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生活と創作のノート

update 2018.12.29

生活の冒険フロム失踪者未完成の系譜TOKYO ENTROPY薔薇と退屈道草の星偽F小説B面生活フィクショナル街道乱読亭長閑諧謔戯曲集ここで逢いましょうROUTE・茫洋脱魔法Dance・Distanceニッポンの長い午後


ここで逢いしょう

BLIZZARD BEAT.s NOTE


#136 素敵じゃないか 2018.03.27 TUR


■実家に帰ることになったから、と、友人からメールが届いたのは明け方だった。

■会える?と書いてあったので、いつ?と問うこともなく、それが『今日』なのだと分かった。全ての予定をキャンセルした。渋谷に15時。100メール離れていても、彼だと分かった。とりあえずという感じでブラリと入った駅前のスターバックス。いつも混雑していて、絶対に座れないはずのその席がまるまる一組、我々のためにサーブされたかのようにポッカリと空いていた。それから7時間、一度も立ち上がることなく、二人で機関銃のように喋った。この時間があれば、もう、一年間黙っていたっていい。言葉は、一瞬も留まることなく二人の口から溢れ続けた。

■店を出て、彼が不意に、ジャケットのそでを捲って二の腕を見せた。ニヤニヤと笑って、「こんなになっちまったよー」と言った。 骨の形が見えるのではないかと思うほど、白く、細い腕だった。そして、遠くに見えるタワーレコードの灯りを見ながら、あそこの7階にあった洋書屋は、まだあるんだろうかね?と言った。 言われてハッとした。
そうなのだ。
かつてそこは我々の場所だった。そこでよく待ち合わせた。約束したこともあったし、しなかったこともある。約束がなかった日でも、夕方にそこへ行けば、5回に1回くらいは彼に会うことができた。その頃リリースされた曽我部恵一のソロ・シングル『ギター』の歌詞に、【渋谷の洋書屋】が出てきて、絶対にソコだ、と興奮して喋ったことを思い出す。そんなあれこれをすっかり、忘れていた。そこにまだ、あの店はあるのだろうか?シネセゾンも、HMVも、ない渋谷に?

■2000年代のはじめ。初めて携帯電話を持った頃、彼と夜中に長電話をした。さんざん喋って、「それじゃ」と言いかけたところで、プツリとキレた。1分後にメールが届いた。一行、「それじゃ、また」。と書かれていた。いいそびれた別れの挨拶をメールで言い直す、その律義さに笑った。私たちは、人類史上においてもっとも『電話』で人と会話した世代になるのだろう。あんなに『電話』で人と喋る日々はもう、二度とやって来ない。電磁波の影響で、50年後に脳がぶっ壊れてるかもしれない。ザマァないのである。SNSで世界は接近した。電話はその役目を終えた。何ひとつ、憂えることなど、ない。

■一駅歩いて、代々木駅前で別れた。別れ際に、今日のこと、書いてもいい?と聞くと、何でも書くがいいさ、と笑った。だから、書いた。

■また逢おう。雑踏で逢おう。あの店で逢おう。約束して逢おう。偶然に逢おう。都市で逢おう。知らない場所で逢おう。二人きりで逢おう。大勢で逢おう。映画館で逢おう。暗がりで逢おう。午前中に逢おう。いいことがあったら逢おう。不機嫌に逢おう。空腹で逢おう。満腹で逢おう。汗をかきながら逢おう。震えて逢おう。逢いたくない日に逢おう。晴れた日に逢おう。雨が降ったら逢おう。苛立って逢おう。笑いながら逢おう。惨めな気分で逢おう。予感があったら逢おう。嫌われたら逢おう。騒々しく逢おう。ふさぎ込んだら逢おう。100メートル上空で逢おう。地下で逢おう。すれ違ったら逢おう。目を瞑って逢おう。歩きながら逢おう。立ち止まって逢おう。音楽を聴きながら逢おう。ノイズの中で逢おう。24時間逢おう。時間を気にして逢おう。磨いた靴で逢おう。スニーカーで逢おう。絵を眺めながら逢おう。本を読んだら逢おう。電話して逢おう。気まぐれに逢おう。準備して逢おう。優しい気分で逢おう。殴りたくなったら逢おう。許されるのなら逢おう。しゃがみ込んで逢おう。背筋を伸ばして逢おう。照れながら逢おう。開き直るために逢おう。上着を替えたら逢おう。靴下に穴があいたら逢おう。ニュースを伝えるために逢おう。悪口を聞いたら逢おう。歌うように逢おう。親切をしたら逢おう。歯が抜けたら逢おう。話題がなくても逢おう。いつだって、ここで逢おう。

