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生活と創作のノート

update 2018.03.21

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諧謔戯

SCHERZO.s NOTE


#130 ちらかる話 2018.01.03 WED


■年末は、短編戯曲を書きつつ、演劇のもつ、セクハラ的な体質についてボンヤリと考えていた。ナニが切っ掛けになったというわけでもないのだけど、いくつかの芝居を観て、作品中に無自覚に流れている、性への暴力的なふるまいや同調圧力を感じたのだった。 などど思っていたら、なんだか予想外の方向から、本格的な問題が世間に現れてしまって唖然とした。シンクロニシティというか……自身の思考と、世間との、不思議な一致を感じたのだった。私だって、この時代に生きているのだから、当然のことなのかもしれないけれど。しかしまあ、私が考えていたのは、「身体を差し出せば出演させてやる」というような類でのハナシとは違う……いや、同じなのかな?どうなんだろう。書いて考えよう。

■数年前。ある立派な劇場で観た芝居のカーテンコールで、劇中で水着姿になった若い女優に、演出家が
『水着で頑張ってくれました』
と言った。水着の衣装の上からパーカーを着込んだ彼女は、黙って頷いた。その両手が、パーカーの襟を、シッカリと握りしめていることが印象的だった。『頑張ってくれた』とは何なのだろう?それはあなたが『させた』のではないか。まるで『自分は強要したわけではない、最終的に受け入れたのは彼女の判断』とでも言いたげなコトバ。『自己責任』だとでも言うのか?それは私が一番、嫌いなコトバだ。彼女は、端役だった。水着姿に必然性があったとは、私には思えなかった。

■それなりに大きな製作会社の企画・制作した舞台。それなりに名前の売れている、作家で演出家。そんな彼の『演出上の提案』を、無名の新人女優が、『自身の判断』で断れるとでも?それを『頑張ってくれた』とは……。卑怯なコトバだと思った。おぞましい言い訳だと感じた。演出家の男が『水着で頑張ってくれた』と言ったときの、周囲の俳優たちの拍手!どんな気分で、彼女はその拍手を浴びただろう?作品のためにという美名のもとに、一人がガマンするという考えが一見、正論のようにまかり通る。それが『良きこと』にされてしまう。たった一人に重荷を背負わせて、ソレ以外の人々がその恩恵に預かるだなんてあっていいのだろうか。一人の新人女優を、さしたる必然性もないまま水着に剥いて、『オレがオレの責任で水着にした。ありがとう』とでも言うならまだしも、『頑張ってくれた』とは。それは生贄だ。

■私はモラリストではない。女性が水着になる舞台があってもいい。それが「いけない」のではない。ただ、「イヤ」なのだ。耐えられえないのだ。『自己責任』という体裁の、実際には同調圧力を背景にした『強制』が。でも、そんなことを言っている私だって……。以前、キスシーンを書いて、男女の俳優に舞台で演じさせた。それ自体は決して【間違っていた】とは思わない。少なくとも、戯曲上では必然だった。だが、演出家として、それを舞台で実演させるかを熟慮したとはいえなかった。そのシーンを演じる俳優とのディスカッションはまるで充分ではなかった。私はその行為を当然とすら考えていただろう。それは水着を着せた女優に「頑張ってくれました」と言ってのけることと、どれほど違うというのか。公演後に、当の出演者にそのことを言われ、二度とこういうシーンには出演しないと告げられた。

■今なら、実際にキスはさせないだろう。しなくても、それを表現することは出来る。というか、舞台とは、その「実際にはしないことで、それ自体を表現する」ことの集積なのだ。それが出来ない人間は、演出などと口にしてはいけない。演出とは、「役者の頑張り」ではないのだから。昔むかしのアングラ芝居では、クライマックスで、音楽が流れてスモークが炊かれて主演女優がオッパイを出せば芝居は終わる、という演出が横行していたとか。『裸になればいい』という考え方は、演劇の可能性を殺してしまう。今の私ならば、戯曲上で服を脱ぐと書かれていれば、舞台上ではどんどん服を着せるだろう。脱げば脱ぐほど、着せてゆく。「着せることで、脱ぐことを表現する」。それこそが、舞台の特権なのだから。

■私がそれを「イヤ」なのは、私自身もまた、それと同等の行為を行ってしまうからなのだということは、知っていなくてはならない。

■相変わらず、とっちらかった文章だ。近頃、つくづく思うのだけど、私は文章を書くのに向いていない。芝居を書くことも苦手だ。苦手なのに、やっているということにだけ、少し可能性を感じる。得意じゃないのに、やりたいという程度には、やりたいのだ、演劇を。戯曲を書き始めるとき、まるで先の見通しのないまま、なんとなく、ボンヤリとした『方向』だけを間違えないように、書いてゆく。プロットもシノプシスも立てる技術もないまま、震えながら書いている。それでも、いつも「これしかない」という終幕にちゃんと着地することだけは分かってもいるのだ。いつか間違いなく複雑骨折 するだろう。実はもう、全身骨折しているのかもしれない。その可能性は大だ。気付いていなのは私だけなのかもしれない。気付いたら、負けだ。まったく、そうなのだ。

