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生活と創作のノート

update 2009.07.25

生活の冒険フロム失踪者未完成の系譜TOKYO ENTROPY薔薇と退屈道草の星偽F小説B面生活フィクショナル街道乱読亭長閑諧謔戯曲集ここで逢いましょうROUTE・茫洋脱魔法Dance・Distanceニッポンの長い午後


活の冒険

POST WAR BABY.s NOTE


#001 書く、書かない問題 2009.5.13 WED


■高校生の頃、趣味で文芸同人誌の編集をした。僕は編集長だ。ただし、長といっても偉くはない。編集をしたのは僕一人だ。執筆を頼んだのは4人。皆頭が良さそうだったし、実際良かった。 話も面白かったし、本も良く読んでいた。それで小説か、エッセイを頼んだのだ。皆、引き受けた。これで僕は編集が出来るぞと思ってウキウキした。レイアウトシートなども用意した。だが、すぐに問題が起こる。

■書かないのだ。誰も書かないのだ。一人もだよ。書くっていったのに。そんなのあるか。勿論、催促をする。いったい、いつになったら書くのか。すると皆、ハンでついたように同じ事を言うのだ。
「・・・書けない」(ため息をハァ、とつく)。

■だって打ち合わせをしたじゃないか。 自信満々に内容を語ったじゃないか。ある一人などこうもいったはずだ。 「もう、すべて頭の中にある。あとは書くだけさ」 でも、書かないのだ。一行も書かないのだ。 なんだかんだと言い訳ばかりして結局一人も書かなかった。 それで仲の良かったNに頼んだのだ。Nなら何とかしてくれると思ったのだ。 Nは「小説などあまり読まないし、文章なども書いたことはないがまあ何とかしよう」と言い、 2週間で50枚ほども書いてくれた。同人誌は、結果的にNの個人誌になったわけである。

■本が出来上がると執筆予定だった4人が現れて、 Nの書いた文章をボロクソに批判した。 曰く、Nの書いたものはある著名な小説家の文章に良く似ている。 スタイルだけ借りた、志の無い駄作だと言うのである。

■僕は、こいつらはなんだろう、 と思った。なんなんだよお前らは。

■4人の指摘は確かに当たってはいたのである。 Nには書きたいモノなどなかったのだ。それはそうだ。 だって僕に頼まれて仕方なく書いたのだから。 だからある作家のスタイル-文体など-を借りて、 内容はともかく、体裁だけはそれらしいものをと、形だけ、 とにかく書いたわけである。それはまあ、僕にも分かった。しかしだからと言ってお前らはなんだ。

■きっとこういうことである。 奴らは傑作を書こうとしたのである。 このオレ様が書くのであれば、その作品は大傑作以外にあり得ない、 と鼻息も荒くだが平静を装うためコーヒーなどすすり書き始めたはずなのである。 一行書き、一枚書いてみる。 読み返す。陳腐である。おかしい。書き直す。読み返す。 凡庸である。頭の中にあったときは世紀の大傑作だったものが、実際に書いてみるとコレは・・・という代物にしかならぬ。 がっかりだ。こんなもの人目に晒すとバカにされてしまうかもしれない。何より自分が許せない。傷つくぞ、プライドが。悪夢である。 で、その悪夢から逃れる素晴らしい方法があるのだ。 書かなければいい。そして人の書いたぼろぼろの作品をバカにして心の平穏を取り戻すのだ。 バカ者だと思った。このばかめ。

■10年振りにNから連絡があった。 小説家になれそうだというのである。 ほんとかよ。夏くらいに雑誌に短編がのるはずだ。 なんと感動的な話だろう。

■最初Nには書きたいものは無かったし、 書く技術もなかった。ソフトも、ハードも無かったということだ。 だが必要に迫られて、ハードだけをどこかから借り受けて、 ソフトの無い作品をでっちあげた。そして何作か書く内に、 書きたいものが出来た。ソフトが出来たわけだ。 だが、ハードはまだ借り物だ。まあでも兎に角書いてゆく。 そして10年が経ち、いつの間にかハードも立派に自分製になっていた。 自分の技術で、自分の言葉を書く、プロの物書きだ。おめでとう、N。

■そういうわけで7月にまた舞台をする。 僕もまた書く者として上演台本と格闘する日々なんだけども、、 戦う体にはウォーミング・アップもまた不可欠なのである。ということで推敲日誌だ。 今日は随分温まったので、これで台本に戻る。稽古の初日にどれだけの分量、 台本が仕上るのか。それは誰にも分からない。

小野寺邦彦


#002 音楽など 2009.5.16 SAT


■音楽ばかり聴いている。

■普段、全くといっていいほど音楽は聞かない。習慣がないのだった。幼いころの家庭環境に依っていると思う。音楽の鳴っていない家庭だった。 ただ本だけがあった。私はそれを摂取した。音楽を聴くように活字を求め、吸収した。ソレでこの有様。 音楽は嫌いではない。むしろ好きだ。でも習慣がないのだ。 いまは3ヶ月に一度、台本を書くときに適当にかけっぱなしにしている。そうして形式的に詰め込む、という形でしか接することができない。 自然には聞けない。でもまあ、そうやって付き合っている。台本を書いているときは感傷的な私だ。

