MEMO♯081【インテグラルの踵は錆びない08】
2020年09月01日
●と、いうワケで9月ですね。
いきなり涼しくなっちまいまして、アラ秋なのねって感じですが。
ヒシヒシと公演が近づく音も聞こえてきそうです。
あとまだ45日くらいあるんですけどね。
台本は、ちょうど半分まで行ったところです。
ネジ巻いてまいりますね。
バカネジですけどね。
ええ。
●8月30日、稽古中に小川さんが出来上がった衣装を持ってきて下さいました。
まだ全員分ではないんですけど、18人のうち、12名分。
今回は、4組の「三人姉妹」が劇中に登場するんですけど、丁度その12人の姉妹分です。
衣装を受け取った俳優って皆、ニコニコ嬉しそうですよね。
自分専用っていいものです。
架空畳の芝居では、衣装だけでなく、台詞もその人専用です。
「おはなし」は稽古前にすべてありますが、どんな台詞で喋るかは、まったくの白紙。
稽古しながら、書いていきます。
だから、俳優が変われば、台詞も変ります。
自分だけの衣装、自分だけのセリフ。
自分だけの演技を作って、もちよって、作ります。
だからまあ、グチャグチャです。
一本筋の通った、グチャグチャでありたい。
なんだかよく分かんないんですけど。
●稽古では、嶋谷さんにモノローグ入れて頂き。
声がね。素晴らしいんですね。嶋谷さんの声、なんでしょうか。
全部を嘘、にしてくれる、分厚い氷のような厚みを持った声です。
その奥に、みっしりと感情を詰め込んで、それでも表層はびくともしない。
でも、なにかの弾みに、ピシリとヒビが入ると、一気に崩壊しそうな予感もある。
抽象的で申し訳ないんですけど。
舞台のどこにいても、その人だと分かる、素晴らしい個性です。
そいつにベッタリと甘えて、演出しようと思います。
モノローグを感情の吐露でなく、情景の描写として使う。
けれどモノローグの「機能」として、情景であっても心情に変換されてしまう。
そんなことを目論んでます。
杉山さんと、樋口さんにもね、実は真逆のアプローチで、そこを表そうとしてます。
そういう台詞を書きました。
ホントですかね?
口から出まかせが得意です。
●稽古は今日までお休みで、明日から再開です。
先ほど書きましたように、お話は最初からあるんですけど、
台詞を書き進めていくうちに、どーしても、想定していない展開、シーンが現れます。
今日は、その部分、主に廣川さんと三枝さんのシーンの構想を進めました。
あと舞台に登場はしてたんですけど、ニンゲンのセリフを喋ってなかった金澤さんのセリフも登場しまして、
何とか、戯曲上にバラ撒いてきた要素をグルグルして、アウフヘーベンしようと格闘中です。
楽しい格闘。
元気に頑張りますのでね、チケットの方も、宜しくお願いしますね。
Tシャツもね。受注販売受付中です。あけたらしろめさんのフライヤーイラストがバーンとあしらわれて、メチャかっこいいですよ。
ヨロシク。
●写真は、ソーシャルディスタンス帰宅のパート2。では、また。
(主筆)
MEMO♯082【インテグラルの踵は錆びない09】
2020年09月04日
●2日、稽古でした。
台本の成り行きから、音楽シーンが登場してしまったので、そこを作りました。
かなりざっくりとしたプランから、音源を自作して持っていったんですけど。
皆、積極的に取り組んでくださったお陰で形になりました。
稽古場に行くまでは、ギリギリまで構成を煮詰めて頭をウニにするんですが
稽古場では、かなり気楽な感じでアイディアを出して貰える環境を作ろうと思っております。
まーそんな演出好(家、に非ず)の浅はかな思惑など関係なく、
皆ポンポンとアイディア出してくれて有難いことです。
いまのとこ、楽しく進行しております。
●そんなわけで台本はちょうど全体の折り返しまで行きました。
と、行っても、そんな端正に折れたことはないですので、
あくまで私なりのいびつな折り返しではあります。
そこでそう折って、そう返すの?っていう。
幼児期に初めて折り紙を折った日から、まっすぐに折り返せた事が只の一度もありません。
でもまあ、折り返しです。
そこのシーンは平川さん、馬淵さん、武田さんの場面になりました。
三人とも、芝居が早い。
要求された演技を、はじき返す瞬発力がありますので、シーンがすぐに組みあがります。
登場する度に、ちょっとずつ役の上での要素を増やしてるんですけど
理解が早いですので、じゃもうチョイ、要素足しとくかなあ、などと考えて、想定より複雑な役回りになりそう。
特に、平川さんは、架空畳三度目の出演なんで、ちょっとガラに依れないといいますか
本人が本人のままでは演じることが出来ない役を意図して書いています。
多分、本人も楽しんでるんじゃないかなーと思うんですけど。
陽性な俳優、というのは何とも貴重な存在です。
悲劇を悲劇として扱わず、バカバカしい喜劇として、より残酷に描写する。
それがチェーホフのマインドだ!と勝手に曲解しまして、馬淵さんと武田さんも含め
陽性な俳優をあてております。
ディープなテーマを、ホイホイとぞんざいに扱いますのでね。
怒られるかもしれませんけど。
ま、怒るためにも芝居観に来て下さいね。
●稽古跡は、勿論、飲みに行ったりなどせず、集合などもせず、準備できた人からサッサと帰宅しております。
その結果…お金が減りません。
芝居やってるのに、居酒屋に課金しない。
私のような古めの演劇やってるニンゲンからすると、奇跡のような事態です。
さっさと帰って、自分の時間を持つべきですね。
稽古終わった後に飲むために芝居やってるような人々は滅んでゆくことでしょう。
集まって、稽古して、終わったらすぐ個人に戻る。