■このページには、普通の、当たり前の、作為のない、推敲すらない文章を書きたい。普段は、異常で、常識はずれで下手くそな戯曲ばかりを書いているのだから。

■そんなワケで架空畳、2018年は「神奈川かもめ短編演劇祭」からです。全国・海外から集まった20分の戯曲を、一堂にお見せする公演に、東京代表として出演します。いいのか、と自分でも思いますが、そう決まったからいいのだろう。いいに違いない。いいに決まった。会場はKAAT神奈川芸術劇場の大スタジオ、われわれの演目は『彗星たちのスケルツォ』。いい塩梅にデタラメな戯曲が書けました。ただの短編演劇ではない、【架空畳の短編演劇】をお見せします。私も15年ぶり、生涯最後(予定)の出演を致します。末代までの話の種に、どうぞ。江花さんとの、二人芝居です。チケットは発売中ですので、是非。

■大晦日。戯曲の最後のページを書きながら、知り合いの突然の悲しいニュースを聞いて、寝て、起きた瞬間、それが夢なら良かったと心から思いながら……戯曲を仕上げて、メールをして、そしてまた眠った。そんな感じで始まってしまう一年。けれど私は、4月はじまりで生きている。春がくる頃、そのヒトと、当たり前のように笑顔で話していることを願いながら。

小野寺邦彦



#131 引き算重力 2018.01.06 SAT


■仮想通貨というものが世の中に出回っているらしい。

■ビットコインだの、リップルだの?ブロックチェーンとかトークンとか何とか?何度ハナシを聞いても、よく理解できない。飲み込めない。仮想ではない通貨のことだって、よく考えたら実はチャンと分かっていないのだから当然かもしれないけど。ま、そうは言っても、そういうのはコアな人々の間で流通してるハナシで、一般人には関係ないだろう、「価値」の概念だけをやり取りするような、その世界でのみ回るニッチで実用的とは言えないアイテムなのだろう、とタカを括っていたら……。フと寄った新宿マルイの入り口にこんなポスターが。
『ビットコインでお支払いができます』
ガックリと膝をついた(気分)。支払いが出来てしまうのか。マルイで。一般じゃないか。すごく、一般で実用的だ。ビットコインでちょいとお買い物だ。また一つ、世界から取り残される音がする。クレジットカートどころか、SuicaもPASMOも持ったことがない人間だ、私は。仮想め。仮想の野郎。仮想の分際で。原始人がゴロンゴロンと転がしてもってくる石のお金、あれだってなあ、仮想通貨だ。ザマを見ろだ。なんのことかさっぱり分からない。

■次回公演の『彗星たちのスケルツォ』は「短編戯曲」である。短編の定義はよく分からないが、とりあえず規定として20分の上演時間に収めること、これがルールだ。20分という「時間」が短編である理由になるのかどうか。書き出す前に、まず、そこから考えなくてはならなかった。20分の長編があれば、200分の短編だってありえるのではないか。とはいえ、演劇は時間の芸術であることは間違いない。物語が終わるから芝居は終わるのではなく、時間が来るから終わるのだ。それは私が、演劇という制度の中で最も好きな点である。はみ出し、過剰で、語り足りないまま終わる表現が、私は好きだ。そう、演劇とは、その構造上「常に語り足りない」。であれば、短編であっても『演劇』である以上、溢れる情報がなければならない。その語り足りず、溢れた情報量の質の違いこそが、短編と長編を分けるのではないだろうか。

■戯曲を構想するとき、私はプロットを立てることが出来ないが、進むべき方向は考える。目指すべき、2つの「極」‐大きな「極」と小さな「極」‐を、まず立てる。芝居は、おおむね、その2つの「極」の往復運動であり、その推進力として「物語」が必要になる。そして2極をつなぐエピソード。燃料と道のり。長い道のりには大きな燃料が必要になる。『彗星たちのスケルツォ』では、普段書いている『長編』よりも、極と極の距離を拡げた。極大なものと、極小なもの。その距離が開けば開くほど、物語は感傷的になってゆく。いつもは、その距離を適切に取ることに心を砕くのだけど、それを思い切って拡大した。2極の距離が離れたということは、当然、その往復に必要な運動量も増える。中間部のエピソードが膨れる。膨らませて、膨らませて……そしてその中間を、すべて取り払ってしまってはどうかと考えた。

