ホゾ宮(腕時計覗き込みながら)スリー・ツー・ワン…ゼロ。ご免くださぁい!…返事はナシ。
さりとて、天邪鬼を気取った邪宗門に耳をそばだてると…(扉に耳を充てる仕草)微かに聞こえる、
電気仕掛けの振動。そして、獣が息を潜める気配。いるんだ、いるんでしょ、いるに決まったぁ。…ご・め・ん・く・だ・さぁ・いっ!
澄香 ふぁーい。
ホゾ宮 うっ、臭ぇ!
澄香 ゴメンね、ボク。昨夜の寝酒と、火床(ほど)の火照りが抜けきらなくて。
ホゾ宮 ドキドキ。どんなハーレクイン・ロマンスが展開された、昨夜のベッドルームだったんだろう。
澄香 サイドテーブルに乗せた夕陽を眺めていただけ。
ホゾ宮 動画ですか。ボクもね、よくやりますよ。燃え爆ぜる火の粉や、寄せて返す波の音なんかを環境音にして、
眠れぬ夜の静寂を埋めること。手元の端末一つあれば、望みの場所は想いのママだ。
澄香 好きな時間に、好きな場所、好きな風景…いい時代ネ。
ホゾ宮 けれど意のままにならぬコトもある。
澄香 例えば?
ホゾ宮 何度ベルを鳴らしてもジッと息を潜める隣人に、開かずの扉を開かせること。
澄香 十年選手のベテランとは申せども、女の一人暮らし。警戒しますよ、ドアの前でジリジリと小一時間も気配を探られていては。
ホゾ宮 そうか。ドア一枚隔てて気配を伺っていたつもりで、伺われていたんですね、ソチラからも、コチラを。
澄香 貴重な上演時間を浪費して、どんな気配を探っていたの。
ホゾ宮 (腕時計を指して)AM9時を待っていたんです。
澄香 それってどんな午前様?
ホゾ宮 幼心に沁み込まれた、僕のエチケット。まだつむじも揃わぬ未就学児童の昔。
日曜の朝ともなれば午前6時には飛び起きて、すぐ隣に住んでいたマーちゃんちのドアを叩き、
「あ・そ・び・ま・しょ!」と大声あげた僕の倫理を、母親はすりこぎでブっ叩いてくれました。
「今何時?いまクジラ、の朝9時までは、ヨソさまのおウチのドアを叩いてはいけません」。
澄香 その教えが今も息づいて、朝9時になるまで、ドアの前で時計の針と睨めっこしてたってワケ。
ホゾ宮 そして今、このトキを迎えました。名乗りの瞬間こそドラマは最高潮。僕、ホゾ宮マサルです。
澄香 アタシは澄香。澄んだ香り、と書いてスミカ。はぁーっ(息を吐く)。
ホゾ宮 うっ…臭ぇ。けれど慣れます。離れたる親類より、隣人の寝酒。
澄香 隣人?
ホゾ宮 越して来たんです、隣の部屋に。202号室。そんでつまり、ご挨拶。
ホゾ宮、そこから一歩、進もうとする
澄香 待って!…ビザは持ってる?
ホゾ宮 僕、ウーバーイーツの配達員じゃありません。
澄香 ピザじゃない、ビザ。入国許可証。
ホゾ宮 この顔にピタリと張り付いた「誠実」の二文字だけがパスポートですが。
澄香 覚えておいて。その一歩は、天使も踏むを恐れるワダチ。
ホゾ宮 えっ?
澄香、ホゾ宮の首に手をかけ部屋の中で引き込むと、たちまち闇に包まれる。闇の中で新聞紙がガサガサと動く気配。