NOTE

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生活と創作のノート

update 2009.11.25

生活の冒険フロム失踪者未完成の系譜TOKYO ENTROPY薔薇と退屈道草の星偽F小説B面生活フィクショナル街道乱読亭長閑諧謔戯曲集ここで逢いましょうROUTE・茫洋脱魔法Dance・Distanceニッポンの長い午後


フロム踪者

NAVI.s NOTE


#018 100円少年 2009.7.29 WED


■週末の日中。夏祭りの準備が進む駅前で、10歳前後だろうか、ハッピ姿の少年2人組とすれ違った。

「俺たちも中学生になったら、神輿担ごうな」
「でもあれすげえ重いって。兄ちゃんが」
「バカ。神輿担いだら、おでんと100円貰えるんだぜ」
「え、マジで。100円?」
「マジで。100円」
「じゃあ担がなきゃやべーじゃん。損するじゃん」
「な」

■100円。100円か。100円で担ぐのか重い神輿を。100円。それは中学生に渡すご褒美として成立する金額なのか。戦後ってかんじだ。21世紀だけど。 500円なら分かる。500円貰えたら、ことによると今だって嬉しい。神輿だって担ぐかもしれない。きっと担ぐだろう。でも100円。自分が小学生の時分には、お年玉の総額が10万円を超えたと言っていた 同級生もいたものだが。ジュースはかろうじて100円。今は130円~150円てとこだろう。 物価は上がった。子供の金銭感覚はどうだ。今100円はどれだけの輝きをもっているのか。 今、自分が10歳だったのなら。神輿を担ぐ労働の対価としての100円にどんな可能性をみるか。いや、だからどうしたと言うわけではないのだが。

■そんなわけで10月の公演に向けて、気分を新たにしてみたものだ。 「フロム/失踪者」。 公演タイトルは「NAVIの世界の失踪者~ト書きのヒトビト」である。 前回の成果と反省から、極端に趣味的な趣向を凝らした、いびつな舞台にしたいと思っているので、一つよろしくお願いします。

■梅雨明けは幻だったのか。豪雨と、湿気に喘ぐ7月の末。

小野寺邦彦


#019 死角へと向かうべし 2009.7.30 THU


■ここのところ曇りがちだった空が、今日は日中、晴れ間を見せた。 クソ暑いが、気分は悪くなかったのである。 新宿の路上で職務質問にあうまでは。

■職質に来る警官は二人組である。絶対に二人組なんである。 一人が質問をしている間に、もう一人は何かしている。 何かしているんだけど、それがナニをしているのか、良く分からない。 こちらの死角へ死角へと動くのである。 質問してくる警官にこちらが応対している内に、 スルスルと訓練された動きで、私の周りを動き回り、ナニかをしているのである。 ミスディレクションを誘う手品と同様の手管で、 質問してくる警官はオトリなのだ。被質問者が警官Aに注意を払っている間に、 死角へと動く警官Bがナニかを調べている。 プロである。 プロの動き。プロのコンビネーション。 ノウハウがあり、訓練されたフォーメーション。 恐ろしいことである。脅威である。 それが向こうから来るのだ。 権力がフォーメーションを組んで強襲。 抗う技術はおろか、心の準備すら無い一般人が到底、敵う相手ではない。 しどろもどろに応対する内に、本当はナニを調べられたのかすら分からぬままに何かを調べられてしまう。

■舞台も同じだ。舞台だって相当コワい。 劇場と呼ばれる薄暗い小屋に入ってパイプ椅子に座っていたら、 明かりがつき、目の前に現れた人間がイキナリ大声で喋り始め、動き回ったり、倒れたり、時には死んだりするのである。 こちらはもうただそれを抗う術なく、黙って、座って見ているしかない。 極めて一方的な関係である。

■強襲するものはいつだって権力的である。

■であるならば、役者とは、ナニカの影(それはセリフであり、照明であり、音楽であり、物語であったりするだろう)に隠れながら観客の死角へ死角へと移動し続けるヒトでなくてはならない。 そのためには、見せるものと見せないものを明確に知っていなければならない。 役者だけが知っている。観客は知らない。自分が何をされたのかさえ気づかない。 その違和感、シコリこそが一方的な暴力の傷跡となってノチノチ残るのではないか。

