インテグラルの踵は錆びない

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上演作品
▼インテグラルの踵は錆びない
‐13人姉妹のモスクワ‐

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MEMO♯074【インテグラルの踵は錆びない01】
2020年07月28日

●3月以来の稽古メモです。 3月、本当に遥か昔です。 KAATでの短編フェスは、配信のみでの上演でしたが、その時はまだ「今だけ異常な緊急事態」なのだというムードがありました。 ところが、今は、かつて「緊急」と感じたその事態が、むしろ日常です。 ホンの半年前には当たり前だった生活が、今では楽園だったようです。 こうして「日常」の定義はアッサリと変わる。 だから、「これが普通なんだよ」という言葉ほど、無意味なものはないのだと分かります。 「普通」は変わるのです。 何かしたい、求めたい、と思ったとき、その欲望が「普通かどうか?」なんて問いは、何の意味もない。 基準はどこにもない。 揺れる世界の「普通」に生きる自分の中での「普通」もまた、揺れている。 そういう当たり前のことを、今は考えています。 で、私にとって考えることは、作ることと同義ですので、創作をします。 ずっと世間と呼ばれるムードとは折り合いがつきません。 まあ、折り合いがついてる人っていうのが、いるのかは分かりませんけど。 私には普通の位相がなく、だから誰かと比べることにどうしても価値を見出せない。 私は私の、今現在の普通をやります。 皆、そうだと思います。 凡庸に創作を続ける、これは変わりません。

●6月にオンラインビデオツール上でオーディションを行いまして。 沢山の俳優と出会う事ができました。 このオーディションのために戯曲を一本、書きまして、それを応募者の方に読んで貰いました。 ソーシャル・ディスタンス、という新しい謎言葉が世に現れ。 私は、その言葉を、何とか自分の中に落とし込もうと思って、その戯曲を書いたのでした。 他者との社会的な距離。 けれど、そもそも他者とは誰なんだろう。 他者との距離を考えるとき、まず、自分との距離を考える必要がある、なぜなら、「私自身」も私にとっては紛れもなく「他者」なのだから…。 そんなことを考えました。 私は、私の中から出る「問い」からしか、創作が出来ません。 本当に困ったことなのですが、物心ついて以来、「問い」が尽きたことはないので、まあ狂った世界に感謝です。 まだまだ、「問い」を誘発するには事欠かない、狂った世情は続いてゆくようで、そういう意味では安心です。 逆説ではなく、順接として。

●つまり、世界は初めから狂っている。 創作は、その世界をサバイブする手足です。 18人の俳優と、今、ここにしかない舞台を作ります。 10月、世界がどんな姿をしているのか、私には解りません。 仮に上演が叶わなかったとして、ではそれまでに用意した芝居は「無かった」ことになるのか。 そうではありません。 肉体は失いますが、そこに魂はあります。 これは妄言ではありません。 どうか私たちの魂が、劇場で受肉し、皆さまの前に現れることが出来ますよう。

●そんなわけで、顔合わせとプレ稽古を行いました。 気が狂ったように除菌を行い、皆でマスクをつけ、距離を測りながらの稽古は、なんかパンクを感じました。 どんな壊れた世界でも、人は必至で遊ぶ。 しないくてもいい事をする。 オンラインで首から上だけで知り合った俳優たちの身体に初めて触れ、刺激を受けました。 まず顔で出会い、その後で、身体に出逢う。 そのラグを埋めるように、言葉を使う。 こんな経験をしながら書けるなんて、「ヤバいな」と思います。 敢えて「ヤバい」などという、解像度の低い言葉を使いました。 それが今の気分、ってことです。 この稽古メモは、解像度低めで、一方通行のメモです。 思索は、ウェブサイトのNOTEに記述します。 他にもLINE、YouTube、Twitter、あらゆる位相で、今回の公演に関するコンテンツを吐き出してゆきます。 つまり、それが「魂」ってワケです。 そんなわけで「インテグラルの踵は錆びない」 どうぞ、宜しく。

