。地に足がつくのは、選手生命の終わりの日でいい。
シジフォス でもでもぉ。やっぱりぃ…。
アキレス シジフォス!お前はいつもそうだ。前の晩に決めた約束を、次の日の朝にまた「やっぱりさぁ…」と蒸し返す。おんなじ事の繰り返しで、終わりがない。
シジフォス ハイ、ボク、長距離ランナーの孤独、堂々巡りが果てしないトラック競技1万5千メートル走者の、シジフォス・アンティです。
キビス ぺっ、ぺ。優柔不断のシジフォスは、キビスを返して立ち去りな。こっから先は、後ろを顧みないオルフェだけが辿り着く、ホップ・ステップ・神の領域。

シジフォス、締め出される。

シジフォス あーあ。こんなことなら、歯医者の口車になんて乗らなきゃ良かった!

メグリとササメが現れる。

メグリ メグリです。
ササメ ササメです。
メグリ チョイとそこいく、ヤブカラボー。
シジフォス え、ボク?
ササメ そうだよ、ボクボク。ジロジロと慇懃に眺めまわしたところ、ズバリ・アスリートとお見受けしましたが。
シジフォス はい、こう見えてモスクワ・オリンピック代表。1万5千メートルを走る、トラック・ランナーのシジフォスです。
メグリ (鼻を押さえて)うっ!くっさぁ!
ササメ くっさぁ!
シジフォス えっ、えっ?
メグリ 歯だ!歯が腐ってる!
ササメ エナメル質が崩壊してる!
メグリ 象牙質が蒸発してる!
ササメ ドブ川を埋め立てた暗渠の匂いがする!
シジフォス はぁーっ。そんなに匂いますか?ボク?
メグリ アスリートは歯が命!虫歯、噛み合わせの改善で、劇的なパフォーマンス向上が見込まれます。
ササメ おいでませ、ワタシらのクリニック、その名も「バッキンガム・デンタル」へ。
シジフォス バッキンガム・デンタル?

と、そこへアキレス現れる。

アキレス 聞いたぞ、アキレスの地獄耳。
シジフォス あっアキレス。
アキレス 俺だってアスリートだ。連れていけ、劇的なるパフォーマンス向上の宮殿へ。
メグリ ドーゾドーゾ。
ササメ モルモットは多ければ多いほどヨロシ。
シジフォス モルモット?
メグリササメ はぁい、ご開帳!

アキレスとシジフォス、アっという間に寝台に寝かされた。

メグリ はい、アーンしてぇ。
ササメ イーンしてぇ。
メグリ ウーンしてぇ。
ササメ エーんしてぇ。
メグリ オーンしてぇ。…奥歯を一本、バッキン!
アキレス あ痛ぇ!奥歯をバッキン、引っこ抜かれた!
ササメ はい、インプラント、インプラント。
メグリ くずくずに根腐れた役立たずの奥歯を、ピッカリ・ジルコニアの一刺しに植え替えましょうねぇ。
ササメ ほーら、ピッカピカ。
メグリ 苦虫奥歯で噛み潰しーの、イロオトコ。出・来・上・が・り。
ササメ それじゃ、コレ、お会計。
アキレス (明細みて)ビヨーン。
シジフォス アキレスの目玉がビヨンと飛び出るほどの法外な金額が請求されたぞ。
メグリ 当然の金額よン。
ササメ 何せ人造人間一体、サイボーグ手術の報酬なんだからシテ。
シジフォス さささ、サイボーグ手術だって?
アキレス オーゲサだ。奥歯を一本、ジルコニアに交換しただけだ!
メグリササメ イッヒヒヒヒヒ。あーオカシ。
メグリ 身体の一か所、皮膚細胞ひとかけら、天然モノから人造物へと入れ替えたのなら、それはもうヒトにあらず。
ササメ アスリートの世界では、こう呼ばれます。「技術的ドーピング」と。
アキレス ドーピング。
メグリ 糸がプチンと切れた縁日のヨーヨー釣りと一緒。モウ取り返しがつかない。
アキレス ドーピング…軽い気持ちで奥歯を一本。天然モノから人工モノへ交換した。そのチタン一かけらよりも浮ついた気持ちが、俺から五体満足の思想を永久に奪い去ってしまった。
シジフォス ヘーキさ、アキレス。騙されちゃダメだ。そんな奥歯の一本くらい、IOCにチャンと申し立てすればハナシは通るさ。
アキレス 仮にルールで許されたとしても! 俺の身体が人工物に入れ替わった、その事実は変わらない。
シジフォス ナイーブなんだからァ。
アキレス この気持ちを押し殺して、五体満足のレーンには立てない。俺は…もう、走れない!