私が芝居を始めた頃、そーあって欲しいなーと思っていた状況が、今、ごく自然に訪れている。
今の今まで、粘って芝居続けて良かったなーと思うこの頃です。
ま、稽古場以外で、今やってる芝居の話するのも、豊かではあるのですが。
シラフでだって、芝居のハナシはできる、って事で、一つ。
演劇は状況のアダ花。
我々の生活もまた、しかり。
残酷な世界で、残酷さをも笑いながらやっていきましょう。
では、また。
(主筆)
MEMO♯083【インテグラルの踵は錆びない10】
2020年09月08日
●またちょいと、稽古メモが滞ってしまいましたが。
何とか巻き直して参りますね。
3日、稽古でした。
ちょびっと体調崩し気味の人も出てきております。
熱中症、気を付けたい。
と、言っている私が、その日初めて取った水分が稽古終わりのビールという体たらくです。
2リットルのペットボトルに水ぱんぱんに詰めて、グビグビ飲み干せ、と江花さんに言われました。
半魚人かってのね。
河童なんですけど。
●やっとこヒトのセリフが出現した金澤さんが大活躍してしまうシーンを作りました。
戯曲的には、たった一つの語呂合わせに使っただけなんですが、チョイとみておくかなとブレヒトの戯曲なんかを読み返してまして。
見事、感化された結果、謎のミュージカル風(って言ったら殴られますけど)シーンが出現しました。
これは構想段階では無かった場面なんですけどね。
あっ、歌やろ、って思って、その瞬間には歌詞が書けてましたね。
口から出まかせにはめっぽう、強い私です。
金澤さんは、演技をしながら演技の中で演技を作っていく感じ、と私は見ております。
ですので、その都度、違ったアプローチが観られて愉快です。
たまに、自分の演技に自分で驚いてる瞬間すら、ある。
へー、自分て、こんな事するんだー知らなかったーって感じ。
だからね。
私も、「あなたはこんな事、出来るんじゃない?」とかあんま言わないでですね。
演技の「質」ではなく「幅」だけを指定しております。
といっても、そんな大層なことじゃないです。
3歩でここまで来てね、くらいの事です。
自分が何が出来るのか?
それを実践で試してゆく俳優には、何の心配もしておりません。
●コロナ対策的な処方の必要性も日々、感じております。
現在の状況を最も身軽に体現できるのが、演劇の特性です。
ですが、それを、描かれる物語そのものに織り込む事には、私は懐疑的です。
それが、ダメという事ではなく。
いつだって現実の方が物語よりも強い。
それを知って敢えて物語を描いている以上、現実の力を物語にチョイとお借りする、というやり方が
よく分からないのです。
だったら、私たちがサバイブするのは、ただ現実のみで良い。
取り込むべきは、状況を構造として取り込む、その方法です。
フィクションより大きな現実を、枠として構築して、その中に、ありったけの物語をぶち込む。
と、いうわけで、全編を2幕構成にしました。
作品全体の長さは変わりませんが、真ん中で、換気のための休憩を入れます。
私はこれまで2幕ものは書いたことがありません。
それが今回、作品の必要からではなく、状況の必然から現れた、という事が貴重です。
芝居はいつだって、外部的な要因がフォームを決めるのです。
劇場という、制限された空間で、そもそも制約だらけで作るものですから。
現実が要請してくる制度・制約の中で、それを構造として物語をスッポリと覆う。
芝居が一番、不自由で、得意とする部門です。
そういう立て付けを、まだまだ盛り込んでいこうと思っています、はい。
●ということで、稽古はヨタヨタではありますが、1幕の終わりまで行きまして。
さらにそこで一息入れてしまうと、なんか腰が落ち着くみたいでイヤだ!と思い、
2幕目の冒頭からブっ飛ばしました。
この日で稽古はちょうど10回目でしたが、この10回の稽古ぜんぶで、毎回新しい台本を持っていけております。
別に約束事とかではないんですけど。
何かね。
途中で持っていかない日があると、俳優に「ん?台本詰まってんの?」って思われそうな気がしまして。
完全に私の被害妄想なんですけど。
稽古で俳優が素晴らしいのでね。
私も何とか食らいついて、完本まで漕ぎつけたい所存です。
●昨年に引き続きまして、メディアにインタビューを掲載して頂きました。
>https://www.confetti-web.com/sp/feature/article.php?aid=801
なんか、私の顔ばっかし出てきて暑苦しいんですけど。
作品へのイントロになりそうなハナシをべらべら、喋ってますのでね。
是非お読み下さいませ。
では、また。
(主筆)
MEMO♯084【インテグラルの踵は錆びない11】
2020年09月09日
●ちょいとお休みを挟みまして、7日、稽古でした。
広い稽古場で換気もバッチリ。
俳優も、久々に18人全員揃いまして。
ガガっと穴抜けのシーンをおさらいしていきました。
●にしても、木村くんはヘンです。
昨年、はじめてご一緒したんですけども、こんなにアクの強い俳優であっただろうか。
多分、極めて意識的に、自分の中にある、自分の中の生理で芝居をしようと務めているのだと思います。
始めは面食らっちゃったんですけどね。
でもなんか、最近はシビれてます。カッコいい。
芝居ならではのウソ、デタラメでまず大きな演技の輪郭を作ってから、それをガリガリと削って表現に迫っていく。
逆じゃダメなんですね。
小学生の頃、初めて顕微鏡の使い方を学んだときに、まず目視でレンズをプレパラートの傍まで降ろす。
そしてレンズを覗きながら、上げてゆく、その手順を知りました。