■なんとなく帰りそびれてしまい今、午前4時前。新宿三丁目の珈琲貴族で書いている。始発が動くまで、あと1時間くらい。店内には薄く、『Wouldn't It Be Nice』が流れている。恰好つけた文章で申し訳ない。格好いい気分になってしまったのだった。だが消さない。推敲もしない。この気分に付箋を貼って、いま、このノートに残して置く。

小野寺邦彦



#137 ソー・ラッキー 2018.04.24 TUR


■戯曲を書き進める中で、物語について考えている。物語、物語……それは何なのだろう?作り話、嘘、作為。愛せる嘘と、愛せない嘘。したり顔の作為、意図の外にある物語……と、そんなことをグルグルと考えつつ、領収書を買おうと寄った百円ショップで、信じられない商品名が目に飛び込んできた。

『両面テープ物語』

両面テープでさえ、物語を主張する時代。イヤだよ。両面テープくらい、ただの両面テープであって欲しい。だって、両面テープじゃないか。「両面テープにだって物語があるのさ」ふざけるな。そんな壮大な文具、使えるものか。 身の程を知るがいい。両面テープの分際で。

■オーディションが終わりました。もともと、今回は劇団員が出られないという事情でキャストを募り、まあ二、三人も来てくれれば御の字、と思ったのだけど、予想に反して20人以上の人が応募してきてくれた。ために、当初はまんまとやって来た応募者を【説得】して舞台に出て貰おうと思っていたものが、キチンと【選考】をしなくてはならなくなった。【選考】は初めての経験だった。そう、私はこれまで、ほぼすべて【説得】によって、人を舞台にあげてきたのである。演出家としてのスキルより、【説得】のスキルを磨いた10年間だったかもしれない。過去、出演をお願いする人に
「まあ、出る出ないはともかく、とりあえず会って話しませんか」
とメールを送信したら
「あなたと会って話すと、出ることになってしまうことは明らかだから、会いません」
と返信を貰ったことがある。私こそは正しく詐欺師である。水道水だって月額50万円で売れる。そんなわけで【選考】は難しかったが、愉しかった。キャスト発表までしばらくお待ち頂きたい。

■電車を乗り過ごす日々。

■京王線、小田急線ともに春からダイヤが変わり、終電間際の時間やら接続やらがイロイロ変化してしまった。以前はとにかく最終電車に乗ってさせしまえば終点で接続できたのだが、新しいダイヤでは、途中駅での乗り換えが必要になったのだった。これに対応できない。ぜんぜんできない。その対応、私のハードウェアには実装されてないよ。駅まで足早に歩き、何なら走り、既にホームで発車を待っている車輛にスルリと乗り込んだ時点でミッション成功だ。余裕の笑みだ。まんまと「勝った」気だ。勝ってない。勝ってないのに、文庫本など読んでしまい、気づけば見知らぬ駅で途方に暮れる。折り返す登りの電車は、もちろんナイ。今月もう3回目だ。毎度、深夜割増料金のタクシーに乗るのも切ないハナシだ。ダイヤ改正でタク送特需だ。タクシー業界は俄かに沸き立っているに違いない。「間抜けどもを拾い損ねるな」ダイヤが切り替わってまだ日も浅い今が狙い目だ。恰好の餌食である。

■そんな狙いにまんまとはまり込むのもシャクなので、沿線に暮らす友人に連絡すると、来てもいいという。GOOGLEマップで道順を検索すると、徒歩100分。音楽でも聴きながら歩けば楽勝だ。SPOTIFYを起動し、テクテクと深夜の道を歩く。歩きながら、懐かしい気分になる。そうだ、7年前の震災の翌日も、私は同じ友人に会うために、同じこの道を歩いていたのだった。