■具体的には、まず思いついたアイディアをそのままいつもの通り、最後まで書いた。台本は25ページ、セリフ量は約2万文字。これは普段の私の芝居の三分の一の量であり、上演時間に均せば、40分といったところだろう。この台本の「中間」をほぼすべて捨てて、15ページ、1万1千文字を残した。本来そこにあるハズの「中間」の物語が、すっぽりと抜け落ちて、2つの極が残された。その削られた空白こそが『語り足りない』情報量として、機能するのではないか?つまり短編とは、『語り足りない物語』を、内部の空白として予め内包しているものをいうのだ。すなわち、極めて構造的なのである。これが初めて、私が「引き算」によって作った戯曲となった。ワープ航法だ。到着は早いが、その分、負荷は増大する。健康に悪いダイエットみたいな。違うか。

■この方法論を使えば、それこそ『長大な短編』だって作れるだろう。すなわち、より長大な物語を書き、その中間をごっそり捨てて、そこに残る2時間の芝居。だが、その作業に、私の魂がもつかどうか。多分、今は、もたないだろう。ワープ失敗は火を見るより明らかである。いや、でも……。や、まあ、それはまた、次に考えよう。

■ここに書いてあることは、恐らくすべて間違っている。間違っているが、それでいいのだ。結果として、『架空畳の短編戯曲』は完成した。間違った方法で作った、間違った戯曲だ。出来てしまえば、それでいい。作品とは、決定的に「出来てしまう」ものなのだから。……などとまた、偉そうな口を叩いたが、昨日稽古してみたら、まだ上演時間を越えていた。もはや削れる肉は削り切った。あとは骨を削るのみ。その骨粉を煎じて飲んで、まだまだ精進する。ぐすん。

小野寺邦彦



#132 犬にインタビュー 2018.01.20 SAT


■近頃、このNOTEより、さらにどうでも良い日々の忘備録として、FACEBOOKの架空畳アカウントででMEMOを取り始めた。NOTEは私がモノを考えるための場所。私は、喋りながらか、キーを叩きながらでしか、一切思考ができない愚か者なので、人に会っていないときにモノを考えたいときに書いている。ために、長い。絶対に、最後まで読んでる人いない。いいんだけどね。芝居を見てくれればいいのだ。芝居を書くための、助走とクールダウンのためにあるノートだ。とはいえ短い文を書きたいときもある。それでFACEBOOK、まったく活用されていないし、どうかと思って。使い方間違ってると思うけど、ま、いい。

■それよりFACEBOOKのインターフェイスだ。これがまあ、使いづらい。アカウントのメインページに相当する画面が3種類もあって(もっとあるのかも)、どこを押せば何が見られるのか、まるで直感的に分からない。迷路みたい。昔いじったときは、もっと直感的に出来ていたと思うけど。みんな、コレを使いこなせてるの?すごすぎる。オレのパワーでは無理である。11歳でMACをいじり(LC575)、貧弱すぎるセキュリティをソーシャルハッキング(先生の机の上のメモを盗み見)で突破し、学校のPC98でゲームしたり(『ヘルツォーク』)したこの俺が、すっかりロートルの情弱野郎。まるで世界と繋がれない。世界も俺を待っていない。お互い必要ないのに、そこにいるって、まるで義務教育の学校だ。俺は優等生でも不良でもない、タダの成績不良児。出席はする。あとは好きにさせて貰う。そんなわけでアカウントがある方は、MEMOも見てネ。何の役にもたたないけど、読むと時間が過ぎるという効能があります。

■と、書いてるMEMOだけど、昨日分(#006)が消えた。投稿したはずなのだけど、影もカタチもなくなった。分かっている。こちらの不備なのだということは。でもね。これだから、他人の作ったシステムに身を預けることがイヤなのだ。ソースが自分の手元に残らない、軒先借りは嫌いだ。しょうがないから書き直した。これも記録。パソコンが普及して以来、謎の亜空間に飲み込まれていったアマタの文章に想いを馳せる。

■そんな考えから、むかし『ダイナモロンド?ストランド』という芝居を書いたこともある。

■その夜、偶然、世界中の人がある時刻に、一斉にメールを送信した。サーバーが落ち、送信されたメールは、ネット空間をさまよう。そして13年の時が過ぎたある晩、一斉に着信する。それは13年に一度やってくるジャコビニ流星となって、公共事業の海底トンネルが建設途中であったが資金難からうち捨てられたままの入江に、人知れず降り注ぐ。13年のうちに、着信先のアカウントユーザーは既に尽く存在していなかった。届く先を失った流星を、仲間からはぐれて浜に打ち上げられた(ストランディング)瀕死のクジラだけが見ていた。クジラの鳴き声が音波となって、今はもういない、メールの着信者に届く。だがその音は、例えば、目の前でブレーキを踏んだ特急電車の摩擦音に掻き消され、あるいは不意に襲った耳鳴りによって、誰一人聞き取ることはなかった。クジラの行方を知る者は、いない。だが、遠い未来、誰かがその入江を掘り返し、クジラの骨を見つけるだろう。クジラの血と肉は、地面に溶け、化石となり、地殻の奥のマントルに混ざって石油が生まれる。その石油が地球を回すダイナモとなるのだ。ダイナモの奏でるメロディー、心音と一体となった終わりなきロンドがいつかの鳴き声に変わって、舞台は幕。2007年、25歳の私が書いた戯曲。架空畳として、初めて意識的に書いた作品だった(その前の2作は習作)。アンケートは『わからない!』の嵐。どうしたものか、と目白の路傍でうずくまったことを覚えている。拙い戯曲だった。欲望だけがあり、技術がまるでない作品だった。俳優の熱演だけが、僅かに作品を救ってくれた。