逆はダメです。
レンズを覗きながら降ろすと、プレパラートを割ってしまいます。
まず最大の枠まで接近して、そこから離れてゆくことで焦点を結ぶ。
デッサンもそうですよね。
まず大きく、面を捉えてからでないと、細部の描写には移れません。
木村君の演技は、これがこの芝居の大枠じゃい!と、そのマックスをまず、示してくれる。
そして、徐々に、ディティールを描きます。
だから、稽古はじめには大げさだなーと思った演技が、しばらくすると、すっかり馴染んでいる。
まあ、大枠がそもそも、芝居のスケールから外れすぎてて、ずっとハマらないままの可能性もあるんですけど。
わはは。
でも、その姿勢が好きです。
アプローチの方法は、人それぞれあっていいし、世界へ接近するその方法がバラバラでないと、オーディションやってわざわざ寄り集まった意味がありません。
それぞれの方法で、それぞれの「大枠」から、徐々に中心へ近づいていければ、これ以上ない喜びです。
私も、そのような思いで、戯曲を書きたいと思いました。
私は、俳優にすべてを貰っています。
●昨日のメモにも書きましたが、感染症対策をさらにグレード・アップした結果、まず途中休憩を入れることにしました。
そして、舞台の最前面から、客席の最前列までの距離が、2メートルから4メートルに広げられ、俳優は演技中にマウスガード着用。
さらに最前列のお客様には、ご希望に応じてフェイスガードをお渡し致します。
正直、どれだけ対策を練ったとて、万全には出来ません。
公共交通機関を使って劇場までお越し頂く以上、不測の事態も起こり得ます。
私たちがやろうとしていることは、不可能を可能にすることではなく
どこまで可能に近づくことが出来るか?という、その姿勢です。
それは、蟻の歩みにも等しい、ゼロコンマを刻んでゆくような作業に過ぎないのかもしれません。
けれど、その歩みを止めれば、ゼロはゼロでしかあり得ない。
思えば、私たちの芝居自体が、そのような徒労のマインドで成り立っている大バカヤローの愉悦である気もします。
決して、対策を取っている自分たちにウットリする事はしません。
芝居をする、そのワガママを通すための、あくまで手段です。
震えながら、怯えながら、作ります。
本当に。
●お願いしましたら、武田さんがナイスなムーヴで、公演Tシャツをアピールして下さいました。
あけたらしろめ先生の、素晴らしすぎるTシャツ、受注販売期間はいよいよ一週間を切っております。
大変、ご好評を頂いておりますのでね。
うーん、芝居は観にいこっかなーどうしよっかなーとご検討中の方も、ゼヒ。
今後の状況によっては、開場での物販が前面中止となる可能性も否定できませんのでね。
これからの季節に嬉しい、長袖バージョンもありますから。
と、商人マインド炸裂したところで、また。
(主筆)
MEMO♯085【インテグラルの踵は錆びない12】
2020年09月11日
●8日、稽古でした。
劇場と同じ建物、桜木町の青少年センタ―の研修室にて。
舞台監督のにしわきさんも急遽、来て下さいました。
●ウェブサイト、SNS等でお報せしました通り、感染症対策をイロイロと更新しました関係で、
舞台面から、客席まで4メートルの空間が発生致しました。
それに伴って、舞台面にもチョコっと変化がありましたので、そのヘンを把握する意味もあり、初めて舞台と出ハケ口をテープでバミって稽古しました。
テープを地面に貼って、それをすずらんテープで区切るだけなのに、ぎゅぎゅっと舞台空間が出現するのが毎度、不思議です。
やはり俳優と物語は、舞台というハコに収めてこそ魅力的です。
そこから抜け出そうとするエネルギーが体現されるから。
もりもり縛り付けます。
そこからはみ出てくるものだけを、お見せしますね。
●そんなわけで、第一幕目を通してみました。
これも、途中で換気のための休憩を入れたために発生した構造です。
でも、こうやって区切ることで、芝居の輪郭をより立体的に造れたらいいな、と思います。
単純にいって、休憩の間に、客席と舞台上で10分という同じ時間が流れる。
その10分の間にも、物語は流れていて、お客さんには、その「見られなかった10分後」が突如、出現するという仕掛けです。
仕掛け喋っていいのかしら?
いいんです、どうせ、言ったとおりにはならないに決まってますから。
わはは。
でも、なんか、そういう企みを孕んだ、休憩10分にしたいと思います。
世の中は変わらない、世の中を見る自分が、変わるのです。
自己啓発の師匠みたいなこと言いました。
サンマーク出版の営業は、私に連絡をするべきでしょう。
自称芝居の演出家ほど、マインドコントロールに長けた人間はいません。
これは、本当のことです。
●マインドコントロールはともかくとして。
1幕目、初の通しで時間は53分50秒くらい。
50分を目指してますので、まあ、いけるでしょう。
むしろもう少し、リッチに時間使ってもいいかも!と思いました。
自分で言うのもなんですが、芝居の冒頭シーンを観た瞬間、いけると思いました。
この感覚は…自分の思うものと一致していて、しかもイメージの上を行っていたときの感覚です。
毎回、作る芝居の中で、いくつか現れるのですが、
それが今回は「ド頭」に来た、という所で、よっしゃ、と思った次第です。
私は、私にとって「いい」と思うものしか作れません。
過去、何度か「ヒトがいいと思うのは、こういう感じでは?」と小賢しく日和った演出なども試みたのですが
ことごとく無風でした。
しかも、自分自身も納得できてない。
それでもう、その手の才能はスッパリと諦めました。
俺には最高、ダメならゴメン!
