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生活と創作のノート

update 2017.08.14

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亭長閑

THE SUN IS FROZEN FLOWER.s NOTE


#120 沼バター 2017.01.05 THU


■昨年、一番好きだったニュースがコレ。アイルランドで、沼から2000年前のバターが出てきた、と。沼から。バターが。じっくりと噛み締めたいこのコトバ。沼バター。『理論上は食べられる』……理論。その儚さ無力さを思い知る。理論の力によって、沼から出たバターを誰に食わせることができよう?沼バターの前で理論など無為無能。忘れてはならない。沼からバターが出る。そんな現実に我々は生きている。沼からバターが出る。その事実だけで力なく笑って生きていける。沼からバターが出る。出るのだ。

■正月、やることもないので(本当はある)趣味の、埋没戯曲リストの作業を進める。過去雑誌に掲載されたが、書籍としては未刊行の戯曲を年代順にリストアップしたもの。知らない劇団の、知らない作家の、知らない戯曲が山ほどある。有名劇団の、著名な作家の、知られざる(読まれざる)戯曲も、かなりある。情報源は主に『初日通信』や雑誌『新劇(含しんげき)』『テアトロ』『悲劇喜劇』『せりふの時代』それに『ぴあ』や『シティロード』『新潮』など。この作業を始めて丸2年、公開するアテはまるでないが、77年~98年までのリストはかなり埋まってきた。データで埋まったエクセルシートに点在する小さな穴を、一つずつチクチク埋めるたび、モニターの前でフフフと笑う暗い愉悦がそこにある。

■加えて近頃は、各作品について言及された評論や賞の選評などもリストに入れ始めた。芝居初演時の評論や選評は、その後顧みられることが少ない。岸田戯曲賞の選評を掲載している白水社のサイトも、98年(第42回)以前は未掲載。権利の問題などがあるのだろうか。単にコストの問題か。現在、私の手元にあるのは79年(第23回)以降の選評。全回分が見られる環境がないのが何とも惜しい。『文学賞の世界』においても、候補作および作家は網羅されているが、選評は未掲載。下は岸田戯曲賞ノミネート回数TOP5を作家別にソートしたもの(5位が2人)。

内藤裕敬 10回 未受賞
小松幹生  9回 未受賞
生田萬   7回 未受賞
鴻上尚史  7回 受賞
鄭義信   6回 受賞
鐘下辰男  6回 未受賞

内藤の10回、小松の9回はダントツ。しかも賞、あげてないし。こうなるとノミネート自体がいじめだ。岸田戯曲賞は公募賞ではないから、勝手に候補にされ、勝手に落とされている。長期間、候補に入るだけあって、いずれ名のある作家である。その心中いかばかりであったか。小松は『雨のワンマンカー(77年)』での受賞が当然だったし、生田の『夜の子供(86年)』は候補にも入っていない。受賞した鴻上にしても、本来『ハッシャ・バイ(87年)』で取るべきだった。小松は昨年故人となり、生田は作家としては筆を折った。ブリキの自発団は90年代を乗り越えることが出来なかった。演出は楽しいが台本を書くのが辛い……という生田のインタビューは各所に残っている。タラレバは無意味だが、もし最も脂の乗り切った80年代に、当然のように岸田賞を受賞していればあるいは……と考えてしまう。私がブリキの自発団を発見したとき、もうその劇団は無かった。昨年、アイホールで上演された『夜の子供2』は観に行かなかった。観てしまうのが恐ろしかった。

■取るべき人間が、取るべき作品で取る。それがなんと難しいことか。世界は正しくあって欲しい。賞なんて「そういうもの」さ、などと訳知り顔でニヤニヤする奴は殴ってやりたい。殴ったあとで謝る。殴るんだけど。

■そんなわけで年も明けたので、ノートを新しくしました。今年はホンの少しだけ、演劇と真面目に向き合おうと思っています。沼からバターも出る、そんな抗えぬ現実の中で、今フィクションはどんな嘘をつくべきか?ウンウン唸っていこうと思います。間違え、失敗し、忘れる。そのすべてをお見せします。7月、3年ぶりの本公演でお会いしましょう。

小野寺邦彦



#121 月いちリーディング、すする人、極私的LABOなど 2017.02.05 SUN


■告知です。日本劇作家協会主催事業月いちリーディング』神奈川、2月の戯曲に私の書いた『かけみちるカデンツァ』が選ばれました。戯曲のブラッシュアップのためのリーディングとディスカッションを行う、というもので、赤澤ムックさんや円城寺あやさんなど、そうそうたる人々が、戯曲をリーディングしてくれます。しかも無料。異様に豪華です。劇作家協会にて受付中ですので、興味のある方は、是非。

■フードコートで食事をした。少し離れたテーブルで60代くらいの男性が一人、うどんをすすっていた。というか、むせていた。

■すごい勢いでうどんをすする。むせる。むせ続ける。水を飲み、少し落ち着くが、完全にむせ終わる前に、またうどんをすする。すごい勢いですする。すぐむせる。水を飲む。むせ終わる前にうどんをすする。むせる。水を飲む。すする。むせる。…ずっとずっと、むせていた。食事の時間、その9割が「むせ」で出来ていた。だが「むせ」に対する困惑は微塵もなかった。「むせ」ながらもその表情は冷静そのもの。ハイハイ、「むせ」ね。ええ、「むせ」てますよ。「平然とむせ」てみせる男。「むせ」を手懐けている。「むせ」を操るマエストロ。食べるとはむせること。むせのない食事など味気ない。むせもせず、何の食事か。彼はむせ慣れていた。「むせ」と共にあった。ずっとむせてきたのだろう。明日からもむせ続けるだろう。きっとずっと、そうなのだ。

■正月、フとつけたテレビで舞台の録画を放送していた。調べたら『プルートゥ(PLUTO)』という、手塚治虫が鉄腕アトムの中で描いた1エピソードを、浦沢直樹がリライトした マンガが原作の舞台。ちょうど半分くらい過ぎたあたりだったが、ダラダラと観た。豪華なセットと映像。金のかかった舞台。ストーリーはマンガのダイジェストで、シーンの繋ぎ目には、マンガのカット映像で説明が入る。俳優は有名で達者な人たちばかりだが、それこそマンガ的な、ハッキリクッキリの省エネ演技。ワハハと笑って怒ったぞぉと怒り、シクシクと泣く。あまりに退屈でウトウトしかけたが、 そこに一人、まったく別種の芝居をしている演者が現れた。柄本明だ。天馬博士という、アトムの生みの親であり同時に迫害者でもある、 狂気の天才科学者というカルマの深い人物を深遠に演じていた。 感情の底を見せず、複雑で謎に満ちた演技。エンターティンメントのマンガ舞台にあって、一人だけまるで異なる演技プランを持ちこみ、知らん顔で他の役者を巻き込む。 明快に整理されていた作品世界を唐突に、混沌へと放り込む。空間が歪む。演出を無視しているのか?自由を許されているのか?兎に角、芝居の中で、柄本のシーンだけがまったく質の異なる芝居になっている、異様だ。異様で、面白い。本当に面白いのだ。そこだけ演目が変わったのではないかと思わせるほどだ。出演しているシーンにおいて、芝居は柄本のものだった。次にいつ柄本が出てくるのか、という興味だけで、結局、退屈な芝居を最後まで観てしまった。