■そのときは、ラジオを聴きながら歩いた。被害状況や交通情報を伝える音声を耳にしながら、けれど私は呑気だった。非日常を楽しんですら、いた。いつもそうである。私は、自分の身にどれだけシリアスなことが起ころうとも、深刻になり切れない。最悪の状況ならば、最悪の状況を遊ぼうと思ってしまう。絶望の中に座り込むより、絶望しながら歩く。それが絶望から遠ざかる方法かどうかは分からない。性分なのである。だから……あの時期、私は口をつぐんだ。そのとき、私が思っていたことを口にすれば、間違いなくそれは「不謹慎」なことであったし、実際、多くの人の心を傷つけたに違いない。とても身近な友人で、実家が被災した人もいた。だから黙った。そういう意味で、孤独だった。震災で傷ついたのではなく、震災が産んだ状況に、引き裂かれた。

■世間で叫ばれたまっとうな言葉の数々に、私は到底なじむことが出来なかった。「絆」や「連帯」の呼びかけを、眼を伏してやり過ごした。それは悪いことではない。非難するつもりは毛頭ない。ただ、馴染まない。私にはまるでフィットしない。いつだってそうなのだ。世間を睨みつけたいわけではない。ただ、合わないだけだ。そんなときにどう過ごせばいいのか。呑気するしかないではないか。呑気は私の処世術なのである。ただの呑気ではない。血の流れている呑気である。すべては気分だ。気分じゃないか。たかが、気分。だから恐ろしい。たかが気分が、人を支配する。フと、芝居をしようと思った。半年後に、『薔薇とダイヤモンド』を上演した。劇場からは、災害時の客席避難経路を提出するように言われた。上演後、私は2年半、芝居を作らなかった。あれから7年。声高に「絆」を叫んだ人たち。今もその「気分」は変わらぬままだろうか。

■ぴったり100分で友人の部屋についた。あのさ、震災の日もおれ、歩いてきただろ、と私が言うと、俺もそれを考えていた、と彼は言った。
「あのとき、コンビニの商品がまるでなくなってしまって、部屋にあったうどんを茹でて二人で食べただろ。だから、今日もそうしようと思って、うどんを買ってきた」
友人の謎のはからいで、7年越しのうどんを食べた夜。BGMはノエル・アクショテの「ソー・ラッキー」。モダンジャズである。そのオシャレなんだか、底抜けに間抜けなんだか、微妙な気分の中でうどんを啜った。きっとこの「気分」を、いつかまた、思い出すだろう。

小野寺邦彦



#138 ヴィデオ・クラッシュ 2018.04.27 SAT


■散髪をした。

■20年来、髪は殆ど自分で切ってきた。いや、切る、などという高踏な行為ではない。風呂に入ったついでに、なんとなく伸びてきてジャマだな、と思った箇所をつまんで、テキトーにハサミでジョキジョキと排除する。それだけ。ために、一年を通して少しずつおかしなアタマになっていき、もうこれ以上、取り繕うことが不可能、となった時点で床屋に行く。そうしてキッチリ揃えてもらったアタマを、また一年かけて少しずつ台無しにしていくのである。我ながらどうかと思わないでもなかった。けどまあ、少なくとも一年に一度はチャンとしているワケだし、それなりに誤魔化せているだろうとも思っていた。実は全然そんなことなかった。「いや、すごいヒドいなって、思うことも多いよ」と劇団員に言われた。その瞬間の、周囲の人々の「あ、言っちゃうんだ。それ」という雰囲気を、私は逃さなかった。皆、思ってた。そうなんだ……もっと早く言ってくれよ。以来、まあ半年に一度くらいは行くようにはなった。

■先日、予定と予定の間がフと数時間空いたので、本屋にでも行こうと向かったら、そこが美容室になっていたのである。店の前でボーゼンとしながらも、あ、そうか。今、髪を切ればいい。そう思い、我ながら驚くほどスルリと入店した。予約ないんですけど、と告げると、幸い10分ほど待てば大丈夫だというので、切って貰うことにした。店内にかかっていたBGMが『VIDEO CRASH』なのが、何かいい気がした。席について、兎に角短くしてくれれば、文句はありませんと宣言。まずシャンプー。豪快に洗われる。
「かゆいところありませんか」 毎度、これになんと答えていいか分からない。「左耳付け根の2センチ右」とか答える人がいるのだろうか。「つむじから垂直に7センチ上空」とか言われたらどうするのか。ファントム・ペイン。しかしこういった文言は、全国共通なのだろうか。だとしたらどこで考案されているのだろう。専門学校で教えるのか。美容師ギルドのような組織が存在し、各年ごとにテンプレートを公表しているのだろうか。そう思うほどに、画一的である。
「今日はお休みですか」
「この後どうされるんですか」
「シャンプーの流し足りないところはございませんか」
「睡眠は足りていますか」
「親の死に目には会えそうですか」
「生まれ変わりを信じますか」