で作ってます。
世界中の全員を幸せにする魔法は、私には習得できませんでした。
オレの最高、誰かの最低。
というわけでオープニングから最高の芝居です。
ご期待下さいね。
●それにつけても嶋谷さん素晴らしいです。
その人でしかありえない演技をしている。
ハッキリとした芝居の方向性を見定めた演技で、あっ、これは流石に劇団に所属している人の芝居だ!と思います。
劇団の芝居って、私、好きなんです。
今は、俳優は殆どがフリーで、特定の劇団に所属する人は少なくなりました。
所属、しているという人でも、そのマインドも含めて集団の演技体に身を預ける人は少ない(という個人的な印象)です。
ヒトのことはいえません。
架空畳だって、そうですから。
私が芝居を観始めた頃でも、そういう事は既に言われておりました。
プロデュース演劇、というものが花盛りになった90年代の終わり頃でしたから。
劇団という制度は解体され、公演単位による、技術を持った個人の寄合になってゆく。
それは作品のクオリティという意味では素晴らしいのですが、同時にヘタでヘンな人が、少なくなりました。
劇団の芝居を観にいくと、どうしようもなく技術がなく、ヘタで、滅茶苦茶面白いヘンな人がいました。
この人は、この劇団でしか、俳優としては使われないだろうな、という人がどの集団にもいて
そして、皆、その人が好きでした。
うまい俳優はたくさんいますが、下手なのに舞台に立つ人は、劇団でしかあり得ません。
その技術を超越した個性こそが小劇場の宝でした。
過去を美化しているように聞こえたら申し訳ないので、釘を刺しておきますが
演技のレベルは、ほんと、驚くほど低かったですよ。
今、例えば10代の俳優でオーディションに来てくれるような人たち、皆、素晴らしく上手です。
多分、あの頃の小劇場俳優、技術的にいえば比べ物にならない。
でもヘンな人も恋しいのです。
ヘンというのは、意固地ということでもあり、そして劇団というよくわかんないし、正しくもないかもしらんが取り合えずついていこう、という
共同体のパワーで生じた、いびつな「方向性」。
それがドドドド、と異様な迫力で迫ってくるのが、劇団の芝居です。
なんか、嶋谷さんにはそれがアリアリとあるのです。
丸いトラックを直線で突っ走ってくるランナーのような、確信に満ちた誤解、のようなエネルギー。
所属する、肋骨蜜柑同好会の芝居は、私は未見なのですが、作家・演出家の方には、昨年「モノローグ演劇祭」でお逢いしました。
やはり確信に満ちた誤解のオーラを纏った、不吉な気配のする人物でした。
それでいて、演出家のコンクールなどでも評価を得ているようで、きっとスゴい人なのだと思います。
そのような人からすれば、私の演出なんぞ、冒とくモノかもしれませんが。
シレっと演出して、怒られそうになったら逃げだそうと思います。
やってから、逃げる。
これが私の人生のテーマであります。
●と、稽古のメモなんだかよくわかんない文章になりましたが。
稽古も三分の一を消化致しまして、ボチボチ、公演一か月前。
ここまでは、主に初めて一緒にやる人たちをメインに演出つけてきましたが、
そろそろお馴染みメンツにも鞭を入れ始めようと思ってます。
まあ、鞭入れられるのはお前だよって話もあります。
そんなとこです。
写真は、プライベートが期せずして紅い人たち。
これは決して、衣装ではありません。
では、また。
(主筆)
MEMO♯086【インテグラルの踵は錆びない13】
2020年09月12日
●11日、稽古でした。
平川さんと本田さんはお休みでしたが、先日通した1幕目の返しをちょいとして。
歯抜けになっていたシーンの目鼻をつけまして、
稽古時間終わりのギリギリで、台本の新しいシーンを読み合わせしました。
これから、三つの大きな山がドンドンドン、と連続で現れる構成なんですが。
その一つ目の山のシーンを渡せました。
息を止めるようにして、深く潜って書いた台詞です。
演出をつけるのは次回の稽古からですが、読めて良かったと思います。
あと2つの山もチアノーゼ上等で書き上げて、そしてエンディングになだれ込みたい。
静かに燃えております。
●この日の稽古の中心は、イリュージョンシーンの具現化でありました。
長井くんの役であります、シジフォスがヒドい目に逢うシーンで、そのヒドい様を、実際にどう再現するか?
皆でアタマを捻りつつ、あーでもないこーでもない、と作りました。
ご存じの通り、演劇はとっても制約が強いですので、様々なリアリティを犠牲にして、「見立て」を用いて処理することが多いです。
デフォルメというか。
でもそうやって、お客さんのイメージばかりにお任せしているというのも甲斐のない話でして。
一見、バカバカしくても「ちゃんと具体的にやってみる」という形で、イメージのシーンを具現化することも必要だと感じます。
なんか、エライひねった言い方してますけど。
まあ、実際に見てみたらね、くだらないですよ。
でも「それ」を「実際にやる」のか、という行為自体が
演劇という、本来フィジカルな表現のもつ可笑しみ、バカバカしさを表せると思います。
真面目に遊ばないと、面白くないですからね。
まあ、俳優の負担は増しますから、私がイバっちゃいけないんですよね。
俳優には無理を強いております。
それをトーゼンと思わないよう、たまに殴って貰います。
ポカリって。
●次の稽古は15日です。
この日より、実質、公演1か月前となります。
果たして、戯曲の完本はなるのでしょうか。
うーん、15日はちょっと厳しいかなと思いますけど。
その次の週にはあがるでしょう。
という言葉を残して失踪するフラグにならないよう、最後まで、あくまで淡々と書こうと思います。
稽古が楽しみなシーンがいっぱいありますんですね、
最後に大きなワンダーとカタルシスが訪れて、客席を崩壊させたいと思います。
叙事と叙情、まんぷくセットでご提供します。
ご期待下さいね。
写真は、源泉かけ流し湯の効能を尋ねるシーンです。
真ん中は寝てるお爺ちゃんです。
嘘ですが、ちょっとだけ本当もあります。
劇場で確かめてみよう!