■私は以前から、芝居は台本が全てであり、面白い台本によって未熟な役者も魅力的になることは大いにあるが、その逆はありえない、と強く思ってきた。だがその考えは多少、改めざるをえない。役者の力量が、詰まらない芝居をも面白くしてしまうことがある、それを初めて目撃した。テレビの録画だが。だがその底あげを予め望むことはできない以上、うまい役者を前提としない芝居を、やはり書かなくてはいけない。当然のことだが。少なくとも今の私にとっては、うまい俳優とは幸福な事故であり、ギフトなのだ。アテにしてはいけない。そんなわけで、まずは戯曲。本として独立した面白さを追求すること。それを俳優に沿って、上演台本に仕立て直す。その作業の意義がクッキリと明確になった正月だった。

■22日は初めてのワークショップ、『極私的LABO』。集まってもらった俳優に、自己紹介もなく、いきなり台本を渡し、読んでもらい、演出。それを丸3時間。終わるとヘトヘトになった。初対面同士、あだ名で呼び合うゲームとか、その場しのぎのエチュードごっこなんて、何の意味もない。いらないのだ。したくないんだ。私にできることは面白い本を書くことと、それを演出すること。他には何もナイ。出演するかも定かではない初対面の俳優を演出するのは初めてだったし、考えることは多かった。共通言語の育っていない環境で、デタラメなセリフだけを頼りに、芝居の種子を探す。まさぐっていく。そこには芝居以前の空気があり、そして一瞬、訪れる濃密な瞬間があった。だがそれは偶発性に頼ったもので、まだまるでプログラムとしての体を伴ってはいない。「ワークショップ」としての「成果」を俳優に届けるには、まだまだやるべきこと、知るべきことが山ほどある。あるのだがしかしまあ、少しずつ。フラフラとやる。それでこその「LABO」だ。 迂回、余白、それこそが実験の特権である。月末に第二回目をやる。新たな目論見も、ある。

■戯曲も書く。30分、1時間、と小刻みに時間を作っては、喫茶店に駆け込む。いろいろと、新しいことを試している。新しいこと、というのは、それまでになかったことではなく、むしろ古いもの、当たり前にあるもの、前提として処理してしまっていたものなどを見直し、改めて手をつけること。分かっていた気になっていたもの、しゃらくさいと思っていたもの、それに手をつけないことが大事だと思っていたもの。「あえて」はもう、終わりだ。「あえて」無視していたものに、向き合おう。そして、不要ならば手放す。持たなければ、手放すことはできないのだった。あたらしい時間が始まる。そして確実に、いま、ある時間の「おわり」を感じている。そんな日々。

■最近知り合った若い女性。今、したいことはなんですか?と聞かれて、うーん、何も思いつかない。でも、なぜか「大きなソファーに、何人かの友達と一列になって座りたいね。お茶飲んだり、雑誌読んだりして」と、1秒前には思ってもいなかったことを口にしていた。そして口にすると、それはもうずっと、本当にやりたかったことのような気がしてきたのだった。

小野寺邦彦



#122 月いちリーディングその後 2017.03.29 WED


■「セルフ調剤薬局」ってどんなシステムなんだ。

■次回公演の準備でバタバタしている。もはやバタバタが日常だ。日々、打ち合わせ。劇場、スタッフ、メンバーとの会合。俳優の写真撮影に、フライヤーの準備。合間に読書と音楽とカレー。あと仕事。そして執筆……。目まぐるしく時間が過ぎてゆく。2回に渡る『極私的LABO』によって、俳優も概ね、出揃った。岩松も架空畳にメンバーとして復帰した。あらゆることが一瞬で過去になる。きっと次の瞬間には、もう芝居も終わっているだろう。だからこそのノートだ。書くことで考える。過ぎ去ってしまう思考を留めておくために、もう少し更新の頻度を上げないとね。まあ、いよいよ台本の執筆も本格化してきたことだし、精神の退避場所として、みるみる更新されるに違いない。乞うご期待だ。

■『月いちリーディング』も終わった。って、終わったのもう一月以上も昔だが。望外に結構なお褒めの言葉を頂き、幸福だった。10年間、作品を書いていて、『伝わらないだろうな』と思っていたモノが、リーディングの出演者、演出家、そしてゲストの川村毅、長島確の両氏にはすべてアッサリと『伝わって』しまったことは福音だった。10年間、ずっと欲しかった言葉が、『前提として』語られたことに驚いたし、嬉しかった。戯曲を読む精度。さすがプロはプロなのだった。それだけに、客席の無理解も一層、際立った。客席からの主な意見は、『いかに分かり易くするか』『観客にサービスするか』『過剰さを抑えるか』。さんざん言われてきたコトバだ。うんざりするコトバだ。『理解が追い付かなくて、不快だ』という意見。不快!恐ろしい言動だ。自身の快感を根拠に作品をコントロールしようとする客!それに対して、出演者及びゲストサイドの意見は『もっとやれ』である。足りない、ってことだ。まだまだ過剰さが足りない、と。分からない面白さ、その技術を磨くこと。すべては技術の問題だ。背中を押して貰った。これで覚悟が決まった。

私は観客を愛している。尊敬している。絶対に舐めない。程度を図らない。自分が面白いと信じる表現を、全力でぶつける。それだけは違えない。

■しかし、昼から現場入りし、5時間半、稽古の様子を眺めていて、プロがどう芝居を立ち上げるのか、つぶさに見られたのはよかった。一度の読み合わせで本番を迎えるのだから、当然、クオリティは低い。だが、芝居として成立している。完璧に成立しているのだった。普段、自分で稽古をしていて一番、難しい部分だ。クオリティは別として、芝居が成立するまでの時間。セリフが入り、一応の導線がつき、台本をボチボチ手放すという段階になって、ようやく芝居が見えてくる。その間、2週間か、長ければ3週間ほど。その時間を一瞬でスっとばし、いきなり芝居にしてしまう技術。特に、メインの役を担った円城寺あやさんと中山マリさんの息の合わせ方はすごい。読み合わせる前に、2,3度、セリフを掛け合い、呼吸を合わせてしまえば、もう芝居ができている。つまるところ、それは間やテンポ、抑揚など、徹底した技術によってもたらされるもので、決して登場人物の心理解釈などに依ったものではない、ということだ。稽古中、作品の解釈や人物の心理などについての質問は一切、出なかった。終演後の懇親会で円城寺、中山両氏にその辺りを伺ってみたところ、「だって、そんなことしたってしょうがないでしょ。作品はもうできてるんだし」「1か月稽古して、劇場で上演するなら、やるよ。でも今日一日で取りあえず作る、っていう段階でやることじゃない」ということだった。そうなのだ。そういうことなのだ。多くの俳優は、自身が演じる人物の『心理』に拘泥し、そこを飲み込んで初めて、役に入る。だが逆なのだ。劇の稽古といえば、まず心理解釈というその流れには、芝居を始めた頃からずっと違和感をもってきた。心理とは、起こるものであり、用意するものではないのではないか。心理解釈から、芝居をどれだけ遠ざけるか。それが課題だ。