■当時ミクシィが流行っていた。ブログも多くの人がやっていた。皆が文章を書くようになって、ネットにアップしていた。書く内容も、技術もないけど、でも書きたいという欲望だけがあって、親しかったある人は、それを『排泄行為』と言ったけど、私はその排泄物を愛した。ネタがなくなって、今日何を食べたとか、夕日の写真だけをアップしたりする人が増えて、アタマの良い人達はそれを嘲笑した。それは私がこのNOTEの#001で書いた、『書かない者が書いた者を嗤う』構造とまるで同じだった。どうしてそうまでして自己顕示をしたいかね?と指差して嗤うアナタは、創作者にはなれない。方法がなく、欲望だけがある。私も、そうやって芝居を始めた。

■前々回のNOTEで言及した、新人女優を水着にして『頑張ってくれました』とのたまった演出家が、Twitter上の#metooで実名で告発された。おぞましい犯罪行為の内容が、被害女性から訴えられている。

■セクハラ、パワハラ、モラハラと、何だか進化するポケモンみたいにハンディーにコトバを使ってしまうが、ハラスメントの定義とは、【他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること】である。本人の意図とは関係なく、これが重要だ。受け手が、「ハラスメントだ」と受け取れば、ハラスメントなのだ。そんな、それじゃ、もうナニをしても、相手が「いじめだ」と言ったらいじめなの?良かれと思ってしたことも、相手が「イヤだ」と思ったらダメなの?と問われれば、「そう」なのだ。これを理不尽だというのなら、理不尽なのかもしれない。間違っているというのなら、間違っているのかもしれない。だがなぜこうなったのか。それは、今まで、同じだけの理不尽さで、同じだけの間違った力で、アナタたちがそれをしてきたからだ。作用・反作用の法則に則って、いま、自分が相手にかけてきた力が、自分に跳ね返ってきているのだ。間違った力には、同じだけの間違った力が返ってくる。私は、そう考える。そして、それは、世界の正しい秩序のあり方であると思う。 ハラスメント、差別、いじめ……コトバを変えても、それはすべて同じことだ。

■2015年に書いた『かけみちるカデンツァ』では、満員電車で痴漢をされた女性のエピソードを入れた。当時のNOTEにも何度か出て来るが、私は10年近く満員電車に乗っていて、一度も痴漢被害の現場に遭遇したことがなかった。だがそれは統計的にありえない。存在するのに「見えていない」だけなのだと思い、その無理解を暴力として書いた。彼女は「電車に乗っていた全員が犯人だ」と言う。だがその反作用の力の向かう先を、作品に書き込めなかった。感傷的な告発のメッセージに終始してしまったのが、いま、心残りだ。

■勿論、私も数多くのハラスメントを行ってきた。今も、そうだろう。自覚しているものも、無自覚なものも数え切れないほどあるはずだ。その力は、必ず自分に返ってくると識っている。誰かを滅ぼしてしまうほどの力をかけていたのなら、その力で、私自身が滅ぶだろう。これは気取って書くのではない。本当に、そう思っている。

■もう、『怒鳴らないとよくならない』『叱られて一人前』『灰皿飛ばされれば一流』『演出家と寝るくらいの覚悟』『お前のために怒った』などの戯言とは金輪際、付き合いたくはない。私が演出をする際、今後絶対に、俳優の人格には触れない。抽象的なイメージ論や精神的な根性論では演出をしない。問題は、必ず具体的に、技術的に、処理をする。出来ないことには時間をかける。それだけだ。当たり前のことだ。 「それじゃいい作品はできないよ」「会社や学校はそうかもしれない。でも芸術は、そういうもんじゃない」それなら、そんな芸術はいらないし、灰皿の投げ合いでもすればいい。やるのは自由だ。私は、つきあわない。