■ 本でも新聞でも雑誌でもいいから何か読みながらでないと一人で食事は出来ないし、トイレにも入れない。 風呂に入ることも出来ない。風呂で読む本を探してる内に小一時間も経ってしまうことも稀ではない。 ひとつのことをする際に、並行してもうひとつ、何かしていたいのだ。貧乏性なのだ。 そんなワケで台本を書くためにパソコン睨みながら、もひとつ何かできるとすればラジオを聞くか音楽を流すくらいだろう、というわけだ。 本当は台本を書きながら同時に読書もできるのだけど。できるよ。できるのだ。目で活字を追いながら、同時に頭ではセリフを考える。 それで本の内容が頭に入らない、というわけではなく、またセリフを考えている頭が散漫になっているというわけでもない。脳内で完璧に両立している。 だが問題がある。どう見てもサボってるようにしか見えないことだ。

■ 誰が見てる、というわけでもないが、なんか自分で思ってしまう。おれ、まるでサボってるみたいだな、と。違うのに!誰に釈明しているのだ。 なんか、ムードだ。書いてるムード。書き進めてる感じ。執筆ムードを求めている。 本読みながら、寝っ転がって、ジュースとか飲みながら脳内では台本執筆。たまにパソコン叩いてアウトプット。また読書に戻って脳内作業…。 できるけど、でもなんかイヤなんだ、そうやってセリフ考えてる自分。かっこ悪いから。 台本書いてるときはうっとり音楽でもかけていたい。そんな薄っぺらい自意識を手懐けながらウンウンうなって書く日々。

小野寺邦彦


#003 稽古初日だった 2009.5.18 MON


■『グラン・トリノ』を観る。

■『オバQ』や『ドラえもん』では、空き地の裏にはカミナリ親父が住んでいた。 子供の放ったホームランボールに盆栽や窓ガラスを破壊され、怒りで湯気を立てる親父 は権威と保守の象徴だ。 自分の家、自分の庭。領土を侵すものは44マグナムの洗礼を受けなくてはならない。 カミナリ親父はのび太や正ちゃんにゲンコツを与えていただろうか。記憶にはないけど、どうだったかなあ。 そんな保守親父の家に居候するのがトレンディーなアメリカン・オバケのドロンパというのがまたイカス。 F先生、本当に天才。二人は魂の交流をするが、それは徹底した他者であり、異者であるからこそ可能な、奇跡的な関係なのだった。 カミナリ親父には家族がなく、ドロンパは異文化の中で寄る辺ない。 お互いが孤独な他者として慰め合うことで二人は生活してゆくのである。 グラン・トリノはオバQだった。つまり、傑作だ。

■外出すると、道行く人、電車の中の人々らが皆マスクを着用 していて、やはり流行してんだなぁと思うが、それにしてもとある店先にあった 「インフルエンザ大流行につきセールス延長」には不意を突かれた。笑ったなあ。おれは笑った。 流行を喜々として隠さぬ医薬業界。嫌いになれない。

■稽古初日だった。宣伝用の写真撮影なんかもして、慌ただしくも楽しかった。久しぶりに会う顔。 これからイヤというほど突き合わせてウンザリする顔なのだが、今だけは新鮮だ。台本もちょっぴり渡して、読み合わせなどもした。 1月の舞台から4ヶ月振り、皆ちゃんと下手になっているからたいしたもんだ。 これからである。全てはこれから始まる。台本もタップリ、これからだ。

小野寺邦彦


#004 闇の仕事 2009.5.22 FRI


■真夏のような日差し。新宿は日中30℃を越えた。

■夕方。人身事故があり、電車がホームからなかなか出なかった。 発車予定時刻を10分あまり過ぎたが動き出す気配はない。誰に文句を言う筋合いもないが、待つしかない身にはイライラが募る。 周りの人々もケイタイをいじったりゲームをしたりしてはいるが何となく落ちつかず、全体的にカリカリとイヤなムードになってきていた。 と、傍らに立っていた若い女性の二人組が、けっこうな大声で喋りはじめた。 初めは聞くとはなしに聞いていたのだが、次第に聞き入ってしまった。話が進むにつれ、同じ車両に乗り合わせた者皆がなんとなく聞き耳を立てている雰囲気に。

A「ユミコ、こないだいたのよ」
B「ああ、あのオッパイおばけ」
A「カメムシの」
B「カナブンでしょ」
A「あ、カナブン」
B「で」
A「手、出したみたい」
B「ウソ。お持ち帰り?」
A「うん」
B「誰を」
A「カネダさん」
B「ウソ、あのハゲ」
A「ハゲてないでしょ」
B「ハゲてるって」
A「ハゲっていうか、むしろ油?」
B「ま、いいや。それで」
A「でもそれが奥さんに」
B「ウソ、ばれた?」
A「みたいで」
B「ケイタイ?」
A「みたい。で、アイドルのさ、いるでしょ、例の、ホラ。誰だっけ」
B「ユッキーナ」
A「それ!で、」