■暑いと、漠然としたことを考えてしまう。

■ところで、私は職務質問の常連である。夜中ワケもなく都心をフラフラしているという所為もあるが、マー年に3,4回は喰らいます。 一言で言って、風貌怪異な私です。

小野寺邦彦


#020 ネタとヒト 2009.8.6 THU


■アルバイトをする。

■放送作家のチョイとした手伝いのような仕事。ある限定されたシチュエーションでのギャグ(面白いコト)を考えるというものだ。 100個くらい考えた。おまけに、その一つ一つを、どこが面白いのか、なぜ面白いと思うのか、説明する。 私の他に五人の人間がいて、逐一、そこは面白くない、ここはこうした方が良い、意味がわからない、等々検討。 さらに私以外の五人が各々考えた面白いコトも同様に検討していくのである。この作業を丸三日。聞いただけで疲れる。結果そのうち2本が採用されたのだった。

■考えてしまったのは、ネタというのはそれ単体では何だって面白いし、同時につまらないということだ。 アノ人が言うから面白い、ということがある。 誰が言っても面白い、というものもあるのだろうか?あまり思いつかない。 ネタではなくヒト。ネタはその人の面白さを引き出すキッカケに過ぎないのではないか。 舞台のセリフと同じだ。誰もが光り輝く魔法のようなセリフなど幻想だ。セリフはツールであり、手段に過ぎない。その会議が消耗したのは、考えられたギャグを「誰が」言うのか、という視点が欠けていたためだ。 というか、ギャグを先に考えて、ソレを言う人間をこれから選ぶというのだ。順序が逆ではないか。 「あいつがこれを言ったら面白いか」という発想が出来ない。難しい仕事だった。

■これまでに聞いたギャグ(面白いコト)の中で、笑ったものは幾つもあったが、スゴイと思ったものは一つだけである。 十年以上も前だったか。昼間にやっているワイドショーを見るとも無しに見ていたときの事。 盲目の少女が普通科の中学校に入学する権利を得た、という感動モノのレ ポート。レポーターに

「中学校に入ったら何をしたいですか」

と聞かれて少女の曰く、

「一目ぼれをしてみたい」

■笑いは、事象を相対化することで生まれる。「感動」という、自分自身に求められている価値を十分に理解した上でソレをひっくり返してみせた、これ は完璧なギャグである。しかも彼女にしか使えない必殺技だ。自分を客観視し、それを笑いに出来る。その醒めた視線に彼女のこれまでの人生が透けて見える。 戦慄し、感動した。彼女が盲目だからではない。彼女が彼女自身のことを知っていたからである。

■で、この週末にコントをやるというバカ者がいる。『パーフェクトゴリラの90分』。間違っても感動などしないと思うが、見てみないことには分からないし500円で入れるそうなので、 お暇なヒトはどうだろうか。 ビールも飲める。

■甲子園も組み合わせが出た。いよいよ8月。

小野寺邦彦


#021 ネタとヒト(その2) 2009.8.17 FRI


■先月の終わり頃、稽古場まで電車で移動中だったときの話だ。

■とある駅で停車し、乗降ドアが開いた瞬間、一人の女性が物凄い勢いで車内に駆け込んできたのだった。そのまま一 直線に反対側のドアまで辿りつくと、肩を震わせて嗚咽、こらえきれずに号泣、ガツン・ガツンとコブシでドアを叩き始める。加えてな にやらブツブツと恨み言めいたコトバまで呟き始めたとあって、車内の緊張は急激に高まる。狸寝入り率はグンと上昇し、そっと隣の車両に移る人もいる。 問題は私だ。私だって怖い。車両を移りたい。だがそうもいかない事情もある。そのヒトは私の友人だったのである。

■声はかけられない。注意などとんでもない。露骨にその場を離れるのも気が引ける。10メートルほどの距離を保ったまま、凍りつき固まるしかない私。その間にも彼女はすすり泣き、窓ガラスに頭を打ち付け、つま先でドンドンと床を穿ち、携帯電話を一秒毎にパコパコ開けたり閉めたり。涙とハナジルで流れ出した化粧の渦にあわれ顔面はドロドロと沈み、その質量から相当気合の入ったメイクであったろうことが伺え、悲惨さをより際立たせている・・・と、そこでハタと目があってしまったのだった。覚悟を決めるよりない。