■間抜けなことをボンヤリ考えてたら、豪快に刈り上げられた。なんかモヒカンっぽくなっていた。世紀末、荒廃した都市ですぐ死ぬザコキャラみたいなルックスだなと思った。会社員ではない、と言ったからだろうか。ま、短ければ文句はないと言ったのはコチラだ。いいのだけど、終わって会計を済ませると、担当した女性に「まあ~本当にスッキリしましたねえ~」と呆れたように言われた。あなたが切ったんですよ?そういうモノなのだろうか。さっぱり慣れないのである。

■演出のことを、ずっと考えている。

■私は舞台を、テキトーに演出している、と思われているらしい。先日、何かの話の折、フとそんなことを言われた。「あなたの演出って、テキトーだからさ……」。ショックだった。ショックだったが、そう思われているということは、実際にそうなのだろう。以前の公演の打ち上げで、「デラさんは、演出をしないじゃないですか」と言われたこともあった。その時は、ある喩えとして「演出をしない」と言われたのだと思っていた(「演出をしない」という「演出」をする、とかその類のコト)。でも今思うに、きっとそうじゃなかった。正真正銘、字面のとおり、演出を「しない」と思われていたのだろう。

■確かに私は演出に関しての事前準備はしない。人物のサブテキストも作らない。なるべく白紙のまま稽古に行き、俳優の演技を観て、その場で「思いついたこと」を形にしようと思っている。それは瞬発力のようなものである。演出家は稽古場において「意見」を表明しなくてはいけないが、それを「準備」して備えるのではなく、追い詰められてポンと出て来る発想こそが、大事だと思ってきた。今もその考えに変わりはない。けれど、きっとそれに必要な技術が、まだまるで備わっていないのだろう。俳優たちはいつも不満をもっていたのだろうか。独創的な脚本と出来合いではない本質的な演出、と私が悦に入っていた方法も、視点を変えれば、支離滅裂な脚本にその場の思い付きでつけられる演出、ということだ。私が「よい」と思う生理と、俳優のもつ生理の溝を埋めてこなかった。舞台で実際に客前に出るのは、俳優である。「恥をかかされた」そう思われたら、続けることは出来ない。演出だ。演出を勉強しよう。まだ誰も使っていない方法で、確信に満ちた道具を手に入れること。それが課題だ。こんなこと書くと、いや、そういうことじゃなくて……と言われそうだけどね。難しい。本当に難しいけど、まあ、やる。

■小劇場の芝居を観て思うことは、おそらくはテレビ番組に影響を大きく受けているのだろう、と思う作品が多いことだ。話の筋ではなく(それもあるけど)、演出方法においてである。シーンをこま切れにして、ちょっとした場面の移り変わりに、チョン、と暗転が入ったりする。台詞の随分前から情緒的な音楽がかかってきて、シーンの意味を伝える。私からすれば「台無し」だと思うような手法だが、近頃とくに多く見られるようになったし、客席では違和感なく受け入れられているようだ。私は、10代を通してテレビを観なかった。単純に、テレビがなかったのである。本ばかり読んだ。だから、実は今でもテレビの見方が下手である。きっとそういう弊害がある。私見だが、テレビは短距離走、読書は持久走に例えられると思う。1分に1回笑える、泣ける、それが熾烈なチャンネル争いを演じてきた、テレビの世界の鉄則なのだろう。

■対して読書は、一般的に2時間以上の時間をかけて、作品中でゆったりとした情感の波を描く。そのピーク、ここしかない、という頂点で、私は暗転を入れる。だから私の作品で暗転が入るのは、基本、一度だけである。大きく緩やかにつながった波をそこで一度だけ「切る」からこそ、効果的なのだと思っている。だが、テレビの文法に従えば、それは「タルい」ということなのだろう。もっとスピーディーに、いくつもの波を次々と乗りこなしてゆきたい、と思うのが「今」の感性なのかもしれない。それはそれで理解はできる。カッコいい。自分にない感性の作品が、客席でドカンと受けているときに、うーん、敵わないな、と唸ってしまうことも多い。これから先は、YOUTUBE やウェブ配信なんかに影響を受けた作品が出て来るのだろうか。それともそんな世代は演劇なんか見向きもしないのだろうか。