と、キビス現れて。

キビス 走れますッ!
メグリササメ キビス所長!
キビス キビス・ラボ所長の、キビスです。アキレス健太郎さん。こんな言葉をご存じで?曰く、「毒喰らわばディッシュ、バリバリ」。もう二度と、100%ナチュラルボディーに戻れないのならいっその事。全身を、人工物に変えてしまう!
メグリ エウレーカ!
ササメ コペルニクス的展開ね。
キビス そして、モスクワオリンピック決勝のレーン。スタートの合図と共に、幻の第13レーンからあなたが飛び出す!
メグリ 並みいる五体満足のナチュラリストたちをチギり、人類史上未到達のタイムで駆け抜ける、アキレス!
ササメ 全身をテクノロジーで満たしたその姿を見て、観衆は最早、あなたを「人」とは呼ばない。
メグリ それよりもっと崇高で
ササメ 追いかけようとて追いつかない存在。
アキレス 神だ。…おれは神になる!全身をテクノロジーで満たして!
キビスメグリササメ 万歳、アキレス!神になるお方!
アキレス 魔女め。魂は渡さない。だが肉体をくれてやる!…やってくれ!まずは黄金の、この右足から!
キビス ここから先は、キビスを返すことが出来ませんよ。(こっそり)…ギャランティ―は、いつもの口座にネ。

キビス、アキレスを連れていく。

メグリササメ はぁい、モルモット、一丁あがり!
シジフォス あわわわ。ぶるぶるぶる。
メグリ …オヤ、そういえば。
ササメ そう、そういえば。根腐れた奥歯のクランケが、もう一人残っていたわネ。
シジフォス こここ、これは歯の根が合ってないだけでぇ…。
メグリ ニッチャニッチャと噛み合わせの悪い堂々巡り。
ササメ シジフォスの因果もバッキン、引っこ抜いてあげよっかァ。
シジフォス ひえっ、ひええっ!

と、その瞬間、唐突にバステト・シャーベット現る。その姿は、猫。

バステト …うにゃーん。
メグリ ンまあ、猫。
ササメ 黒猫よ。
メグリ 不吉ね。
ササメ 不吉よ。
メグリ 衛生第一のデンタルクリニックに、猫の毛はおよびでナイ。
ササメ 保健所にチクられたら営業停止の憂き目は避けられない。
メグリ 本日はここまで。メグリでした。
ササメ ササメでした。
メグリササメ ガラガラぴっしゃん!

メグリ、ササメ、去る。

バステト ゴロゴロゴロゴロ。

黒猫のバステトも、悠々といずこかへ去る。

シジフォス (見送って)黒猫のお陰で助かったァ。…でもでも、アキレスの右足は今頃!

と、アキレスを施術中のオペ室より異変。

メグリ ギョエーッ!
シジフォス キビスを返せぬ実験室から、シルクを裂く悲鳴!どどどど、どーしたんだ、アキレス!

シジフォス、オペ室のドアを開ける。そこから、バステトを先頭にして、無数の猫!

