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生活と創作のノート

update 2011.05.02

生活の冒険フロム失踪者未完成の系譜TOKYO ENTROPY薔薇と退屈道草の星偽F小説B面生活フィクショナル街道乱読亭長閑諧謔戯曲集ここで逢いましょうROUTE・茫洋脱魔法Dance・Distanceニッポンの長い午後


薔薇と退

ROSE & DIAMOND.s NOTE


#058 死とネタ 2010.10.08 FRI


■いろいろな追悼文を探して読んでいる。 亡くなった有名人、文化人、芸能人。そういった人々を追悼し、エピソードを添えてまとめた文章の数々。 その中身は、どれもほとんどコピーしたのではないか?と思うほど、似通っている。 故人の名前だけを入れ替えても、通用してしまうような文章も、中にはある。

■新聞や雑誌などのコラムでの追悼記事、というものに長い間違和感を抱いてきた。

■コラムの筆者は常時「ネタ」を探している。仕事として、ワクを埋めるためのネタ。食い扶持。 誰かが死ぬ。有名人であったり、何かの功労者であったりする。犯罪者だったりもする。格好のネタである。 調べて、それらしいことを書く。ワクが埋まる。一丁上がり。そして一瞬で忘れ去るし、忘れ去られる。

■ある筆者の時事放談系のコラムを文庫本で読んだ。週刊誌に2年に渡って連載されたものだ。 その内容の四分の一程度、一章分が追悼文に充てられていた。 実にさまざまな職種・業種のヒトビトが次々と追悼されてゆく。 何か自分に絡めたエピソードを披露して(それはほとんどの場合、故人と直接関係のない、個人的で一方的なエピソードである)最後に「冥福を祈る」云々。 テンプレートに流し込んで作られる文章。 判で押したような埋め草。右から左へ処理される。人の死が、そうやって使われてゆく。消費される。 追悼文というフォーマットが、作家、エッセイスト、コラムニスト、ライター、編集者、その他締め切りに追われる物書きたちの、その場しのぎのネタとなっている。

■ミクシィを始めたころ、芸能人が死ぬと、皆が急にそのヒトの追悼を始めるのにも驚いた。「安らかに眠って下さい」「感動をありがとう」 それは別に悪いことではない。誰もが思う。だが…。もはやネタを探しているのは、物書きだけではないのだ。 ブログ、ミクシィ、ツイッター。書きたいという欲望があり、ネタを探す我々。そこに訃報が転がり込む。たちまち消費され、そして次の訃報を待つのだ。

■別にモラリストを気取るわけではない。ただ「死」というモチーフの扱い方の、あまりの杜撰さ、横着さに辟易するだけだ。 小説、映画、ドラマ、芝居、ゲーム。あらゆる物語の中で人が死ぬ。殺される。 多くは杜撰に、安易に。涙を搾り取るネタとして。ドラマを盛り上げるアイテムとして。物語とはつくりものである。しかし今、私はこう考える。

物語で一人の人間が死ぬとき、現実にも人が一人死ぬのだ。

この言葉はいったい、なにか。よく分からないが、こう思ってしまったのだった。考えよう。考えるために、次の芝居を書く。だがそれはまだ、少し先のことだ。

小野寺邦彦


#059 多摩美術大学で講義します 2010.10.21 THU


■阪神はダメだった。もう本当にダメだ。ダメだなあ。何がダメと言って、こんなにダメな巨人に歯が立たなかったことがダメで仕方が無い。猛省を促したい。

■そんなわけで唐突だが明日(22日)、多摩美で講義します。講義というか、何かボソボソ喋るだけ、という感じになるとは思いますが。 総合講座デザイン論という授業です。14時半くらいかな。どうもロクなことにはならない気もしますが、多摩美の学生の方はまあよろしくお願いします。

■講義で使う資料のため、夕方から、過去公演の資料や台本、録画映像などを観ていたのだが、意外なほど楽しんだ。 驚くほど内容を覚えていない。本当に覚えていないのだった。まるで他人が作った作品のように夢中で観た。 そして、ほんとにバカみたいなことを言うが、それはいちいち私の好みにあった芝居なのだった。 私が作ってるんだから当然なのだが。勿論、未熟だ。いろいろと失敗しているし、拙い芝居だ。だが、面白い。楽しめた。

■不思議なことに芝居の内容そのものはほとんど何も覚えていないのに、 その公演中に交わした会話や飲みにいった店、あるいは小屋入りの朝、徹夜で打ち合わせをした後、朝食を買いにコンビニまで歩いたときの空気などはありありと 思い出すことが出来る。『思い出』を作るために芝居をしているわけではない。 あくまで作品を作るために続けている。しかし しかしそんな意志とは無関係に、思い出は凄いスピードで後ろから付いてくる。甘美な誘惑に足を取られそうにもなる。 それを振り切る方法は唯一つ、次の新しい芝居のことを考えるしかない。本当にそれしかないのだ。

■そんなわけで明日は私なりの「物語」について話そうと思う。きっと余計なことばかり言うだろう。そうに決まっているのだ。

小野寺邦彦


#060 10月のこと 2010.10.30 SAT


■朝から激しい雨風。台風が来ている。

■夏から秋を飛ばして冬になったと思ったら大型台風。 知らない国のようだ。とても楽しい。年ごとにまるで違う気候なら良い。 今年は半年春で半年夏です。 右手に桜、左手にはスイカだ。馬鹿だ。馬鹿がまかり通る。

■10月は大変にのんびりと過ごした。 公演後、大きく体調を崩してしまった夏。それを立て直すために一ヶ月、思い切って何もしなかった。 長い長い一ヶ月。驚くほどゆっくりと時間が過ぎた。眠くなったときに眠り、目が覚めるまで眠った。 それでも時間はある。映画を観て、本を読んだ。ピンチョンの「メイスン&ディクスン」と「ヴァイン・ランド」。いつも少しづつ、時間をかけて断片的に読み進めていく作家の作品を、一気に読了する愉悦。 幸福な記憶だ。

■先週末は多摩美での講義。予想通りのしどろもどろではあった。大勢の人の顔を見て話をするのは刺激的だった。 芝居を作っているが、私は演者ではないし、本番中は客席にいて、観客の後ろ頭ばかり見ているのだ。だが正面からぐわっと視線を受けると、そうか、 俳優はいつもこういう圧の中でやっているのだな、と知る。今後の演出に大いに参考になる。 ■講義自体は口から出まかせばかりべらべら喋っていたら、あっという間に時間がなくなった。しかし、学生は寝る。授業が始まる前にすでに10人くらいは寝ていた。 映像やプロジェクターを使うために教室が暗くなる度に次々と眠りに倒れる学生たち。気分は殺し屋である。次は何人眠らせてやろうか。 せめて安らかに眠れ、学生。命より大事な単位を取るがいい。夢の中で。

■授業後、質問に来てくれた学生もいた。質問というか、雑談か。 中で一人の女子学生は、喋り方に全く余裕がなく、マシンガンのように自分の言いたいことを早口でずっと喋り続けた。 怒っているかのような口調で、適当に相槌を打つ私の回答は彼女には不満であるようだった。それは質問というより、言葉をぶっつける相手を探しているという感じだった。 青筋が立って震えているような言葉だった。それが不快だったかと言えばそうことは全くなく、むしろこの人の言いたいことをずっと聞いていたいと思った。 この言葉に打たれ続けたいと思った。マゾではない。

■恐らくこの人は今までずっと、言いたいことを言う相手がいないまま、溜め込んできたのだ。 大学に入って今、それが初めて炸裂している。だから喋って喋って、一通り喋り尽くしてもう喋ることが無くなった後に、彼女から出てくる一言が聞いてみたい。 それがきっと、彼女の初めての作品になる。私自身がまさにそういう学生だった。人を捕まえて、本当にしょうもないことをベラベラと喋りまくった。 授業にも出ず、出ても眠り、単位を取りこぼしながらも喋り続け、ついに喋ることが無くなったとき、初めて芝居を作ったのだった。 既に大学三年目の秋だったが。