と、そこまで話したとき、発車を告げる車内アナウンスが。すると

A「あ、いかなきゃ」
B「うん」

電車を降りる二人…。 そこで終わるのかよ。 カメムシならぬカナブンのオッパイおばけユミコとハゲているんだかいないんだか、いやむしろ油のカネダさんの浮気に、例のアイドル、ユッキーナがどう絡むのか。 ていうか誰だ、ユッキーナ。 なんてことだろう。この謎、もう一生解けないよ。

■話の内容にも増して気になるのは、2人が何故電車を降りたのか、だ。停車中には乗っていて、発車時刻に降りるとはどういうことか。そこでハタと気づくと、話に聞き耳を立てている間に、優に15分は経過していた。退屈な待ち時間がストレスゼロで過ごせたわけである。 これは、あれじゃないだろうか。闇のバイト。闇の仕事だ。 停車中の険悪な車内に放たれるスパイなのである。 そこで気になる話を聞こえよがしに話し、車中の者の気を引くのだ。 気づけば皆が聞き耳を立て、時間を忘れて話の内容に聞き入っている。そうやって時間を稼ぐのだ。 メキシコでは催しものの開始時刻が遅れる際には飛び入り歓迎サッカー大会を開き、暴動を防ぐというし。それにしてもオッパイおばけユミコの行く末や如何に。

■そんなわけで、稽古に遅刻したのだった。

小野寺邦彦


#005 稽古場のコトバ 2009.5.28 FRI


■稽古を始めてから10日が過ぎた。

■役者にセリフを言ってもらうと、その度に発見があり、セリフを直したくなるので、直す日々である。 稽古初日は役者が下手になっている、と書いたが人のことは言えない。まったく言えないのだった。セリフの勘が鈍っている。頭で書きすぎていたのかもしれない。 やはり舞台は現場だ。稽古にこそ全てがある。

■役者は本番の舞台でしか上手くならないが、稽古を見ていればどの役者が上手くなるかは分かる。 上手くならない役者は、稽古場での下手さに慣れてしまって、本番で化けようとしない。 だから稽古場では同等の実力と思っていた者に、本番の舞台の上で置いていかれてしまう。 その結果はもう、稽古場で出ているのだった。変わること。変わり続けること。それを志向すること。 それをどのように仕込んでいくか。悩みはつきないが、今週は欠席者も多かった。 風邪を引いた者などもおり、じりじりとしか進まない。焦っても仕方ない。

■さんざん下手、ヘタと書いていてなんだが、「下手クソ」という言葉は嫌いだ。 いくら下手だからといって何もクソまで付けてまで蔑まれるいわれはないと言いたい。 中学生の頃、やたら「下手クソ」を連発する体育教師がいて、俺は下手だが貴様にクソなどと言われる筋合いはないと思っていた。今も思っている。 言葉の意味は正確に捉えましょう。「下手」はあくまで性質を指しているだけで、人格を貶めようという言葉ではナイ。 「下手クソ」は「お前なんか嫌いだ、ば~か」という意味なので無視して宜しい。こっちだって嫌いなのだから。 ウチの役者に下手クソはいない。まだあんまり上手くはないだけのハナシだ。それもあと少しの間のこと。そうに違いないのだ。

■台本はやっと半分といったところ。締め切りまではあと10日と少し。

小野寺邦彦


#006 演出家不在 2009.6.4 THU


■フランスのサルコジ大統領が出てくる度に思うのだけど、この人は悪魔が人間に化けている顔をしていないか。

■試行錯誤する日々。稽古はサクサク進むというわけにはいかない。 じりじりと這って進むような進行状況である。 日々の生活の中でも舞台の演出のことばかり考えてボンヤリしているので、淹れたばかりのコーヒーをそのまま流しに捨てたりしてしまった。 台本はある。じっくりとやろう。やるしかない。

■以前の芝居で貰ったアンケートで「作家はいて、役者もいるが、演出家がいない」と指摘された。 それはその通りなのだった。これまでは劇作に夢中で演出への欲求は極めて薄かった。 ないわけではなかったが、言葉、セリフへの欲求が身体へのそれをはるかに上回っていた。 役者の舞台へのレイアウト、交通整理以上のことができていたとは言いがたい。 本番の舞台を見て、役者が不自由に見えることがあった。それは私の責任だ。 一見、飛んだり跳ねたりしているように見えても、それと舞台で動くこととはまた別なのだ。 それが何となくわかってきた。ではどうするべきか。それが分からない。分からないので試す日々だ。

■ニブロールやボクデス、珍しいキノコ舞踊団などのコンテンポラリーダンス・カンパニー の公演を、以前より興味をもって観るようになった。以前は理解できなかったその意味が 少しづつ理解できるようになってきた気がするのだ。 言葉は使わなければ覚得ることは出来ない。カラダもまたしかり。 当たり前のことを、当たり前に理解するのにすごく時間がかかる。 未熟なので、すぐ忘れる。 どうでもいいことは凄く良く覚えてるんだが。それでどうでもいいことばかりの芝居になる。