猫たち ごろにゃーん!
シジフォス ねねねね猫だ!黒猫のワルツだ!もー無茶苦茶だぁ!
キビス 猫が!猫が右足を持っていった!
シジフォス ええっ?
アキレス 神のつま先を盗んだ、大罪人!
キビス アキレスの右足、咥えたドラネコを追っかけろ!

猫たちの群れの中で、バステト、「∫」の金属片を咥えて、去る。

猫たち にゃおーん!

一瞬で、猫も人も消え去る!誰もいなくなった空間に、金属片を咥えたバステトが一人、立っている。傘を差したシマイが現れ、バステトを抱く。そこへ女=ミロが近づく。

ミロ 猫!…猫がいなくなりました。私の猫。大事な猫。三日前のことでした。雨の夜でした。すぐに戻ってくるよ。あの人はそう言いました。そして三日が過ぎ、本当に戻ってきた猫は…別の猫でした。

シャルバート・シャーベット現る。 ミロとシャルバート、シマイとバステトを挟んで対峙する。

シャルバート 同じ顔。同じ仕草。同じ毛の色。しっぽのカタチ。でも、私には分かる。あなたは、別の猫。
ミロシャルバート 猫がいなくなりました。どうか、あのコを…私の猫を、探して下さいませ。
シマイ 黒猫が耳の裏を掻いた。明日の足元は、きっと酷く、ぬかるむ。

雨の音。世界が溶暗する。


ミロ アンタ、誰。
シャルバート あんたこそ、誰。
ミロ 私はミロ。
シャルバート 私だって、ミロ。
ミロ ウソ!ミロは私。
シャルバート ウソ?ウソだと思う?思ってない。
ミロ 思ってる!
シャルバート 思ってない。ミロの考えは、ミロには分かる。
ミロ 分かんない。ミロだけど、分かんない!あなたの考えなんて。
シャルバート 思い出して。
ミロ 何を。
シャルバート 昨日のこと。夜のこと。
ミロ 夜?
シャルバート 眠る前のこと。
ミロ 眠る前…ベッドに入る前…。
シャルバート 考えてたでしょ。
ミロ 何を?
シャルバート 昔のことを。
ミロ 昔?どれくらい、昔?
シャルバート ウンと小さかった頃。…猫を飼っていた頃。
ミロ 猫!…そうだ、猫。小さい頃、私は猫を飼っていた。
シャルバート 名前はバステト。バステト・シャーベット。

別の空間に、バステト・シャーベット現る。

ミロ バステト・シャーベット。…そうだっけ…。そんな名前だったっけ…。
シャルバート 猫。家族以外の…父親以外の生き物に触れるのは、それが最初だった。
ミロ 猫。呼ばないのに、寄ってきた。
シャルバート 猫。呼んでも、顔を背けたままだった。
ミロ 猫。雨の夜。帰ってこなかった。
シャルバート 猫。三日間、帰ってこなかった。
ミロ 猫!…猫がいなくなりました。私の猫。大事な猫。三日前のことでした。雨の夜でした。

バステト去り、ニケ現る。

ニケ 大丈夫。すぐに戻ってくるよ。
ミロ あの人はそう言いました。そして三日が過ぎ、本当に戻ってきた猫は…別の猫でした。
シャルバート 同じ顔。同じ仕草。同じ毛の色。しっぽのカタチ。でも、私には分かる。あなたは、別の猫。
ミロ・シャルバート 猫がいなくなりました。どうか、あのコを…私の猫を、探して下さいませ。
ニケ 一人の生ける娘から、二人分のセリフが聞こえる!倍音で!
ミロ 目が覚めると、私のベッドに私と、私以外のもう一人が眠っていたんだ。…ニケのおじさん。
ニケ かつての双子台風、今はスタンド・アローンのミロの叔父、ニケです。
ミロ 聞こえないの、今、私の隣で喋る、このヒトの声が。
シャルバート あなたは、ミロ。私も、ミロ。ミラ、ミリ、ミル、ミレ、ミロれるりらろ。
ニケ …聞こえない。
ミロ 見えないの、今、私の隣でジルバをジルバってる、このヒトの姿が。