■そんなわけで勉強になったし楽しいイベントだった。ただ、懇親会では、円城寺、中山両氏から大変な突き上げも喰らった。戯曲が演者へ要求しているハードルの苛酷さとそれに無自覚であることについて。出ずっぱりであんなに喋らされて、役者はいつ水を飲めばいいのか?と問われ、「あ、そうっすね」と答えたところ、「人でなし!」と叫ばれた。「どうせ人でなしなんだから、中途半端にいい人の顔をせず、徹底して嫌われな」とも。そうかあ。でも嫌われたくないなあ。などとモゴモゴしてると「あんたヒドい目に逢ったことがないだろう」と。そう凄む2大俳優の目は笑っていなかった。アンタら、どんなヒドい目に逢ってきたんだ。恐ろしくて聞けなかった。

■『フイチン再見!』『どうらく息子』ともに素晴らしい最終回だった。 今、あらゆるマンガが「終れない」なか、 キチンと物語を「終わらせる」ことが出来る技術は素晴らしい。 ベタベタし過ぎず、静謐で、少し物足りないくらいでスっと引く。 その引き際の好さで静かな余韻を残す。 長い経験によって培われたベテランの技術。 物語を続けることは容易い。 終わらせることこそが困難である。

小野寺邦彦



#123 水の暮らし 2017.04.05 WED


■どうしても倉庫が必要、となって、平日の昼間、江花と不動産屋を回った。1万円くらいでないですか?と聞くと、ほぼ例外なく絶句・苦笑される。1万円で賃貸契約が結べる世界はないと思います、と言われる。まさかの世界観からの否定だ。世界からやり直せ。1万円以内で唯一、借りられるのはバイクの駐車場だけだった。天井はないですか、と聞くと、壁もありませんと言われた。そう言った店員は、ゴリラに算数を教えなくてはならない飼育係のように、哀しい目をしていた……。そんな苛酷な世界にあって、けれどアパマンショップの支店長の対応は紳士的だった。我々の世界観に寄り添ってくれた(倉庫を貸してくれるワケではない)。寄る辺ない孤独な魂に寛容なアパマンを称えよ。アパマンて名前はアレだが。結局、鳥貴族で飲んで帰った。飲み代で、バイクの駐車場が1月借りられる金額になった。何をしているのか、まるでワケが分からない。

■戯曲を書き進める。だんだんノってきた。ずんずん書けるのはいいのだが、書け過ぎるのも問題である。思いついたことを思いついたままに、バーっと書いて、あとでコレをどうしよう?とアタマを抱え、そしてまた思いつきを紡いでゆくのがいつもの私の書き方だが、それをホンの少しだけ、変えようと思っている。瞬間の思いつきを、書く手をグっとこらえて、頭の中に留めておく。寝かせる。また別の角度から考えてみる。頭の中がパンパンになる。その状態で暮らす。書いてしまえば一瞬で定着してしまう物語が、曖昧に浮遊する可能性の断片として、未決定事項の付箋の束のように、常に私に付きまとっている。それはまるで、水の中に半分顔を付けて暮らすようで、ウッスラと息苦しい。その息苦しさをホンの少しづつ、丁寧に吐き出す。勢いに任せてではなく、あくまで慎重に。パンパンに中身の詰まった巨大な袋にホンの一ミリ、穴が開き、そこからサラサラと中身がこぼれてゆくようなイメージで書く。なぜそんな書き方をしようと思ったかは、別に理由はない。ただ、いつでも同じ書き方、同じ文体では飽きてしまうのだ。書くのは愉しいが、苦しい。どうやったって苦しいのだから、変わった苦しみがり方をしてみたい。

■ごくたまに、どうやって戯曲を書いているのですか?と聞かれることがある。苦しんで、書いています、と答える。書く方法は今でもまるで分からない。一瞬でも、なにかモノを書いてみようと考えたことのある人間ならば、パソコンに向かって、ワープロソフトを立ち上げてはみたが、まるで書けずにうーん、と唸る、という経験があるだろう。私も、ずっとそうだ。それの連続。ただ、書けないなあ、と思ってすぐにパタンとPCを閉じてしまう人とは、その『書けない時間』を過ごした総量が違う。100時間の書けない時間の中で一瞬、5分、10分だけ、何か書ける時間が現れる。その時間が過ぎれば、また訪れる5分のために、次の100時間を過ごすのだ。それもまた、水中で身を潜めるような、地味で孤独な時間である。きっとパッパと書ける人もいるのだろう。羨ましい。本当はそうなりたい。だが私は、そうではない。いつも苦しんでいる。苦しんで、書いている。今ではそれがあまりに普通で、フツーに苦しむ、というのもバカバカしい気がして、それで変わった苦しみ方をというワケだ(なにがワケだ、だ)。

■ただ副作用もある。この書き方を始めてから、寝ているときに、大泣きするようになってしまった。あまりに多くの未決アイディアを脳内に溜めこみ、物語として昇華、発散していないが故にストレスとなり、潜在的な意識の中で、大きなカタルシスを求めているのだろう。やはり『泣き』は強い。涙でビショビショに濡れた枕を見るにつけ、これでは執筆中はヒトと旅行にはいけないな、などと考える日々。

■深夜。友人を迎えに、モノレールで浜松町から羽田まで。最終便の乗客はまばらで、微かなモーター音だけを発して、車体は滑るように、真夜中、都市の上空を走る。大きなカーブをゆっくりと曲がるとき、窓の外を見れば、真っ暗闇の中でまばらに点灯した高層ビルの窓明かりがすべて斜めに傾いで、世界の全部が斜めになってしまったようだった。夜の底を滑る深海魚。東京は、24時。

小野寺邦彦



#124 さらばポメラニアン 2017.04.27 THU


■ノートPCを買おうかなぁ、と思ったのだった。

■この10年、文章作成のモバイルギアにはポメラを使ってきた。それで何か不自由を感じたことはなく、文章入力のみに特化したこの機械が、自分にはすこぶる合っていた。ジャキンと飛び出るキーボードは格好いいし、USBケーブルを繋げばワンタッチでPCにデータを送れる。SDカードを挿せば実質、容量だって無限である。何より気楽に扱えるのが良かった。さあ、書くぞ、という感じではなく。2008年以降の戯曲は8割方ポメラで書いた。確か『ダイナモロンド?ストランド』再演から導入したと記憶する。その頃、戯曲の文体がそれまでと大きく代わり、ほぼ現在の作風が出来上がった。筆記具で文体が変わることがあるとすれば、私の文体はすなわち、ポメラ文体である。常時6万字を越える私の戯曲を小さなボディでミシミシと支えた。

■だがさすがに10年使い倒すと、キーは摩耗し、ヒンジも軋む。ついに最近、Deleteキーが吹っ飛び、操作不能となったところでお役御免とした。さて、次に何を使うか。同じ型のポメラが新古品でヤフオクに出ていた。3500円。それでもいいけど。いいのだけども。

■やはりこれを契機に、いよいよノートPCなのではないか。近頃は、芝居の打ち合わせでも皆、一斉にノートPCを開く。私だけが謎のポメラ野郎。ポメラニアン。進化に取り残された、とんだガラパゴス作家だ。机の上に100均のノートとポメラをチョコンと置くと、ピカピカ光るイケてるノートブック野郎が必ず『ナニソレ?』と聞いてくる。やや嘲笑気味と感じるのは被害者意識のためばかりではあるまい。2月に劇作家協会で行ったリーディングの打ち合わせの際にも、『で、その機械で何が出来んの?資料開ける?メールは?』と冷たい目で言われた。後日、別の担当者には『謎の機械出すから、ヤバイ奴だと思った』と言われた。その夜は枕を濡らした。あまつさえ、こないだ制作の永井の前で使っていたら、『おもしろ機械』などと嘲笑うではないか。ウケるーとか鼻で笑ってMacBook Airを操作していた。許してなるものか。

■週末、秋葉原と新宿のソフマップを廻ると、MacBookの中古品が6万円代で出ていた。んー、こんなモンかなー。週明けにまだ残っていたら買おうと思っていたのだった。だがしかし。 その晩、芝居以外のことで打ち合わせがあった。席に座ると、同席した人々が例のごとく次々とノートPCを取り出す。MacBook、MacBook、MacBook、MacBook……。都合6つのリンゴが私を取り囲んだその瞬間、購買意欲は塵と消えた。冗談じゃねえぜ!こんな誰もが持っている機械を使ってたまるかよ!