では、また。
(主筆)
MEMO♯087【インテグラルの踵は錆びない14】
2020年09月16日
●また少し、お休み挟みまして15日に稽古でした。
ボチボチ、本番一か月前ということで、休みの間に、可能な限り台本を進めて
2つの重要なシーンを書くことができました。
残りはラストシーンのみ。
最高のラストを書きますのでね。
あくまで、淡々と。
●そんで、稽古ですが。
持って行ったシーンを皆でワシワシと作りました。
結構な分量のシーンを書いて持っていく時は、大抵、アタマの中でのみ動いている場面になってます。
なので、そのシーンが、前のシーンから、どんな俳優の生理で接続されているのかが、やってみないと分からない。
私が、稽古をしながらでないと台本を書けない最大のポイントがここにあるのです。
まあ、想像力不足、演出力不足と言えばそれまでなんですが。
アタマで作ったシーンをね。
やってみて貰って、理屈だけが通ってしまっていることがあります。
無理が通ってないんですね。
小さな正解より、大きな嘘が舞台には必要だと、私は思っています。
そんなわけで、大きな嘘には、大きな俳優の存在が必要、というワケです。
それで、大浦さんです。
役でも、台詞でもなく、シーン全体を大浦さんにアテ書きしました。
苦労するかな?と思ったシーンでしたが、あっという間に書けた。
でも、あっという間には演出できませんでした。
アテ書いたことで、明らかに演出のハードルが上がってしまった。
苦しくも楽しい時間でした。
まだこのシーンは未完成ですが、未完成のまま、無理矢理先に進んで、通し稽古の中で、解答を見つけます。
一か月前に台本があるって、こういう事が出来るのでね。
豊かですね。
でもまあ、それは当たり前の事なので、イバってはいけません。
はい。
●大浦さんの背後の重要なポジションに、廣川さんと三枝さんにいてもらうことにしました。
背後、というのは、裏方という意味ではありません。
ひっくり返って表になるために、裏に置いてあるという意味です。
ひっくり返して魅力的な俳優、って見つけるの凄く難しい。
オモテで魅力的なのは、当たり前なので。
舞台は、お客さんに向かって演じられますので、オモテとウラが出来ますが
ドラマは、客席に背を向けた方向にも、実は流れているのです。
それを表現したい。
それは浅はかな「伏線」とはハッキリと違う、もう一つのドラマです。
向こう側にいた人物が、クルリとこちらを向く。
その瞬間が、ひょっとしたら、芝居で一番好きかもしれない。
そんなわけで、裏がひっくり返ってオモテになる、そんな芝居をして欲しいと思って書いた役です。
2人で登場しますが、そこも背中合わせになっております。
舞台に「うしろ」を見せている人物二人が、その二人自体も「背中合わせ」になっているという構造です。
そして、その「背中」を剥す役も、ちゃんと配置してますのでね。
とかなんとか、そういう私の、愚かな思惑を、セリフ一発でどーでもよくしてくれる演技を期待している次第です。
自分の考えることって、自分には退屈ですから。
めいっぱい、考えますけどね。
吹き飛ばれるための考えを、無い知恵絞って、ヒネリ出します。
徒労の積み重ねが、芝居の愉悦です。
私、ヘンですかね?
