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生活と創作のノート

update 2020.10.04

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Dance・Distance

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#162 部屋にいた 2020.07.03 FRI


■凄く久しぶりにテレビの電源を入れた。放送が中断されているらしいドラマの予告が流れ、最後にでかでかとテロップが出た。

「絶賛撮影中」

絶え間ない賛辞の中、撮影されるドラマ。カット、オーケー、湧き上がる民衆。巻き起こるスタンディングオベーション。まかり間違って放送などした日には、どうなってしまうのだ。怖ろしい。絶賛は恐ろしいよ。これだから、テレビは侮れない。

■部屋にいる。

■日中、部屋にいるのは苦手だ。ソワソワするのだ。パソコン、文庫本、iPad、その他モロモロ鞄に入れて街を徘徊し、本屋をハシゴしてから喫茶店に漂着して、やっと人心地が着く。部屋に戻るのはとっぷりと陽が暮れてからだ。夜は好きだ。夜はいい。夜、部屋で音楽を薄く流して珈琲飲んで文章を書いたり本を読んだりぼーっとしたり。そして眠り、起きるとサッサと部屋を脱出する。日中、落ち着くのは湯船の中だけだ。だが、状況が許さなくなった。寝るだけだった部屋に、生活をインストールしないといけない。それで、庭の草をむしって花を植えた。作物を植えて農園化した。ジャムを作り漬物を漬け、めだかの学校も開校した。逃避であり、助走だ。助走と助走の合間の息切れの瞬間、いいわけのように仕事をする。文章を書く。そうやって暮らしてきた。もう取り返しはつかない。

■いつか、こんな日が来るとは思っていた。当たり前のように会う人と、当たり前には会えなくなること。だからこの15年、人と会い、喋ることに最も多くの時間を使った。私は本当によく喋った。話をした。遊んでばかりいて良かったと、心の底から思う。

■10月、公演をする。世間はまあ、イロイロだ。様々な試み、実験、志を持った活動が模索されている。声高に語る人がいる。囁くような提言もある。世論は回り、日々、正しさは更新される。だが私はもともと、世間からはズレている。それはもう、ずっとズレているのだ。すべきこと。すべきでないこと。基準は揺れている。私は私のやりたいことだけをやり、それをお金を取って人に見せる。いま、作りたい芝居があり、書きたい戯曲があり、見たい俳優がいる。…などと大層なことを書くが、ごまめの歯ぎしりと笑わば笑え。ごまめ結構。ごまめ、が何か知らないけど。なにせ3月の短編フェスではボロカスに酷評され、圧倒的0点を喰らった私だ。ハハハ。ま、その件については、おいおい書く。言わなければならない事はあるが、今は時期ではナイ。

■たった一つだけ決めていることは、正しいからするのではなく、例え間違っていたとしてもやりたい事だけをやること。それは本当だ。

■そんなわけでオーディションをした。開催が確約されたわけではないというのに、多くの方が応募してくれた。本当にありがたい。ビデオチャットツールを使って、書き下ろした戯曲を読んで貰った。戯曲は二人芝居、ワンシチュエーションの会話劇。終わりだけ決めてスルスルと書いたのだが、書きすぎて20ページになった。それを1日かけて4ページにした。なるべく思い入れなく、サラリとスケッチのように書こうと思うのだが、出来ない。どうしても思い入れが出てしまう。そこが駄目だ。登場人物の二人の事をその後ずっと考えてしまった。考えたまま、オーディションで俳優の演技を観た。思い入れて書いた戯曲を、いかに思い入れずに演出するか。そこが課題。だが難しい。本当に、難しいのだった。そんな困難も困難のまま受け入れつつ、出演者も決まった。公演の情報も、しばらくしたら出る。お待ちください。