シャルバート、ジルバを踊る。バステトも踊る。だが、その姿はニケには見えない。

ニケ …見えない。
ミロ タンゴをタンゴってる姿が。

シャルバート、タンゴを踊る。バステトも踊る。だが、その姿はニケには見えない。

ニケ …見えない。
ミロ マンボをマンボってる姿が。

シャルバート、マンボを踊る。バステトも踊る。だが、その姿はニケには見えない。

ニケ …見えない。
ミロ スローフォックストロット・クイック・ヴェニーズワルツをスローフォックストロット・クイック・ヴェニーズワルツってる姿が。

シャルバート、豪快にすっ転ぶ。その姿はニケには見えない。

シャルバート …ソコまでオールマイティーな幻覚じゃねえんだからネ。(ミロの頭をブっ叩く)
ミロシャルバート あ、痛ぁ!
ニケ わっ、倍音!
ミロ なるほど私は気が狂った。私にしか見えない、もう一人の私。その声が、脳みそをシェイクして、そのウデが前頭葉をぶっ叩く!
ニケ 覚悟の上での後遺症か。
ミロシャルバート 後遺症?
ニケ 答えずばなるまい、倍音でオウム返されては。あのね、ミロ。憶えてはいないだろーけど、キミは手術を受けたのよ。
ミロシャルバート 手術?
ニケ ある、特殊な…脳手術を。

セト、現る。時間が過去に遡る。

セト ぶるるるん。…ミロ。マジのホントで、いーんだね?
ミロ やって頂戴、父さん。かつてあなた方双子台風が、私の大事な猫にした事。それと同じことを、今、私にも。
セト 猫には必要な手術だった。
ミロ 猫に必要なコトは、人にだって必要。どうか取り除いて欲しい。忌々しい、このリビドーを。私の意志と無関係に暴れ狂う、性欲という名の、暴力を!
セト ミロ。キミの異常性欲を取り除くには、脳にメスを入れる必要がある。
ミロ アタマがオカシイんだから、アタマをいじるのは当然ネ。
セト 視床下部と大脳新皮質にメスを入れる。けっこうな確率で、後遺症が残る。
ミロ 例えば?
セト 知能障害。
ミロ 例えば?
セト 免疫障害。
ミロ 例えば?
セト 記憶障害。
ミロ 別の自分になるのネ。眠る前と、後とで。それでいい。それでいーんだ。あのコと…バステトと同じ。雨の夜、帰ってこなかった。三日が過ぎ、戻ってきたら別の猫だった。同じ顔。同じ仕草。同じ毛の色。しっぽのカタチ。でも、私には分かる。別の猫。
セト ノラ猫と、去勢手術はワンセットなんだ。
ミロ それを取り去ってしまったら、同じだけと、もう同じじゃない。暴れ狂う、この性衝動は、きっと、猫の呪いだ!
セト …麻酔を。

ミロの手術が行われる。時間が巻き戻る。セト消え、ニケ、現る。

ニケ ぶるるるるんっ!…それが、ミロ。眠る前の君に起こったエピソード。
ミロ …頭をイじった。そうか、それで記憶が。(シャルバート見て)幻覚が。
シャルバート どーしよう。こんなヘビーなハナシだなんて聞いてねーもんだから、軽めの役づくりで来ちゃった。…演技プラン、変更できねーかな。
ニケ ワタシら双子台風のポリシーは、外見至上主義に唾を吐くこと。
ミロシャルバート 外見至上主義。
ニケ ヒトの外見を…肉体を、ボートクする。その分、心には最大の敬意を払う。オペの後遺症だろう、ミロ。永い眠りから今、やっと目覚めた君の心のケアに務めたい。君の父であり、私の兄である、死せるセトに変わって。
シャルバート 死んだ?
ミロ 父さんが死んだ?そしておじさんは…フけたわ。私は、どれくらい眠っていたんだろう?
ニケ セレーネに不老不死を与えられたエンデュミュオーンが老人ホームに入所する程度。
ミロシャルバート そんなに!
ニケ ミロ。大脳をいじったキミの脳と心は、リセットされてマッサラ。教育を与えよう。ヒトがヒトとしてヒトである為に。