■嫌われる覚悟があれば、嫌われることをしてもいいと思う。そういうときもあるだろう。だが、その結果は『確実に嫌われる』。もしかしたらはない。誰も意図など汲まない。私はいつも、嫌われてもいいと思って作品を書いている。技術はなく、欲望だけがある私の芝居だけれど、それだけはホントウだ。実際に、すごーく嫌われることもある。仕方ないと思う。心はちゃんと砕けるけどね。ボロボロだ。いちいち、ボロボロ。でも2時間客席に座らせて、セリフを浴びせられ続ける観客のことを考えれば、それは仕方のないことなのだった。

■これまでの文章、かなり格好良く書いてると感じる人もいるだろう。すいません。だが私はこの一連の戦いを支持する。絶対的に支持する。それは『正しさ』からではナイ。『下から上への戦い』だからだ。いままで虐げられていたモノが、その流れを逆流した上での捨て身の戦いだからだ。燃えるのだ。俺は反権力。あぐらをかいていた者ども、震え上がれ。私は『逆襲』が好きだ。STRIKES BACK!やっちまえ。そういう、極めて卑俗な根性なのです。人格高潔では、断じてありません。がっかりしたら、ごめんね。

耳をたてて 仲間捜す どこにいるんだ
のどがかわき 熱が出てる 水をおくれよ
犬にインタビュー いいたいことは それだけですか
犬にインタビュー いいたいことは それだけなのか
(犬にインタビュー/白井良明)

■やっぱり、NOTEは書くと長いな。台本に戻ろう。あと30秒、削らないといけないのだ。ココロもカリカリと削れる。神奈川かもめ短編演劇祭はいよいよ来週から始まります。架空畳『彗星たちのスケルツォ』どうぞ宜しく。こんな文章書くやつの芝居、見たくないかなあ?20分だから、お試しに、是非。

小野寺邦彦



#133 消失 2018.02.11 SUN


■金曜日、牛丼屋の前に長蛇の列ができていた。

■ソフトバンクのスマートフォンユーザーには、牛丼が無料で配られたらしい。ソフトバンクと契約していなくて良かった、心からそう思った。自分の性格からして、絶対にこの列には並びたくはナイ。でももしソフトバンクと契約していたら、牛丼貰わなかったことで、何か損した気がしてしまうではないか。いつもこうだ。ひねくれ者の癖にみみっちいのである。でも列に並んでいる人たちは何か楽しそうだった。高校生とか、友達と並んではしゃいだりしていた。悲壮感がなくて良かった。悲壮感のある行列には、哀しみしかない。それはまるで旧共産圏である。

■大学に入った年の冬だったから、あれは多分2003年の年末だと思うのだけど、世の中から牛丼が消えた日があった。狂牛病、BSE、とかそんな騒ぎがあり、牛に牛の骨粉食わせてた祟りにより、脳みそがプリンプリンのプリオン化するとか何とかで、兎に角アメリカの牛が輸入禁止となり、牛丼が消滅したのである。その日、私は友人と渋谷で映画を観た。今はなき、シネセゾン渋谷。その向かいには、当時も今も吉野家があった。そこに、長大な列ができていたのだ。店をぐるりと回り込み、京王線のエスカレーターまでその列は続いていた。入り口では店員が入場規制の非常線を張り、あと1時間、あと1時間で牛丼終了です!と叫んでいた。その瞬間、列から飛びかう怒号。ふざけるな!牛丼を食わせろ!崩れ落ちる青年。泣き出す親子連れ。

「牛丼で、渋谷が大変だ」

友人の佐川が呟いた。その列を抜けて、我々は映画館へ辿り着き、映画を観た。90分後。映画館を出た我々の目の前に拡がっていた光景は。 人っ子一人いない、廃墟のように閑散とした吉野家の姿。そして、店先の登りには 『カレー丼の吉野家』の文字。チラと覗いた店内のメニューは「カレー丼」のみ。 はあ?牛丼?なんですか、それ。うちはもう、カレー一筋でずっとやらせて貰ってますから。牛丼は……あの光景は、僕たちが見た、一瞬の夢だったんじゃなかろうか。それとも90分の間に僕らの知っている世界は終り、パラレルワールドにきてしまったのだろうか。この世界は元の世界と何一つ変わりはしないけれど、ただ、牛丼だけがないんだ……。それは怒号も、争いもない、美しい世界かもしれない。既に我々の脳がプリンになってしまっただけなのかもしれない。

■そんなわけで、神奈川かもめ短編演劇祭、終わりました。架空畳、評価はまあ、つんつるてん。点数って残酷ね。ハハハ。でもまあ、悔しいとかはまるでない。 強がりではなく、納得。戯曲の独自性、面白さは充分に評価して頂けたと思う。そうなると、失点はもう、私が俳優として出演したこと、それに尽きる。審査員の講評も、戯曲は評価するが、それを舞台上で伝える術の拙さ、訓練の足りなさ、演出の甘さを指摘するものだった。そう考えれば、むしろ私が出演していたのにも関わらず、あれだけの評価を頂けたのだから、江花さんの尽力たるや凄まじい。ラサール石井さんも、江花さんの魅力について「何かありそうだ」と言及して下さった。あとはもう、私は演出、俳優は演技にまい進するしかない。戯曲は、このまま突き進みます。言葉数は、減らしません。出演は、二度とない。ないけど、最後の舞台が「かもさい」で良かった。KAATは素晴らしい劇場だった。感謝します。