●写真は、稽古に先駆けて俳優の写真を撮影したところ。 おっかなびっくり過ぎて、距離のとり方が極端になっている人たち。
(主筆)


MEMO♯075【インテグラルの踵は錆びない02】
2020年8月03日

●稽古してきました。 久々に、九品仏の稽古場。 久々の、田園都市線。 というか、電車乗ること自体がめっきり減ってしまったので 移動だけでも冒険です。 マスク着用が当然の風景。 うっすらと間隔を空けて座席に座る人々。 そも電車ってどうやって乗ってたっけ? そこでの時間をどうやって過ごしていたんだろうか。 15歳くらいから、20年以上乗ってきた電車の乗り方が、この半年ですっかりリセットされてしまいました。 電車を使った日は、家に帰ると、ぐったりと疲れてもう使い物にならない。 身に付いた、と思った技術も、それを持続させる環境がなければ維持できないのだ、という事を痛感します。

●環境、それは芝居においては、つまり稽古場です。 稽古場の定義もまた、変わってゆくのでしょう。 全ての稽古がオンラインで行われ、上演もまた、オンライン。 一度も実際には出会うことなく作りだす演劇。 そういうモノも、きっと既にあります。 その場合。当然、稽古場とはネット上です。 そこにしかない身体、そこにしかない台詞がきっと、現れるのだと思います。 とはいえ、我々の稽古場はまだ、ローカルです。 これまで以上に意識的に、ローカルであることを意識しなければならない。 オンライン上では絶対に成立しない方法でなければ オンライン上でしか成立しないものには、敵いっこないからです。

●そんなこんな考えながら稽古始めてみましたが。 俳優たちの身体の捌き方も発声も、まだ何となくぎこちなく感じます。 全員がマスクをして、こまめな休憩を取りながら始まる稽古。 俳優たちは、まだ「以前の身体」なのです。 稽古場という、「持続する装置としての場所」を、まずは設定して、 「いまという時間の身体」に、俳優たちが辿り着ければいいと思います。 その意志表明として、今回の冒頭のシーンは、全員で舞台をウロつくことにしました。 そこにいるのが、亡霊か、肉体か。 どうか、確かめて頂ければと思います。

●稽古前には、昨年に引き続き、メディアの取材をして頂きました。 相変わらず、分かったようなそうでもないような、ボンヤリした稽古前の所信表明を話しました。 俳優の皆と、距離を測った集合写真も撮って頂き。 来月アタマには、ネットで公開されるようですので。 またお報せしますね。 ぜひ、ヨロシク。

●衣装の小川さんにも来て頂き、ちょろちょろ相談しつつ、 今回は制作の柴山には稽古写真撮って貰いました。 なんとか芝居を車輪に載せて、ぐるんぐるんと回してゆこうって感じです。 チケット、1日より発売しております。 どうなることか、と思ってはおりますが、売れ行きはそれなりに好調らしい。 いろいろ不明な世界ですが、ホンの心の片隅にでも留めて頂ければ。 もしもの際の払い戻しに備えて、私は定期を解約しました。真実です。 ま、そんなわけですので宜しく。 生き延びましょうね、 ハイ。

●写真は、かっこいいマスクしてるなーと稽古中思ってた、こばやしさん。
(主筆)


MEMO♯076【インテグラルの踵は錆びない03】
2020年08月10日

●稽古その他、イロイロやっております。 稽古と稽古の合間を縫って、舞台監督のにしわきさん、美術の佐藤くんと共に劇場見学にも行きました。 突然、客席を半分失って、ガランとした劇場。 これが、この先普通の客席になるのかもしれません。 寂しい、けど、正直見やすいかも、とか思いました。