バステト こんばんは。
シマイ え?
バステト こんばんは。
シマイ …こんばんは。
バステト 待ち合わせ?
シマイ いや、ただ…。
バステト ただ?
シマイ ただ、何となく。
バステト じゃあ、もうあと一歩と半分、風下にズレて何となく、して下さる?
シマイ あ、ハイ。

バステト、空いた空間に身体を寄せる。

バステト ちょーどいいワ。…ソッチは?
シマイ え?ええ、まあ…。

しばしの、沈黙。

バステト 済んだ?
シマイ ハ?
バステト 何となく、済んだ?
シマイ え、いや、どうかな…。
バステト 何となくが済んだらさぁ、バイトとか、する?
シマイ バイト?
バステト ダーティー・ワーク。興味、アル?
シマイ 法に触れる仕事?
バステト 踵と逆鱗に触れる。
シマイ ドロボー、とか?
バステト ピンポン、大正解。
シマイ へ?

息せき切って、アキレスが駆け込んでくる。 

アキレス ドロボーっ!…どこだあ、ドロボー猫!アキレスの足を咥えたドラ猫ーっ!畜生、見失った。また見失ったぁ!信じられない…この俺が。モスクワオリンピック、強化選手のアキレス健太郎が、神になる器が、どうしていっぺんだって、猫に追いつけないんだ!はぁーっ、はぁーっ。
シマイ モスクワへ行くんですか?
アキレス (息切れしつつ)近い…はぁーっ…未来…はぁーっ…行く…はぁーっ…けど…今は、猫を探してる…はぁーっ…!
シマイ 猫?どんな猫?
アキレス ドロボー猫だ。俺の右足を、盗む。一度ならず、二度、三度。オペのたんびに盗まれて、破産だ、未来永劫を差し出したローンで。
シマイ (アキレスをじっと見て)…ねーさん?
アキレス ハ?
シマイ その息切れに途切れるチアノーゼの口臭から、ツンと懐かしい金属臭。
アキレス 金属?そうか。…はぁーっ…バッキン、インプラントされた、奥歯の…はぁーっ…ジルコニアか!
シマイ ジルコニア。
バステト フーン、なるほどネ。そんな苦虫噛み潰したセキュリティ・ホールに、バッキンガム宮殿の財宝が。
シマイアキレス え?
バステト チョーダイな、その財宝。心踊るダーティー・ワークのお時間。おいでませ、メッキース!

瞬間現れる、猫の群れ!

猫たち にゃおーん!
シマイ あっ、猫!
アキレス 猫だ!…はぁーっ…見覚えがあるぞお!アイツも、ソイツも、コイツも!…アキレスの右足を盗んだ…はぁーっ…猫たちの群れ!
バステト すっかりの顔なじみ、ドーモありがとう。ワタシら宵闇にメッキの剥がれた、メッキ―ス。草の根わけても頂戴します。キラリと輝く、ヒカリモノ。
アキレス 猫を…はぁーっ…操って…はぁーっ…奪った!ドロボーの…はぁーっ…親玉だな…。
シマイ (アキレスに)ちょっと、顔がマッサオだけど。面白いんだけど。
アキレス 息が上がって…呼吸が…浅い…息継ぎが…く・る・し・い…!…バタン!

アキレス、酸欠でぶっ倒れる。

バステト さあ、メッキ―ス!メッキを頂戴いたしまショ。
猫たち フーッ!