■そんなわけで楽しく過ごした10月だった。

小野寺邦彦


#063 呆然 2010.11.28 SUN


■日曜日。近所の中学校のグラウンドで行われていた少年野球の練習を見かけて、思い出したことがある。 小学生の頃、週に一度、5・6時間目の枠を使ったクラブ活動というのがあって、私は野球クラブに所属していたのだった。

■年度末だった。或る時、隣の学区にある小学校のチームと試合をするという事になり、 そのためのレギュラーメンバーが選抜された。レギュラーには背番号が与えられるのだという。 背番号!私はそれが欲しかった。すごく欲しかったのだ。かっこいいじゃないか。だが実力に劣ること甚だしく、私は選抜から洩れ、 背番号を得ることはかなわなかった。

■ところでこのような話が誰かの母親だかの耳に入り、クレームがついたのである。 背番号を与えられる子とそうでない子がいる、というのは問題があるのではないか。 これは、モンスターだろうか。モンスター親(オヤ)。まあこの類のヒトはいつの時代にもいる。 そんなワケで次回のクラブの際、監督を務めた若い女性教師はその旨を我々生徒に説明し、配慮が足りなかったと謝罪したのだった。 その上で、全員に背番号を与えるという。本当か。一度は諦めた夢がかなうのだ。ありがとう、モンスター。 名前を呼ばれて背番号を受け取る。輝かしき正方形。その布に刻印された我が背番号は。 …それは不思議と数字ではなかった。犬みたいなケダモノのイラストであった。

「レギュラーメンバーは数字。それ以外のメンバーは、かわいい動物ちゃんです。」

なんだ、何を言っているんだ。

■何が起こったのか理解できない児童のからっぽの脳髄に体育教師の言葉が空虚に吹き抜けてゆく。呆然自失の私の眼前で、件の女教師が言う。 「オノデラ君のはシロクマですね~。かわいいでしょ。」 かわいい…?背番号、かわいい…。俺、背番号、シロクマ…。 その年限りで私は野球クラブを辞めた。翌年からは図書館で黙々と本を読むだけの読書クラブに入り、めっきり口数の少ない子供に変わっていったという。

■私はこのとき、呆然を学んだ。呆然とは断絶である。ディスコミュニケーション。絶対に話の通じない相手というものがいる。 それは同じ時代、同じ場所、同じ時間を共に過ごしている相手の中にさえ、現れる。 言葉の通じない相手は、目の前にそびえる異文化であり、異国だ。価値観が違うのだ。私も、相手も、お互いを理解したいと思っている。 思っているが、できないのだ。そう、断絶とは、無理解から起こるのではなく、無理解を乗り越えられないことから起こる。 それを受け入れること。絶対に話が通じないことを前提に、それでも伝えたいことは何か。この絵はシロクマなのか。 その報われぬ絶望の一瞬こそが、呆然だ。私は呆然を描こうと思う。それが滑稽であったとしても。滑稽であるから、こそ。

■グラウンドでフラッシュバックする、呆然の記憶。それは飛ぶような三塁打にかき消された。

小野寺邦彦


#064 とりま 2010.12.01 WED


■夕方、渋谷から新橋へと向う、山の手線内。満員の車内で眼前にはギャルギャルしい女子2人組。
「とりま、カラオケでいいんじゃね」 「うん。じゃあとりま、カラオケで」

■とりま。トリマーではない。犬の毛を刈ってどうする、カラオケで。とりあえずまあ、だ。 そのようなコトバがあることは、知識としては知っている。だが、それを実際に使用している会話に初めて遭遇した際に、誰もが抱くであろう感想を、 つい私も抱いたのである。

「ねぎまのことを考えてしまう」

■「とり」の部分は即ち「鳥」を想起させるし、鳥で「ま」といえばそれは焼き鳥で、しかもねぎまだ。 折りしも夕方。一日の勤務を終えたサラリーマンでごった返す車内でのこと。心に抱くのは行きつけの居酒屋、看板の灯り。 良く冷えたビールの一杯と今日も変わらぬおかみの笑顔、傍らにはアテの焼き鳥がそっと添えられている。 よし、今日は焼き鳥にしよう。一本目は、断然ねぎまだ。居酒屋ののれんを潜り、冷たいお絞りで顔を拭っておもむろに、いつだって人は言うのだ。

「とりあえず、ビール」。

前述の少女たちに言わせれば、それは即ち「とりま、ビール」ということになる。 だが今日は何かが違った。アタマの中で回り続ける「とりま」と「ねぎま」の文字の所為か、思わず口を滑らせてしまうのである。

「ねぎあえず、まあビール」

■「とりあえず、まあ」が「とりま」であるのなら、「ねぎま」は「ねぎあえず、まあ」だ。 なんだ、ねぎあえずって。しかし何事も無かったかのように注文は通るだろう。真っ赤になって俯く目の先に、いつもと変わらぬ、 良く冷えた生ビールが一杯、事も無げに置かれるハズだ。その一杯を飲み干す頃に、コトリと置かれる小皿の上には一本の串が置かれている。 そう、ねぎま、だ。思わずおかみの顔を見上げる。その笑顔は、心なしか、あの電車の中にいた少女に似ている気がしたのだった。(おわり)

■安全点検のために目黒で電車が止まり、10分間身動きが取れなかったのだった。やがて電車が動き出し、私の妄想も終わった。

小野寺邦彦


#065 自意識の来た道 2010.12.09 THU


■数人の知人と居酒屋で飲んでいると、一人の女性が次のような話を始めた。

■会社内で、最近、女装して出勤してくる後輩の男性社員がいる。会社につくと、化粧を落とし、スーツに着替えるのだが、 退社時にはまた、女性ものの服を着て、化粧をし、時にはウィッグを装着して帰ってゆく。 彼女はその男性社員の教育係でもあるので、一応問い質したそうである。別に今のところ業務に支障は無いので咎めるわけではないが、 若し理由があるのなら教えてくれないか、と。するとその男性社員はこう言った。

「女性の気持ちが知りたいのです。分りたいのです。男として、女性が普段どんな気分で化粧をし、スカートをはいて歩いているのか、それを体験として学習したいのです」

と。性同一性障害などではないという。純粋な好奇心だ、と。私は彼女に聞いてみた。 「女性の気持ちが分りたいから女装をするのだという、その男性の気持ちを、理解できるか?」彼女は答えて言った。 「理解不能」。

■その夏、私たちは映画を撮っていた。17歳、高校二年生の夏休みのことだ。いわゆる自主制作映画であり、世の中のほぼ全ての自主制作映画がそうであるように、最低最悪の駄作が生まれようとしていた。なにしろそれはゾンビ映画だった。ある日、平凡な男子高校生である主人公が目を覚ますと、家族が全員ゾンビになっている。学校へ行っても、クラスメートは皆ゾンビだ。しかし中に数人、まだゾンビ化していないマトモな男子学生もいる。但し、彼らは全員、女子用のセーラー服を着ているのだ。そしてとまどう主人公にこう言う。「俺たちは、ゾンビではない。実は、幽霊なのだ」・・・全くアタマが狂っていたとしか思えない脚本だが、我々はマジだった。この脚本を書いたのは勿論私である。

■さて上記のようなストーリーなので、男性俳優が女子用のセーラー服を着なくてはならないのだが、ここで問題が起きた。制服自体は理解ある同級生の女生徒から調達してきたものの、そのスカートが短すぎて、パンツが見えまくるのだ。どのアングル、どのポーズ、なんならただ立っているだけなのに、どうやっても隠し切れずにパンチラしまくってしまう。それでは困るのだ。このシーンでは男たちはセーラー服を何の違和感もなく、完璧に着こなしていなくてはならないのだ。男たちがセーラー服を着ている姿がこの世界では最も自然に見えてくる、そういうシーンでなくては困るのだ(書いていてアタマが痛くなってきましたが)。このままでは唯のシモネタ、下品なおちゃらけになってしまう。冗談じゃないぜこれは芸術なんだマイ・ゴッド!