■4月の終わり。緊急事態宣言という名の戒厳令下、必要があって街へ出た。 駅前で用事を済ませて、少し周囲を歩いた。馴染みの喫茶店、書店は全て閉まり、駅中チェーン店の、隣り合った本屋とカフェが一件ずつ空いているキリだった。本屋で新刊本を買い、カフェに入った。席数を半分以下に減らした店内はマスクをした人々で混雑していた。そこで珈琲を飲みながら本を読んで帰りたかったが、さすがに持ち帰った。ブレンドを注文すると、「研修中」のプレートを付けた若い女性店員が、先輩に教えて貰いながら、ゆっくりと淹れてくれた。戒厳令が敷かれる非日常にも、新たにアルバイトを始める人がいる。そこには様々な、或いは取るに足らない、理由があるのだろう。あのヒトが店に慣れ、「研修中」のプレートが取れた頃、どんな世の中になっているのだろうと考えつつ歩いた。今、その未来に暮らしている。2020年は半分が過ぎた。

小野寺邦彦



#163 異世界転生 2020.08.17 MON


■異世界で転生したらチート能力を持っていて無双 しているのが、今の自分だと想像してみる。 現在の日々の生活が もともと俺がいた世界と比べれば チート級の幸福なのだ。 俺は今、無双している。なにせ食うに困らず住む部屋があり おまけに創作までしているのだ。

■新しくなった新宿の劇場・雑遊で、川村毅新作「路上5 東京自粛」を観劇した。何の装飾もなくガランとしたハコ。たった10名だけの客席、その最前列にマスクをしたまま座った。

■芝居の冒頭。部屋で一人眠る男、小林勝也演じる村上が目を覚まし、台詞を言う。「夢を観た。世界中に伝染病が蔓延してるんだ」。伝染病による災禍で日々、死者が積み重ねられゆく世界。人々は自粛を余儀なくされ、資本主義は停止する‐それはかつて物語で語られた世界だったはずだが、現在、虚構と現実は正しく反転した。昨日までの物語こそ今日の現実であり、昨日までの現実は、既に遠い夢の世界だ。村上は無人の歌舞伎町を彷徨う。それをフィクショナルな自分の夢だと信じて楽しむ村上だが、劇中、何度も何度もアタマをぶっ叩かれて昏睡し、目覚めるがまだ「夢」は続いていて、村上が還ろうとする「現実」には戻れない。それはもう、存在しないからだ。

■私は、80年代の初頭に生まれた。中学入学は95年。高校入学は98年。思春期は、まるまる20世紀末と共にあった。その頃、熱を入れて読んだマンガ、小説、或いは映画、芝居などのフィクション、また、人気の社会学者などの著書には、破滅や滅亡を幻視し、望むストーリーや言説が溢れていた。このまま未来は来ず、世界の破滅も起こらず、ただ「いま」が永久に続いていく。そんな世界ならばいっそ、爆弾一発で蒸発してしまえばいい‐そんな物語がラッピングされてズラリと並んでいた。それは勿論、「終わりなき日常」に担保された、恰好のいい啖呵だったのだと、今では分かる。だが10代の私は、テもなく心酔してしまった。破滅が起こりえない世界で破滅を望むことは、抗いがたく、カッコ良かった。

■だが当然の事として世界の終わりは訪れず、21世紀がやってきて、株とかITとかで世間が賑わっていた、あの日。2011年の3月11日。NHKの生中継で、今、津波に飲み込まれゆくその道路を走る車の列を観たとき。フクイチと呼ばれた原発が爆発する映像を観た瞬間。不謹慎であることは重々、承知の上で、
「ついに来るべきときがきた!」
と私が高揚したことは事実だ。かつて望んでいた破滅がついに今、訪れた。あのマンガ家や、小説家や、戯曲家や、思想家たちは、何というのだろう。万歳!ついに「終わりなき日常」は終わった、辿り着けないはずだった世界に辿り着いた!と快哉を叫ぶのではなかろうか。愚かにもそう思った。