■とにかく、自分だ。自分のことをやるかしかない。人のことも、そりゃ気になるけど、それはもう、仕方がないことだ。仕方がない、は、諦めではない。

■ニュースを見る。ネットを見る。Twitterを見る。なんだか眠くなる。主語が大きいのだ。「男が」「女が」「わが国が」「あの国が」……。私は、主語が大きい話がよく分からない。最近、特に分からなくなった。老化だろうか。そうかもしれないと思う。私が知りたいのは、「あなた」の話だ。世間に、世界に、異議申し立てを表明する「あなた」の話である。もちろん、それは絵空事だ。無責任な綺麗事だと、後ろ指をさされても仕方がない。そんなわけで私は近ごろ、まどろんでばかりいる。

小野寺邦彦



#139 スクリーマデリカ 2018.06.19 TUE


■デザイナー、イラストレーターと、渋谷で打ち合わせをしていた時の話だ。ふと隣の席を見ると、大学生らしい男女が、iPhoneに繋いだイヤフォンを、左右片耳づつ分け合って、音楽を聴いていたのだった。しかしそのイヤフォンはブルートゥース接続で、本体との接続は無線である。傍目には、互いの耳と耳とを一本の線でプラグインしたサイバーパンク脳内交換カップルがそこにいた。
「レトロ・フューチャー」
イラストレーターが一人ごちる。
「今時、あの聴き方があるか?」
デザイナーが呟いた。
「ブルートゥース接続できるなら、音源を共有すりゃいいだろ」
コイツは結婚こそしているが、三国一のヤボテンである。

■一つのイヤフォンを片耳ずつ分け合って聴く…それ自体は、昔からよくある光景である。というか、昔は、外で他人と一緒に音楽を聴くためには、こうするしか方法がなかったのだ。『こうするかしか方法がない』、公衆の面前でいちゃつくのに格好の言い訳である。このような、技術的に未発達が故に存在した需要というものがあった。「同じ音楽を聴くには、こうするしかないから、仕方ないよね~」と言って、顔を寄せ合い、片耳ずつイヤフォンを装着する男女。そこに現れた技術者が、「あ、そんなら、接続は無線で、音源は共有できるようにしときますわ!これで一つの曲を、それぞれで聞けまっせ!」と余計なお世話を焼いていく。かくしてひっつく言い訳を潰された男女は草食獣と化し、少子化は進み、人類は素晴らしい音楽環境を手に入れるのであった。ハッピーエンド。

■劇場で隣の客と肩も尻もひっつけて観劇するということも、無くなった。現在、そんな設営をすれば、消防法やらなんやら、SNSで瞬時に叩かれる。娯楽は、自分の好きな場所で、好きな時間に、無料で得られるものになった。体験はすべて、個人の中で完結することが可能になった。ま、それはそれでいい。私だって、ネットで映画も観るし、音楽も聴く。本も買う。快適な環境。素晴らしい。でも、そうでないものもあっていい。不自由で不便で分かりにくいアソビ。学生のころ、私はいわゆる不良が嫌いだったが、自分が嫌いだからといって、不良がいないほうがいいとは思わなかった。自分が理解できない存在がいるということは、誰かから理解されない私の存在も許されているということだ。自由と不自由は手を取り合って行く。毟りあいは、不毛だ。

■そんなワケで、フライヤーである。架空畳のフライヤーは、3年前から私の我儘で、『デカくて重くて持ち帰りに大変不便な』サイズである。それはどんなものかといえば、LPレコードのジャケットと同じサイズなのである(flipsideは、ハンディーな7インチEPサイズ)。もちろん、以前はフツーのサイズで作っていた。だが、劇場に折り込みに行けば、小屋主からまず聞かれるのは、余った際の廃棄方法である。バックヤードには「ダメチラ」と書かれた段ボール箱がおかれ、グシャグシャに突っ込まれたチラシの山。ハナから、ゴミ扱いなのだ。それは仕方のないことなのだろう。「チラシ」とは、そのように不特定多数に撒かれ、捨てられることが前提の存在なのだろう。だが、現在、フライヤーを見て観劇を決める者が実際、どれだけいるのか。撒いた総数の1%にもみたないのではないか。