■そこで緊急会議を開いた結果、メンバーの一人が彼女を呼び出し、同じ制服を着込んでもらう次第となった。するとどうだ!全く同じ制服を着ているのに、彼女は全然パンチラしないのだ。一流のサッカー選手のボールさばきが時に「足に吸い付いているようだ」と形容されるように、彼女が如何に動こうとも、あの短いスカートのプリーツその一つ一つが一糸乱れぬ動きでもって、まるでヒップに吸い付いているが如く華麗に纏わりつき、臀部を優しく隠し続けるではないか。試しにもう一度男性俳優に同じスカートを着用させ、彼女と同じように動くよう指示した。まるでダメだ。スカートは言うことを聞かず、初めてサッカーボールを与えられた子供が力いっぱい蹴飛ばしたようにコントロールを失い、無残にパンチラし続けるのだった。

■早いはなし、男は「その部分」に意識がないのである。自覚した意識のない箇所を制御することは出来ない。これは自意識の問題である。彼女たちは、あの短すぎるスカートを毎日履き続けることでその御し方、コントロールの仕方を実践的に身につけたのだ。その日ちょっとスカートを履いてみた男子に、即座に同じ芸当が出来てたまるものか。身につけるべくは、身のこなし、などという技術ではない。自意識の発見、そのものなのだ。

■世の中には「上手い」役者と「下手な」役者がいるという。その定義はマチマチであるが、しかし見て一発で「上手い」或いは「見てらんない」と思う役者は確実に存在する。それは結局、身体のどの部分、どのレベルまで「意識」できているかということに尽きるのではないか。勿論技術の問題はある。だが技術とは、発見した自意識を制御するために必要なものなのであって、そもそも意識できていない箇所を技術によって制御することは出来ないのだ。より多くの「意識」を高度な技術でもって「無意識に」飼いならしている役者こそ名優と呼ばれるに違いないと今、私は思う。あの短いスカートを履きながら決してその中身を見せることなく毎日を自然に過ごす女子高生のように。自分がパンチラしていることにも気付かない役者を私たちは正視することが出来ない。だからきっと、名優は女装したとしても、決してパンチラはしないハズなのだ。何だか前にも同じようなことを書いた気もするけれど。

■ところで、結局その映画はどうなったのか、といえば、勿論完成しなかった。世の中のほぼ全ての自主制作映画がそうであるように。

小野寺邦彦


#066 縫って縫って縫いまくれ 2010.12.13 MON


■電車内で『文学賞メッタ切り!リターンズ』を読んでいたのだった。 しばらく読み進めてフと本から顔を上げると、朝日新聞の広告が目に留まった。大きな文字でコピーが書いてある。

『世相を切るコラム』。

その隣に吊られた週刊誌の広告は。

『世間にはびこる新卒切り』

切りすぎだ。手加減してやったらどうか。 その斬り傷は誰が縫っているのだ。『世相を縫うコラム』はないのか。 そういえば『十三人の刺客』で役所広司も言っていた。

「斬って斬って斬りまくれ!」

ならばこちらは「縫って縫って縫いまくれ」だ。世相を縫うブログ。嘘だけど。大体なんだ、世相を縫うって。どんな内容だ。

■本の整理をしていた一日。フと、むかし本棚一本がまるまる詩集で埋まっていたときのことを思い出す。

■金子光春、田村隆一、イェイツ、鮎川信夫、エリオット、ヴァレリー、北園克衛、天沢退二郎、黒田三郎、レイナス、吉増剛造、中原中也、タゴール、石川啄木、荒川洋治、平出隆、萩原朔太郎、シラー、ギンズバーグ、寺山修司、友部正人、吉岡実、ねじめ正一、上田敏、ランボー、コクトー、大岡信、ボードレール、瀧口修造、リルケ、高村光太郎、ワーズワース、ジェイムズ・ジョイス。まあつまり節操が無かった。

■それらの本はしかしある時期を境に、一冊また一冊と友人に貸し、または贈り、或いは僅かな交通費を捻出するために売り払ったり、いつの間にか無くなってしまったりといった具合で散逸していったのだけれど、それがとても自然な気がして、新たに買いなおすようなことは一度も無かった。散逸こそ、ふさわしかった。そして手元に残った僅か数冊のうちからまた一冊、今日も人にあげてしまった。それは私がある長い時期、宝物のようにして所有し、読み返した一冊だ。けれど今日手放すことに何の躊躇も無かった。価値が無くなったというわけじゃなく、何だろう。兎に角そうすることがとても自然なことだと思えたのだ。いい手放し方だったと思う。スッキリと別れることができた。もう会うこともないだろう。それでよかった。

■全ての本がこうやって整理できたら何て楽なんだろうと思うが、そうもいかない。だが床は確実に悲鳴をあげている。

■年末ですね。けれどあまりそんな気がしない。次にやること、やりたいことをぼんやりと考えてはすぐに眠くなる、そんな日々。

小野寺邦彦


#067 アンダーグラウンドパレス 2010.12.15 WED


■早朝の山手線、通勤・通学ラッシュの最中でのこと。人ごみの中でのすれ違いざま、女子大生風の若い女性が友人にこう話しているのが聞こえた。

「バイトを辞めて、彼一本に絞ることにしたの」

『バイト』と『彼』が並列だ。それ、両立できると思うけど。

「ご飯を辞めて、彼一本に絞ることにしたの」
「バンドを辞めて、彼一本に絞ることにしたの」
「洗濯を辞めて、彼一本に絞ることにしたの」

どんな彼氏だ。

■音楽をやっている友人からライブの誘いがあったので出掛け、ライブハウスの前までやって来たのだが、中には入らずそのまま帰ってしまった。だって、恐かったのだ。入り口がとても恐かった。

■ライブハウスというのは大音量を出すために、大抵、地下に作られている。中に入るためには階段を下って行かなくてはいけないワケだが、その階段のワキに人が溜まるのである。急角度で設置された狭い階段。人一人、すれ違うにもやや体を傾けてやっとという広さの階段である。その一段目から最終段まで、片側縦一列にズラリと居並ぶ革ジャン、革パン、長髪、モヒカン、金髪、ドレッド、ヒゲ、グラサン、タトゥー有りな猛者の面々が『機関車やえもん』の如くタバコの紫煙をジャブジャブ吐き出しているその脇を、「ちょいと失礼」と通り抜けていく無言の約7秒間というのは、想像するだけで身が竦む。例え自意識過剰と罵られようとも針のムシロに進んで座りたがる者はいないのだ。いたらそいつは変態である。変態め。私は違う。

■化粧や仮面や踊りで聖域を作りだすシャーマンが如く、彼らライブハウサーもタトゥーや髭や革ジャンを用いて、文字通り、その『場』にバリアを張っているというわけだ。これは何も特別な話ではない。『場所』とはすべてそうやって作られるものだ。自分の場所。自分たちだけの場所。躊躇なく立ち入るには特定の資格が必要な場所。だからその「場所」に憧れを抱く者にとって、そこへ自分が足を踏み入れることが出来たときはたまらなく嬉しいものである。同じ嗅覚を持つ「仲間」でなければ入り込むことの出来ないその場所に、自分は今足を踏みいれているのだ、という喜び、優越感。狭き門というのは、半ば閉じられているからこそ入りたくなるわけであって、誰であってもホイホイ入れるのであっては意味がない。魅力がない。そのための結界だ。通行手形を持たないイレギュラーな闖入者は、そのバリアに身を焼かなければ進入を許されない、そうであるべきなのだ。だからまあ、怖いのは仕方ない。仕方ないんだけどなあ。やっぱり怖いよ。