■「どうしたの?」思い切り声が裏返ってしまった。過去覚えがないほどの裏返り。こんな声出せるもんなんだなぁ、と頭の片隅で考える。裏返った問いかけに、ホンの一瞬、キョトンとした表情を見せた彼女だが、次の瞬間には待ってましたとばかりに、猛烈にその理由をまく し立ててきた。ヒルム私。怯むって怯えるって書くんだよね、そういえばね。また勝手に思考が展開する。しかし、こうなっては事情を聞くしかあるまい。聞こうじゃないか。20歳そこそことはいえ、彼女も世間的には立派に物事の分別のつく年齢の女性である。そんな女性を公衆の面前であることも構わず号泣させ、壁を叩かせるその理由とは一体何か?果たしてどんな事態が身に降りかかれば、これまでに記したような行動を

「あ~それなら仕方がないよね~」

と納得することが出来るのか?その答えが今、語られようとしている。私は期待して彼女の話に耳を傾ける。腰はマックス引けている。さて彼女の口から出てくる驚愕の事実とは。(つづく)

■夏である。何だか涼しいが、それでも夏は夏だ。マー君もダルビッシュに投げ勝つ夏。いよいよ台本に手をつける。

小野寺邦彦


#022 ネタとヒト(その3)2009.8.21 FRI


■前回からの続きです。

■分別のある一人の女性を、公衆の面前であたり構わず号泣させる程の緊急事態とは何か?ハナジルを滴らせながら説明する彼女の論旨をまとめると、

好きな男の子に振られて、悲しい

コレだけである。本当にコレだけ。ヒドい振られ方をしたとか、弄ばれたとか、ダマされたとか、そういうことでもナイ。不倫とか、許されない恋とか、横恋慕とかでもナイ。ただ好きな人に告白して、振られた。それだけ。全然、珍しくも無ければ面白くもない。まさかそれだけではあるまい、こんなことであのような痴態を演じることはあるまい、その先に驚愕の事実が待っているハズと話を聞き続けても、それ以上の情報は一切出てはこない。彼女はただ、彼のことがどれ程好きだったか、今自分が如何に悲しいかを延々言い募るばかりだ。私は混乱した。そんな貧弱な理由でさっきまでの彼女の常軌を逸した奇態を説明できるだろうか。他に何かあるはずだ。彼女をあの特異な行動に走らせた何か特別な理由が。 そこでハタと我に返る。

■最近の稽古場で、よく私が口にするのは、因果律に支配されない方法を考えようということだ。ある結果に至ったのは、そうなるのに相応の理由があったからに違いない、という考え方をやめにすることはできないか。悪いことをしたから罰が当たったんだとか。親の因果が子に報い…ってそれはウソ。そういう世界の見方は分かりやすくて便利だけれど、もう少し不条理な、理に収まらない…というよりも新しい理、ロジックの発見。その模索は可能だろうか。というのも、不条理というのもやはりある種のお約束として機能してしまうことが多いからだ。例えば、不条理にも悲惨になるというハナシはよくあるが、不条理にも幸福になってしまうというハナシはあまり聞かない。あったとして、それはご都合主義と呼ばれるだろう。理由なく不幸になっても許されるが、理由なく幸福になるハナシは許されない。もっと考えろと言われてしまうのだ。うーん。結局、条理・不条理、同じこと。どちらにも物語が有効に機能するコードは既に存在するのだ。それに依らない筋書きはないものか。「こうした結果、こうなった」「こうしたのに、そうはならなかった」以外の筋道は。

■と、いったような事を普段考えている私でも、現実には「このヒトが今こんなフツーではない状態なのは、何かフツーではない理由があるからに違いない」と思ったワケだ。普通な私。偉そうなこと言えないもんである。彼女は喋り続けていたが、私は上の空であった。で、上の空のまま電車は終点についてしまったので、一旦ホームに降りて、喋り尽くしてやや満足したらしい彼女に、私は次のようなことを言ったのだった。

