天使も踏むを恐れるエチカ

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上演作品
▼佐藤辰海演劇祭
/ かながわ短編演劇アワード2020 参加作品
天使も踏むを恐れるエチカ

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MEMO♯070【天使も踏むを恐れるエチカ12】
2020年03月16日

●えー、稽古しております。おります、が。 神奈川短編演劇アワード2020、 新型コロナウィルスの影響というやつでして 無観客開催・ウェブでのライブ配信での上演となりました。 無観客、ムカンキャク…なんど繰り返してもしっくりこないコトバです。 でも決まってしまったものは仕方ナシ。 こうなれば、空前絶後の無観客演劇を作ります。 無観客演出を纏った無観客俳優たちが無観客演技を繰り出し 客席には無観客が現れることでしょう。 何言ってるかわかりませんが。

●演劇は不自由と一番、仲が良い表現形態です。 人間が演じて、人間がそれを見る、しかもその場で。 好きな娯楽が好きな時間、好きな場所で無料で手に入る現代にあって 化石のようなフォーマットです。 でも、だから、贅沢だと、心から思います。 誰もやったことがないこと、をやりたいと思うことは 誰もが思う、極めて凡庸な願いです。 でも期せずして「そこ」に居合わせてしまうことがあるのだと思います。 結然たる意志などからではなく。 たまたま「そこ」を通りかかった者が、「そこ」で遊ぶ。 それだけの事なのかもしれません。 今回は、たまたま私たちが通りかかったのです。 演劇の神様は 「演劇は無観客では成立しない」 と言いますが。 そうなのかもしれません。 でも、そうではない、のかも、しれません。 何せ、やったことがないのだから、どうなのかなんて分からない。 「成立しない」を識るために、やってみるのも酔狂というものです。 酔狂やらなきゃ、芝居やってる甲斐がないってもんです。 ハハハ。

●私はいい加減に芝居を始めました。 そしていい加減に今も続けています。 もともと、断固たる決意や覚悟などとは無縁です。 強い決意がなければ芝居を出来ないなどいう事態は困ります。 遊びは、いい加減でテキトーなものです。 いい加減でテキトーでどうでもいいコトが娯楽の本質だと思います。 なくても誰も困らない、がなくなると困ります。 不要不急の世界で、遊びます。 ガランとした客席に、幻の観客は現れるのか? どうなのか? ある意味、壮大な実験です。 是非、ネット配信にてご覧ください。

●そんなわけで、連日、通し稽古中です。 パソコンのモニター越しの観客を想定して、細かく演出をいじっています。 伝わること、伝わらないこと、それを知るための旅です。 今日は昼、劇場に行って大道具のチェックをさせてもらいました。 江花さんが頑張って作ってくれた新聞紙大幕を実際に吊ってみて、イロイロと調整。 そんで夜から稽古です。 ザワザワ、ガサガサ、してますが。 このちょっと不思議なムードそのものを、今の空気として憶えておこうと思います。 では、また。
(主筆)


MEMO♯071【天使も踏むを恐れるエチカ13】
2020年03月17日

●どもども。昨日は凄い風&寒の戻りでヒーコラでした。 寒いと、なんか身体が軋みますよね。ギシギシと。 昼すぎにKAATまで行って打ち合わせしてきたんですが、 横浜、さすがベイサイドで海風が強烈。 永井のスマホは、寒さのあまり稽古場までの道中で電源を70%も食ったそうです。 極寒地か。 生きることは発熱することですな。 スマホも、人間も。 何の教訓もないハナシでした。

●昨日の稽古場には、何名かお客さんが来て下さいました。 以前出演して下さった、本田さん、小池さん、そして「モノローグ演劇祭」優勝男でもある川上君。 通し稽古を2回ばかり、やったんですけど。 やっぱり観てくれる人がいると俳優は張り切ります。 いつもよりテンポが上がったり、芝居に強弱が付きやすくなる。 佐々木くんが舞い上がっていて面白かった。 善かったり悪かったりありますが、当然、人に見せるためにやってますんでね。 観に来て貰えてよかった。 架空畳の稽古場はいつでもオープンですんでね。 ちょっと冷かしてやるか!って方はどうぞ。