■朝方、テレビのニュースを聞くとは無しに聞いていると、キャスターが、ある轢き逃げ事件を伝える際に 「女が女性を車で轢いた」 という言葉を使った。「女性が女性を轢く」とは言わない。 ここにも、ある感情に意識的に導こうとする、恣意的なコトバがある。

小野寺邦彦


#007 高くて安いコトバ 2009.6.7 SUN


■今週は自分の都合で大分稽古を潰してしまった。丁度先週、役者の集まりが悪いことにぶつくさ言っていたらこの始末。人のことは言えない。自戒を込めて。 稽古をしないと調子が悪い私だ。来週はもりもりと進める。

■野球のテレビ中継をつけていたのだった。 野球中継の放送席にはアナウンサーの隣に解説者と呼ばれる元プロ野球選手や元監督などが座り、 プレーに対しての「解説」を施すのがお決まりなわけだが、この解説者のですね、言葉でモノスゴイのがあった。

アナ「おっとここで監督、好調のピッチャーを変えますね。これは?」
解説「ええ。まあ監督も、なんか考えたんでしょう」

「なんか考えたんでしょう」

これが解説だろうか。何だ、お前の仕事、すっげえ楽そうなのな!俺にもできそうだ。譲ってくれないか。また、こんなのもあった。

解説「ここはホームランが最高ですが、ヒットでも2塁ランナーは帰ってきますからね。ただし、内野ゴロと三振だけはしてはいけません」

そんなこと昨日野球始めた子供でも分かるんだよバカ。思わず取り乱すナイター中継の夜である。

■しかし改めて意識的に聞いてみると、「解説者」たちの喋る言葉のテキトーなことといったらないのだ。 骨髄反射というか常套句を繋げているだけである。自分の言葉に対する疑いというものは微塵もない。それは自分の言葉ではないからだ。コピペだ。コピぺ言説。 例えば調子の悪いピッチャーをして「ピリっとしない」と言うが、「バッターがピリっとしない」とは言わないのである。 ボールの内角低めをインロー、内角高めはインハイ、外角低目をアウトローというが、外角高目をアウトハイとは言わないのである。外角高めは外角高めだ。 なんでだろうか。解説者よ、解説してくれ。

■常套句というのは、だからして常套句なのだが、ほとんどの場合意味はないのである。そういうことになっているのだからそう言うのだ。 言葉は記号だ。通じれば良いのだ。アマチュアならば、若しくは日常生活でならばそれでもいい。 だが仮にもその一言に料金が発生し、メシを食うプロの言葉がそれでいいのか。いいわけがない。だがそれがまかり通る。 それは解説者という仕事が、現場を引退したプレーヤーの再就職先、もっと言えば要するに天下り先とでもいった性質だからなのか。 名誉職か。現役時代がんばってた者に与えられる老後のごほうびなのか。つまりプロの解説、などというモノを誰も期待しているわけではない。期待していたら、 あんな言葉を許しているわけはないからだ。 だから視聴者の誰も解説者の言うことなど聞いてはいない。あれは、野球中継を点けると流れている風の音のようなモノとして、聞き流している。 だがその毒にも薬にもならないどうでもいい言葉が日々撒き散らされ、料金が発生しているということは考えておかなければならない問題だ。いやホント、問題だと思うのだが、どうか。

■なんてことをブチブチと言いながらも、台本はついに、というかやっと、というか三分の二までが書けた。いよいよ追い込みか。しかし締め切りも目前だ。何とかなるだろうか。何とかしなくてはいけない。

小野寺邦彦


#008 台本の〆切だった 2009.6.10 SUN


■台本の締切日だったのだ。 だが終わらなかった。終わらなかったなあ。ハハハ。あと四分の一だ。今週中になんとかする。なんとかするしかないのだ。 公演まではあとちょうど一か月だ。明日からは宣伝もスタートする。

■何か事件が起こった際に 、当事者側が「今は担当者がいないのでコメントは出来ない」などという。 「書類が届いていないのでコメントは差し控えたい」とか。これも常套句。聞いてくれるなということか。 しかし今日ニュースを聞いていて、報じられた5件のうち3件で「担当者がいない」のには笑ってしまった。恣意的な報道な気もするが、これはなかなか気が利いている。 担当者よ、どこにいるのだ。そんなに席を外していて仕事になるのか、担当者。 電話には出ないのか、担当者。メールにも返信しないのか、担当者。おお、担当者。

■5年ほど前。用件があって日野警察署に行ったのだった。 ある作業のため、一定時間道路にクルマを駐車させることを許可して欲しいという内容だった。で、窓口に行ったのだ。その書類はどこへ提出すれば良いのか。 すると窓口に座っていた初老の男が言うのだ。