■私だって失恋はした。数え切れぬほどした気がする。今後もするだろう。手ひどい目にあったことも一度や二度ではないし、思い出したくないようなこともある。しかしだ。だからといって公衆の面前で人目もはばからず号泣したり床を踏み鳴らしたり頭を壁に打ち付けたりはしない。過去にもないし、これからもないと思う。今日までそういう人を見たこともなかった。だからそういうコトをする人…というのはあなたのことなんですけど、そうせざるを得ない何か特別な理由を 持っているのかと思い、あなたの話に期待してしまったけれど、そういうわけでもないらしい。あなたにとっては、そりゃあ大変な事件でしょうが、あなたと同様の体験をした人は無数にいて、むしろ体験していない人のほうが少ないに違いなく、だがあなたと同程度の体験をして、あなたの ような行動に走る人はおそらくあまり多くないのではないか。平凡な、と言ってしまうと失礼だが(我々は皆平凡である)、平凡な、つまり誰の日常にもごく普通に起こりうる、常識的な失恋を体験して、けれど多くの普通の人とは異なる状態になってしまう、ということはあなたはフツーの人ではないのかもしれない。才能があるのかもしれない。何の才能かは分からないが。思い入れ、感情の入れ込み方が常人とはかけ離れて強いということはあるのかもしれない。今回の恋愛に限らず、結構日頃からそういうことが多いのではなかろうか。何か創作活動でもしてみればどうか。常人には及びもつかないヘンな思い入れの作品が出来るのではないか。 かようにまくし立てると、彼女は突如ケラケラと笑い出し、私を指差して言うではないですか。

「あんた、ヘンだ」

ま、そうかもしれないですけどね…。「話はつまらないが、その話をしているヒトが面白い」というエピソードを書くつもりだったんですけど。なんか、よく分からなくなりました。 すみません。

■どうでもいいことを考えていたら、明け方辺りはすっかり涼しくなってきてしまった。でも、まだ夏。断固として夏である。夏の間は大丈夫だ。もう少しダラダラしよう。ダラダラしながら音楽など聞く。

小野寺邦彦


#023 パンツ問題 2009.8.27 THU


■スカートのお尻の部分が完全に捲くり上がって、パンツ丸見えの女性が歩いていたのだった。世の中には見えてもいいパンツがあるそうだが、そういう類の話では勿論ない。どこかでスカートを托しこんで座ってしまい、立ち上がっても捲くれたままの状態になってしまっていることに気付い ていないのだろう。

■たいそう悩む。どうやってこの事実を当人に伝えるべきか。「パンツ見えてますよ」ってシンプルに言う以外無いようにも思う。だがその事実を知ったときの彼女の精神的ダメージおよび気まずさを考えるとどうか。真実を伝えることだけが常に正しいと言えるのか。時としてそれは暴力ではないのか。といって、素知らぬフリもまた非情、冷酷。最終的にどこかでは気づく訳だから、早い段階で告げておくに越したことはないのだ。だがどうやって。当人へのダメージを最小限に食い止めつつ、スカートの位置を修正させる最良の方法とは。

■スカートが捲くれ上がってパンツが見えている、という事象を、新たに捏造した別の事象(パンツが見えているという事象よ りもダメージの小さな)に摩り替えてしまえばよいのだ。例えば女性に背後から近づき「肩にコオロギが張り付いてますよ」とか 言って、コオロギを取るような素振りをしつつ、素早くスカートの裾を直してやる。さすれば彼女は自分のスカートが捲くれていたという事実を永久に知ることはないのである。さっきから道行く人の視線がなんかオカシイな?と思ってたけどなんだ、コオロギが付いてたのか~それなら納得~。とか思うかも知れぬ。コレだ。あとは当人に一切気付かれず、風のようにスカートの裾を直す技術を習得すればヨイだけの話だ。

■勿論私にそんな技術はないし、現実にそんなことをすれば犯罪者確定であろう。実際が理想に追いつかないのは、いつだって技術不足のためである。そのまま女性は見えなくなった。また一つ、不幸が生まれる。全ては私の技術不足のせいだ。

■「スカートが捲くれてパンツが丸出しなのに本人がそれに一切気付いていない状態」の役者、というのは稽古場にはゴロゴロいる。「そのスカートの裾を本人にも気付かぬ内に直してやること」こそ演出家の仕事である。要求されるものは常に技術。今の私では及ぶべくもないことだ。あの女性に、結局何もすることが出来ずに見送るしかなかったように、稽古場においても「どうしたらいいのだ」とボーゼンとすることの多いこと。方法は見えている。ただ全ては技術の問題である。そのときボーゼンと佇む演出家のスカートの裾もまた、捲くれていないとは限らない。