フツーだと思ってます。
ホント。
●今日も稽古です。
ラストシーンは、書いてはみたんですが、決定稿は次回へ持ち越すことにしました。
まだ、稽古をしていないシーンがあるからです。
ドラマの中で、俳優がどんな姿をしているのか、
今日の稽古で、感じてからもういっぺん、書きます。
そんで戯曲はオシマイです。
芝居は、ここからはじまります。
まだまだ余裕のある日程ですが、最高の舞台を作って、お見せしますので。
ご予約のほう、ゼヒ宜しく。
写真はジャン・レノです。
では、また。
(主筆)
MEMO♯088【インテグラルの踵は錆びない15】
2020年09月22日
●16日、稽古でした。
舞台美術をお願いしている、金座の佐藤くんが稽古場に来てくれまして。
一幕目の通しを見て貰いつつ、同時進行で図面を引くというマルチタスク野郎ぶりを披露してくれました。
出演者以外が、稽古場にいてくれのって、ナンかいいですよね。
勿論、今は警戒が必要ですが。
常時であれば、基本的に、架空畳の稽古場はオープンです。
稽古が、一番、楽しいですからね。
早くまた、「どなたでもどうぞ」って言える世の中になって欲しい。
それもオンラインとかになるんですかねー。
どうなんだ、未来。
今が、未来。
美術の打ち合わせもチョイとしまして。
物語に寄り添う美術ではなく、対峙するような美術を考えてくれてます。
愉しみです。
●台本は、稽古始まって以来、初めて新しい部分を出せませんでした。
ラストシーン、2つほど書いてみたのですが、ちょっと時間を置きたいと思い。
次回、完本とさせて貰いました。
この日が、丁度本番の30日前。
完本出来れば、私が芝居を始めて史上初、一月前に完本が成ったのですが。
まあ、記録作るために芝居書いてるわけでもないので、それはいい。
まだまだ、じっくり作品を作る時間があることが有難いです。
同じような事が、「かけみちるカデンツァ」の再演のときにもありました。
ラストの一歩手前の久世さんのシーン、たった2枚だけのページに1月かかってしまった。
先にラストシーンは渡して、そこだけ空白の一か月。
書いては捨て、結局、台本全部と同じくらいの分量を書きました。
その時、分かったことは、分からないことを分かったように書いてはいけない、ということです。
書けないとき、なぜ、書けないのか?その理由を書けばよかった。
そこに辿り着けたことが、今回、台本を早く上げられたことの大きな要因です。
分からないことを、次々と、探検するように書けました。
2018年の夏に、久世さんと、そしてあの舞台の全出演者、素晴らしい俳優に出逢えたお陰です。
嬉し有難い。
●そんなわけで稽古なんですが。
なんだかんだ、もう15回もやってるんですね。
そりゃ、公演まで一月にもなろうってモンです。
ハッキリと課題も見えてきつつあります。
俳優各々の、台詞を照射する対象への距離ですね。
これに大きなバラつきがある。
個々人を比べたときのバラつきはいいんですけど、俳優の中での距離、そのバラつきは統一したい。
なんて、観念的で難しそうなこと言いますけど。
要は、元気か、不元気か、そういうことです。
それを使い分けるのではなく、
大きな元気の中に、不元気を内包しよう、そういったことですね。
馬淵さんと、樋口さん、どちらも繊細な演技をします。
その繊細さを、世界に悟られないように、演出したい。
これは俳優ではなく、私の課題。
杉山さんは、いま、自分の芝居を壊して作りなおしている所みたいなので、なんか出てくるのかなーって楽しみです。
企みは、稽古場において最も重要ですから。
嶋谷さんは、100メートル走で、まだほかの人が45メートルくらいのとこにいるのに、一旦ゴールしちゃった感じなので、チャラにして、もう一本、ダッシュ追加って感じでしょうか。
100メートルにすると、12秒で走る人と18秒で走る人の違いくらいですね。
でも、それは優劣ではありません。
表現においては、速さと遅さ、は同等の魅力を持つからです。
どっちも良い。
長井くんや、大浦さんや、木村くんが、自分の世界をワガママなまでに舞台に拡げてくれますので、それに拮抗する、内面のカサブタが必要です。
それは、世界一、分厚いオブラート、のような矛盾した表現です。
ま、でも無理を通すのが芝居ですから。
おっきな嘘が、その瞬間だけホントになるよう、まだまだ汗をかきますね。
では、また。
(主筆)
MEMO♯089【インテグラルの踵は錆びない16】
2020年09月23日
●18日、稽古でした。
台本をラストまで書きあげて、ひとまず完本としました。
初日の28日前、芝居を始めて最も早い完成となりました。
早ければいいのか?
絶対に、イイ。
内容も、いま書きたいものを、書きたいように、そして意外性を常に持って書けました。
初日の28日前、なんてイバりましたが、書き始めてからは50日かかってますからね。
単に、稽古を早く始めたからじゃないか、と言われれば、その通りであります。
とても充実した執筆期間でした。
濃かった。
これから、稽古を通して、再びイチからこの世界に潜っていきます。
でもね、書いているときは一人ですけど。
稽古では、18人もの俳優と一緒ですからね。
演出って楽しいよね。
私は、演出家、ではなく、演出好(すき)ですから。
窒息するまで浸ります。
息継ぎもします。
●そんでもって、フライヤーも完成しております。
相変わらず、超巨大なレコードLP盤サイズ。
顔面を隠す所作は伝統芸能であります。
この大きさにする!と強行した2015年「かけみちるカデンツァ」初演から、はや、5年。
始めは結構、反対された覚えがあるんですけど、ワガママも通してみるもんです。
もはや、ハハハって感じです。
精魂込めて作ったフライヤー、劇場で配られて、その帰り道にぐしゃぐしゃに捨てられているのが、ガマンできなかったんですよね。