「今は担当者がいないので出直せ」。

だがこちらは人に頼まれて、書類を渡せば良いとだけ聞いて来たので出直せと言われても困る。その担当者はいつになったら帰ってくるのか。と質問したのだ。 すると驚くべきことに、辺りに響き渡るような大声で一喝された。

「話を聞け!日本語が分からないのか!いないと言ったらいないのだ!」

本当なのだ。本当に一言一句違わず、こう言ってのけたのだ。ポカンだ。 これが私用であれば一戦交える所存なのだが、何せ人に頼まれたことなのである。 それも明日の作業なので今日許可が取れないと困るとのことなのだ。 私は卑屈にもヘエヘエ申し訳ございません、と殊勝な態度で何故かコウボクの説教をその後10分あまりもクドクド拝聴することになる。 俺、こんなトコで何やってるんだろうかとジンワリ涙目になって来た頃、目の前のオマワリが言ったものだ。

「で」
はあ?
「いや、だから、書類。見せて」
ハイ。
「…はい、OK。んじゃ。」

■えー。 お前だったんじゃん、担当者。いないっていったじゃん担当者。てゆーか私なんで怒られたのでしょうか。 警察署に行って担当者はいませんか、と担当者に聞くと説教を喰らうのか。 問い質せばそのカラクリはこういうことらしい。

「私が訪ねた時間には、昼休み中であった」

で、昼休みの時間が終わったから担当者に復帰し、書類を受け取ったのだという。 その驚くべき言説に、自分が何か言い返すことが出来たのかまったく覚えてはいない。 深い絶望と共に帰路についたことは覚えている。ちょっと泣いていたかもしれない。たぶん、泣いていただろう。

■季節の変わり目である。今日も朝から雨が降っている。

小野寺邦彦


#009 消耗する 2009.6.21 SUN


■大分間が空いてしまった。 この間何をしていたのか。毎日稽古をしていたし、打ち合わせだってしていた。そして何より台本を書いていたのだ。実は、まだ書いている。

■締め切りだった、と書いたのはもう10日も前のことだ。 終わらない。書けない、のではなくて、終わらないのだ。 書いているとアイディアが出てくるのだ。次々と出てくる。それを台本に書き込もうと格闘していると、台本が膨大な分量になってしまっている。 今、書いているのは終盤なのだ。もうこの劇は終わりに近づいているのに、こんなに新しいアイディアを、この期に及んで入れてしまってどうするのだ。 前回はそれで2時間20分もの上演時間になってしまった。 劇場の人にも「長いよ」と言われたのだ。 私も長かった、と思う。長いよなあ。 今回は100分が限界だろう。 深夜から書き始めた内容を、朝になって消してしまう毎日だった。

■無駄なことだろうか、と考えれば明らかに無駄なことだ。 でもねえ、悪いことではないじゃないか。 ダメだろうか無駄。無駄がホメコトバになるような舞台は沢山ある。 生真面目な性格が私の弱点だと思う。

■今日は朝から雨だった。雨の中でタタキがあったはずだ。私は顔を出したかったが、結局パソコンの前から離れることが出来なかった。申し訳ない、と思う。スマナイ、と思う。ああタタキたい。かつて平行四辺形型の超芸術的な平台(でも何故か自立した)を作ったことのある私である。クギを抜くくらいなら任せて欲しい。

■台本はいよいよ完成するだろう。しなくては困る。

小野寺邦彦


#010 感じる前に考えよ 2009.06.26 FRI


■吉祥寺の喫茶店で打ち合わせをしていたのだった。

■隣のテーブルに座っていたグループの男が大きな声でシキリと「感じたい、感じたい」とノタマッていたので、何事かと思ったのだ。 「想いをコトバにすると、汚れてしまう気さえする。理屈では無くて、感じたままに作品を作りたい」 概ねそんな内容を喋っていた。帰り際にチラと目をやったら、年の頃は30歳前後か。テーブルにイラストのようなものが拡げられていた。

■こういう言い回しは大学に入った頃はよく聞いた。美術大学であったから、当然作品を作っている人がほとんどで、「感じる」ことを大事にしている、と言う人も少なくは無かった。だがそういう人の作品ほど、えてしてツマラナく時として頭デッカチと感じたのはどういうわけか。思うにそれは他人の批評を逃れるための浅い方便だったのではないか。 良い作品を作っていた人は、皆、考えていた。考えながら感じていた。

■人が自分の作品に向けてくるコトバを一律に「つまらない理屈」などと言ってはならないよ。うんざりする位つまらない「感じ」だってあるじゃないか。 ね、あるでしょう。

■人の振り見て我が振り直せ。コレを他山の石としよう。「感じる前に考える」 コレが架空畳のテーマです。よしよし、今決めた。

■日中は30度を越える日々。6月も終わる。夏が来るなぁ。

小野寺邦彦


#011 子守をする 2009.6.29 MON


■子守をする。7歳になるという、知人の子供である。自分より2つばかり年上の人間に7歳の子供がいるというのもスゴイことだ。 相撲を取る。私の全勝である。5年経ったらまた来い、と言ってやった。 寝かしつける前にプリンを与えると、半分くらい食べたところでフーとため息をついて、 「一日もこれで終わりか…」と呟いたのには笑った、笑った。