■週明け、私が購入したのは、店で一番安い9000円のASUS製chromebookだった。コイツの中身をアレしてコレして、30分後にはリッパなウィンドウズマシンの誕生だ。加えてエミュレーターでAndroidアプリを走らせれば、ソフトも盤石。充分だ。ここにまた、新たなガラパゴスマシンが生まれた。安っぽいボディに刻印されたグーグルのシンボルマークを指してヒトは言うだろう、『ナニソレ?』と。それでいいのだ。当然なのだ。所詮アパッチ野球軍。裸がユニフォームだ文句あっか。今日からはChrome文体でChrome戯曲を書くChrome作家だ私は。一体、何を言っているのだ。

■さて土曜日には台本の読み合わせがあったが、完本はならず。まとまった形で渡せたものは半分ばかりであった。やはり稽古なし、キャスティングも未定のままで最後まで書ききるのはチトつらい。縦軸のストーリーは組めるが、横軸のエピソードはね。なんとなく、稽古場でボンヤリと様子を見てるうちに出来上がる、それがベストなのだけど。今回はキャストも多い。18人だ。それだけに、人物を、役割に任せて記号的に処理してしまわないように気を遣う。だが集まった俳優にセリフを読んでもらった瞬間に、それが杞憂だと知った。ちょっと、なんというか、あまりに個性的なのだ。今までどんな芝居をどうやって演じてきたのだ?というような破壊的な個性をもつ俳優ばかりである。技術がないわけではない。むしろある。だが、うまくはない。つまりそれはうまさに繋がる技術ではない、ということだ。ではなんのためだ。謎の技術だ。恐ろしくいびつで呆れるほど魅力的である。まったく、呆れる、としか言いようがない。呆れる、とはまさにこのような感情をいうのだ!と30余年を生きてきて初めて実感した。それは決してネガティブな感情ではない。私がいかに記号的な枠組みで物語を処理しようと、この異常俳優たちにかかっては、記号的な芝居になぞなりようもない。あらゆる意味で頭を抱える稽古になることは間違いない。なんだが、笑ってしまった。まったくもって普通ではない芝居が出来るだろう。私は残りの台本を粛々と用意するだけだ。稽古開始まで3週間、初日までは3ヶ月。あっという間に決まっている。呆れるうちに終わってしまうに違いないのだ。

■ところで前回のノートで、ストレスからか眠っている間に泣いている、と書いたが、コレが予想外の反響を呼んだ。TwitterではReplyが飛び、LINEには数件のメッセージが届いた。それはほぼすべてが創作をしている人からで、『私も眠るときにいつも泣いています!』というものだった。図らずも、あるあるだったようだ。だが身内からは「泣きながら書いてるんだ……」と引き気味の反応。んー、いや、そういうことではナイ、ちょっとニュアンスが……。ま、いいか。兎に角、皆魂を削っているのだな。私も普段は全く欲しくならない甘味を、執筆中は求めてしまう。齧って半分になった大福の断面から覗くあんこをしげしげと眺めて思う。これが俺の魂か、と。削れた魂をあんこで補う男。それが私の正体なのだ。

■なんか、全体的にヘンな文章になった。

小野寺邦彦



#125 雑踏戯曲 2017.04.30 SUN


■京都市の図書館が、桑原武夫の蔵書1万冊を焼却処分にしていた、というニュース。ふーん、まあ、ひどいハナシだけどね。そういうこともあるでしょうなあ、やれやれ、と思い立ち上がろうとした瞬間、膝が笑ってうまく立てず、次いで臓腑をえぐり取られたような激しい腹痛、そしてこみ上げる吐き気。ナナナなんだなんだ一体どうした。重ねて言うが、頭脳はまったく冷静で、ニュースを聞いても怒りも憤りもナイのだ。そのハズだ。 だが、身体のこの反応。どちらが真実の自分なのかまるで分からない。確実に変調をきたす身体を、どうなってんだこりゃと思いながら観察する自分。

■私は蔵書家ではない。本は情報を得られればいいと思うし、希少本などにさほど興味もない。誓ってマニアなどではないのだ。マニアだと?とんでもない。恐れ多い。おこがましい。ただ、少し本が好きなヒトだ。そう言い聞かせて一日を過ごした。しかし正直、自分というものが疑わしい。俺は何者だ?パンチ喰らって立ち上がれないけど意識はハッキリしてるボクサーとかってこんな感じだろうか。俺はまだやれる!やれるんだ!カウントを止めろ!この足め!言うことを聞け!とかそんな感じか。違うか。

■だがまあ、ニュースを知った瞬間、その1万冊の蔵書我が家にならどこに置くか、と反射的に算段を初めたこともまた、事実ではある。

■関わっている仕事の事務所がある関係で、このところ、ずっと夜の22時過ぎに渋谷を経由して明大前に通っている。渋谷駅にある、山手線から井の頭線へ向かう連絡通路の途中、いつも同じ場所に、60歳位の、いわゆるホームレス風の女性がいるのだった。赤いカートに荷物を満載し、足元にはやはり荷物でパンパンの紙袋の束。履いているスニーカーはボロボロで、ガムテープで補修をしてある。なかなか渋いブルーの帽子をちょこんと被り、表情は穏やか。スマホを見ながら足早に通り過ぎる雑踏を、いつもボンヤリと眺めている。

■20分後、明大前で下車すると、京王線のホームへ乗り換えるための階段脇、エレベーターの脇にあるちょっとしたスペースにも、別のホームレス風女性がいる。肌が浅黒く、眼光は鋭いが、身なりは意外なほどキチンとしている。だがやはり荷物は大量の紙袋に入れて持っているのだった。二人とも、毎日同じ時間、同じ場所にいるので、何となく、一方的に知り合いのような気分になっていた。たまに姿が見えない日はオヤと思って通り過ぎ、また別の日に通りかかってちゃんといると、なんだいるじゃないかと思う。そんな日々が続いていた。

■一昨日のことである。私は珍しく、朝の8時40分に渋谷にいた。そして夜の倍は混雑している通勤ラッシュの雑踏で、あの場所を通過する瞬間無意識に目をやると、そこには、カラフルなファッションの若い女性がいて、手鏡を広げてメイクをしていた。ギョッとして注視すると、そのスペースは柱と柱の間にあり、ちょうど人ひとりがスッポリ収まって雑踏をやり過ごせる空間になっていたのだった。壁の前には机半分ほどの出っ張りもあり、ちょっとした荷物を置いたり、何なら腰掛けることも出来るだろう。若い女性は、そのスペースにメイク道具を広げていたのだった。予感がして、明大前で降りると、やはりエレベーター脇のあの空間に、別の若い女性がいた。彼女はスマホを手に、指で忙しく操作をしていた。多分、ゲームをしていて、途中で止められない局面だったとか、そんなところではないか。