今の時代、もう宣伝材料としてはネットで賄えます。
だったら、持って帰るのに躊躇する、いらない人は初めから手にもしない、その代わり拘った品質のものを、という思いで作っております。
今回は、感染症のこともあり、撒くことは控えますけども
劇場に置いておきますのでね。
覚悟して持って行ってくださいね。
描いて頂いたイラストもカッコいいので、ゼヒ。
●稽古は、前回かなり荒くつけた演出の細部に地脈を通す作業。
アセって先へ先へいく時と、じっくり作るときが交互にくるような感じで、今回は演出をしてます。
出発地点から、まずゴール地点までワープしてみて、その景色を目にしてから、
今度はその途中経過の道のりをチクチク歩いてみる。
そんな感じです。
俳優の生理ってホント、いろいろなんですが。
私の感覚では、到達点に至るまでの道のり、その歩き方に個々人の方法が出ると思ってます。
到達点を合流場所として先に指定しまえば、いろんな方法で、皆そこまで来てくれる。
なので、まず約束ごと、その後自由時間って具合になればいいなーと。
物凄いショートカットしてくる人とか、迂回してくる人とか、何往復もする人とかいて、面白いですよ。
一歩、半歩、ずつ進む人もいれば、ジャンプしてくる人もいる。
あ、そーか、これがアンサンブルってやつかーと、今更ながら。
昔は、みんなで一つのことをするのがソレだと思ってまして、なんかイヤでした。
今は、みんなで同時にバラバラのことをするのが、ソレだと思ってます。
全員が全員、違う方向を向いて、同じ場所に一瞬、集合する。
そして、また、次の集合場所まで、バラバラに出発する。
その一瞬の邂逅の瞬間こそドラマであり、物語なのだ、と。
青臭いですかね。
ずっと、こんな具合です。
●稽古をしながら膨らんだ役は多いですが。
特に、江花明里さん、金澤さん、武田さんに当てた役は、よく転がってくれました。
間違いなく、俳優の力です。
先へ進む膂力を持った俳優は、宝ですね。
役を、与えられたものから、自分のものへと強力に引き付ける意志によって、台詞の必然が動きました。
間違いなく、他の人であれば、違った役になっていたはずです。
物語のロジックを、俳優の生理が凌駕し、台詞となって現れる瞬間は、
戯曲を書いてて一番幸福なときです。
喫茶店で、ウヒャウヒャ言いながら書いてました。
ヤバいですが、もうずっとヤバいので、平気ですよ。
誰一人、寄り付きません。
イヤですね。
●そんなワケで、今日も稽古です。
涼しくなってきましてね。
勿論、感染症には最大警戒ですが、風邪とかの体調不良もね。
気を付けたいところです。
では、また。
(主筆)
MEMO♯090【インテグラルの踵は錆びない17】
2020年09月25日
●23日、稽古でした。
4日間のお休みの間に、完全に秋・なんなら、冬、という按配です。
前回の稽古で完成させた台本を皆に渡したんですけど。
その日の晩に、夢を見まして。
劇中の人物から、いろいろ、質問されました。
コレはどうなってるの?とか
私はその時、どう思ったの?とか
ホントに、凄い具体的に。
ウェブサイトのノートを見て頂ければわかるのですが、私は、毎回公演が終わる度に同じ夢を見ます。
それは、自分がその芝居で書いた登場人物に首を絞められる夢です。
これ、本当なんですよね。
で、それが、今回は、公演前に来たんだと思います。
でも、まだ取り返しがつくからか、首は絞められませんでした。
で、起きて、夢で言われたことを書き出しました。
本当に、その通りでした。
それで、前日に渡したラスト部分6ページを全面的に改稿したのでした。
●内容が大きく変わったのではなく。
物語全体の辻褄より、18人いる各人物の心情にフォーカスしました。
全部の人物の心理にダイブするために、人物の一人だけになりきって、最初から最後まで台本を読んでみました。
つまり、都合、18回。
一人終わる毎に、ラストシーンの、その人物の場面を書き改めました。
それを延々、3日間続けて、それで、完成しました。
台本書きの私は、お役御免です。
あとは演出好(すき)の私が、稽古場で俳優と遊んでくれるでしょう。
めでたしめでたし。
●とまあ、めでたいんですけどね、
ついウッカリ、この日と翌日の2日間、明里さんがいないことを忘れておりました。
稽古始まる前、随分早い段階で知らされておりましたので、失念しちゃってたんですね。
リーダーシップとムードメーカーを同時に兼ねてくれてる、稽古場のダイナモ不在で不安ではありましたが、皆と一緒になんとか前進。
稽古場での謎言語も育ってきていて、例のアレ、みたいな感じで、俳優が私の意図を先読みして、サっと動いてくれるようになりました。
それが稽古場で育った感覚である、という事が重要です。
この日は武田さんが前面にくるキモのシーンを演出しました。
この芝居で、私が一番、心を砕いた台詞と場面です。
稽古が始まる前から構想していたシーンであり、誰に託そうか、キャスティング時、結構悩みました。
で、武田さんに決めたんですけどね。
彼女に決めて、本当に良かった。
表層と深層を等価値に扱える俳優には、何のサジェスチョンも必要ありません。
ニコニコしちゃいました。
あと一回、稽古すればラストまで到着するってところで、また明日です。
兎に角、どんな形であっても、最後まで行ってしまえばこっちのモンですので。
私は軽度の方向音痴ですが、歩きなれた道でも、新しいルートを開拓して、いろいろ、行き方を変えてみるのが好きなのです。
そこは辿り着ける場所なのだ!という確信さえあれば、
探索は楽しい遊びです。
遊んで、作ります。
写真はドーピングアイテムをキメる人たちです。
では、また。
(主筆)
MEMO♯091【インテグラルの踵は錆びない18】
2020年09月27日
●24日、稽古でした。
なんとか最後まで演出つける事が出来ました。
これで通し稽古が出来る!