■実際には、ネット、SNSでの告知が宣伝のほぼ全てだ。そんな時代に「ゴミ」として、機能しないフライヤーを、慣習的に生産する…私にはそれが耐えられない。私はゴミを生産しているつもりはない。戯曲、演出と同等に、フライヤーにも魂を削っている。舞台の少なくない部分を占める、作品の一部だと思っている。フライヤーは作る。だが、そこからはすでに「チラシ」としての機能が失われているのだから、無造作に撒くことはやめた。欲しい人だけ、求める人だけが持って帰ってくれればいい。そのためのLPサイズである。この大きさは、踏み絵なのである。こんなに持ち帰りずらいものを、苦労してでも持って帰りたいと思う人だけが、持っていけばいい。宣伝はネットで足りている。情報なら、いくらでも、簡単に手に入る時代に、モノを『所有する』というコストと愉悦。決まった時間に、決まった場所でしか体験できない演劇という理不尽を飲み込む人々には伝わると、信じている。

■繰り返すが、架空畳のフライヤーは『デカく』て『重く』て『持ち帰りずらい』、だが、『所有欲を満たしてくれる、特別な』フライヤーである。クオリティには絶対の自信がある。デザイナーのorange21、イラストレーターの町田メロメ、写真家の松村、皆がコスト度外視の作業を積んでくれた。学生時代、アナログLPを買って帰るときの、あの持ち帰りずらさが好きだった。電車の中で、両腕に宝物を守るように抱きかかえるあの瞬間を愛していた。新しいゲーム機を買った帰り道とかね。大きくて重くて、持ち手が指に食い込むヨドバシカメラの紙袋は勲章だった。なんでも自由、便利になる世の中で、演劇は『不自由、不便』、だが『それがいい』。自由と不自由、両方を愛する。「でもやっぱ、デカいよ」って、身内からは不評なんですけどね。ハハハ。馬耳東風だ。

■少しずつ、稽古を進めている。オーディションで集まった人々は、やはり上手い。その上手さが魅力であり、課題だ。でも救いは、皆、やっぱちょっとヘンなとこだ。デコボコの個性の集まりだ。ひとり一人が、金ピカのシングル盤EPの集まり、そのトガった個性を残しつつ、一枚のアルバムとして成立させることが出来るや否や?BLIZZARD BEATはどこにあるのか?ウォーミングアップと称して、稽古場の床に転がって、ひっくり返ってジタバタしている大迫を眺めながら、ボンヤリと考える。最大の課題は、私の演出力であることは間違いない。何度も作り、壊す。それが私である。新代田で稽古した帰りに食べる担々麺で、翌日、確実に腹を壊す、それも私である。さすがの35歳、身体は中年、心は幼児。

小野寺邦彦



#140 スーサイド・アレイ 2018.06.25 MON


■日中、喫茶店で仕事をしていると、不意にいろんな言葉が耳に入ってくる。それは当事者以外には殆ど理解できない、会話の断片に過ぎない。「マックで女子高生が言っていた」ハナシのように、論旨の通った意見など耳にすることはナイ。先日私の耳が捉えたのは、中年男性同士のこんな会話だ。

「いなくなっちゃったね」
「いなくなっちゃたねえ」
「でも、やめるってことも出来ないし」
「できないね」
「やろうって言った奴がいないのに」
「もう、自分たちのものにするしかないね」
「それしかない」
「もう、頼んじゃったしね」
「多すぎたね」
「もう、しょうがないから」

不在の人物が、二人の会話を牛耳っている。いなくなってしまった人のことを語る彼らの表情をチラと盗み見た。不思議と穏やかな顔だった。

■たまには、人の作った芝居の話をする。

■神奈川の青少年センターで観た、劇団喫茶なごみの舞台『変身』は、あの、誰もが知るカフカの作品を、原作通りに上演するという企画だった。カフカ、カフカ……何度その名を口にしても飽きることはない。1996年。14歳の私はなぜ自分がカフカではないのか?と思っていた人間だった。気が違っていたのは間違いナイ。世にいう厨二病ってやつかもしれない。マトモな中学生などいない。凡庸なコドモであった私もまた、凡庸に、自分は特別だと思っていた。 カフカとは私であり、カフカの小説は私が将来書くべき物語だと思いあがっていた。勿論、小説など一行も書いたことは無かった。今もない。 当時、私が心底憎んでいたのは、カフカの小説に解釈を加える者の存在だ。「城」は測量士として雇われたいが果たせない男の話、「アメリカ」は親に勘当された少年がアメリカに行って、仕事をしたり、不良に絡まれたりする話。そして「変身」は、朝起きたら虫になっていた男の話、それだけなのだ。それしかないのだ。虫とは何の暗喩なのか、来るべき時代への不安の象徴なのか……そんな小賢しい理屈を振り回す者を地獄に落としてやりたいと思った。物語というものを、自分の理解できる範囲に矮小化しようとする手つきを憎んだ。世界は自分より遥かに広いのに、なぜ、その手の内側にあるものしか理解しようとしないのか?それは今も思っている。