■つまり、そこは『いい場所』なのだ。雑踏の中で足を止めて自分だけの空間に入り込めるアウタースペース。そのことにずっと気が付かなかった。愚かにも私には『ホームレスのおばさんがいつもいるな』としか見えていなかった。そこで識るべきは人ではなく、場所だった。あるのに、ない。ないのに、ある。そんな場所。猫が家の中で一番涼しい場所と温かい場所を知っているように、彼女たちもまた、嗅覚によって(おそらくは必要から)その『場所』を見つけた。誰もが手元のスマホを熱心に眺めながら、雑踏を足早で通り過ぎるとき、立ち止まり、身を隠してしまえる場所。それは雑踏の外にあるのではない。むしろその中心にこそある。都市の観相学。

■スマートフォンの契約キャリアを大手から乗り換え、最低限の使用料金プランに変更して以来、節約のため、外で通信をする際にはなるべくフリーのWi-Fiを探すようになった。そんな生活をしていると、行動範囲の中で、どこにフリーWi-Fiがあり、どれくらいの速度で繋がるのか、把握できるようになる。あの路地は繋がる、とか、あの駅のあの場所は早い、とか。意外だったのは、一部モノレールや都営バス。車内で常時繋がるのである。こんなこと、大手キャリアと契約していた頃は全く知りもしなかった。通信量の心配のない人には全く不要で、目には見えない情報だ。だが、そこに集まる人々は確実に、いる。そこが、今の私の『いい場所』なのだ。もちろん、それは一つの判断基準であり、街の中にはさまざまな『いい場所』が決まっている。訪れれば、絶対に1冊は欲しい本が売っている古本屋。好きな音楽しか流れない喫茶店。知り合いがいる店。誰にも会わずにすむ店。都市の居場所はそのようにして決まってゆく。

■そんな、雑踏で目に見えているのに、お互いに『見えていない』人々がすれ違う、雑踏戯曲を夢想する。『待ち合わせ』に関しては先日、20分の短編戯曲を作りリーディングをしたので、またリーディング用に書いてみてもいいかもしれない。『待ち合わせ』と『雑踏』。それが『(あるいは失われた)都市』に対する、現在の私の興味と回答である。……てまあ、そんな大げさなハナシでもないか。しかし何かしら掘ってみたい題材なのだった。ヒマを見つけて『極私的LABO』で扱ってもいい。それもまた、次の芝居が終わってからのハナシだ。

■そんなワケで台本は大詰め。本当に大詰めだ。ツメにツメている。並のツメではない。怒涛のツメである。このツメを見よ。ツメてツメてツメまくれ。ツメざる者は人にあらず。ページ数にして10枚弱。上演時間にならせば15分?18分てとこか。着地する丘はみえている。降りる場所はあるのだ。そのどの場所にどのような方法で着地するか。雑踏の中に居場所を探すように、誰の目にも見えてはいたが知ってはいなかった、そんな場所にたどり着けるか。着けないのか。どうなんだ。

■4月が終わります。次回公演の告知は明日の夜から始まるとのこと。どうぞ、よろしく。

小野寺邦彦



#126 在り処のこと 2017.05.7 SUN


■日中、高田馬場駅前のコンビニに行くと、レジ前の新聞ラックから『スポーツ報知』を抜き取り、熟読している30代前半くらいの女性がいた。新聞の立ち読みは普通、禁止である。ために、最も監視の目が厳しいレジ前にその売り場はあるのだ。だが、彼女は落ち着き払った様子で、悠然と新聞をめくる。店員は何をしているのかといえば、彼女を見ている。じっと見ているのだ。それも一人ではない。レジの側にいる男性店員に加えて、飲料売り場のクーラー前にいる男性店員も、じっと彼女を観察しているのだった。そして、彼女以外にただ一人、店に足を踏み入れた客である、私自身も。

■その理由は、胸だ。大きいのだ。もの凄く大きい。顔だ。人間の顔が2つ、その位置についている。彼女は黒のタンクトップ姿で、2つの顔は広げられた新聞紙を押しのけ、その存在感を激しく主張している。みだらな気持ちはまるで起こらなかった。本当である。珍しいものを見ている。少年時代にサンシャイン水族館でクリオネを見たときとまるで同じ感想である。なにやら神聖なムードさえ感じた。生命とはなんだろう。われわれは何処からきて何処へいくのか。時間にして何分のことだったか定かではない。じっくりと新聞を読み終えた彼女は、新聞をラックに乱雑に戻し、ゆうゆうと去っていった。彼女を咎める者は誰もいない。等価交換。それが世界のルールであるとするならば、彼女は十分すぎる代償を払った。夕刊も読みに来るのだろうか。待ち伏せしようか。まるで妖怪との遭遇譚である。

■ゴールデンウィーク。根無し草生活の身に連休は何の関係もないが、友人知人の公演ラッシュで、連日劇場に足を運んだ。それとは別に、興味のある芝居も観に行って、4日間で都合7本の芝居を観た。ヘトヘトだ。ちょっと前までは、ゴールデンウィークとお盆だけはどうやったって客が来ないから公演を控えるのが常識だったが、時代も変わるのだろうな。どの舞台も盛況だった。

■知人の多くが出ているguizillen(ギジレン)という劇団の公演『在り処』は、新宿二丁目の郵便局向かいにある小さな小さな劇場、サニーサイドシアターで行われていた。30人で満席の狭い客席で観たその芝居が、これまで観た彼らの芝居の中で一番面白かった。面白い……というのはゲラゲラ笑ったということでは勿論なくて、いや会場は爆笑の渦だったが、そういうことではナイ。私の興味を引いたのは、彼らが初めて構造を持った芝居を作ったということだ。

■芝居は、主演の片腹俊彦がこれまでの人生を虚実織り交ぜて語るという形式で進む。開場時間に劇場に入ると、出演する俳優たちが既に舞台に出ていて、めいめい勝手にお喋りをしたり、客席に話しかけたりしている。開演時間が近づくと、片腹と主宰で作・演出の佐藤辰海だけが残り、今回の公演に至った経緯を説明する。佐藤が脚本が書けず、公演中止を持ちかけたところ、片腹がその侠気から「俺がなんとかする」と申し出た、と。そこで片腹の人生を描くドキュメンタリー演劇をすることになった。佐藤は開演まであとわずかの間を埋めるためと言って、片腹に一人でたわいもない過去の思い出を語らせる。どこから芝居に入ったのか分からないうちに芝居は始まり、やがて片腹の語る物語は矛盾をきたし、破綻してゆく。初めは比較的現実的であったエピソードだが、語れば語るほどフィクションの度合いを増してゆき、奇想とキレのいいギャグの連続に、客席は爆笑に包まれてゆく。だが私には笑えなかった。満員の観客が爆笑している中、私は泣いていた。芝居で泣いたのは何年ぶりか分からない。