でも、前回書いた通りで、明里さんはお休みで、演出助手の田村さんに代役お願いしてのこと。
あとこばやしさんも、やむにやまれぬ事情で、途中早退でしたのでね。
もっぺん、巻き直して、そんで通しに向かいます。
イロイロ、演出や戯曲の穴も多いですからね。
まず、穴ポコをポコポコ産むための、粗通しであります。
●今回は、兎に角、通し稽古をいっぱいやろう、と思ってます。
物語の中で、演技を探して欲しい。
事前に設けたチェックポイントを確認するような演技にはしたくないな、という思いがあります。
毎度書きますが、それが正しいから、ではなく、私がその方が愉快だからです。
戯曲も演出も俳優も、正しさより楽しさを最優先させています。
ま、その分ね。
俳優の中には、物足りないなーって思う方もいることでしょう。
こうなんだ!と正しさを発揮して、鼓舞するタイプの演出を求めている方には、申し訳なく思います。
叱咤されてこそ、気合が入る!という性質の俳優が多くいることも、理解していますし
そのような演出方針を否定するものでもありません。
芝居は、学校ではありません。
一方向に向かう、強力で高圧的な磁場から生まれる一体感や、抑圧的な権力からしか生まれ得ない芸術の価値も認めます。
でも、私には向いてません。
といって、私が人権的で素晴らしい人間だとも思いません。
私は、私の考えや方針によって、必ず稽古場の誰かを抑圧しているからです。
無意識に必ず、そうしているに違いないからこそ、少なくとも意識的な面では、極力それを排除したいのです。
権力によって一方的に叱咤されたいタイプの俳優の方は、他者ではなく、自分自身によって、自分自身を叱咤する術を模索して欲しいと考えます。
或いは、自分はなんて最高な演技をするんだ、と陶酔する、独りよがりな感性も同時に抱いて欲しいと思います。
そのほうが、愉快だからです。
私も、私の戯曲が世界で一番、素晴らしいと本気で思いますし、同時に、凡庸で退屈であることも知っています。
矛盾する強力な自意識だけが、作品を前進させるのだと、これはまがりなりにも14年間も芝居を作ってきた実感によって得た確信であります。
まあ、実感は往々にして、歪んでますけどね。
私が得た、私の歪みです。
その歪みを、私はないがしろにはしません。
そんなわけで、俳優にもめいっぱい、いびつに歪んで欲しいと願うばかりです。
●前回の稽古でウームと唸って、ラスト2シーンの改訂版を出したばかりですのでね。
まだまだ、自分の訳がフに落ちていない人も多い事でしょう。
私も、分かんない事いっぱいあります。
お話がラストまでいって、はじめて自分の役を考えることが出来る人もいますからね。
特に、今回、金澤さんと明里さんに振った役は、戯曲の伝統的なセオリーからいえば「おきて破り」です。
でもまあ、おきては破るためにありますからね。
破って、またくっつけたら、あまり類をみない役になるのではないかと思います。
この2つの役を書くにあたって、共通して考えたことは、暗くならない、ということです。
絶望的な素材を、安穏とぬけぬけと扱いたい。
役の「機能」に拘束されない、俳優の身体と精神を観たいと思います。
それは、モノローグという「機能」を課した、嶋谷さん、杉山さん、樋口さんも同じです。
ただの自由ではなく。
制度から逃れる自由を観たいな、と思うのでした。
私は、パンクスなので。
平和はまっぴらです。
高圧的な権力から逃れてこそ、自由を得るヨロコビがあるってもんです。
カッコイイ。
●そんなわけで、今日はこれから通し稽古です。
衣装も全部、届く予定で、やる事満載、アンコが出ますけど。
楽しく、遊んで参ります。
小道具なんかもしこしこと製作しております。
今だけ、段ボールが宝に見えます。
では、また。
(主筆)
MEMO♯092【インテグラルの踵は錆びない19】
2020年09月29日
●27日、初・全編の通し稽古をしました。
ヨタヨタ、フラフラと、兎に角、物語を最初から最後まで辿ることは出来ました。
こっからですね。
いつだって、こっからであります。
●小川さんが、残りの衣装を持ってきてくださいまして、衣装も全部揃いました。
あとは私が、チクチクと小道具を作って、ちょびっとだけ映像写真を作って、選曲した音をミックスして、台本の足し引きをすれば良いだけです。
俳優は、孤独で楽しい戦いが初日まで続きます。
戯曲はオカルトですが、演出はなるべくロジカルに解明していきたいモノです。
俳優と協力してね。
どうして、この人は、この場面でこんな事を言うのか?
なぜ、私は、この人に、こんな事をしてしまうのか?
全てを、私という他人の書いた物語の中から探そうと思います。
気分は名探偵。
世界は謎に満ち、答えではなく、問いを待っている。
大きくてユニークな問いを、ブツけていこうと思う次第です。
はい。
●芝居の内容としては、伊澤さんが良かった。
タガが外れる瞬間が現れてきました。
それも個性的なタガの外し方です。
知性と理性を残したまま、ある部分の感情を置き去りにしていく、その按配は、俳優個人の感性に依るものです。
いきなりすっ裸になる俳優は、面白くない。
裸になる、その時に、何を手放し、そして何を残すのか。
そのセンスに個性が出る。
捨てようとして捨てきれないものを表すための「裸」。
なるほどなーと思いながら、演技を見ていたのでした。
●問題点としては、稽古を経るにつれて役者の演技が大きくなってしまうという事です。
それは何度もトレースする物語への飽き、のせいだと思います。
その渇望を、身振りではなく、深層として処理したい。
その為の、抽象的・具体的、両方面からの対策を練ってます。
シンプルっていうのが、一番難しいなーと感じます。
ごつごつとした多角形の面、そのすべてを手で触り、触り尽くしてツルツルの円形にしたい。
そんなわけで、私は毎日、台本をベタベタ触って、指紋が消えそうです。
もう、ナンも掴むものはないっ!っていうくらい、スベスベ手のひらになるまで触ります。
俳優も皆、自分の手で指で、自分の世界を触った結果、いろんな形のスベスベが現れるでしょう。
愉しみです。
●今日は、2度目の劇場見学。
具体的になったプランを持って、感染症対策も含め、グツグツと企みを煮詰めております。
いま、ここにある世界と地続きの、もう一つの現実を、劇場という磁場を借りて現出させられるよう。
残酷な世界で、精いっぱい遊びます。
ご期待下さいね。
では、また。
(主筆)