■セミの死骸が道端に転がる。夜には鈴虫、早くも秋の気配。でもまだ8月。

小野寺邦彦


#024 すれ違って聞くコトバ 2009.8.31 MON


■選挙に行ってきた。

■選挙に行って嬉しいことは、小学校に入れることである。私が通っていた頃とは違って最近はフラリと学校に入ったりなど出来ない。校門周辺には「関係者以 外立ち入り禁止」「通報」「不審者」などのモノモノしい看板が立ち並ぶ。運動会でも持ち物チェックなどが行われるという。思うことは様々あるが、折角の小学校なので投票を済ませてブラブラする。

■面白かったのは遊具にイチイチ名前を書いた看板が立っていたことである。鉄棒には「てつぼう」、うんていには「うんてい」と書いてある。だがジャングル ジムは「じむ」なのだ。ジム。異国の響き。そして何故か砂場は「すこっぷあそび」‥かなり用途を限定してくる。しかし子供は関係なく、そこで相撲を取った り、砂鉄を探したり、体を埋めたりして遊ぶだろう。もしくは思いもかけない遊びを始めるだろう。それは「すこっぷあそび」ではナイと咎められるかもしれな い。「危険な遊び」として禁止されることもあるだろう。若しくはそのような「危険な」遊びが既に咎められた上での「すこっぷあそび」の表示なのかもしれな い。だが彼らはその「危険な」遊びをやめる事はないだろう。大人の目の届かない、別の場所でそれをするだけだ。やがて校庭に子供の姿は無くなる。もし本当 に大きな事件が起こるとすれば、そこからだと思う。

■帰りがけ、小さな子供を連れた若いお母さんの二人連れとすれ違った。そのとき一瞬、聞こえてきた会話の断片、

「どこのお宅でも、二人目は、大体声が低いから・・・」

二人目、というのは二人目の子供のことか。言葉の真意は分からない。分からないのだが、何か重要な、重大な意味があるような気がして、今日は一日この言葉のことだけを考えていた。というか、ぼーっとしていた。いろいろなことを考える。考えながら、ボンヤリする。おかげで大事なセリフが一つ、書けるような気がする。この ところ篭ってばかりだった。もっと外へ出よう。街へ出て人とすれ違わなくては。 刺激を与えられるコトバはいつだって、街ですれ違いながら聞く、誰かの一言だ。

■台風が来ている。低血なので朝から少し頭が痛い。8月が終わる日。いつの間にか蝉はもういない。

小野寺邦彦


#025 ○○系 2009.9.05 SAT


■待ち合わせで、とある駅ビルの中にいたのだった。化粧品店の店頭にかかげられていたのは、次のようなキャッチコピーだ。「あなたは小悪魔系?それとも女神系?」

■女神系。はじめて目にしたコトバだ。違和感。小悪魔と女神。対立項として成立しているのか。小悪魔には小女神ではないのか。なんだ、小女神って。コメガミ。コメカミみたいじゃないか。早口言葉か。コメムギコメガミコメタマゴ。だめだ。小女神はだめだ。じゃあ小悪魔の方を悪魔にしたらどうだ。悪魔と女神。厳密にどうかと言われればアレだが一応、成り立っている気はする。でもなあ。悪魔系って。彼女は悪魔系。蠱惑的、魅惑的なんてぬるい感じじゃない。本格的というか。デーモニッシュ。サバトか。呪われそうだ。悪魔系女子。だめだ。悪魔は悪い。悪魔は嫌だ。やはり小悪魔だ。小をくれ。小が欲しい。 小悪魔。小が付いてちょうどいい。不良ならいいがヤクザは引く。チョイ悪。悪い雰囲気。ムード。ムードでいいんだ。なんだよ、女神系って。「あたし、女神系」って言うのか。「今年は女神系でいってみるか」。イヤだよ、そんな人。ムードを越えている。女神なムード。そんなものあるか。女神は本格だ。本格以外有り得ない。でも小女神は嫌だ。