●ほかの様々なメディアと同じく 演劇も、高級版と廉価版の両極端になっていくのかなーとも思います。 限られた客席が数万円で売り出され、高級チケットを手にした人だけが、劇場でライブを見る。 その他多くの人は、ライブ配信などで安価に観劇する。 そのとき、芝居って何なのか?試されるのかもしれません。 サテどんな時代がやってくるのでしょうね。 私は、「劇場で芝居を観る」という行為が好きですので、映像などでは殆ど観劇しません。 同じように「映像で芝居を観る」「ライブ配信で観劇する」ことが好きなのであって、別に劇場に行きたいとは思わない、という人も現れるでしょう。 そうあるべきだと思います。 例えば私は、音楽がライブより、部屋で音源を聞く方が好きです。 選択肢がある、という豊かさ。 エンタティンメントの主体は、はっきりと、観客です。 その当たり前があるからこそ、強大な観客と渡り合うために、創作者は必死になるのです。 怖いのも、有難いのも、観客です。 ね。

●今回は俳優18人の大所帯ですが、皆さんスケジュールを調整して頂いて、素晴らしい出席率です。 架空畳の芝居は、台詞のない俳優も大抵は舞台上にいます。 台詞を発する俳優の影響を、舞台の上で受け取めるのもまた、俳優で表現したいと思っています。 なので、実は台詞がなくても、全員がいてくれないとあまり稽古が効果的に進みません。 これは、私の演出力不足でもあるのですが、不足を自覚してからは、それを補おうと、俳優に苦労をかけております。 そんなわけで、今回はとっても効果的に稽古が出来ていてニコニコです。 俳優はクタクタですが。 それ以上に、私はへとへとです。 ニコニコでへとへとなんで、よく分からない生物になっています。 それは常時と変わらない、という意見もあります。

●8日は、平川さん、馬淵さん、武田さんのシーンを重点的にあたりまして。 過去2回の公演をご一緒した平川さんは勿論なんですが、今回初めて参加の馬淵さんと武田さんもとっても面白い。 二人とも演技体がまるで違う俳優なんですけど、手探りで戯曲の言葉を探り当てていく姿勢がまっすぐで有難い。 まっすぐ、グルグルしてくれたらいいななどといい加減なことを思う稽古中でありました。 ま、これからです。いろいろ。

●写真は、社会的な距離に配慮しつつ仲良くする人たち。
(主筆)


MEMO♯077【インテグラルの踵は錆びない04】
2020年08月14日

●9日の稽古は、大浦さんと嶋谷さんがお休みだったんですが。 新しいシーンをまるまる、当たりました。 シーンの終わりのイメージがはっきり出来てましたので、まさかの逆回転稽古。 シーンラストから作って、ちょっとずつ、シーンの頭に巻き戻していきつつ。 途中で明里さんは早退しましたが。 なんとか、シーン全部をざっくり作ることが出来ました。 このシーンは、大浦さんがメインで出てくる場面ですので、まず外側の箱を大きく作って、その中で暴れて貰おうと思ったのでした。 そういう意味では、鬼のイヌ間の稽古だったわけです。 大浦さんを閉じ込めるハコを、大浦さんのいない間に作る。 まあ、閉じこまりませんけどね。 それだけのエネルギーのある俳優です。 過去2回、大浦さんに出演して頂いた稽古場では、私は圧倒されてしまって、明らかに演出負け、してました。 その際の、大浦さんのもどかしそうなこと! 失望させないよう、日々稽古プランを練っておる次第です。

●演出家、なんて自称してふんぞり返って見せたところで何一つ、いい事はありません。 私が俳優を観ているように、俳優は私を観ています。 しかも18対1です。 どーしようもない台詞や、その場しのぎの演出をしようものなら、即、見限られます。 全ての俳優と、仮に1対1で向き合ったとしても、力負けは必然の現状です。 田村さんが演出助手でついていてくれるので、何とか首の皮一枚、もっていますが。 兎に角、アタマも身体もグルグル回して、稽古場を回転させようとヒーコラします。 私の演出風景は、それは見苦しいと関係各位には有名ですが、通し稽古が始まるまでは見苦し演出をお許し頂きたい。 蒸発してなくならないように。 全ての稽古の、全ての瞬間に、全てのアイディアを注ぐ体力を維持したい。 最後は、舞台は俳優のものです。 でもその言葉は、演出家が稽古場を牛耳って初めて口にできるのです。 全部、当たり前なんですけどね。