■けれど当然、そんなことをいう者はいなかった。どころか、無くなってしまった「日常」を悼むような「優しいストーリー」に、こぞって転向してしまった。スイッチひとつで世界がポン♪と愉快に破滅を描いたマンガ家が、朝日新聞で「あの優しかった日常へ還ろう」などという作品を寄稿したとき、世界が反転するような眩暈と吐き気を覚えた。
それはないんじゃないだろうか。
そりゃ、その「転向」は「正しい」。絶対に、正しい。破滅を望み、描くのは、あくまで日常が担保されていたからであって、その前提が崩れた以上、趣旨替えは必然だ。だが彼らが目ざとく新しい世界の倫理に順応するほどには、その信奉者たちは身軽には転身できない。あの頃、さんざん、破滅の筋書きを見せびらかし、我々10代の小僧たちをウットリとさせたリーダーたちが、その先頭から次々に「優しい思想」に趣旨替えをしてしまう。その転身の素早さはあきれるほど見事なものに映った。

■けれど作者自身によって掌を返されてしまった、彼らの作った物語の世界と登場人物たちは、どうなってしまうのだろう。美しく賛美された滅亡の世界に、顧みられることもなく忘れ去られたまま。そのことばかりを考え続けた、震災以来の9年間だった。

■平和な時代だったのだろう。親のすねをかじりながら不良やってる学生のように、日常に甘えた、破滅願望。でも、だからと言って、その願望そのものを無かったことにはできない、例え世界のカタチが変わってしまったからといって、自分が熱狂したあの物語とあの登場人物たちを、「今思えば愚かであった」などと言って見捨て、自分だけが「新しい世界」にサッパリと順応する事は許されない。仮に時代に沿った誤った思想であったとしても、それに対する反省と検証が行われなくてはならない。それはつまり、未熟であった自分自身へのケリであり、供養だ。けれどそのような作業の痕跡を見いだせないまま、時間は過ぎた。

■「路上5」の終盤。ロックダウンが明け、夢から醒め、何事もなかったかのように雑踏が戻った歌舞伎町。だが、いくら見かけは元通りに見えても、そこはもうかつての街ではない。「まだ夢から醒めていない」ことに気付いた村上は、街に対峙し、「人類が滅んでも世界は滅びない。人間がいなくなるだけだ。おれは、あの夢の中の人々を見捨てない」と啖呵を切る。並行する虚構の世界に今は閉じ込められてしまった昨日までの世界。そこに今もパラレルに生きている「もう一つの私たち」への供養と鎮魂。 例え今、「新しい世界」に順応した自分たちがたまたま災禍以降の世界に生き延びたのだとしても、 かつてあったあの世界をまるで無かったかのようにサッサと忘れてこの世界を謳歌することなど出来ない。はっきりと、その言葉を聞いた。涙が落ちた。

■いま、エンターティンメントは解体された。これまでと同じ形で娯楽が供されることはもうないのかもしれない。それは辛いことだ。忌むべきことだ。日常回帰を望むその想いの強さは、他の多くの人々と同じく、私も全く同様だ。だが正直に告白すれば、自粛期間中、私は楽しかった。資本主義が止まって、世界がリセットされて、勿論、不安ではあったけれど、同時にその境遇に不謹慎なワクワクを感じた。それも、本当のことだ。そんな思ってはいけないことを、思うワケがない!などと嘘はつけない。世界と自分は関係がない。けれど、間違った世界を勝手に愛し、そして今も愛している自分を決して否定してはならない。或いは、きちんと否定しなくてはならない。あったことを、まるで初めから無かったかのように振る舞うことはできない。それを、芝居に教えて貰った。もう一つの世界を幻視することが出来た。

■私が物語を描くのは、そうすることで、物語を描いていない私を想像するためだ。私が戯曲を書くとき、戯曲を書いている私と、書かなかった私とに世界は分割される。むこうの世界では、私は戯曲を書く代わりに何をしているのだろう。或いは、もう一つのその世界で私がしていることを、しなかった私が今、こちらで芝居なんかをやっているのかもしれない。それは稽古場で俳優を観ているときも、いつもボンヤリ感じていることだ。今、たまたま、何かのキッカケでここに集まっている人たちが、しかしここに集まっていることには何の必然もない。ただ作品を作ろう、と私が思った事だけが要因であることは間違いなく、だから私は、芝居の集団は、作品だけで成立していたいと思う。別に仲良しでなくていいし、忠誠を誓い合う必要なんてサラサラない。ただ作品を作ること、それだけを目的に集まる人々。そこにしか、今、ここ、という場所に自分がいる、その必然はない。