■本来マイナスイメージで あるところの「悪魔」に「小」を付けることによって、プラスの方向へ針を動かした(陳腐化した)「小悪魔系」とは違い、「女神」はハナからから(過剰に)プラスのイメージなのだから、「小」をつけて陳腐化する意味がない。というか、女神って、なんか、小悪魔に比べて魅力がない。ひどく単純なイメージだからだ。「女神様のようにキレイ」って実は普通じゃないか。幼児がお姫様やお嫁さんに憧れるような。クラシカル。スタンダード。無難なんだ、それは。そういうアナクロな「キレイ」に対するカウンターとして生まれたのが小悪魔系ではないのか。イメージの換気力、パワーで劣る気がしてならない。ここに二つの選択肢があり、「女神」と「小悪魔」どちらかを選ばなければならないとしたらより決断力(自覚的な選択)を必要とされるのはどちらか、考えるまでもないだろう。ファッションは自覚だ。無難な女神なぞ、自覚を持って決断しなければ選びえない小悪魔の敵ではないのだ。

■女神系を足蹴にしたところで、堕天系というのはどうだろう。天使が神の怒りに触れ、天界を追放された結果、人間や悪魔の身分に堕とされたのが堕天使。生来の悪魔と異なり、元は高貴な天使であった、というのがミソ。不良校にいる元優等生。かっこいい。どんな格好かは各自考えて頂きたい。堕天系。ビジュアル系のバンドだろうか。ビジュアル系を誤解しているか。今に始まったことじゃない。私の思うことの全ては誤解だ。

■ところで女神系ってどんなファッションなのだろう。誰か教えて下さい。

小野寺邦彦



#026 お返事します 2009.9.12 SAT


■メガネ屋の店頭に設置されている、あれは何というモノなのか、超音波の発生しているという水の中でメガネを洗う機会…あれを使おうとスイッチを入れたところ、キーンとすごい金属音がして、思わず悲鳴を上げてしまったのだった。「おうっ」って。キリキリと脳にクる音。耐え切れず退散した。これは何だ。モスキート音というやつだろうか。しかし以前にも同じ機械を使った使ったことがあるが、こんな目には合わなかった。モスキート音は若い人にだけ聞こえる音だろう。加齢で聞こえるようになる音波もあるのか。何かの罠か。思い知れ!メガネ買え!とかそういうことなのか。

■遂行日誌を始めてから、実は結構メールを頂いているのだった。しょうもないコトばかり選んで書いているブログなのに、すいません。ありがとうございます。芝居のアンケートならば罵詈雑言は厭わない(ホントは厭う)が、インターネットは何か怖いのでコメント欄は設けていないジュラ記。砂漠に家を建てる感覚で書いているものの、訪れる人がいることは嬉しいことです。取り敢えず、「生活の冒険」で頂いたメールに、この場でお返事します。

■「カレ木ナダ」というのは中上健次の小説「枯木灘」から取りました。格好良かったからです。その頃は読んでなかったんじゃないかな。読んだかな。名前をつけたあとに読んだかも。ちなみに蓮見重彦が中上らと結成していた野球チーム名は「カレキナダ」で高橋源一郎の「追憶の1989年」という本に出てきます。小説は読む方だと思いますが、系統立てて読んではいないのでチグハグです。

■イーストウッドについて、書くと言って書いてませんね。すいません。次回作が公開されたらまた考えるのではないでしょうか。昔、先輩に東木(とうぼく)という珍しい苗字の人がいて、イーストウッドと呼ばれてました。どうでもいいですね。送って頂いたグラン・トリノ評も興味深く読ませて頂きました。「ジーザス・キャンプ」、僕も観ました。何というか、言葉を失ってしまいます。

■野球の常套句問題。他にも外野からのバックホーム返球で、素晴らしい球がダイレクトで返ってくると「矢のような送球」と言ったりします。が、大リーグでは「レーザービーム」です。矢とレーザービーム。すごい兵力差。これがメジャーの壁か。「点」である球を「線」に見立てる発想は同じなんですけどね。このレーザービーム、イチロー選手のプレーが由来らしいのですが、彼の登場以前は何と表現していたのでしょうか。マグナム送球とかでしょうか。

■すいません、〆切に台本上がりませんでした…。

■役者にとって、考えることは動くことです。絵を描く場合も、絵筆を動かし続けることが考え続けることになるのではないでしょうか。「考える」ことが「動かない」ことのエクスキューズに使われてはならないと考えます。偉そうですね。個展にはコッソリ伺います。