●たかが30分の芝居とはいえ、 僅かなインターバルで2回も通すと、俳優はヘロヘロです。 なんだかんだで、架空畳も14年目。 俳優も全員三十路越えました。 私だって、アラフォーですからね。 大人の稽古場、にしていかないといけないのやもしれません。 小学生の見た夢みたいなフワフワした生活を送っている私ですから、難しいんですけど。 今日もこれから稽古です。 最後に1回、丁寧に通して、エチカの稽古とサヨナラします。 しかし、長かった。 この芝居、なんだかんだで昨年の10月からみっちり半年、付き合いました。 間違いなく、私の芝居で最も長い期間、稽古したことになります。 常に長い時間をかければいい芝居になるとは思いません。 芝居ごとに、適正に付き合う時間というものがあると思う。 「天使も踏むを恐れるエチカ」は、 半年間付き合甲斐のある芝居でした。 長い時間をかけて少しずつ理解に近づいていく、そういう性質のものでした。 今、この時代に、この芝居を、劇団のメンバーだけで作れたということが 贅沢な財産になったと思います。 そんなわけで明日は小屋入りです。 楽しいアソビにしようと思います。 ライブ配信をお楽しみに。 では、また。
(主筆)


MEMO♯072【天使も踏むを恐れるエチカ14】
2020年03月19日

●昨日、劇場のKAATに入りまして。 キッカケ合わせて場当たり、ゲネと滞りなく進んで、今日もゲネ一回通してサクサク解散。 一昨年と昨年も感じましたが。 素晴らしくプロフェッショナルかつ暖かい現場で大感謝。 私ら、いわゆる演劇界の作法みたいなもの、あまり心得ておりませんで。 結構な無茶、無体、失礼を重ねているような気もするのですが。 直前や通し後の急なきっかけ変更などにも柔軟に対応して頂き、さらにより作品をよくする為の提案も頂いたり ありがた死をしそうな感じ。 そんで終わったらサッサと解散というのも大変ヨロシイ。 昨日、皆は中華街で一杯やっていったみたいなんですけどね。 私は遠慮して、最寄りの日本大通り駅から横浜駅まで、スタスタ40分かけて歩きました。 夕方から一件、打ち合わせが入っていたのもあったのですが 通し稽古がとってもいい出来だったので、一人で反芻したい気持ちも強くあった。

●芝居を始めた14年前は年間120本くらいは観劇してました。 どの芝居を観に行っても、面白くて最高、だったけど同時に、自分には関係ないな、とも思ってた。 この芝居は自分のものだ!と思える作品を作る劇団があれば、それを見続ければいいわけだから そんなに通わなくても良かったのだと思います。 でも、そう思えるものがなかった。 だから、自分で始めたのでした。 でも、全然、自分が欲しいものにならなくて、それが不思議で、ずっと続けてしまった。 その自分が欲しい芝居の、ぼんやりとした形が初めて見えた気がしたのが 2014年にやった「血と暴力の星」という芝居。 田村さんを芝居の中心に置いたときに、なんか、ピンときた感じがあった。 そのあと、澤岡さんを中心に置いた「かけみちるカデンツァ」の初演を作ったときに 方法論が見えた気がして、そこからは、なんか、自分が欲しい芝居の姿が具体的に現れた感じがありました。 で、ここ数年は、なかなか、いい感じなんでないかな? と思ってます。 あくまで、自分が欲しい芝居の姿、という意味で、ですが。 「前のほうが良かった」という人もいっぱいます。 未だに、旗揚げ公演の演目が一番いいっていう身内の者も多いですし。 まあ、そんなもんですけどね。

●今回の「天使も踏むを恐れるエチカ」を芝居を14年前の自分に見せたら、どう思うだろうか。 もう、自分で芝居を作らなくてもいい!と思うか。 それとも、やっぱ「これも違うな」と思って、今とまた、違う作品を作る俺がいるのか。 今回の演劇祭、「演劇の表現を拡張する作品を」と銘打たれてますが 正直、「演劇という表現」の実態を掴めていない私には それを「拡張する」手段もまるでわかりません。 映像を映したり、ダンスをしたりすることが「拡張」なのかどうか? 演劇はそもそも拡張されるべきなのかも、よく分からない。 もしそれが既存の枠内に収まらない、という意味なのであれば 既存の枠は各個人の中にあり 表現は、常にそれを拡張するものだと思う。 ものを作り、人に見せる。 恐れ多いことです。 でも、すごく簡単なことです。 だから、怖くて、おもしろい。 芝居は、表現は、本質的に拡張的なものだというのが今、私の思う、浅はかな結論です。 私は間違ったことをよく思います。 人にも影響されやすい。 だから、「答え」はわかりません。 でも考えることがとっても好きだから いつだって「問い」を生むような作品が好きだし 「問い」を孕んだ俳優にワクワクします。 そういう煮え切らない態度なんで、俳優をイライラさせてしまう事も多いようですが。 すいません。 岩松、江花、田村、澤岡、永井、佐々木あと今回は出演してませんけど、柴山も。 全員で架空畳です。 私の作劇も、演出も、俳優たちの演技も、 達者ではありません。 でも問いと間違いに満ちた、ほかにないヘンで面白い芝居を作ります。 でかい口を叩くのが得意技です。 ハハハ。