■初めにこの芝居の構造を作者自らが暴き、ノンフィクションであるとうたっておきながら、宇宙人が出てきたりするものだから、観客は、ああ【嘘】か、と安心して笑ってしまう。だがそれが企みだ。一見【嘘】に見える荒唐無稽なエピソードの中で片腹は真実を語っている。実はこの芝居は、【本当らしいエピソード(帰郷、失業、失恋、親子関係など)】に対する、【おちゃらけた片腹のリアクション】は【嘘(あるいは虚勢)】であり、【嘘っぽいエピソード(宇宙人、変人など)】に対する片腹の【(滑稽なまでに)真面目なリアクション】は【本当】なのだ。つまり、エピソードとそれに対する片腹のリアクションが捻れているのだ。だからエピソードと片腹のリアクションを一度バラバラにして、【本当らしいエピソード】と【(滑稽なまでに)真面目なリアクション】を結ぶとき、片腹の本当に観ている、真実の世界の構造が現れる。彼は地獄にいる。

■(片腹の中での)真実を語っているのに、彼をマトモには取り扱おうとしない周囲、という、舞台上での構造が、そのまま、彼の真摯な演技を笑う観客、という形で現れ、舞台上と客席とで彼は挟み撃ちに合う。「宇宙人」や「変なスターバックスの店員」に対して片腹が真面目に対応するほどに、それをギャグとして、客席は笑う。観客は、【嘘】に安心して、片腹を笑いのめし、彼の孤独を(それと気付かず)演出してしまう。つまり片腹は、今芝居をしているという現実の上でも、演じるフィクションの中でも、独りなのだ。その凄まじい荒野の風景に、私は泣いた。客席が笑いで湧きに湧くほど、涙はとめどなく流れた。私は普段、観劇の際に目をつぶって音だけを聞くことが多いのだが、片腹の演技は鬼気迫るもので、目を離すことができなかった。そして最終盤。エピソードの質と片腹のリアクションがついに合致する。だがそこで語られるのは、片腹が劇団を辞めた、という未来を予見した【嘘】なのだ。如何にも現実に起こりそうなエピソードだが、これまでの展開で、客席は【嘘】を笑うことに慣れてしまっているので、【本当らしいエピソード】で【切実な反応】をする片腹をも笑ってしまう。

■失敗談を面白おかしく語り、自分自身を茶化して笑いを誘う片腹。だがその内心の孤独は荒唐無稽なエピソードに対する反応でしか表せない。その滑稽さにまた笑いが起こる。どっちにしろ笑われてしまうのに彼が演技を辞めないのは、この地獄から抜け出し、自身が肯定される安住の【在り処】を求めているからだ。だがその場所は示されない。名前も、家族も、記憶も、すべてが作り事であり、片腹俊彦などどこにもいない。笑いの渦の中心で、俺は何処にいるんだ、と絶叫する彼に、客席から「いるじゃん、ずっと」と突き放されて、芝居は唐突に終わる。

■弾むギャグに包まれた楽しいフィクションと思えたこの芝居が、異常にアッサリと、救いもなくスパッと終わってしまった瞬間、明らかに観客は混乱していた。けれど私には満足だった。それは本当に取り付く島もないほど残酷で、明日も、明後日もこの地獄が彼に待っているのだという事実を冷酷に示していた。ここではない【在り処】などどこにもない。なぜなら、彼はもうそこにたどり着いてしまっているのだから。いたのだ、ずっと。そう、彼が今、抜け出したいと思っているこの地獄こそが【在り処】なのだ。これはフランクリン・J・シャフナー『猿の惑星』、あるいはカフカ『掟の門』などと同じ構造である。つまり、普遍的な物語なのだ。意図したものではあるまい。見切り発車で始まった作品が、おそらく稽古場での試行錯誤の末、ついに物語の正当にたどり着いた。ある種の奇跡であり、2度あることではないのかもしれない。これまで佐藤の書いてきた芝居には、終盤の展開や結末に甘いところが多くあり、それらの点を私は買っていなかった。物語に対する追い込みが圧倒的に足りていなかった。もっと魂を削って書くべきだと思っていた。だが今回はほぼ完璧なラストだと思った。よくぞ、追い込んだ。そう思ったのは私だけだろうが(優越感から言ってるのではナイ。私は自分が狂った感想を言っていることを識っている)。私はこの芝居を肯定する。評判は知らない。絶賛も酷評も関係ない。ただ、肯定する。全力で肯定する。

■両手を上げる傑作ではない。構成が雑で散漫だ。構造のどんでん返しは何度も同じ手法を繰り返していて芸がなく、すぐ見透かされてしまう。それまで現実だと思っていた展開が、一瞬で虚構であると暴かれて真実が語られ、またそれが虚構であると暴かれて……という手法自体が、そもそも手垢のつきまくった手法で全く目新しいものではない(私もよく使う)。芝居が不出来であった場合に備えた保険として、劇中での言い訳が多い。スターバックスをくさすくだりなど、今更と思わせる凡庸で安易なネタが幾つもある(当日観た別の芝居でもほとんど同じ発想のくだりがあった)。音と明かりの使い方に工夫がない。この芝居が彼らの知り合い以外にどれくらい通じるのかも疑問が残る。欠点を挙げればキリがない。それでも。劇構造を初めに示してしまうことで客席を欺き、観客の【笑い】をも残酷な演出としてしまった企みは卓抜でクール、何より全編通じて私には絶対に書けない芝居だ。そして私が観たい芝居は、掛け値なしに、それだけなのだ。劇場の規模も、客の数も、俳優の知名度も、脚本の完成度も、周囲の評判も、私には知ったことではない。本当に、興味がないのだ。私にとって必要かどうか、興味はそれだけだ。『在り処』は、ギジレンの芝居で初めて、私には必要な芝居だった。それだけのことだ。それが全てだ。

■芝居がはねた後、誰にも会いたくなくて、知り合いでごった返す客席から逃げ出した。今、劇場そばのベローチェで独り、この文章を書いている。そして思う。私もまた、誠心誠意、フィクションに取り組もう。彼らとはまるで違う方法で。彼らとはまるで違う道を通って。うまくたどり着けるかどうか、それは分からないけれど。そこへゆく途中の道だけが、たったひとつ、私の【在り処】なのだから。

小野寺邦彦



#127 欲望と欲求 2017.07.28 FRI


■ある人が言った。演劇やバンドのライブなどで売っている物販は貧乏くさい、と。Tシャツ、缶バッヂ、クリアファイル……。どれも手作り感が強く、商品に見えない、と。なるほどもっともだが、では何であれば立派な商品たりえるのか。その人の答えて曰く、

「まつ毛美容液さ」

そう言ってサッと渡して寄越した『エグザイル・ライブツアー』パンフレット。その末尾「会場販売グッズ一覧」に、ある。確かにある。Tシャツ、タオル、ステッカーなどに並んでごく自然に「まつ毛美容液」が。事実として反復しよう。 『エグザイル』の物販には「まつ毛美容液」さえある。 コンサート会場で「まつ毛美容液」さえ売れてしまう。「まつ毛美容液」を買うためにファンが並ぶ。それが「メジャー」だ。わたしは知る。「メジャー」とは「まつ毛美容液」のことである。その高み。とても辿り着けるとは思えない。