■想像力、という言葉は難しい。ただ、もう一つの現実を、夢想ではなく事実として信じる力を、今はそう呼びたい。殺人事件が起こるとき、そこに特別な理由・要因を探し、「自分とは違う異常な人」が起こした事件なのだと納得したがる人々には、自分が人殺しをするかもしれない、という「起こり得る現実」を信じる能力に欠けている。自分が人を殺した世界、それはもしも、ではない。ただ偶然の選択肢の中で、いま、たまたま自分が人を殺していない世界にいるに過ぎない。それは例え話ではない。

「恋愛をしたことがない人は、恋愛の芝居ができない」
「それでは、人を殺したことのない人は、人殺しの役は出来ないのですか?」

この問答はすべて間違っている。人を殺したことがなくても、自分が人を殺すかもしれない、その世界を想像し、接近し、その世界の息遣いをこちらに持ち返ってくること。それが俳優の仕事だ。恋愛をしていない事は勿論、まるで問題ではない。恋愛をしているかもしれない自分の存在に想いを巡らせることの出来ない貧しさこそが問題なのだ。あったかもしれない現実。物語においては、それは夢想ではなく、事実だ。その事実を裏付ける技術の集積こそ、想像力、なのではないか。この想念はデタラメだが、真実である。

■相変わらず無茶苦茶な文章だ。いつまでたっても洗練が訪れない。私には、文章を書く才能がない。これは逆説ではない。才能がないのに、やる。才能があってやってる人より100倍立派だと思う。誰もそう言ってくれないから、自分で言った。

■8月のアタマから恐る恐る始まっている稽古は今、お盆休み中。明日の夕方からまた、ボチボチと再会の予定。この10日間ばかりの休みの間、めだかの水を取り替えたり、じゃがいも掘ったり、伸びすぎたトチの木の枝を切ったり、昼寝をしたりする合間を縫いながら書き進めた戯曲を、出来たところまでプリンターで印刷した。時間をかけて書いた台詞も、何も考えす2秒で書いた台詞も、分け隔てなく無感動なままガーっと印刷されて出てくるのが爽快だ。プリンターの、その「なんでもない感じ」が好きだ。蓄積した時間が黒点となって、白い印刷用紙を埋めてゆく愉悦。

小野寺邦彦



#164 ゴッド・オンリー・ノウズ 2020.10.04 MON


■それにしても「鬼滅の刃」だ。今更言うまでもないが、凄い人気だ。ドイツに住む知人の5歳娘も夢中で、オンラインで禰豆子コスプレ見せてくれた。 着替え中に まだカメラ繋がないでね!まだだよ! って言ってる声がそのうち、 ウググ…ムググ…とくぐもったので、 ああ、竹筒咥えたんだなって分かったのが面白かった。

■区切りをつける、ということが昔から苦手だ。

■20歳くらいの頃。音楽や、映画や、演劇を教えてくれた1歳年上の友人がいた。彼はオシャレで、博識だった。楽器も弾き、酒は無類に強かった。代々木上原の住宅街で2DKの部屋に一人暮らし。CDやレコードや雑誌、映画・ゲームのソフト、そして山のような衣服に囲まれたそこは、当時三畳一間の某劇団倉庫で寝泊まりしていた私にとっては、宮殿だった。バイトはせず、仕送りで暮らしていると豪語し、カラカラと笑った。ある晩、部屋で朝方までゲームをした後、24時間営業の定食チェーン店に行き、注文を待つ間に彼が言った。「俺は30過ぎたら実家継ぐ約束で東京にいるから。それまではウチの金で好き放題していいって、そういうキマリなんだ」と。私は、ショックだった。「予め失われることが解っている生活」と「人生に初めから区切りを設定している」ということ。それは中学生の頃、学校でいわゆる不良たちと接したときに感じたものと同じだった。彼らはよく、写真を撮った。一枚でも多く、想い出を残すために。「ヤンチャ」で「バカ」な行動を、いずれ自分たちが語る武勇伝になるであろう行動を好んで選択した。「今」という時間をいずれ語るための「過去」として、初めからとらえて行動している。それは想い出の記録を取る目的で旅行に出かけるようなものだ。今が未来の想い出として、奉仕していると感じた。