●稽古は今、ちょいとお盆休み中。 例年通りの酷暑も、来週の稽古再開までにはチョイと和らいでくれることを期待です。 俳優も骨を休めていることでしょう。 私は、毎日台詞を書いています。 それ以外は、昼寝やメダカの餌やりや、じゃがいもの収穫などに精を出しております。 取材受けたり、YOUTUBEで謎の公演予習番組を始めたりもして、好き放題やっております。 皆さんも好き放題でお過ごしください。 それでは、また。

●写真は、髪の色とTシャツがいつもカッコいい樋口さん。
(主筆)


MEMO♯078【インテグラルの踵は錆びない05】
2020年08月20日

●お盆休みあけまして、18日に稽古再開しました。 キャスト全員揃って、追加した新しいシーンをドタバタと当たりました。 プレ稽古含めて、まだ5回しか稽古してないんですけど。 勘のいい俳優ばかりで、早くも手が合ってきたというか。 アイディアが出てくるようになりました。 まあ、勘が悪くて乗り遅れる人も出てくるんですけどね。 それは、それで貴重です。 瞬発力を武器に、速く・遠くまで行く人。 じっと同じ場所に留まって、ずぶずぶと沈んで深まっていく人。 両方、表現です。 それ「も」できる、人より それ「が」できる、人が 架空畳の稽古場では必要です。 そういう人の方が、私が楽しいからです。 正しいからではないです。 カンパニー毎に、多様な楽しみ方がある、それがいいですよね。 俳優は自由な鳥のように、或いは鈍重な獣のように 表現の幅を渡り歩くことが出来る、フリーダムな存在です。 なまじ自作のルーティーンにはまってしまう作劇家なんてヒョイと飛び越していって欲しい。 そーいういい加減でマジメな気持ちで遊んでいます。

●前回の稽古で、大浦さんを閉じ込める檻を作ったわけなので、さっそく、閉じ込めてみました。 見事に、閉じ込まりませんでした。 大浦さんが、床をドーンと踏み抜くと、落雷のような音がする。 どーゆうエネルギーなんでしょうか。 そんなわけで、大浦さんのシーンでは、周囲をうまい俳優で固めてます。 いま、イージーにうまい、という言葉を使いましたけど。 いろんな、うまい、があります。 うまくない事がうまい、みたいな、弄びロジックもありますが。 ここでいう、「うまい」は、表現が機敏、というような意味合いです。 本田さん、廣川さん、三枝さんは、個人の表現を、全体のシーンの中にブレンドしていく按配が見事です。 個人の表現を維持したまま、それを全体に馴染ませていくことに長けた俳優は、演出家としては、すごーくありがたい。 ありがたすぎて、あまり便利に使いすぎないよう、気をつけます。 大浦さん、という巨大な違和感を、違和感として包み込む技量が必要でしたので、重宝させて頂いております。 長井くんは、まあ、大浦さんとは別種の、マイルドな違和感というか。 極に触れすぎないところが上品で、これはまあ、俳優の性格のようなものです。 オーディション以降、プレ稽古を経て、7月の間ずっと、俳優のキャスティングを考えてました。 なんか食べ合わせを考え過ぎて、ウナギにさくらんぽトッピングする人みたいになってましたが。 刺身にマヨネーズ落としたら意外とイケた! みたいないい具合になっていることを期待しております。