■審査員のラサール石井さん、中屋敷法仁さん、伴一彦さん、戯曲の独創性・作家性を評価して頂きありがとうございました。松本祐子さん、0点の評価、ありがとうございました。評価はホントは100点か0点しかないと思っていますので、嬉しかった。これは逆説ではなく、ホントウです。「まったく分からなかった」と仰った成井豊さん、私もあなたの作品、面白いと思ったことがありません。おためごかしをせず、自らの演劇感に背くことなく仰って下さってありがとうございました。5点は俳優の江花に下さった点数だと思い、ありがたく頂戴致します。

■そんなこんなで芝居も終り、あとはつつがなく……とは、けれど、なかなかいかないのである。退館時に、返却しなければならない備品を忘れてきてしまい。慌てて電車に飛び乗り、取りに戻った。日本大通り駅から武蔵小杉へ行き、そこから南武線に乗り換えて登戸まで、さらに小田急線で成城学園前へ。そこで備品を受け取り、とんぼ帰り。だが途中でコインロッカーにぶち込んだ荷物に財布を入れてしまうという失態を犯し、途中駅で田村さんと落ち合い、お金を貸してもらって、日本大通りへ戻ったときには21時半を過ぎていた。当日中の返却を厳命されていたため、劇場まで走りに走った。警備員さんに備品を受け渡し、劇場を出ると、その場に座り込んだ。舞台の疲れが出たのか、30分以上、その場から動けなかった。その間、楽しい打ち上げの様子や、お前も早く来いというお誘いのメッセージで、SNSの通知欄はいっぱいだった。だが私は、いけそうもない、という返事をして、なぜかスッキリした気持ちだった。華々しい場所はどうしても苦手だ。裏道、泥道が私には合っている。芝居の旗揚げをした11年前も、荷返しに時間がかかってしまい、打ち上げ会場についた頃には、酔いつぶれた友人知人たちで宴会場は地獄絵図、居酒屋の店員に叱られ、金を払い、友人たちを引きずって、トボトボと帰ったものだった。ま、そんなもんだ。それでいいのだ。

■稽古場に顔を出して演出の助言をくれた田村さん、澤岡さん。お菓子を食べながら時計係と音出しをしてくれた永井。通し稽古を観てアドバイスをくれた大浦さん。最重要の小道具トカゲのしっぽを作成してくれた千里さん。そして獅子奮迅の活躍をしてくれた江花さん。皆さん、ありがとうございました。本当に、ありがとう。

■最終回みたいですが、このノートはまだ少しだけ、続きます。

小野寺邦彦



#134 2月折々 2018.02.28 WED


■私は喋りすぎだ、と常に言われてきた。近ごろでは、それが「苦痛」だという意見まで出て、大いに反省した。もう、黙ろう。2018年、テーマは沈黙。何せハラスメントの時代。会話の受け手が「うるさい」といえば、私は「うるさい」男なのだ。スピーク・ハラスメント。喋ハラである。けっこう真面目にそう考えて、先日、劇団の会合では努めて沈黙を貫いた。20回に1回くらいしか発言しなかった(個人比)。で、帰りに「どうだった?」って永井に聞いたら、「ふつう」と言われた。

■その後、数人で軽く飲みに行った。店が満員で、5分くらい待つ間、私は連絡を一本入れようと思い、外に出た。その瞬間。道を歩いていた女性二人組の一人が、道に盛大に『じゃがりこ』をブチ撒けた。「あーん、最悪!」「もういいよ、行こ」とキレ気味に悪態をつきながら去ろうとする二人。いやいやいや。ナニ被害者みたいな態度とってんの?ちゃんと拾っていきなさいよ。そう、心の中で思った。瞬間、

「いやいやいや。ナニ被害者みたいな態度とってんの?ちゃんと拾っていきなさいよ」

と「声に出ていた」。その事実に、ギョッとする私、と、女性二人組。数瞬のフリーズの後、「はあ?キモっ」と捨てセリフを残して二人は去った。私の額からドッと汗が出た。これは、アレだ。喋るまい、喋るまい、と極めて意思的に沈黙を守っていたその反動から、意識のガードが外れた瞬間、思ったことがそのままポロリと口をついて出てしまったのであろう。どんだけ喋りたいんだよ。過度な節制は、タガが外れた瞬間にリバウンドを招く。うまく沈黙とつきあっていきたい、そんな年の初めである。