■それは豊かな生活だったのかな、とも思う。若い時代に思いきり遊んで、一区切りつけばそれを輝かしい想いでとして、次の生活へと舵を切る。だが、今という時間が、絶えず目減りし続ける制限時間の中にある、という認識の元で暮らすということは、私にはやはりよく理解できないままだ。

■あるとき、道行く小学生が、友人に「それって中二病じゃん」と言ったのを聞いた。まだ実際には中学生にもなっていないのに、自意識が暴走する「痛い」言動の存在を、知識として仕入れ、当事者になるよりも先に、あらかじめ回避してしまう。今という時間を、常にその先からチェックし、検閲するような俯瞰的な視点を、私は持つことが出来ない。それがいいか、悪いかはまるで分からない。幼稚園の入園児から、大学入学までのプランが出来ている付属校に入る子供を見るように、「未来」に困らないために「今」が存在している事に対する強力な違和感だけがある。だが、その違和感自体が欺瞞なのかもしれない。きっと、欺瞞なのだ。

■区切りのつかない人生だ。常に、今は今でしかなく、それが未来、どのような影響を及ぼすか、などとは思ったことがない。それは私の持つ、唯一の作劇術でもある。常に、問題は今だけだ。だから伏線や物語の後出しは考えない。昨日書いた言葉の意味が、今日その続きを書いた瞬間、初めて分かる。私は、自分の作劇に絶対の自信を持っている。それは、すべてのエピソードや展開や台詞を、自分の書いた物語の中からだけ、探してきているという点において、だ。それが時流に乗ったものでないことは重々、分かっている。だが、私が時流に乗ったことなど、生涯ないのだ。そのような書き方を選択したわけでは、決してない。そのようにしか、書けないのだ。事実として。

■そんなわけで、この文章にもまるで区切りは付かない。脈絡もない。いつものことである。区切りのないままシームレスに宣伝をするが、架空畳第18回公演『インテグラルの踵は錆びない』、初日まであと10日と少し。台本は、史上空前の速さで完本。とはいえ、初日の28日前だけど。4月の自粛期間、殆ど仕事がなくなって、部屋にいる間にずーっと考えていた時間が効を奏したのか。単に、稽古期間が長いから余裕が出来ただけなのか。概ね後者の気がするけど、いいのだ。結果として、台本がある。余裕を持った稽古が出来ている。作品にも俳優にも、絶対の自信がある。感染症の脅威は依然、世界を覆ってはいる。観に来る、来ないは、各人にお任せして、作品を排出し続ける、それもクオリティーの高い作品を。それが今、やりたいことだ。今、やりたいことだけをやる。それだけが区切りを打てない万年ボンヤリ野郎の私が、息を吸って吐く方法だからだ。カッコイイこと書いた。そういう気分だ。今、喫茶店でビーチボーイズの「グッド・ヴァイブレーション」が流れている。

■そんなわけでご興味ある方はチケットをヨロシク。YouTubeで、戯曲の元ネタについて話す、という体裁で実際は私が好き勝手に喋っているだけの「予習」動画も公開してますので。見れば10分時間が過ぎるという、恐るべき効能があります。ふふふ。

■稽古で、多くの俳優が学生時代のジャージを履いている。学生時代のジャージなんて、私は一着も持っていない。そもそも、学生時代にジャージを着用した記憶もほぼナイ。過去は暗渠だ。記憶を埋め立て、もうそこには寒々しい道があるだけだ。今という時間を生きる以外の能力に欠損があるだけかもしれない。そしてそれはきっと、その通りなのだ。

小野寺邦彦




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