■時が経ち、私はカフカではないことが明らかとなって、細々と戯曲など書き始めた。今回、メンバーの江花が出演する舞台が「変身」だと聞き、目にしたフライヤー、そこに「あらすじ」として一行、書いてある文句は完璧だった。

起きたら虫になってる

そしてその通りの舞台だった。それ以外は何もなかった。カフカだった。虫のデザインははじめ腑に落ちなかったが、愛嬌ある演技と、くりぬいたベッドに這い戻る仕草で、すぐに気にならなくなった。 正直に言えば、拙さの目立つ舞台でもあった。客席も含めた劇場の空間も、決して舞台に完全に没入できるものではなかった。だが観劇中、現在ここにある舞台のその「先」が何度も幻視として現れた。それはマクバーニー演出のイヨネスコ劇や、マキエヴィッツ演出のベケット劇を観ているような感覚だった。優れた演出は、今ある舞台のその「先」を予感させる。それが見られて満足だし、衝撃だ。 1ステージの観客が50人にも満たない小さな公演が、まさか、と笑うだろうか。少なくとも、私がカフカであるよりは、リアルなハナシだが、まあ笑う者は笑えばいい。そして俳優をいっぱい出演させて、友達をいっぱい招待して、動員数を誇ればいい。この芝居の価値はそんな場所にはない。

■ラストシーン。グレゴールの死後、ピクニックへ出かけた一家。父親の指摘で、母親が髪に撒いていたカーラーを外す。それまで家から出なかった彼女が、初めて「外」に出たことを、さり気ない演出で鮮やかに示した。さらに原作では、妹のグレーテに関して、その成長に目を細める両親の視点のみで語られるが、今回の舞台では彼女にセリフを与えていた。やや不機嫌な調子で「外は思ったより眩しい」というそのセリフが、呪われた「家」を抜け出した「外」にもまた、予測のつかない不穏な事態が眠っている予感を示し、観劇後の印象を複雑にした。

■小屋入り直前、江花のセリフ合わせに付き合った。その際に戯曲を読んだ印象を、私はTwitterで以下のように書いた。

戯曲を書く前、たぶん俺はこういうセリフが書きたかった。 でもそれがまるで書けなかった。 だからそれとは真逆の今のような、過剰に饒舌なスタイルを築いた。 でも、でも…今でも…こんなセリフを読んでしまったら嫉妬する。

「変身」には翻訳戯曲が存在し、今回の舞台はそれを底本としていると聞いた。どの程度原作を使い、アレンジを加えているのかはあえて参照しない。感動したセリフ、もし殆ど改稿をしていないとしたら……俺はカフカに嫉妬していることになる。気が違っているのは、過去のハナシではなくなってしまう。それはさすがに、ちょっとどうかと思うのだ。真剣に思うのである。

■稽古は進むが、まだまだ私の役割はレイアウター。舞台上に俳優を設置している段階。芝居の内部には何も触れていない。だが、俳優たちは少しずつ、作品の中で息をし始めている。その気配を感じて、初めて戯曲は完成するだろう。再演作品だが、私は『決定版』を作ろうなどとは微塵も考えていない。ここにいる人たちで、ここでしか成立しない、再現性のない舞台を作ろうと思っている。あらすじやプロットに回収されない物語を夢想している。いいから、早く完成台本を出せ、とせっつかれてるけど。

■私はカフカではない。だが、カフカは目にすることのできなかった、現在・未来の作品を識っている。それがアドバンテージだ。付き合いきれない夢想家だとあきれるだろうか。あきれるだろうなあ。ま、いい。

小野寺邦彦



#141 移動遊園地 2018.07.20 FRI


■昼、あずきバーを食べていたら、残り四分の一くらいを、ぽろっと床に落としてしまった。だが、まるで悲しくない。何の感情も沸かない。時間差で来るのだろうか。片付けながら、いつ悲しくなるかなと思ったが、悲しくならない。一日中、いつ悲しくなるかな、と待っていたが、ついに悲しくならなかった。