■この夏はまた別の知人の子供とポケモンスタンプラリー周りを致しました。

■女優が男優に比べてあまり汗をかかない、というハナシ。女性と男性では体感温度が異なるせいでは、というご指摘。男性に比べて女性は筋肉が少なく脂肪が多い。熱は筋肉の運動から発生するので、男性の方が熱を発しやすい。加えて脂肪は冷えやすく熱しにくい性質をもつため、女性は比較的汗をかかない、と。そうなんですか。女性の方がエアコンの冷えすぎに弱いとされますからね。着物だって女性のものの方が気密性が高く造ってあるといいます。しかしあれですね、そうなると女性でも鍛えていて筋肉量が多い人、例えばボディービルダーの方なんかは平均的な体格の男性と比べて汗を多くかいたりするんでしょうか。調べてみよう…。積年の謎が解けてゆく結意義なブログです。

■フライヤーのイラストを描いて貰ったいとこんさんについてですね。彼女は多摩美の学生でしたよ。油画科でした。プライベー トなこともあるかもしれませんので、ご本人に直接お聞きになると良いかと思います。ブログにも載せた彼女のサイトでメールアドレスも公開されております。イラストは僕も大変気に入っております。

■こんなところです。皆様どうも有難うございました。超音波関係に詳しい方からの解説もお待ちしてます。

小野寺邦彦


#027 男と女 2009.9.30 WED


■ある日は残暑が厳しく、またある日はうすら寒い。今日は朝から雨が降っている。季節の変わり目だなあ。私は変わり目に弱い。少し体調を崩してしまった。 崩れながらも台本を書く。書いては、消して、また書き直す。今回役者も変わったので、セリフをまたイチから考える。やっと調子が出てきたかな。それなりに 苦しいが、稽古場は楽しい。

■ところで、私は街中や雑踏の中などでのヒトビトの何気ない会話に比較的耳が行く方で、断片的な会話を拾ってはあれこれ考えることが多い。セリフのヒントになることもある。 そういうことを日々行っていると、フとした瞬間に、ヒトが面白いことを言いそうな雰囲気というのがわかるときがある。地震が起こる1秒 前に地震の気配を察知できる人がいるように、その人が面白いことを言いそうな瞬間が気配で分かったりする。(関係ないけど、私、目覚まし時計が鳴る 0.5秒前に必ず目が覚めます)。

■コンビニで立ち読みをしていたのだった。隣にひと組の若いカップルがおり、二人はファッション誌を立ち読みしていた。女性の方は熱心に今秋のファッションや髪型について検討している様子で、彼氏に意見を伺うのだが、彼氏の方はかなりおざなりでテキトーな受け答え。興味ないし、早く行かない?というムードがダダ漏れ。そのまま数分が過ぎた頃、女性の方がまた何か言いかけた瞬間、件の気配がしたのである。あっ、この人、何か面白いこと言いそう。瞬時に集中力を高める私。

女「エビちゃんとアネキャンの相性って、例えると」
私(うん)
男「メシ、食いに行かない?」
女「何食べる?」
私(!!??)


例えると何なのだ?エビちゃんとアネキャン。その相性。例えろよ。例えてからメシに行け。おまけに立ち去り際、

女「そういえば、バナナボートにヘタの部分、あるでしょ。あれってさ」
私(バナナボートの?ヘタ?うん。)
男「あ、そういえば、タカハシが、バイクでコケたって」
女「えー。痛そう」
私(!!??)


ヒドい。言いようのない怒りがこみ上げる。貴様には彼女の彼氏たる資格はない。貴様が潰した彼女の発言がキッカケとなり、珠玉のセリフが生まれていたとしたらどう償うつもりなのか。ダメだ。こんな男と付き合っていてはダメだ。今すぐ分かれるべきだ。そして相性を例えて欲しい。