■『彗星たちのスケルツォ』の戯曲をサイトにアップロードして、チェックしている際に、ああこれは、初めから最後まで、新宿紀伊国屋書店の中「だけ」で展開する冒険であれば、短編っぽかったな、と思ったりした。ぽい、ぽくない、の定義はナイのだけど。趣向というのかな。構造的な企みがなかった。あまりにもいつも通りだった。そのつもりで作ったのだけど、それは趣向が思いつかなかったからだ。実際に他の団体の芝居を見たら、実に短編「らしい」アイディアに依っていて、ああ、短編だなあ、と思った。比べると自作は、やっぱり「異常に短い長編」だったのだと思う。このノートにも書いたけど、極と極とを繋ぐエピソードを限界まで削いだのだが、今読み返すと、その削いだエピソードだけで20分の戯曲のアイディアとしては充分だ。むしろ、そっちの方が、短編らしかった。でもまあ、こういうのは答えのない問いだ。キッチリと短編らしい短編が書けていたとしたら、それにつまらなさを感じて、やっぱり「短い長編」を書くべきだったのだ、とでも思うに違いない。きっと、間違いなく、そうなのだ。兎に角、20分ピッタリの戯曲を書いて上演できた。それはよきことであった。

■高円寺の中華料理屋で、吉田康一さん(以下ヨシダさんと記す)と話したのは、2月のアタマだった。

■ヨシダさんは、昨年の劇作家協会でのリーディングで『かけみちるカデンツァ』を採用してくれた方で、恩人であり、あの戯曲を選ぶわけだから、それはもう、ちょっとヘンな人である。優しい眼をしているが、その眼球は独特な光を帯びてもいる。昨年の暮れに、彼の劇団「Antikame?」の公演を渋谷のルデコに観に行き、これはとんでもねえ頑固者もいたもんだ、とひっくり返った。私の芝居も台詞は多いが、そんなモノではない。芝居が始まって5分以上、ずーっと一人が喋っている。モノローグ、独白、それが延々と続く。そんだけ心の中で喋っておいて、他の人物が現れて、実際の対話になると、2言、3言、たどたどしく会話して、終わってしまう。そのあとでまた、別の人物の長大なモノローグが始まるのである。言いたいことと、実際に言えること、の差異を分かり易く視覚化している(コトバなのに、視覚化されるというのが面白い感覚なのですが)とも思えるけど、しかし実際、コレに2時間ついてくる観客というのもスゴい。インテリジェンス高めな客席であった。異常な集中力が舞台を覆っていた。

■劇中登場人物の造形も、皆、作者の分身として、思慮深く穏やかで知性的な人たちばかりで、静謐な舞台を違和感なく成立させていた。いたのだが、それが美点でもあり、私にはやや不満な点でもあった。ここはひとつ、ヨシダさんの中にはないパーソナリティーをもった人物……分かり易くヤンキーとかギャルとか、そういう人物を出して、劇世界を相対化してほしいという欲望が生まれる。或いは、雄弁で長大なモノローグと、たどたどしく行違う会話という差異をひっくり返してみせる趣向とか。会話では恐ろしく饒舌なのに、モノローグが無音で5分の人物とか、モノローグと会話で言うことがまったく一緒、つまり内面のない人物とか。そういうの、どうですか。などと無責任にのたまう私の発言にも、ヨシダさんは「うんうん」と優しく応じて下さった。だがその眼の奥が猛禽類のようにギラリと獰猛に光る瞬間があったことも、私は見逃さなかった。何にせよ、オリジナリティというものは得難い。それを得ることは、人に好かれたり褒められたりすることよりも、よっぽど重要なことなのだ。気づけば中華料理屋で4時間半。店を出て、サッと分かれた。帰り際の良い人だった。

■日中、近所の公園でボンヤリしていたら、親子連れが来て、「あの黄色い花、なに?」と子どもが母親に聞いた。すると母親はスマートフォンを取り出し、カシャ、と写真を撮ると、どうやらアプリで調べたらしく「ふくじゅそう、だって」と答えた。その発音が、漢字の「福寿草」ではなく、いかにもひらがなの「ふくじゅそう」だったので、しばらく何の花のことなのか、わからなかった。ふくじゅそう、フクジュソウ……それはまるで呪文のように、その日一日、アタマの中をぐるぐると廻っていた。

小野寺邦彦



#135 これが私の諧謔です 2018.03.21 WED


■阿佐ヶ谷の書楽で本を買い、よるのひるねで読んでいると、後ろの席で、主婦らしき二人組の女性がずっと
「寝かせるのよ」
「動かさずに、寝かせるの」
と熱心に話し込んでいた。漬物かなんかの話かと思ったら、ビットコインだった。仮想通貨対実在主婦。勝つのはどっちなのか。