■芝居が始まって終わってしまった。またしても稽古中は一切更新されなかったノートである。すべての力を台本の執筆に注いだ。完本は6月28日。本番の16日前であり、締め切りより遅れること2か月。こうなると締め切りの意味が分からない。まったく締め切られていない。 内容は書ききった。自身の能力を大きく超える戯曲になったことは間違いない。いま、パラパラと読み返してみても、どうしてこれが書けたのかよく分からない。一ついえることは、執筆中はすごく沢山風呂に入ったということだ。書き進め、行き詰る毎に入浴した。何なら一日10回くらい湯船とパソコンを往復した。水棲生物「わたし」。 力の限りデタラメを書き、そのために追い詰められ、これドーすんだ、この後?とキーを叩く指が止まれば即、入浴だ。温度は44度だ。首までつかってボンヤリしてると、次の展開がポンと出てくる。コレだ。ついに掴んだ、これぞ入浴執筆法。追い込みに入り、修羅場に近づくほど、キューティクルは輝きを増し、肌は艶々の私である。苦しんで書いている、そのコトバに何の説得力もナイ。頭脳はパソコン、身体は湯船。それは新しい河童である。

■結局、戯曲の書き方はまるで分らない。本当に、少しも分からない。実際に書いてみるまでどんなハナシになるかさえ、見当がつかない。芝居を始めた頃は、兎に角書けば方法論は確立してゆくのだと思っていた。だから書き飛ばした。しかし、どうだ。書くほど方法論から離れてゆく。そうしたい訳ではないのに、そうなってしまう。稽古場で少しずつ台本を渡す際に、俳優から「それで、この後、どうなるんですか?」と聞かれる度に絶句してしまう。「せめてプロットとか……」。プロット、ストーリー、エピソード、構造、構成……ソレは何なのだろう。アタマがグルグルする。誰もが当然の技術として語るそれら方法論が、私にはまったく身につかない。自信満々に作劇論を語る人々の輪には入れない。たぶん、ずっと入れないのだ。入りたくて仕方がなかったその場所に入れないと分かって、けれどまだやめるつもりはない。結局私はアマチュアなのだ。魂を削って作品に没頭する、それしかできない。技術がない。だが知るがいい、アマチュアの恐ろしさ。誰にも求められないけれど、やる。それが素人の怖さである。とりあえず湯船は常に清潔さを保っておくべきだ。

■芝居が終わった翌日、キッチリと風邪を引き、体調が戻らないまま先輩作家に会いにいった。芝居のハナシはまるでしなかった。シャイな二人である。私がこのヒトから教わったことはたった一つである。10年前、終電を逃し、私のアパートでみかん15個を酒の肴にしながら、ベロベロに酔っぱらった彼は言った。欲望と欲求とを分けて書け、と。欲望とは手の内にないものを求めること。欲求とは手の内にあるもので自身を慰めること。ベクトルは外へ向けろ、理解の外にいる人物を書け、と。今でも折に触れて考える。私は、私の理解の外にいる人物を描けるのだろうか。それは例えば『エグザイル』のコンサートに行って、「まつ毛美容液」を求めるファンの心理である。考えるべきはその「切実さ」にある。切実。それさえ見つければまた、次の芝居が書けるのだろうか。今はからっぽになってしまったこの身体にまた言葉が戻ってくるだろうか。

■『太陽は凍る薔薇』にお越しいただいた750名の皆様、来なかったけどちょっとは気にして下さった方々。どうも有難うございました。また次の芝居でお会いしましょう。

小野寺邦彦



#128 返信 2017.08.02 WED


■高円寺駅の改札を入った場所で、人を待っていたのだった。

■私の1メートルくらい前方にも、同じく人待ち顔の若い女性が立っていた。20歳くらいのその女性は、ロングTシャツに短パン、足元はサンダルというかなりラフな格好。Tシャツの裾丈と、短パンの裾丈がほとんど同じくらいの位置で、見ようによってはTシャツの下から直接太ももがニョッキリと露出しているようにも見える。しばらくスマートフォンを操作していた彼女だが、フイに短パンのポケットにそれをしまうと、突然、自分の短パンの『裾』をグイグイと引っ張り始めた。1センチでも、1ミリでもいいから『裾』よ伸びよ!とばかりに引っ張るのだった。しかし勿論、そんなことで『裾』は伸びない。 それでもお構いなしに左右の『裾』を引っ張るのだ。私がギョッとしてその奇行を盗み見ていると、彼女は、改札を通過してきた上品な雰囲気の中年女性に近づいていき、挨拶をしたのだった。

「わざわざご足労頂きましてありがとうございます。本日は宜しくお願い致します」

そのルックスからは想像できない丁寧な言葉遣いで彼女は中年女性を迎え、二人はホームへと消えた。そして私は識った。彼女はそう、『居住まいを正していた』のだ。目上の人を迎える直前に、身だしなみのチェックをしたのだ。良識のある女性である。だが短パンだ。今どきの若い者には稀な、気遣いのできるヒトである。だが短パンなのだった。彼女にとって、目上の人と会う際の心配りとは、例えば正装に身を包むことではなく、短パンの裾を引っ張ることなのだ。朝起きる。今日はあのヒトに会う用事がある。緊張する。失礼がないようにしなくては。心よりおもてなしをしたい。言葉遣いにも気をつけよう。電車の時刻を再度確認し、待ち合わせより10分は早く着くよう家を出ようと思う。そしてロングTシャツを着て短パンをはき、サンダルをつっかけて出かけるのだ。

■彼女の「気配り」は豪快にズレている。だがこのズレは凄い。格好いい。ロックを感じるズレである。

■劇団のメールアドレス宛で、結構な数の感想メールを頂いた。17通。知り合いから4通、面識のない方から13通。Twitterで感想を「撒く」人は多いけれど、わざわざ相手まで「届ける」だなんて、近頃マレなことである(勿論、Twitterでの感想もありがたく拝読しております)。頂いたメールの中にはかなりの長文のものもあり、中でも、映画監督を目指しているという専門学生の女性からのものは興味深かった。公募の新人賞に昨年応募したが、一次選考でハネられてしまったのだという。そんなハズはない。一次選考で落とされる作品ではないのに……とショックを受けていたら、その審査をしたらしい一人がTwitterで「〇〇君、一次通過おめでとう。私も勿論、一票入れました」と書き込んでいたのを発見してしまったらしい。なんだこれ!と憤慨した彼女は、引き続きTwitterで猛烈にサーチした結果、他にも数名の人々が自分の知人や学校の生徒などを通過「させた」旨のツイートをしていたのを発見したという。「こんな人たちに落選させられた私の作品がかわいそう」と彼女は書いていた。「架空畳の作品は初めて拝見しました。この作品がちゃんと評価されるのか心配です。余計なお世話ですが」。

■(返信) 以前にもこのノートのどこかで書きましたけど、私は評価、というものを凄く早い段階で諦めてしまいました。それは評価を下す人を見下げ果てているということではなく、評価を得る作品というのには傾向があって、(人間が選ぶ以上どうしてもそれはあります)どうも自分の作品はその点であまり有利ではないと思ったのです。勿論、傾向など一切、問題にせず突破してしまう凄い作品、有無を言わさぬ才能というのもあります。けれど私はそこまで自分の才能を信じられるほどお寝坊さんでもないのです。私はそこそこの才能(それだってほんとはとても怪しいのですが)で、評価軸からはイマイチ、ズレた作品を作っている。不毛だと思うでしょうか?けれど「評価されそうな傾向にある作品」の作風がどうも苦手で、「とても評価などされないだろう作品」の作風が好き、という人もいます。断言するのは私がそういう人間だからです。世間一般とズレてて格好いい俺、ということでもありません。私は昔からずっと、あらゆる面で世間とはズレているのです。悩んだ時期もありました。今では、潮流に乗れるか乗れないか、それはどちらが優れているということではなく、背が高いとか低いとか、足が速いとか遅いとか、そういうことだと思っています。物凄く美しいフォームで走るビリケツの選手というのがいてもいいのではないでしょうか。あなたは作品を作る人であり、業界人になりたいわけではない。友達の多さで結果が決まるタイプのコンクールは、あなたには無用でしょう。持ち込みや上映会などを薦めます。芥川賞作家の保坂和志さんも、デビュー作の『プレーンソング』を書いたとき、新人賞では落ちるだろうと考えて出版社に持ち込みをしたそうです。そういうことはあると思います。……と、新人戯曲賞に2度も2次選考落ちを食らっている私がいうのも見苦しいでしょうか。私の場合は、実力不足です。本当です。上映の際はご連絡下さいね。