●さて、5回稽古してる、と言いましたけど。 18人のキャストで、実はまだ、自分のセリフが戯曲に登場していない人たちがいるのです。 嶋谷さん、樋口さん、杉山さんですねー。 申し訳ない。 でもまあ、これにはマットーな理由があるのです。 この3人が出てくるシーンは、モノローグで始めようという構想がずっとありまして。 今までのシーンで散らかしてきたシークエンスを、一度、主観に回収して相対化したいんですね。 そのプランを体現するべく、モノローグを渡す俳優を実はオーディションの時から探してました。 嶋谷さんは、昨年「モノローグ演劇祭」を観賞して、その表現力は目の当たりにしておりますので、スンナリ決めました。 あと、樋口さんと杉山さんは…正直、わかんないんですけど。 わはは。 私にしか通用しない、私だけの判断基準というものがありまして。 それで決めました。 それは、テクニカルな要素より、むしろムードというか、気分なんですけど。 自分の表現しようとしたものと、実際に表現してみたものの間に差異を感じる、 そのとき、立ち止まって語り直そうとする人と、これは嘘なんだ、と分かりながら語り続けることでしか、その差異を埋めることが出来ない人。 両方、いると思ってまして。 で、私の捻じ曲がった判断基準によれば、その両極が、樋口さんと杉山さんだったのです。 どっちが、どっち、かはナイショです。 やってみたら、全然違うかもしれないし。 でもそれはそれで、きっといいんです。 どの台詞をどの人に渡すのか、それはキッカケに過ぎません。 舞台は俳優のもので、作家や演出家は、その機会を作ってるにすぎません。 演出家ごときが、舞台を、そして俳優を「正解」に導けるだなんて、トンだ思い上がりです。 ま、とはいえ、思い上がっていない演出家なんて、何の役にも立ちませんけど。 稽古場で思いあがって、本番で用無し。 そういう者に、私もなりたい。 そんなわけで、今日は、3人のモノローグを書きました。 ちゃんと書いたんですよ。ほんと。 稽古はちょい先、今週の日曜です。 えっちら、おっちら、楽しくやります、血の汗かきながら。

●感染症対策なども、劇団の人間と話し合って、日々更新しております。 昨日付けで、新たな方針を追加してますので、ご観劇予定の方は、ウェブサイトの方などでご確認頂けましたら幸いです。 稽古毎に、キャストとスタッフ、全員の体温を計測しているのですが 謎のビッグデータが取れそうです。 まったく、活用方法が思いつかないんですけど。 でもまあ、これも個人情報の一環ですからね。 イタズラに使っちゃいけませんわね。 それでは、また。 写真は、色とりどりの足。さて誰の踵が一番立派でしょーか?
(主筆)


MEMO♯079【インテグラルの踵は錆びない06】
2020年08月24日

●稽古しております。 暑さもピークでややお疲れ気味かもしらない主筆です。 でも、稽古場では元気です。 終わると液状化しております。 ちょびっと体調が優れない方には、積極的にお休みして頂いています。 攻めの休暇。 本当は稽古場来たいと思うんですけどもね。 万全の態勢でも、万全には到達しえない昨今の状況ですので。 我々は状況の動物です。 アルコール消毒でカサカサに乾いてしまった手の甲にクリームで油分を与えながらそう思います。

●23日の稽古では、ようやっと、嶋谷さん、杉山さん、樋口さんの役も台本に登場しまして。 しかも必殺の長尺モノローグ、3連発。 稽古場で台本渡した瞬間に、江花の明里さんが「ざま~」と愉快そうにゲラゲラ笑ってました(ざま~発言は本人否定)。 ま、長尺とは言いましたが、文字数数えたら800文字程度でしたからね。 モノローガーからしたらヌルい、かもしれませんが。 物語の流れの中で、いきなりブチ込まれるモノローグですから、それはそれで大変です。 俳優一人の舞台なら、自分で流れはコントロールできますが、人が作ってきた舞台にいきなり登場しての、独白ですからね。 他人の運転してきた車のハンドルを、時速100キロではいっ、と渡されるようなモンです。 数年前までは、よくやってたんですよね、長尺のモノローグ。 舞台が、意図した方向に流れすぎてるなーと思うと、いきなり、流れを切りたくなって、よく岩松の役にモノローグ台詞を挿入してました。 目の前で今、もっともらしく展開しているドラマが、そこにいる個人にとっては実は全然関係がない、 或いは、まったく別の場面を思い起こされる そういう、意図にハマらない場面を作りたかった。 でも結局、その構図も意図の中に入ってしまうのでね。 なんだか、言い訳めいちゃうかなーと思って最近は自重してました。 でも今回は、18名も俳優がいまして。 その全員に個別の動機を持たせるように書いてますから。 どうせ、意図通りにならないんです。 初めから、ゴチャゴチャです。 いまだ!と思って、モノローグ入れました。