■初めて入った居酒屋。初めて入った喫茶店。一人で入ったオールナイト上映の映画館。古本屋、ライブハウス、ゲームセンター、クラブ、或いはインターネット、そして劇場。惹きつけるもの、それはアンダーグラウンドの魅力だ。学校と家庭以外の、第三の居場所。勿論私だってその空気にモロにやられた口だ。劇場を借りて公演を打ち、初日が空けた翌日の朝。まだ誰もいない客席に一人座って目を閉じるその瞬間が、人生で一番好きな時間だ。・・・でもね。そこは結局、学校でも家庭でもないのだ。数時間、一晩、数日過ぎれば去らなければならない場所なのだ。住む為の場所ではない。訪ねて寄る場所なのだ。帰る場所は、他にある。ライブではモヒカンの兄ちゃんも、明日のバイトでは髪を下ろして束ねるのだ。

■私は、劇場という場所の悪場所としての魅力は理解しているつもりだし、その臭いが無くなれば、芝居の魅力は消えうせるだろうことも分っている。けれど同時に、恐々とその扉を開けた一見さんをギロリと睨みかえすようなマネはしたくないのだ。終演後、役者やスタッフ、歓談する関係者の知り合いでごった返すロビーを、速足で通り抜けてゆくお客さんの顔も、これ以上見たくはない。どちらかと言えば、私もそうゆうタイプの客だったからだ。では、どうすればいいのだろう。・・・難しいね。取り敢えず、上演後にはロビーに出て挨拶をするべきなのだろう。オペ室に篭城してダメ出しのメモを整理しながら、舞台監督の「完パケです」の声を待っている場合じゃない。どうにもシャイだからね、私は。

■つけっ放しのテレビ。2時間サスペンスドラマの画面からはチープなセリフが無尽蔵に連打される。今、ドアを叩きつけながら女が部屋から出ていった。捨てセリフは「もういい!」だ。そう言われて「もうよく」なったことがないなあ。なんてしょうも無いことを考えながら過ぎる午後。時間はゆっくりと流れている。

小野寺邦彦


#068 神様のピンチヒッター 2011.01.27 THU


■年末、身の回りを片付けていると、高校生のときに書いた映画の脚本や資料が山のように出てきた。脚本は意外にも、すべて最後まで完成していた。内容に関してはもう全く忘れていて、夢中で読んだが、まあひどい代物だった。実際には、今も大して変わっていないのかもしれないが…。資料もいろいろと頑張って集めているのだが、なにしろネット導入以前のことだ。今となっては一瞬で揃うようなものばかり。惜しみなくゴミ袋に放り込んでゆく。が、フとある資料の一群に目が留まった。それは野球のルールブックを細かく解説した資料で、中に大きな付箋が貼ってあったのは、ピンチヒッター(代打)に関するルールの項目だ。何となく覚えがある。確かにある時期、それを調べていた。

■赤のラインマーカーで太く囲まれた一文。そこにはこうあった。

【席の途中で打者が交代した(代打が出された)場合、打席が完了した時点における打者にその記録が付く。ただし例外として、2ストライクを取られた後に代打として出場した打者がストライクを取られ三振した場合は、2つ目のストライクを取られた打者に三振が付く】

そうだったのだ。かつての、そして少し前までの私は、確かにこういう箇所から物語のアイディアをデッチあげていた。鉱脈を感じていた。エピソードの予感。この一文を拠り所に、一本の芝居を書くことも不可能ではないだろう(別に野球の話を書くということではなく)。

■けれど今、私はそういった発想の仕方に魅力を感じない。きっと書きすぎた。食傷した。このような発想方法は、驚くほど私にフィットしていた。し過ぎていたのだ。 旗揚げ当初、ハイペースで台本を書き飛ばす中、その方法が発想の手管として自覚されていったことで、私はすっかり飽きてしまった。今は別の方法を 考え、試している。やがてその方法にも飽きるのだろう。そんなことを繰り返して気がつけば、とんでもない書き方をしているのかもしれない。しかし、かつて 私がこのような方法で書き始めた、ということは覚えておこうと思う。感傷的な意味合いからではなく、むしろそこから遠ざかるために。

■寒い寒い夜の道。一人で歩いていると、フと昨年の暮れの、やはりひどく寒かった夜のことを思い出す。知り合ってあまり間のない結構年上の人に不意に誘わ れ、忘年会で喧しい居酒屋の片隅でひっそりと飲んだ。店に居た時間の9割以上は説教をされていた。別れ際、酔っぱらったその人は、私の肩を乱暴に叩 き、大きな声で「まだまだだね!君は、全然、まだまだだ!」と言って去っていった。姿が見えなくなるまで、何度もこちらを振り返り、「まだまだだ!」とが なり続けた。嬉しかった。それがとても嬉しかったのだ。そうか、まだまだか。まだまだ出来る。なんだって出来るのだ。

小野寺邦彦


#069 旅する缶コーヒー 2011.01.28 FRI


■書店で雑誌を立ち読みしていると、隣に5,6人の女子高校生の集団がやってきて、一冊の雑誌を回し読みし始めた。
「マジで」「ウソウソ!」「ありえねえって!」「妄想、もうそう!!」
ページを繰るたびに大騒ぎである。5分ほどもすると雑誌を投げ置き、嵐のように去っていった。ポンと放り出されたその雑誌を、何となく棚に戻そうと手に取れば、その表紙には蛍光色のドでかい文字組みで「モテガール完全マニュアル バレンタイン必勝法!!」とある。

■その後10分程も経っただろうか。立ち読みを切り上げた私が棚を離れて店の入り口へ向かうと、入れ違いで先ほどの女子の一人が入って来た。オヤ、と思って彼女を目で追うと、まっすぐに件の棚へ向かい先ほどの雑誌を掴んでレジへ。サッと会計を済ませてカバンに押し込むと、足早に出て行ったのだった。一分の無駄も無い動き。その間約20秒の出来事である。 風のようなあの挙動、俯きがちのあの表情。いつかどこかで見た風景だ。そう、アレは男子がエロ本を買ってゆく姿と寸分違わず同じものではあるまいか。 不意に爽やかな感動が訪れる。胸がいっぱいになる。思わず外に出てその背中を探すが、そこにはもう、誰もいない。

■日中はだいぶ日が差すようになった。とはいえ、外へ出ればまだまだ寒い日々。 電車の待ち時間やちょっとした合間に飲む缶コーヒーの量がつい増えてしまう。 ポケットに片手を突っ込み小銭をまさぐりながら、自販機に向き合ってフと気づくことは、 コーヒー以外のほぼ全てがペットボトル飲料であることだ。今や「缶」は確実に減少の一途を辿っている。エコロジー。資源回収。 正しいことだ。何も悪い要素はない。 やがて飲料類の全ての容器はペットボトルになるのだろう。 わかっている。わかっているんだ。でもなあ。やっぱりコーヒーは「缶」だよ。 ペットボトルに熱々のコーヒー。ペットコーヒー。飲みたくない。断じて飲みたくないんだペットのコーヒーは。

■しかし確実にその時代はくるだろう。すべてのコーヒーは「ペット入り」になり、数年もすれば、我われは缶のことなどすっかり忘れて、それを受け入れているのだろう。 ジュースも昔は缶ジュースだった。当たり前に缶だった。今はペットが常識だ。コーヒーだってそうなるのだ。なるどころか、

「やはりコーヒーはペットさ」
「ペットに入っていてこそのコーヒーさ」


そんなことをうそぶくに違いない。19世紀のニューヨーカーから見れば缶コーヒーだって十分異端だろう。 「正気かい、ミスター?考えてもみなよ。だってそれ、缶だぜ、缶!」。