■芝居にも傾向はある。そこからズレたものを作りたいし、観たい。短パンの裾を引っ張るような、几帳面にズレたような作品を。

小野寺邦彦



#129 無用のひと 2017.08.14 MON


■駒澤大学駅の稽古場まで通っていたときのハナシ。

■京王線で稲田堤まで。そこで南武線に乗り換えて溝の口まで行くのだ。京王線の稲田堤駅と、南武線の稲田堤駅は、徒歩で3分くらいの距離。その道を、乗り換えの乗客たちがゾロゾロと歩く。すると道の反対側から、地元の中学生と思しき、学校指定のジャージ上下を着た坊主頭の少年が、スマホで通話をしながら歩いてきた。

「お世話になっております!お休みのところを申しワケございませんっ!本日の営業報告を致したく、お電話差し上げました!また改めましてご連絡致します!失礼致しますッ!」

スゴい声量だ。キビキビと真っ直ぐな発声だ。歩きながらもピンと背骨を伸ばした美しい姿勢だ。だが中学生だ。ジャージだ。坊主だ。稽古場に着くまでの時間で、少年の素性を考えてみた。
①中学生起業家
②周囲を驚かせるためのイタズラ
③実は社会人。ジャージと坊主はファション
時間が経って、今はなんだか③のような気がしている。印象抜群の営業スタイルだ。

■芝居が終わってから、あまり働いていない。何となく気が抜けて、つい朝からブラブラと喫茶店に行き、モーニングを注文してしまう。飲み物に日替わりのトーストサンドとサラダがついて290円のモーニング。それは退廃の味である。平日の朝10時過ぎ。マトモな人間は、こんな時間にアイスコーヒーすすりながら文庫本を開いたりはしない。夏休みだからか、店員はひょっとしたら高校生だ。働く10代。働かぬ34歳。だがそんな怠惰な時間を過ごすほどに心身が快復してゆくのを感じる。全くもって社会に不要な人間だ。

■たまに開いて見るTwitterで、作家や演出家、プロデューサーその他クリエイティブ職を自称する人々が、プロフィール欄に「お仕事の依頼はこちらまで!」なんて書いているのをよく見るが、それで仕事が来るのだろうか。そこで想定されている「仕事」がどんな種類のものなのかも、よく分からない。「仕事」というモノが、降って湧く僥倖のようなイメージでまるで具体性を感じない。「仕事のご依頼はこちらでは受け付けていません」と書いてある人の方が、仕事が殺到してそうな感じ。偏見だろうか。私は10年芝居をやっていて、それが仕事に繋がったことは一度もない。本当に一度もないのだった。過去2回くらい、ワークショップをやりませんか、という怪しい営業が来たが、無茶苦茶な提案をしたら音沙汰がなくなった。そのことを人に話したら、「勿体ない。せっかく、仕事になるところだったのに!」と責められた。そうか、皆「仕事」に憧れがあるのだな。演劇のような「遊び」であっても、経済に結びつけることで価値を見出そうとする。ハクがつくというか。それはまあ、確かに立派だ。好きなことでお金が貰えたら素晴らしい。だが、それができなきゃダメってわけでもない。私の芝居は「遊び」どころかもはや「道楽」だ。何かのために作っているわけではない。作品を作ること、それだけが目的だ。そんなモノが「仕事」になるわけがない。なってたまるものか。トコトン、社会には不要。しかしまあ、そんなモノがあっても良いではないですか。必要なモノしか許容しない社会は恐ろしい。

■高校生のころ、学校をサボって、目的もなく毎日街をウロついていた。新宿、渋谷、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺、お茶の水、神田、三軒茶屋……。高校生が昼間からフラフラしていても、誰も気にも留めない。無関心。素晴らしいと思った。何の役にも立たない人間の存在を許している、それが都市なんだと知った。

■社会に無用な人間が、無用な作品を作っている。それが私の創作活動の実態だが、その自作自演の創作の現場において私は無用人ではなく、むしろキーマンだ。自作自演だから当たり前だ。私が書かなければ始まらない。私がいなければダメだ。だが、そんなマッチポンプな自惚れにもオワリの時がやってくる。芝居が終わった後の打ち上げだ。そこにいるのはもはや何の役にも立たない抜け殻である。

■芝居が終わった日のことだ。バラシも済み、皆が打ち上げ会場へ移動する中、余った折込みチラシの束を段ボールにまとめて、家へ郵送するため一人コンビニへ。劇場前に荷物を置いていったのだが、戻ると荷物がなかった。ラインしてみると、舞台監督が持って行ってくれたとのこと。そこから一人で打ち上げ会場へと向かった。新宿三丁目の劇場から、会場のある歌舞伎町までは徒歩8分。勝手知ったる新宿の街、だが歩いても歩いてもそこに辿り着かない。気づけば何故か花園神社の境内にいた。そこで腰を降ろし、ボンヤリと考えた。さて、これからどうするか。どうするって、打ち上げいって肉食うのだが。いや、そういうことではない。芝居は終わった。作品だけで繋がってきた人々と、作品が終わってしまった今、いったい何を話せばいいのだろう。途方に暮れた。いつもそうだ。芝居が終わると、私は途方に暮れるのだった。無用人間。このまま帰ってしまおうか、と5秒くらい考えるが、ヒンシュクは免れ得まい。分かっているのだ。実際にはそんなこと出来やしないのだ。トボトボとゴールデン街を抜けて歌舞伎町に入ると、すぐ呼び込みに声をかけられた。無視していると近寄ってきて、耳元で囁いた。

「アニキ、背中、塩吹いてますぜ」

歌舞伎町のど真ん中、塩を吹いた背中で途方に暮れる男。それが芝居後の私である。呼び込みにまで気遣われる。そんな人間に、いったい誰が会いたいものか。

■夕方、駅前に出てみるとギョッとするほどの人の群れ。老若男女が立ち止まってスマホを操作している。ああ、ポケモンか?しばらくナリを潜めていたが、新しいポケモンが放たれたのだろうか。夏休みだし。デジタルデータが、人の足を動かす。それは憂うるようなことではない。 自分の好きな時間に、好きな場所で、好きな方法で摂取するばかりが娯楽ではない。 時間と場所が指定されれば、わざわざそこへ赴き、価値を『ゲット』する。それは福音だ。無用が生き残る術だ。 私だって、そこに現れるとわかってさえいれば中学生スタイル営業マンを見つけに稲田堤に通うだろう。きっと通うはずなのだ。

小野寺邦彦




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