■子供は一体、どこからコトバを拾ってくるのか。

■思えば、私自身が、子供の頃はよくそう言われた。妙にませたクチを聞くガキだった。 「慮(おもんばか)る」とか言い出しかねない小学生だった。 それらのコトバの殆どはマンガで覚えたものだ。 マンガでコトバを覚え、マンガによって知識を蓄えたので、かなりばかな子供であった。 体系的な学習で得た知識ではないので、知っていることと知らないことに極端な差があり、 そして知っていることははまるで役に立たないことばかりなのであった。

■そんなわけで今も役に立たないコトバばかりを使って劇を書いている。

■しかし役者というのは、本当にありがたい。書く作業は孤独だ。 何の役にも立たないコトバでも、転げまわりながら書く。 のた打ち回って書く。気が滅入ってくる。息も絶え絶えになる。 ところがヨロヨロと稽古場に向かい、台本を渡し、役者に読んで貰った瞬間、ぱっと元気になる。 稽古場で私は生き生きしている。稽古がしたいから書く。役者が書かせてくれる。 稽古の無い状態での執筆は、オレには無理だよ。到底ムリだ。

■といったわけで関係各位に多大な迷惑をかけつつも、台本は上がった。まだまだ時間はある。じっくりと作る。

小野寺邦彦


#012 7月になった 2009.7.5 SUN


■七月である。ああ七月。おお七月。

■連日の通し稽古で、芝居はほぼ出来上がってきた。気にしていた上演時間の方も、今日最後の通しでは1時間38分。どうにか100分前後で出来そうである。ホっと安心した。実は二日前まで2時間近く掛かっていたので頭抱えていたのだが、何故だろう、イキナリ欲しかったテンポになってしまった。

■役者の力です。 最早私は何もしていない。 岩松なんか10分で2リットルくらい汗を出しながら演じている。終わった頃にはビチョビチョだよ。人間の体からこんなに水が出ていいのかという程出る。 その姿を見るだけで頭が下がってしまうのである。 マー最も、毎晩欠かさず空けているビールが単に出ているだけという噂もある。 かなり信憑性の高いハナシだ。

■しかし何故だろう、男女で比較すると、女性陣は圧倒的に汗をかかない。 男はドロドロでも女は割とケロっとしている。メイクなんかも崩れない。 汗の滴り落ちてる女優というのも見たことが無いな。 いやだからな、滴る女。いや、男だって充分イヤなんだけど。

■そんなわけでいよいよ8日から舞台が始まる。 まだ席には若干の余裕があります。本当に若干ですが、すべての方が見られるようお約束します。若干の限界に挑戦。劇場で会おう。

小野寺邦彦


#013 あいてます 2009.7.9 THU


■舞台の幕が開いていた。今日で2日目が終了。

■初日には間に合わなかったが、今回は上演台本も製本して貰った。 終演後に一部800円で売ってますので、よろしければお手にとって見て頂きたい。

■いろいろ書くことはあるのだけれど、本番中は余裕がない。

■やっと幕が空いたと思ったら、もう半分を消化してしまい、残るは二日間、3ステージのみである。まだの方は是非、いらしてください。

小野寺邦彦


#014 オワリ。 2009.7.11 SAT


■NHKで昭和50年の出来事を振り返る番組をやっていた。

■1975年。野球では広島カープが初優勝した年だとのこと。当時の映像で、広島市内での凱旋パレードの様子が流れたのだが、それが凄かった。 沿道に集まった人の多く(中でも女性が多かった)が、遺影を掲げているのである。 まるで戦争直後の戦勝国の風景。 あんた、見なさい。カープは勝ったよ…。 1975年とは、まだそういう時代だった。ふとした生活の習慣や、考え方の中に、戦前・戦中の影響力が残っていた時代。 野球チームが優勝して、夫や父や祖父の遺影を掲げる女性たち。

■今、例えばサッカーのワールドカップで日本が優勝したとして、家族の遺影を掲げるだろうか。 いたとして、その多くは特別な行動だろう。 意図的なパフォーマンスとしてその行為はあるだろう。

■公演は最終日だった。さすがに千秋楽は良く入る。台本も予想以上に良く売れてくれた。ホっと胸を撫で下ろしたものである。 今回は学校での公演ということで、当然ながら若い観客が多かった。18、19歳という人がゴロゴロいて、そして彼らに好評だったのが嬉しかった。

■勿論厳しいご意見も多く頂いた。これについてはまた項を改めて書きたい。

■なんだかんだ、兎に角終わったわけである。皆様、どうもありがとうございました。

小野寺邦彦


#015 いとこんさん 2009.7.16 THU


■イラストについて。

■今回のフライヤーのイラストを書いてくれたのは伊藤彩子さんです。 いとこんさん。 彼女は学生時代には演劇部で、役者もしていた。高校生の頃もやっていたという。私の演出する舞台にも、二度ばかり出て貰った。 一度は演劇部での公演、もう一度は架空畳での第二回公演。その公演で彼女は主役を張り、そして役者を辞めた。