■コンビニや自販機でお茶や水が売り始められた当時、小学生だった私は、誰がそんなものを買うのかと思った。それが今やこの2種が、全ての飲料水の中での売り上げトップ2なのだ。きっとそのうち空気だって買うようになる。そのとき、コトバはどうなっているだろう。小説、映画、テレビ、演劇。空気をも買うようになった時代に、コトバに支払うカネが果たして残るものだろうか。餓死する直前に食べ物ではなく、コトバにカネを使う人間がいるものか。例えいたとしてそれは、コーヒーはペットボトルではなく缶で飲みたい、という程度の意地に過ぎないのかもしれない。淘汰されれば「昔はそうだった」という程度のハナシなのかもしれない。コトバにカネを払った時代もあった。ではその歴史はまた、どのようなコトバで語られるのか。

■何のハナシか分からなくなってしまった。

■夜中、映画をかけっ放しにしながら読書をする。1972年の映画『殺人者にラブソングを』。たまに思い出したようにチラリと画面を見れば、44マグナムを構えるロバート・カルプの顔。「ダーティーハリー」イーストウッドにも決して負けてはいない。

小野寺邦彦


#070 客席にて 2011.02.03 THU


■新橋にある、油とヤニでベットリと薄汚れてコ汚い居酒屋のメニューに力強い文字で「カフェ飯丼」と書き殴ってあった。アタマの沸いた妖精の書いたイタズラだと思った。

■先月から今週までに観た芝居で、面白いものは無かった。既に自分たちの掌中にあるものを繰り返して見せているだけで、挑戦的なもの、挑発的なものを一切感じなかった。あるいは過去あったものの単純なエピゴーネンであり、模倣に過ぎないものだった。「それ、見たことあるよ。しかももっと面白いやつ」。感想を書けばそうなる。

■小劇場の芝居は、小さな客席に向けて行われるので、自然、規定路線で受けるモノ・過去に受けたモノを再生産しがちになる。身内受けや小ネタで客席が沸けば沸くほど一見の観客としてはシラけてしまうし、何よりそのチラチラと客席に媚を売る視線が嫌である。空振りかホームランかのフルスイングよりもコツンと狙ったヒットを生産しようという根性が下衆である。それでは劇場まで足を運ぶ甲斐が無い。その程度の「面白いもの」はテレビやネットにタダでいくらでも転がっているからだ。シロート芝居に金を払って通うのは、何かとてつもないモノ、埒外のモノを見たいと思うからだ。

■一見、挑戦的な意匠を身にまとっているようで、その実、薬籠中のものを多少アレンジしているに過ぎないというものも多い。非常に多いのだ。客を舐めているのである。馬鹿にしているのである。この程度でいいだろう、と。子供は騙せるかもしれない。しかし、私は騙されない。何より「自分たちが楽しんでいれば、観客も楽しんでくれるはず」というムードには戯言である。それは金を取ってすることではない。共感を求めるばかりで知的な興奮が味わえない。知らないもの、観たことがないものが一切出てこない舞台には価値を感じない。逆に言えば、例え全体が凡庸、あるいは破綻していたとしても、ただ一つのセリフ、ただ一つのシーン、ただ一つのギャグ、たった一人の役者に見るべきもの、見たことがないものが有れば、それだけで許せるし、観てよかったと思う。その瞬間のためだけに、劇場へと足を運んでいる。

■芝居の客は甘い。他のジャンル、例えば映画や音楽や文学の客などと比べるとハッキリと甘い。それはそうだろう。知り合いや業界関係者でギッシリと埋め尽くされた客席から簡単に出てくる「良かった」「面白かった」の声。どの芝居を観にいっても、必ず数人は知った顔がいる。どこでも見かける顔がある。それが小劇場という場をつまらなくする。小さなファンを楽しませるサークルと化してゆく。一般の観客の足はますます遠のいてゆく。 そしてこれらのすべては、自分自身のことである。

■夜。王子で芝居を観た後、久しぶりに岩松と飲んでダラダラと喋った。

■帰りの電車の中で高校生のカップルを見かけた。肩まで伸びた長髪の男の子と、ベリーショートの女の子だった。男の子は身長180センチくらい、女の子は150センチくらいで対照的なルックスだったが、二人とも真っ直ぐで美しい鼻をしていた。一瞬、兄妹なのかもしれないと思った。ぎゅっと寄り添うように立っていたが、手は握っていなかった。

小野寺邦彦


#072 無知との遭遇 2011.02.13 SUN


■「子供の発想は独創的で面白い」などという人がいる。私は、それは違うと思っている。

■殆どの場合それは大人にとって珍しいというだけで、子供の世界では常識的で凡庸な発想に過ぎないのではないか。それはあくまで「子供が言った」から面白いのであり、同じことを大人が言えばバカにされるに決まっている。つまり意見だけを純粋に取り出してみれば取るに足らないことであるのだから、一体どこに感動しているのかといえば、その無知ぶりになのである。だが子供は無知を誇っているわけではないのだから、ある意味子供を見下した考えである。子供の考えとは、やはり子供の考えに過ぎない。私には、子供の思いつきよりも、大人の考えの方が断然面白いと思うし、興味がある。

■確かに子供の発言にハッとすることはある。しかしそれは発言の打算の無さ、ウラを感じない純粋さ、すなわち彼・彼女らの「態度」に寄るものであって、意見や発想そのものにではない。「子供の発想は凄い」「常識に囚われていない」などと、コドモのつまらん戯言を徒に礼賛する風潮には辟易とする。それは未熟であるということに過ぎない。常識を知らないことと、常識を知った上でそこから離れてゆくことの、どちらが困難で、また魅力的か、指摘するまでもないことだ。いやまあ「常識に囚われない」というコトバ自体が物凄く常識的なんだけど。そんなこと言っても奴らにはチンプンカンプンなのだろうし、まあそれはいいや。

■もう一点。これは高校を卒業した辺りから何となく感じていたのだが、どうも若い人間(まあつまりコドモ)の方が頑なで、保守的になり易いように思える。一般的に、若者は失うものが何もないので、無謀だ、挑戦的だと言われるが、事実は逆なのではないか。失うものがないからこそ、何か守るものを探している。ある一つの場所に固執して「そこにいる」ことを主体的に選択しようとしている。実際には若者ほど「囚われ易い」のだ。子供ほど、意固地で頑固なものである。それは彼らが持っている世界の圧倒的な狭さに呼応している。私自身、幼い頃から自分が-意に反して-案外に保守的で頑固な性格であることを自覚していた。最近は、それを少し窮屈で退屈だと感じている。

■例えば、小劇場の界隈でうんざりする程溢れかえっている、いわゆる「若さを売りにした芝居」というやつは、今は見るのもイヤである。それはつまり私にとっては「無知で頑固で狭い芝居」であるからだ。ただ勿論、未熟な魅力、というものも世の中にはあるし、私はそれを否定するものではない。若さ以外に一つでも売りがあると言うのなら、勇んで観に行く。

■まあつまり何が言いたいかといえば、コドモよりオトナの方が断然面白い、ということだ。子供のヒトは早く大人になってどんどん面白くなって下されば結構である。

■扁桃腺が腫れてしまってあまり声が出せない。だが人に言わせれば今くらいで普通だそうだ。普段どれだけ喋っているのだろう。体調もあまりよくない気がしてくる。一日中黙っていると何だか調子が出ないのだ。喋りたい。若しくはどうせ喋れないのなら、喋ってはいけない場所に居たいと思ってしまう。映画館とか。新宿へ「冷たい熱帯魚」を観に行きたい。雪が溶けたら出掛けよう。

小野寺邦彦


#073 自称アイドル 2011.02.20 SUN


■月曜はバレンタイン・デー。さるお菓子会社のキャンペーンで「応募当選者にアイドルから本命チョコが届く」というものがあった。それは違うだろう。抽選で相手を決めるのだから、これ以上はない鉄壁の義理だ。義理チョコの最高峰、とかそういうコピーなら私も欲しい。姉妹品の人情チョコは人肌でしっとりと溶けている。

■アイドルが流行っている。単体ではなく集団、グループ単位でのアイドル。その数は途方もない。豊富に用意された粒揃いの中から自分の好きなものを選んで…というのは今の時代に合っている。権威は存在しない、ただ好みだけがある。正解は存在せず、個人が趣味で選べばいいのだ。だから総選挙、というのは的外れな気もする。趣味の優位を競ってどうする。いい趣味と悪い趣味。正当な好みと異端な好み。コンプレックスの温床だが、それは、まあ、いいか。