■稽古はこれからが本番。良い作品にしよう。

小野寺邦彦


#028 憧れだけで息をしていた 2009.10.5 MON


■プロ野球では東北楽天が3位以内を確定させ、クライマックスシリーズ出場を決めた。

■楽天が創設された初めてのシーズン、西武球場で対西武戦を観たのだった。その試合楽天はアッサリと負けたが、覚えているのは試合の内容ではない。7回が終了した際にスコアボードに他球場の結果が映し出された時のコトだ。当時私は阪神タイガースのファンであった。万年最下位、弱虎、ダメ虎、と言われていた頃から、しかし10数年来タイガースを応援し続けてきた。だから 2003年、2005年とタイガースが優勝した際には狂喜したものである。けれどまあ何というか、弱いときにはあれだけ「弱い、弱い」と陰口を叩いていたのに、イザ強くなり過ぎてしまうとソレはソレで物足りない。強いチームを応援している自分にシラけてしまう瞬間があるのである。そこで楽天だ。何せ勝てる気配の一切ないチーム。開幕戦こそ勝利したものの、二戦目では26対0と期待を裏切らずやってくれた。今年はこのチームを肴にクダを巻いて みようかという気持ちがあった。

■そんな訳でその試合、私は楽天側の応援席に座っていた。で、7回終了後の他球場の結果である。前述した通り、私はタイガースファンでもあったので、一応その結果は気に掛かる。特にその日は阪神―巨人戦、それも首位攻防戦だったのである。固唾を呑んで結果を待つ私。やがてゆっくりとスコアボードにその結果 が映し出される。

「阪神7-2巨人」

その瞬間、地鳴りのような歓声が、楽天側応援席から巻き起こったモノである。何のことはない、楽天の応援席にいた者はほとんど私と同じ考えのタイガースファンだったのである。あれから苦節5年。ヤレば出来る。広島も頑張って欲しい。

■さて公演に関してのお問い合わせの中では、フライヤーのイラストについてのものが多い。今回のフライヤーのイラストはマンガ家の朝倉世界一先生に描いて頂きました。高校生の頃、「キューティーコミック」という雑誌に載っていた「地獄のサラミちゃん」という作品が大好きだった私。「キューティーコミック」には他に安野モヨコとか小野塚カホリとか桜沢エリカとか南Q太とか魚喃キリコなどが一度に載っていて、女子は結構読んでいた。

■サラミちゃんは地獄から地上にやって来て、モデルやデザイナーや女優なんかに憧れながら日々バイトをしているのだが、当時僕の知り合いの女の子には、そういう人が多かった。と言ってそういうことを頻繁に口に出すということではなく、ある時、何かのはずみにポツリと口にするのを聞いたりすることがあった。 彼女たちは、クラスではあまり友達が多い方ではなく、どちらかといえば浮いていた。学校や教室よりもバイト先やバンド、ダンスのレッスンなどに賭けていた。そしてそれらのことは全て、僕も同じだった。「憧れ」だけで辛うじて息をしていた。尤も僕は彼女たちよりはるかにボンヤリとしていたけれど。あれから10年位経って、今僕は何の因果かマーこんなコトをしているけれど、彼女たちはどうしているだろうか。

■朝倉先生は今、「コミックビーム」で世界一格好いいマンガ「デボネア・ドライブ」を描いてます。本当に世界一格好良い。是非読んで下さい。

小野寺邦彦


#029 一月半も空いてしまった 2009.11.25 WED


■そんなこんなですっかり冬ですね。お元気だろうか。

■しかし一月半である。随分書かなかった。 公演が終わったのが既に一月前である。 いろいろ書くことはあった気がするが、既に忘れてしまったし、 今書いたところでしょうもないのである。これじゃ情宣にならないんである。 なるべくちゃんと書こう。推敲日誌だしな。推敲を書こう。

■こんな、野っぱらの空き家のようなブログでも毎日50人くらい、 日によっては100人近い人がちらっと見に来てくれているそうで、 大変恐縮です。きっと世間的には全然大したこと無い数字なんだろうけど、 僕(ら)にとっては一人一人が大切なお客様であります。それは舞台のお客様と同じです。 100人皆に手を振りたいほどである。おーい、おーい、今日は更新されてるよ。 そういえば千秋楽だったか、観劇に来て下さった初老の男性が、 ロビーで僕を捕まえて「ブログ、書かなきゃ」とボソリと呟いて去ったのが印象的であった。 また書き始めましたよ、おじさん。読んでくれているだろうか。

■公演は良いところも悪いところも沢山あったが、 初めての人たちと仕事が出来たのは楽しかった。 客層も少し変わった。 僕らは既に次の2月の公演に向けての準備を始めております。 そんなわけで「フロム/失踪者」はオシマイです。 次は2月公演に向けた新しい推敲日誌を始めますので、そちらもよろしく。


小野寺邦彦



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