■彼女は舞台の上での冷静さを持ったいい役者で、当時メンバーの誰よりも技術があり、達者だった。 慣れない劇作・演出作業にヒイヒイ言っていた私は、彼女のうまさに甘えてしまい、ほったらかしにしてしまった。 他に多くの、見なければいけない役者がいて、私は彼ら・彼女らに演出を付けることに必死だった。 うまかった彼女は、いつも後回しだった。

■公演の直前、稽古の後にぽつりと言われた一言が今も忘れられない。 「私、オノデラさんに演出つけられたこと、ないですよね」 ハッとしたが、もう遅かった。公演が終わり、それが彼女の最後の舞台になった。

■今回、イラストをお願いする際にはこれでもか、というほどに口を出した。 彼女に書かせたラフ画は50枚を下らないし、構図やパース、書き込まれるモノのディティールまで、しつこいほどに直してもらった 直せば直すほど、良くなっていくのだった。。

■私は彼女が役者時代に、演出家として何も演出をつけることが出来なかった。 いいところを引き出すことが出来なかった。 その埋め合わせをしたかったのかもしれない。 結果出来上がったイラストはステキで、評判も大変よろしかった。

■彼女は今、イラストレーターを目指している。もしイラスト関係で御用のある方がいらっしゃいましたら、連絡を下さい。 彼女は、これからどんどん、いい絵を描くと思います。

■そして私は今でも勿論、劇作・演出にヒイヒイ喘いでいる。全く慣れるということはない。 ただ、うまい役者を後回しにするということだけは、二度としまいと思う。 役者もまた孤独である。 そこに例外はない。 うまさとは関係なく。 それが彼女から学んだことだ。演出家として一番大切なことを教えて貰った。

■イキナリ夏になってしまった。今年は梅雨が無かったような気がする。 汗をダラダラ流しながら這い回る日々。

小野寺邦彦


#016 おしまい(その1) 2009.7.19 SUN


■日中、30℃を越える真夏日が続く。 つけっぱなしのテレビからは、涼を呼ぶ話題が流れてくる。

■ある水族館では、アザラシに2メートルの氷の塔をプレゼント。 ある動物園では、カワウソにウナギをプレゼント。 甘やかしすぎである。 産地偽装のアオリを食って今やトンでもなく高値になってしまったウナギ。 人間様でさえ手の出ないそのウナギを、あろうことか畜生にくれてやるとは。 タマちゃんといい、何故か海獣に甘い国だ。 私は鯨を捕縛し、喰らう山口県は下関市にルーツを持つ男である。海獣には厳しい。断固とした態度を取る。

■さて、舞台のこと。 今回の公演、アンケートの中で最も指摘された点は、役者の動きに関して。 セリフの情報量に対して、動きのそれが全く釣り合っていない、というもの。 もっとバランスを取ったらどうか、すなわちセリフの量を減らしてもっと役者が動ける時間を作ったらどうか、という指摘もあった。

■台本を準備する段階で実は私も何回かそう思った。思ったけど、結局やめた。 やめたどころか逆噴射で、いつもの1.3倍くらいにセリフ量を増やしてしまった。 台本を見れば分かるが、今回、一行に収まっているセリフはほとんどない。掛け合いのセリフでもほとんどがニ行、三行に渡っていて、 ヒドイものになると四,五行にもなる。喋り過ぎだ。異常である。

■負荷をかけたい、と考えたのだった。強力な負荷。 喋らなければならない圧倒的なセリフの量がまずあり、それは役者にとっての不自由な部分、制約である。 作家であり、演出家でもある私は役者に強力なシバリをまず与えたかった。 その膨大なシバリの中で、どうしたらそこから自由になれるのか、その方向を模索したかったのだった。 適当に隙間を与えたぬるいシバリの中から抜け出す姿なんて見たくはなく、それよりはむしろギッチギチに縛った中から、脱出する方法を見たかったのだった。 せめぎあいである。私と、役者との勝負。 私は縛る人。役者は、そこから抜け出す人。

■いわゆる高山トレーニング。通常より酸素の薄い、高度何千メートルかの山の上でトレーニングをする。最初はすごく苦しいけれど、その環境に慣れてゆく内に、 心肺機能が鍛えられてゆき、平地に戻ったときには物凄く楽に体を動かすことが出来るようになっている。 今回、それがやりたかった。大変だけれど、まず膨大なセリフという負荷を負ってもらう。そしてそれが普通だと感じられるまでにして欲しい。 その環境の中でこそ、初めて架空畳の動きは現れると思った。 その意味で、今回の舞台ではセリフ量の上限を出してみたかった。 いきなり、高度MAXの地点に連れていきたかったのだった。 (つづきます)

小野寺邦彦


#017 おしまい(その2) 2009.7.25 SAT


■前回からの、続きです。

■それにしても、いきなり高度MAXの地点から始めるのではなく、最初はそこそこの高さから始めて、 実力に応じて徐々に高度を上げていけば良いではないか、という意見もあるだろう。 現在の力量で言葉と動きとの折り合う地点を探る。バランスを取ったらどうか、という考え。