■グループ、というものにどうしても興味がわかないのだった。揃いのユニフォームというのもイヤだ。グループは制度、秩序なしでは成り立たない。それはすなわち軍隊…などというと口はぼったいが、テレビで見た、akb48のリーダー格の少女が、格下のメンバーに「たるんでんだよ」と檄を飛ばしすごんでいる姿には、権威を守るために規律を重んじ、恐怖で支配する典型的な体育会系のノリがあった。ヤンキー、暴走族の集会のような雰囲気。きっとそれは必要なことなのだろう。グループに大事なものは一体感。みんなでひとつ。悪くはない。悪いことではない。だれもがそう思う。だが。

■私も集団をもっている。演劇をやっているので、ふつうそれは劇団と呼ばれる。劇団。団。違和感のあることばだ。だって団だ。団だよ。団って…。集団、団体、団結。すべて苦手だ。いやだ。それぞれ好きにやればいい。でも一人では芝居はできない。人が嫌いか?そうではない。むしろ好きだ。みんなで一つ、それがいやなのだ。みんなでバラバラ、それが理想だ。それは決して「団」ではない。集まりだ。個人の集まり。しかし、個人の集まりの架空畳です、ってそれはな。なんかイヤだな。あざとい感じがして。おそらくは劇団、という言葉に違和感を感じ、他のことばを使う例も多い。「演劇集団」とか。「ユニット」とか。でも結局、同じことだ。気恥しい。ことばは難しい。とても難しいのだった。

■劇団。それは肩書だ。集団の肩書。それは自称の肩書なのだった。「西部ライオンズ」を「球団西部ライオンズ」とはいわないし「鹿島アントラーズ」を「蹴球手段鹿島アントラーズ」とも呼ばない。ライオンズは野球チームで、アントラーズはサッカーチーム。それは言うまでもない。当然の事実として世間に認知されているからだ。つまり自称する必要がない。肩書をつけなければ世間に通用しない、というのはそれだけ認知されていないということ。マイナー、アマチュア、シロートだということ。だから自称しなくてはいけない。自ら名乗らなくてはならない。そこに気恥ずかしさがある。誰も知らないマイナーな自分。そこに自ら名付ける「団」ということばの物々しさ。ことばと実態のその距離に引き裂かれる。

■小劇場という場所で芝居をする。いったいどこまでがアマチュアでどこからがプロなのか。極めて怪しげな世界である。一部の人間が、いつの間にかなんとなく、プロになる。とは言え、実際には殆どがアマチュアだ。インディペンデントだ。肩書きは必然的に自称されることになる。自称・劇作家。自称・演出家。自称・俳優、女優といった人々が日々大量に生産されてゆく。名乗るのは自由だ。何を自称しようといい。だって自称だし。間違ってはいない。そう思うのならば。そう思えることがすごいとは思う。それは才能だ。

■そこまで他人は考えていない、自意識過剰だというむきもあるだろう。過剰な自意識を持ち 合わせていない人間が芝居など作るものか。問題はその自意識の飼いならし方だ。気恥ずかしい、と何度も書いたが、実はそれを悪いことだとはまるで思っていない。 むしろモノを作る人間 は常に「恥ずかしく」あるべきだ、と思う。どこまでも「自称」せざるを得ない恥ずかしさ、いたたまれなさ。それを忘たくはない。恥をかきながら 続けている。作品を作っているなどと言って晴れがましいような顔は決してすまい。好きでやっていることだ。「作品に対する使命感」とか言う奴がいる が、首を絞めてやろうかと思う。フロント・チョークで。

■ところでバンドは不思議だ。インディーズシーンというものの実態は小劇団と大差あるまいに、バンドを「楽団」とは普通いわない。センスの差だろうか。バンドと劇団。メンバーと劇団員。なんだこの差は。バンドマン。マンだ。これが楽団員だったらどうだ。高円寺に住むしがない楽団員。楽団員で武道館を目指せるか。アリーナを指させるか。少女にモテるか。どうなんだ、楽団員。

■バンドマンはかっこいい。それが結論だ。

■日曜日。ずんだ君の結婚式で神戸まで出かけた。朝5時に家を出て新幹線に乗り、夜行バスで帰ってくる。日帰りの強行軍だったが、楽しかった。フと夜行バ スに飛び乗ってしまえばどこにだって行ける。朝には別の街にいることが出来る。その一瞬の夢想が、同じ街・同じ部屋での、何も起こらない毎日の生活を支え ているのかもしれない。そう思った。

小野寺邦彦


#076 余計な生活 2011.03.08 tue


■道行く少年が
『おっぱいの大きい女は嘘つきだ!』
と叫んでいた。何があった。

■テレビをつけていると、食パンのCM。小林聡美が出てきてこんなことを言う。

「余計なものは入れない」

無駄なものの無い生活。シンプルライフ。からだに余分なものの入っていない食事。全てイヤである。ムダだらけでいい。むしろ、そのムダが欲しいと思う。あなたが要らないからと言ってポイポイと捨てたその「余分」、全て私が拾って回る。

■私の書く芝居はムダなものばかりで出来ている。散漫であるとも言われる。話のスジに関係のないセリフの応酬や、何ら有機的に繋がらないエピソードやあきらかに過剰で余計な情報などで芝居のほとんどが出来ている。それでは余分なものばかりで中身がないのか。そうではない。その余分も含めた全てが全体であり中身なのだ。そもそも一つの創作物の中から、「必要なもの」と「そうでないもの」を選り分けて考える、という考え方自体が良くわからない。「余計なもの」があるから、それに対応する形で相対的に「必要なもの」が生まれるのであって(無論その逆も)、「必要なものだけがある」などというのは、論理矛盾である。余分なものが存在しないのなら、そもそも「必要」という考え方は生まれないのだから。つまり、いわばそれらは「必要な余分」だ。

■美男美女しか存在しない世界では美男や美女とという考え方は存在しない。それはただの「普通」だ。「必要なものだけがあればいい」というのは、詰まるところイケメン君やモテコちゃんの思想なのである。ひょっとしたら自分自身が、その「必要ない」余分な存在であるのかも、などとは露とも思っていないのだから。おまえが余分なのだ、といつか指差されるのではないかとビクビクして過ごした(今もそうかもしれないが)私などにとっては、恐るべき傲慢な思考、ファシズムである。

■ところで、余分と養分は似ている。どちらも余っているに越した事はない。

■そもそも芝居などというものが、本来全く必要ない。生命活動を維持していくにはなくても一向に構わない。でも、だからこそ価値があるのだし、やっていて楽しいのだと思う。<やらなくてもいいことをやっている、なぜなら楽しいから。>苦労して芝居なんぞを続ける理由は、ほかにない。必要のないものが必要なのだ。『心に余裕(ヒマ)がある生物。なんとすばらしい!』(寄生獣)

■野田秀樹の戯曲「ゼンダ城の虜」、その冒頭のセリフから。

ぼんぼん もし命すべてなりせば。
無法松  え?
ぼんぼん 無法松。
無法松  へい。
ぼんぼん 人はなぜ生きるんだろう。
無法松  ぼんぼんは何も知らねえな。
ぼんぼん なぜだい。
無法松  息をするから生きるんでさあ。
ぼんぼん 人は息をするためにだけ生きているっていうのかい。
無法松  少なくともおばあちゃんの晩年はそうでした。
ぼんぼん 息を止めるために生きている人間ていないかい。
無法松  いねえでしょ。
ぼんぼん 海に潜った真珠とりの海女は。
無法松  でもあの娘達も、いまわの際には息をするためにだけ生きてるんでさ。
ぼんぼん じゃあ最初から真珠とりや結婚なんかあきらめて、息ばかりしていればいいじゃないか。
無法松  それじゃ人は生きられねえんでさ。
ぼんぼん じゃ、人はなぜ生きるんだろう。
無法松  (嬉しそうに)ぼんぼんは何も知らねえな。
ぼんぼん なぜだい。
無法松  息をするから生きるんでさあ。
ぼんぼん ――。