●無観客、結構ではないですか。 演劇はどこでもできる。 誰にでもできる。 路上でも、部屋でも、地下100メートルでも、宇宙空間でも、そしてネット上であっても。 かつてテントで芝居をしたように パソコンの中にだって劇場はある。 芝居を作っている私たちは、皆知っています。 誰もいない客席にも、見えない観客の呼吸を感じることが出来ること。 面白い芝居をやります。 どうぞ、ライブ配信をご覧下さいね。 では、また。
(主筆)


MEMO♯073【天使も踏むを恐れるエチカ15】
2020年03月21日



●昨日、劇場で3回目の通し稽古でした。 朝イチで10時から1時間だけ。 本来であれば、我々の参加するAブロックの本番日だったんですが 日程が飛んでしまった為に、主催側のご厚意で各団体に練習日を設けて頂いたんですね。 ほんと、頭が下がる思いです。 で、折角ならってことで、最近2回架空畳に出演して下さっている平川さんに来て頂いて 写真とって貰いました。 平川さんは俳優ですけど、写真もやってるとのことでしたので。

●前日の帰り際、頂いたパンフレットを読んでたら、 「29分59秒を過ぎた作品は審査対象外」とありまして。 えーっ せいぜい減点くらいかな?と思ってましたので 焦りまして。 舞台監督さんに聞いたところ、ゲネで時間オーバーしてる団体はない、とのことで安心したんですけども。 念のため、通し稽古を計って貰いました。 40秒オーバーでした。 うむむ。

●最初、暗転に板付きで始めて下さいっていうのがレギュレーションとして示されておりまして。 無音で真っ暗な中、ガサゴソと立つのがアレだなと思って音楽流していたんですね。 そしたら、その暗転中の音楽から時間を計るとのこと。 え?じゃあ、無音なら、そこ計測外になるんですか?と聞いたら、そうなんですって。 うーむ、そんじゃしょうがない。 無音でいかせていただくことにしました。 あと、ラスト暗転後も無音だと寂しいので、 暗転中も音楽を入れて貰ってたんですけど、それも音が鳴ってる限りは計測中とのこと。 なので、ラストもあっさりカット。 芝居は、「人」「音」「明り」で作ります。 そのあたりの意思確認というか、演劇祭のレギュレーション確認を怠ってしまったこちらの落ち度です。 自主公演とは、やっぱ違いますね。 そんなわけで今回は 無音で始まり、無音で終わります。 自分の生理の外にある作法に、外的な要因から成るというのも稀有な経験です。 どんな芝居になるのやら。 楽しみかつ、ちょいドキドキします。

●で、通したんですけど。 稽古で一度もしなかったような謎ミスも何個か出まして。 これ、必ずあるんです。 膿を出し切った想いですっきりしましたね。 その後、平川さんと岩松、田村、永井で中華街で昼酒入れて、帰りました。 さんざん喰っちゃべって、飲み食いして、まだ14時ですから、エラいもんです。 毎度、私だけ横浜駅まで歩いて帰りました。 海べりを徒歩40分、今日の芝居について考えるのにちょうどいいくらいの時間なんですよね。 最終日もそうしよっかな、と思ってます。 そんで本日は完全オフ。 小屋入りしてから本番までにオフ日があるって不思議です。 皆、テキトーにゴロゴロしたことでしょう。 明日はいよいよ本番です。 とはいえ、あんま「いよいよ!」って感じでもなく。 程よく、楽しく、お芝居いっぱい観れるなあって感じでおります。 演劇祭って言ってますからね。 祭りはボンヤリ楽しむ主義です。 そんなわけでネットでライブ配信となりますのでね。 お楽しみに。 では、また。
(主筆)