バステトと猫たち、歌う。

♪【メッキ―スのテーマ】
 メッキしたマニキュア
 欠けた犬歯 爪を噛んだ
 猫舌、猫車、猫背、猫被り!
 闇夜に キラリキラリ
 光るメッキ 剥げた月
 濡れ鼠、濡れ羽色、濡れた街 濡れた歌、
 ヒカリモノなら、頂き
 キス・キス・キス・メッキ―ス!

と、猫をかきわけシジフォス。


シジフォス ちょいと待ったぁ!
シマイ あっ、なんか執念を持って追っかけてくるランナーがいる。
シジフォス はい、ボク、長距離ランナーの執着、トラック競技1万5千メートル走者の、シジフォス・アンティです。
シマイ 心臓が強いんだ。
シジフォス 早鐘押し殺した粘着力でもって追っかけます。じりじりと。
シマイ 諦めの悪いストーカーね。
シジフォス 追っかけるのは、ヒトじゃない。時間です。自己ベストタイムとの追っかけっこ、それが長距離ランニング。
バステト そんな粘着質の煮え切らない踵なんて、ヘーともない。撒いちゃいましょ、メッキ―ス。…はい、通せんぼ!

猫たち、シジフォスの前に立ちふさがるが。

シジフォス すいっ、すいっ。
バステト あれっ、あれっ?
シマイ ぜーんぜん猫に引っかからない。
バステト まさか、その歩き方は!
シジフォス フフフ。抜き足・差し足はドロボー猫の専売特許じゃねーんです。これぞ長距離とバーゲンセールの人込みを制する、秘儀・トロット・ステップ。
シマイ トロット・ステップ。
バステト 前足を置いた場所に、
シマイ 同じく後ろ足。
シジフォス また前足を置いた場所に
シマイ 同じく、後ろ足。
バステト 障害物をスルスルとすり抜けて歩く、黒猫のワルツ、そのステップ!
シマイ (真似て)なんだか、踵がフワフワする。
バステト 気を付けて、新顔のアルバイト。肉球なしでのトロットは、浮いた踵が命取り!
シマイ あっ!踵を取られた!(転ぶ)
猫たち うにゃーん!

猫たち、一斉に転ぶ。

シジフォス 捕まえたあっ!さあ、盗みに盗んだアキレスの踵を返しなさい!
バステト ままま、マズい!いっぺんガメたヒカリモノ、奪い返されちゃ、大ドロボーの名がすたるゥ。
シマイ 獲物を地面に埋めなさい!メッキ―ス!
バステトシジフォス え?
シマイ 猫の寿命は星とおんなじ。百年・千年・一万年の時が過ぎ、そのメッキが剥がれる頃に、再びも一度、掘り返すために!

猫たち、それぞれ金属部品を懐から取り出し、地面に埋める。

アキレス まて!…はぁーっ…埋めるな!…はぁーっ…俺の足!神の…インテグラル!

DATA


illustration : あけたらしろめ


2020年10月15日(木)~18日(日)
@神奈川県立青少年センタースタジオHIKARI
【作・演出】
小野寺邦彦

【出演】
岩松毅 /江花実里 /大浦孝明 /本田真唯 /江花明里 /平川千晶 /木村友哉 /金澤摩耶 /長井健一 /嶋谷佳恵 /廣川千紘 /こばやし帝国 /三枝ゆきの /馬淵悠美 /樋口双葉 /武田紗保 /杉山愛実 /伊澤文彦

【スタッフ】
音響:久郷清 /照明:中佐真梨香(空間企画) /美術:金座 /舞台監督:にしわきまさと /衣装:小川優太 /デザイン:orange21 /写真:松村事務所 /イラスト:あけたらしろめ /演出助手:田村友紀 /制作:永井友梨、澤岡史織、柴山花奈子 /協力:革命アイドル暴走ちゃん、劇団肋骨蜜柑同好会/主催:神奈川県、架空畳

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