もっとも、最近の野田の劇作はもっぱら「意味」へと向かっていて、私にはあまり楽しめない。

■春の兆しと真冬の降雪とが一日おきにやってくる、妙な季節である。日差しはあるものの風の冷たかった週末の日中、 駅へ向かって歩いていると、向こうから女子高校生の集団がやってきた。卒業式だったのだろう。胸に揃いの花をつけ、大声で笑いあっている。 大変なはしゃぎ様だ。

「JKじゃなくなってこれからどうやって生きていけと」
「月末まで有効じゃね」
「やべえちょっとモテてくるわ


■男子高校生よりも女子高校生の方が、より「高校生」でなくなる切なさは大きいのかもしれない。笑い転げながらゆっくりゆっくりと歩いてくる彼女たちとすれ違いながら、そんなことを思った。

小野寺邦彦


#077 アルストロメリア・ケイデンスのころ 2011.03.20 sun


■渋谷駅構内に貼り出されているお店の広告。渋谷の東急に店を構えておきながら『かくれ家』とはどういうことだ。貴様ら本気で隠れるつもりがあるのか。さては遊びだな?

■大震災から一週間。それにしても地面があれほど揺れるものだとは。このままもう二度と地面が静止することはないのではないかとすら思った。確実に死を意識した。間違いなくこれまでの人生で最も長い三分間であった。未知こそは恐怖だ。生活とは詰まるところ慣れである。二十数年も生きてしまって、まだ未知の体験がある。それこそが恐怖である。その恐怖の薄皮一枚上の場所で、今は生活をしている。

■芝居を始めたばかりの頃、酷評ばかりのアンケートの中で一枚、「ジェットコースターを凌ぐ構成力」という最大の賛辞を頂いたものがあった。当時は素直にわーいと喜んだものだが・・・。ジェットコースターの恐怖とはまさしく構成されたものであり、つまり既知のそれである。ありていに言って、つくりものである。であるからこそ、安心してその恐怖に身を預けることが出来るのだ。未知の恐怖とは、それとは全く性質が異なるものである。それはすなわち暴力と呼ばれる力に等しい。芝居の力は、暴力には及ぶべくもない。どれほど緻密に、巧みに構成された物語でも、所詮はつくりものに過ぎないのであり、理不尽な暴力の前には無力である。・・・本当にそうだろうか。よく分からない。書いていて分からなくなる。考えなくてはいけない。分からないことは、考えなくてはいけない。

■地震発生当初から、NHKで繰り返し流された映像。今まさに押し寄せる津波に、家が、車が、畑が飲み込まれてゆく。その津波の向かうすぐ先に、道路があり、車が走っている。車の移動する速度と津波の迫る速度を見て一目瞭然、手遅れである。あと数十秒で道路は飲み込まれるだろう。しかし、次々と車は走ってくるのだ。逃げるために。生き延びるために。これほど恐ろしい映像を見たことはない。今、死を迎える人間がそこにはいる。理不尽な暴力に晒され、逃れる術のない人間の姿。それをカメラは捉えている。しかし誰にも、どうすることも出来ない。私はライブで見ていた。あの映像は、一生忘れることはないように思う。思い出すと、今も、胸が詰まって息苦しい。

■そして、問題はやはり原発だ。いろんな人がいろんなことを言う。

■2008年に上演した「
アルストロメリア・ケイデンス」という芝居は原発をモチーフにしたものだった。きっかけは、2007年末頃に、ノンフィクションライターの大泉実成さんの記事をWEB上で読んだことにある。1999年、茨城県東海村で起こったJCO臨界事故で、大泉さんの両親が被爆。そのことから、大泉さんは被害者の会の事務局長を勤めることになり、理不尽な対応を繰り返すJCOと国とを相手に戦いを始める。事故発生当時、大泉さんの母親はJOCから120メートルの場所で仕事をしていて被曝。以下は「茨城からの訴え」からの引用です。

その日の夜中から口内炎ができ、激しい下痢を起こし、そして翌日からも倦怠感で何もやる気が起きないという状態になりました。それからそのあとJCOの近くに行くと筋硬直が起こる。あるいは「JCO」とか「被曝」という言葉を聞くと心臓がどきどきしたりすると。まあJCOの近くに行くことができないということで、典型的なPTSDの症状だということで、自分の母親の症状はJCOの事故との因果関係が明らかだという診断書を医師が書いて、ぼくらはJCOにそれを見せてその医療補償を求めましたが、結局はゼロ回答でした。全く一銭も払おうとしません。 これはなぜかと言いますと、単純に言いますと当時の科学技術庁-まあ国ですね-が 事故から数ヶ月たってから「原子力損害賠償研究会」という研究会を自分たちの御用弁護士、御用学者を使って作りまして、これも非常に長いものですから端的に言いますと「今回の事故では風評被害はある程度は補償しなさい。健康被害は補償するなよ」という内容の報告書が出てます。で、今年の4月にJCOが出してきた回答の中には、この国の報告書からの回答がじつに8ヶ所ありました。もう完全にこの国のお墨付きの上でJCOは開き直ってしまって、医療補償に関しては完全にその被害が出てるのは分かってるんだけれども補償はしないというふうな態度でした。

■つまり、「臨界事故によって健康を害したという人は存在しない。実際に健康を害していたとしてもデータにはないので存在しない。その存在は認めない。存在しない人間に保障を出すことは不可能である」ということです。でも実際に目の前に健康を害した人間がいるではないか、という問題に対しては「それは気のせいか、若しくはもともとそのような健康を害する因子を持っていたのであって、原発との因果関係はない。もし臨界事故が起こっていなくても、その健康被害は発生していたに違いない」と回答する。被害を訴える人間が目の前にいても、その存在を認めない。データではそのような被害は認められないから、と。だがそのデータは自分たちで作成したものであり、おまけに一般公開されていない。

■私はこの問題に個人的にのめり込んでいった。資料を漁り、取り寄せ、東海村と六ヶ所村には取材と称して一泊二日で出かけてさえいる。まあ、両方ともブラブラ歩いただけで特に何もしてないのですけども。東海村で食べた焼肉弁当はおいしかった・・・。そして当時舞台で連作的に扱っていた『「目には見えないけれど存在する人々」の群像劇』というモチーフにこの問題を当てはめて構成していったのである。

■この場合の「目」とはすなわち世間のことで、コミュニティーと言ってもいい。要するに肉体的に実在していたとしても「いないこと」にされてしまう人々のことだ。典型的ないじめの方法でもありますね。シカト。で、私が妄想したのは、その「いないこと」にされた人々だけが集まって新しいコミュニティーを作る。それは文字通り目に見えない「まぼろしの国家」である。だがやがてその「目に見えない国」の人口が、「目に見える国」の人口を上回ってしまう。その流れの中で「目にみえない国」の中でもシカトされ、「いないこと」にされ、迫害を受ける人々が必ず現れる。その人々が集まってまた新しいコミュニティーを作り・・・その中でもまた迫害される人々がいて・・・。

■少女マンガ家『ビッグバン・光』は某少女雑誌に連載を持っているのだが、アンケート結果によると、何とこの連載の読者数はゼロ人である。100万部を発行する雑誌に連載されていながら、読者の誰一人としてこの連載に気づいてすらいないという奇跡ぶり。ではそれはどんな作品なのかというと。