■次回公演のオーディション告知なども始まっているが、『かもめ短編演劇祭』で積み残しているハナシを最後に一つ。最終日の審査会で、審査委員の中屋敷さんが、参加団体の一つ、チリアクターズの劇作について、次のように発言した。 「この作品はモチーフから発想し、そこにテーマを当てはめたのではないか。それは劇作家として間違っている。劇作はテーマ→モチーフの順でなくてはいけない」

■私は、これまでの作品は100%モチーフから発想してきた。いろいろと苦しみながら試したが、他に作れる方法に辿り着けなかった。中でも、テーマをまず立てて、それに沿うようにモチーフを準備するというのは、私の創作からは最も遠い作り方だ。分からないからだ。私にとって、テーマとは、現れるものであって、自覚的に設定できるものではない。どんなときも、まず幾つかのモチーフ―それは、デジタル時計の秒針だったり、プラセンタ健康食品だったり、浜に打ち揚げられた鯨であったり、消えた空中ブランコのフライヤーであったり、国境線上にある一枚のドアだったり、緑内障患者の視野だったり、原発だったり、三里塚を離陸するボーイングジェット機だったり、ねずみ講だったり、配合に失敗した犬だったり、五十音早見表だったり、給食の先割れスプーンだったり、1999年だったり、赤いカーディガンだったり、脳死判定だったり―それ【だけ】があり、 そのモチーフが導くエピソードをでっち上げ、繋げ、積み上げ、壊し、紐解いてゆく末に、ある瞬間、テーマらしきものが出現する。それは必ず、現れる。但し、バラバラに並べてきたエピソードの断片が、有機的に結合し、ハッキリとした着地点を示すのは、戯曲も残り10ページを切った頃だ。その頃には私は煮詰まりに煮詰まっているので、大抵風呂にいる。エウレカ!と叫ぶには絶好のシチュエーションだがそのまま走りだしたりはしない。小躍りはする。そこで初めて、ああ、こういう物語だったのか、と分かる。身体中に電気が走るような快感を覚える。その瞬間のためだけに、私は戯曲を書いている。言いたいこと、表したいテーマが先行して存在し、そのためにモチーフを用意するというやり方は、まず技術的に不可能である。

■この作り方が、間違っている、と言われれば、確かに間違っていると思う。少なくとも、プロの仕事ではない。行き当たるまで、何が現れるのかも分からないのだから。だから私は劇作家ではない。劇作家ではない人間であっても芝居は作る。劇作家が決して採用しない方法で作る。地を這うようにして言葉を書き散らす。私がやりたいことは劇作家になることではなく、劇を作ることでしかないのだから。

■といって、この書き方を誇らしく思っているわけでは、まるでないのである。 これまで書いてきたように、劇作に際して、私は無計画である。行き当たりばったりで、思いつきで、カンで、その場しのぎで、書いている。そして毎回、奇跡的に辻褄があい、テーマが現れ、物語は収束する。 でも本当は……。綿密な計画を立てて、詳細なプロットを用意し、ロジカルに構成し、破綻のない脚本を書きたかった。劇作を始めるまで、そういうものでないと駄目だと思っていた。 私はオカルトを信じていない。アイディアが【降ってくる】とかいう言い方も嫌いだ。アイディアや発想といったものは、必ず、そのヒトの中に蓄積したものからしか現れないし、【降ってくる】というのは、無自覚に溜め込んださまざまが繋がり、形を成したに過ぎない。それらは、これまでに見聞きしたもの、つまり先行する先人のアイディアを借用し、援用し、アレンジし、組み合わせたものに違いない。 【降ってきた】という言い方はゴマカシだ。オリジナルの発想が神から授けられたとでも言いたげなコトバだ。違うのだ。 全てのアイディアには先行例があるのだ。そこを自覚して、計算して、物語は設計されるべきなのだ。 と、いう理想をもつ私が……実際には、上記の如き、オカルト以外なにものでもない方法で執筆しているのである。頭を抱え、テーマの出現を願って震えながら書いているのである。滑稽なハナシだ。 私は理想の【書き方】からは程遠い書き方でしか書けない。何の呪いだろう。だが仕方ない。 もう一度書いておく。私は劇作家になりたいのではない。劇を作りたい。それがどんな方法であっても。理想の真逆の作り方であったとしても。 兎にも角にも、作品が出来上がる。それさえあれば、あとのことは、あとのことは……。

■そんなわけで、諧謔戯曲集、おしまいです。なんか固いかんじの文章ばかりになってしまった気もします。 たまにしか書かないとそうなりますね。もっとふざけた、よりどうでもいい文章を書きたいと思いますので、また次のノートでお会いしましょう。オーディションの応募も、是非よろしく。めいっぱい腰を低くしてお待ちしております。 それでは。

小野寺邦彦




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