■もし架空畳の公演が、今現在巷に溢れている「プロデュース公演」という形態であったのなら私もそうする。 プロデュース公演とは、決まった役者を持たず、公演の度に毎回違う役者を募って上演する形態のこと。 その公演、一回限りのメンバー(座組み)で行うものなので、つまり失敗が利かない。 毎公演ある程度決まったメンバーで公演を打つ劇団というシステムであれば、失敗も経験として蓄積され、 次の公演への反省材料として活かすことも出来るが、一回こっきりのプロデュース公演では、失敗は失敗でしかなく、それでオシマイである。 「次」は個人の中にしかなく、集団としてはない。ないのだから、次につながるもクソもない。 失敗してしまった役者には二度とお呼びがかかることは無いだろうし、ダメな本を書いた作家の下へは、人は集まらない。 そのため極端にリスキーなことは出来ない。安定した内容・安定した演技で、ある一定の水準をキープすることが求められる。 これは例えば様々な劇団から主演俳優ばかりを集めてくるなどして、レベル・注目度の高い役者が集まれば、大変面白い公演になる可能性も勿論あるし、 事実そういった試みのものが多いのだが。

■対して、劇団の魅力とは何か。私にとっては、極端なことをすることだと考える。いびつなものを見せるのが劇団。 ある一定の、安定した水準の作品を提供するのではなく、大コケするかもしれないけれど、ひょっとしたら、とんでもなく凄いものにバケる可能性に賭ける。 若しくは物凄くアクやクセが強くて、好きな人は堪らなく好きだけど、嫌いな人は二度と目にしたくもない。 劇団とは常にそんな危うい魅力を湛えたものでなければならない。 プロデュース公演が打率3割のアベレージヒッターだとすれば、劇団はホームランか三振しかしない大降り4番バッターであってほしい。 誰も、4番打者がコツンとヒットを狙う姿など、望みはしない。強打者に期待するのは、ドデカイ一発、もしくは豪快な空振り。 私の愛した、そして今も愛しているあの劇団も、その劇団も、みんなケタはずれの「いびつさ」を持っていた。 その試みは大空振りして、大失敗していることも少なくないが、こんなこと、この劇団しか出来ない、やろうとしない。 例え失敗していても、そこにはとても魅力的な「らしさ」が溢れている。

■何度でも書くが、劇団は失敗できるのだ。 劇団には「次」があるのだから。 大コケするリスクを背負ってでも、面白いと思うもののために挑戦できるのが劇団制のメリットであり、全てである。 それから手を離すようなら、他に劇団をやるメリットなんてない。様々な、煩雑な問題があるだけだ。

■では観客の立場として、そんな発展途上の未熟な演技を見るためにお金を支払うのか、という問題がある。 その主張は全くもって正当だし、事実、今の我われの演技水準は決して高いものではない。 今回の公演においても、多くの観客に「動き」の問題を指摘されたように、 役者も演出家としての私も「膨大なセリフという縛りから自由になる動き」というテーマを今回の公演でクリアすることは出来なかったわけである。 チャレンジはしたが、達成はかなわなかった。

■架空畳は今はまだ、口だけ達者で実際は大したことの無い、頭でっかちなのかもしれない。 だが、でかい頭を小さくして、小さい体に釣り合わせようとは全く思わない。体も頭と同じくらいでかくして、いつかバケモノのような大巨人になれればいい。 その可能性を感じてくださる方、発展途上のいびつな未熟さに魅力を感じていただける方は、どうか今しばらく架空畳を見続けて頂きたい。 そんな未熟なものには付き合えない、完成され、安定した水準の作品だけが見たい、という方には数年後、また観に来てほしい。 その時、もし以前と何も変わっていないと感じたら、見切って下さって結構である。 あなたにとってもっと面白いものを探して下さい。世の中には、面白いものが本当に沢山ある。

■劇団を観劇する際には、「育っていくのを見る」楽しみという、既に完成してしまったものを見るのとはまた違った楽しみ方があると思う。 どうか、見守って頂けましたら幸いです。 そして、ヒドイと思ったのなら、どうかアンケートに一言「ヒドい!」と書いて欲しい。 その一言が、今の我われには必要なのだから。

■最後だから、長くなってしまった。結局言いたいことは一つ。 劇団、というカタチを選んだ以上、我われは劇団としての魅力にこだわる。 それだけのことだ。 こんなに長々と行数を費やして、ほんとにそれだけなのだった。とっても普通のことだ。普通のことをいうブログだ。そうなのだ。

■そんなわけで、「POST WAR BABY」の公演が終わって2週間。「生活の冒険」もこれでオシマイである。お付き合い下さいまして、有難う御座いました。 来週からは10月末の新宿シアターモリエールでの公演「NAVIの世界の失踪者―ト書きの人々-」のための新しい推敲日誌が始まる。そちらもよろしく。

生活の冒険・完

小野寺邦彦



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