■主人公は、ごく限られた少女しか持つことを許されない瞳、「アーモンドアイ」を持って生まれた少年アルストロメリア。まあ分かり易い両性具有のメタファーである。その存在の神秘性から彼は時代の寵児、文字通りのスターとなってその一挙手一投足には国中の視線が集まっている。彼の秘密を探ろうと連日マスコミが追う。その中で一部のマスコミが未だ年端もゆかぬ美少年「微熱少年」をアルストロメリアの愛人候補として送り込む。狙いは少年同士の熱愛というスキャンダルの自作自演である。アルストロメリアは微熱少年の美しさに魅かれ、条件つきで彼を受け入れる。その条件とは、まだ男か女か判断もつかぬ程にあどけない微熱少年の絹のすねに、うぶ毛が生えてくるまでの関係・・・。

■決して世間には許されぬ背徳感も手伝って、日増しに熱愛はヒートアップし、二人は大量の汗をかく。その汗を流すために銭湯『入浴してぇ(にゅーよーくしてぃ)』に入る二人。だがそのサウナの中で扉が開かなくなり、二人は閉じ込められてしまう。『入浴してぇ』のエネルギー源は「世界一安全なエネルギー」、すなわち原子力であった。愛し合い、燃え上がる二人の熱愛によって、炉心は天井知らずに加熱され、ついに熱暴走から臨界爆発を引き起こす。その瞬間。

■ニューヨークシティ・・・つまり国の主要都市部での臨界事故という「有り得ない」「起こるはずのない」事態に、それまでアルストロメリアを追っていた国中の「目」が、一斉に彼から逸らされる。「起こるはずのない」ことは「起こらない」のだから、その場所にいる人間も「いるはずはない」のだ。もはや彼を「見る」者はいない。「見られる」ことで存在していたアルストロメリアはその実体を失う。消えてゆく存在となりながら、そのとき、初めてアルストロメリアは世界を「見る」。だがその視線に気づく者はもういない。彼の瞳のアーモンドアイは砕け散って、消える。

■ビッグバン光はそこで筆を置く。原稿を受け取りに担当編集者がやってくるが、実は彼はマンガ家ではなく、臨界事故で消えた街の生き残りで、入院患者なのだと告げる。100万部の雑誌も、アンケートも全ては妄想だった。だがその瞬間、読者から一通のファンレターが届くのである。存在しない人間の描いた存在しない物語にファンレターを書く者とは誰か。言うまでもない、それは存在しない読者である。存在しない物語には、存在しない読者がつくのだ。今は見えない世界の住人となった彼に、それが始めて届いたメッセージであった。アルストロメリアの建国宣言で、舞台は唐突に幕。

■これは書くのに大変苦労し、苦しみぬいた作品であった。いつも遅い遅い私の台本だが、これは特に遅れ、完本は劇場入り前日である。役者に計り知れない負担を強いた。反省しても反省しきれぬことである。ごめんなさい。その割に、お客様には珍しく好評の芝居ではあったが、この作品以降、私は書き方を少し変えた。そして今も、変え続けている。

■ところでこの舞台で少年アルストロメリア役を演じた松田紀子の演技は鬼気迫るものだった。彼女は非常にムラのある役者なのだが、このときばかりはそのムラさえ魅力だった。なぜ彼女がこの芝居のこの役に、あそこまで入れ込んだのか、今も正確なところまでは分からない。

■まだいろいろと混乱している。それが文章を見れば分かる。混乱したときに混乱したままの文章を書いている。そこにしかこのブログの価値はない。

■地震のあった翌日、品川から新宿まで歩いて移動した。棚が空っぽのコンビニ、静まり返った駅ビル、臨時休業のファーストフード店。よく晴れてうららかな土曜の昼である。本来であれば人がごった返すそれらの場所が閑散としているのは、不思議な光景だった。代々木の辺りで、ある一軒のコンビニが開いているように見えたので立ち寄ったのだが、店員が奥に引っ込んだタイミングだったからか、無人であった。店内はほぼ全ての棚がカラッポである。諦めて外に出ようとした瞬間、背後から何かの「音」が聞こえる気がした。フと振り返ってみても勿論、誰もいるはずはない。それはきっと錯覚だった。人のいないコンビニの中に入ったのは、初めてのことだった。

■今日20日で地下鉄サリン事件から16年。リビアでは戦争が始まり、僕はこれから銀座に出かけて、旧い友人と会う。時間は等しく流れている。よく晴れた冬の終わりの昼下がり、ほんの僅かに感じる肌寒さ。風邪を引きかけているのかもしれない。

■長いブログになりました。読んでくれて、どうもありがとう。

小野寺邦彦


#078 まぼろしの市街戦 2011.05.02 MON


■前回のエントリを更新した翌日の、ツイッターでの話題。 福島近隣から出荷される牛乳に放射性物質が混じっているのでは、という報道に対して、『人体に影響が出るレベルにまで達するのは、数値的に約三トンの分量を摂取した場合のこと。一日一杯(200 ミリリットル)必ず牛乳を飲んでいても、一万五千日、41年かかる。2日に一杯なら82年、3日に一杯なら123年。直ちに健康に問題が出るレベルとは到 底言えない。風評被害であろう』と。『どんだけ長生きするつもりだ』と笑う人もいた。

■実は私は牛乳を一日に1リットル以上、必ず飲むのである。少なくともここ二十年間で週に平均6リットル以下ということは無かったはずだ。私にとっては全く普通のことだが、他人にいわせれば中々クレイジーな量らしい。そんな私にとって3トンという量は、8年ちょっとでクリアしてしまう数字である。充分、健康について考えなくてはならない数字だ。

■これこそが前回のエントリで触れた『見えない人間が生まれる構図』である。「人間、一生で3トンも牛乳飲むかよ」という人間には、まさか一日一リットルの牛乳を飲む人間がいるなどということは想像も出来ないことだ。しかし、実在する。10年足らずで3トンもの牛乳を消費してしまう人間はここに実在するのだ。実際には存在するにも関わらず、自分の想像力の外にいるヒトをヒトは認識できないのである。仮にこのような人物が実在するのですよ、と言ったところでそれはごく少数の例外的な存在ということで黙殺される。全体から見れば些細なイレギュラーとして排除される。実際、上記のような書き込みをしていた人の何人かに、『私は一日一リットルの牛乳を飲むものですが』とリプライをしてみたところ、ほぼ例外なく黙殺、或いはブロックされてしまった。そういうモノだ。このようにして、今も『目に見えないけれど実在する人々の国』は人口増加を続けているというワケだ。

■今回の件ではたまたま私が「他人の目に見えない」人間になってしまったが、多くの場合、私自身も世間に加担して想像力の外に人々を迫害している加担者である、ということも勿論忘れてはならない。問題は、ヒトはそれを無自覚に、或いは善意からも行うのだ、という点にある。ところで誤解してはならないのだ が、これは、だから牛乳飲むなとかそういう形而下のハナシではない。自分自身の偏狭な想像力のみを世界の根拠に置くヒトビトの暴力性についての話である。 私は今も毎日、1リットル以上の牛乳を飲み続けている。私ほど牛乳を深く愛している人間もそうはおるまいという自負もある。ただ震災直後にスーパーでいつもどおりの分量、牛乳を購入しようとしたが、フと買占め野朗と思われるかも、とラックに戻した日和見くんであることは否定しない。

■89年の『新劇』を見つけて購入。目当ては川村毅の戯曲『ボディ・ウォーズ』。時代を感じる戯曲である。面白いは、面白い。しかし80年代の『新劇』は宝の山だ。読みたい戯曲が毎号載っている。気づけば既に半分くらいは手元にある。コレクターではないが、本になっていない戯曲を読むためには必要なのだ。趣味として。しかしこういう、書籍になっていない戯曲こそデータ化して売ればいいのにな、 と思う。80年代の戯曲は、今の芝居の戯曲とは、あらゆる意味で異質である。学ぶべきことも、慎重になるべき部分も、ふんだんにある。

■また、少しずつ更新していきます。もうホンのちょっとしたら、次回公演のことも書けるようになるでしょう。不本意ながらほったらかしのウェブサイトの方も、ぼちぼち更新する予定です。よろしければ、お付き合い下さい。

小野寺邦彦



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