●そんなわけで、嶋谷さんはお休みだったんですけど、江花実里さんに代役お願いしつつ、杉山さんと樋口さん、それと岩松と木村君でシーンを作りました。 杉山さんと樋口さん、台詞は渡したばかりなので、ゴリゴリ飲み込んで、バリバリ咀嚼して、ドバドバ吐き出してくれたらいいと思います。 まず、型を作る。その中に表現を盛る。 器のないまま中身だけを積み立ててゆくのは、表現ではありません。 制度を構築し、そこからはみ出してゆくこと。 台詞だって、「ことば」という型ですから。 みたいのは、その「ことば」を使って盛られた、表現です。 器をまずは、がんばってつくりましょうね。 新しいシーンを当たっている間に、分割した稽古場で、他の俳優の方々には、自分たちのシーンのアイディア出しをして貰いました。 どのシーンも良くなってきてます。 ご飯を盛るお茶碗を、いま皆でガンバって焼いている。 そんな具合です。

●稽古の前後には、物販Tシャツの販促用に写真撮影もしました。 出来てきたTシャツ、かなり渾身の出来ではないでしょうか。 会場での接触を極力減らすため、事前受注で販売しております。 架空畳のサイトで購入できますので。 チケットと併せて、ゼヒよろしく。 写真は、夏だけど長袖が涼し気な人と、迫りくる怨霊に気付いてない人です。
(主筆)


MEMO♯080【インテグラルの踵は錆びない07】
2020年08月31日

●25日に稽古してました。 なんかぼーっとしてたら、次々稽古の日が来てしまって、いかんですね。 メモが滞ってしまう。 なるべく小まめにつけておくように制作からも厳命されております。 あまり気負わず、ちょいちょいと書きますね。

●この日は、少しばかり手狭な新代田の稽古場でした。 お休みの方も数名いましたので、新しいシーンの説明と立ち位置中心で。 霊感と直感で俳優の立ち位置を決める、相変わらずのオカルト演出なんですが。 「じゃ、そこ立って下さいね」 って言ったときに、俳優が立つ、その無意識の「立ち方」が、本当にそれぞれで面白いです。 うまく言えないですけど。 「うおーっ、立ったなあ」と思う人もいれば「いますけど、何か?」って感じの人もいる。 本当は、そのそれぞれの「立ち方」をそのまま活かした演出をするべきなんだとは思います。 でも、あーして、こーして、って動きをつけてるうちに 「私が立って欲しい立ち方」に、無自覚で矯正してしまってるんですよね。 このへん、何か根本的な技術改革が必要なのかもしれん、と思うこの頃です。 特に今回は、俳優が18名いますんで、その立ち方もバラバラで多種多様、面白いんですよね。 それぞれの「もともとのありさま」を、コントロールしない、という形でコントロールしたい。 ヤバい欲望ですかね。 いま、演出、かなり面白いです。

●シーンの稽古では、木村くんと伊澤くん、江花の明里さんとこばやしさんの場面をねっちりと作りました。 伊澤さんとこばやしさん、初めて一緒に芝居やるんで、いろいろ見せてもらいつつ。 本人が意図していない部分を、どんどん明晰にして、意図的に出し入れできるようになって貰う方法を試しています。 出したり入れたり、できるようになるとね。 「出さない」ことも表現になるんです。 名優ってそういうものですよね。 何でもできる人が、何にもしない。 でも、その「何もしない」の中に、「何でも出来る」がみっちりと詰まっているから、 「いる」だけでもう、表現なんです。 二人とも、その潜在性をピリピリと感じてます。 道は遠いですが、バシバシ、引き出しあけていきたい。 そうして俺は他人の引き出しあけまくり空き巣演出家になるのでした。

●そうこうしているうちに、また次の稽古が来てしまうので、またすぐ、書きますね。 写真は完璧なソーシャルディスタンスフォーメーション帰宅をかます精鋭たち。 では、また。
(主筆)