そうか。お前、もう大人なんだな。

■先月末。招待のご相伴に預かって、吉祥寺シアターで青年団の『日本文学盛衰史』を観た。芝居は面白かった。面白かったが、今回、主に書くことは芝居の内容ではない。その客席についてだ。

■開演後、ヒソヒソと喋る声、ガサゴソと鞄の中身をまさぐったり居住まいを正す音、咳払い、ペンを取り落とす音などがいつまでも止まない。近年稀なほど、集中力のない客席だった。普段、芝居を見慣れていない人が多くいたのだと思う。高橋源一郎の小説が原案、ということもあるかと思うが、青年団というメジャーな劇団の抱える、これは問題なのだと思う。「小劇場の客」の外にいる「一般の客」をどう客席に座らせるのか。客演を出し合って、客席が全員演者の知り合い、というのが珍しくない小劇場の客席とは明らかに異なる困難がそこにある。その困難は、いわば「持てる者」だけに許される悩みだ。恍惚だ。羨ましい。羨ましいけど、しかしどうにかならんかね、お茶の間じゃねーんだぞ、と、上演中に、ストローでジュースをズルズル吸うおじさんに対して思ったりする。

■作中の文学ネタに過剰に反応する観客にも戸惑った。ちょっとしたマニアックなくすぐりに、もの凄く大きな声で笑う。びっくりするほど大きな声だ。何なら、まだ面白いこと言ってないのに、言いそうな雰囲気だけでもう笑っている。そのネタの面白さ、私には理解できますよ!という、アピールの為の笑いだ。うっとおしい。確かにそのシーン、その台詞は、日本文学に少し詳しければクスリとできるようなギャグだ。でも何というか……。なぜそれが面白く思えるのかは、別にそのトリビアルな内容を知っているからではなく、テンポや間、演出、役者の技量によって成り立っているからだ。当たり前のハナシだ。高度なパロディ、パスティーシュとはそういうもので、ソレを知らずとも、ソレが何かを指していることはわかるし、その文脈は追えるので笑えるのだ。それを、早押しクイズの回答者よろしく身を乗り出して、一番最初に反応するのは俺だ、と身構えている者は、芝居の本質を掴み損ねている。疲れませんかね、単純に。

■しかし、観客の人数が増えてゆくと、ある瞬間そういう観客が「出現する」のだろう。そのタイミングは昔から興味があった。『考える水、その他の石』で宮沢章夫も書いていた。「3万人は1人だ」と。 観客数が二、三百人の芝居の客席はほぼ全員が「身内」だ。 だが動員が増え、それが数千人を超えたとき 再び客席は「身内」だらけになる。 しかもそれは面識のない「身内」なのである。 そのとき、表現の質が問われる。 顔も知らぬ「身内」の機嫌を知らずのうちに意識し、おもねり、媚びて滅んでいった数多の劇団に 想いを馳せる。

■日本文学小ネタをメタ的に散りばめた劇中にあって、演劇についてのメタ的なくすぐりも幾つか混じっていた。坪内逍遥の翻訳版シェイクスピアの話題から、蜷川演出で観た、という人物がいたり。だが中でも異質だったのは、(記憶が曖昧だが、確か国木田独歩だったと思うが)足を頭上にまで蹴り上げながら歩く人物を指して

「スズキ・メソッドで歩いていったぞ」

という台詞。不勉強で申し訳ないが、私は鈴木忠史の芝居を直接観たことはない。理論書、批評は数冊読んだ程度。おそらく、その日の客席にいた観客の中でも、鈴木忠史の芝居を直接観たものはいなかったが、いても数名というところだったろう。だが、そこで爆笑が起こる。知らなくても笑う。観客は、そこまでのシーンで「知らなくても笑う」ことにすっかり慣れているので、観たこともない、「スズキ・メソッド」にまで、瞬発的に反応してしまう。そこには演出家・平田オリザの底意地の悪い視線、稚気がある気がする。あの動きが本当に、スズキ・メソッドなのかは分からない。だがそこには、「それ、知ってる!」という自尊心を満たす為に大声で笑う観客を、からかう視線が確実にあると思うのだ。「本当に知ってる?」と。意地悪なオリザ。そこが好きだ。まあ、私の思い込みかもしれないが。

■さすがに青年団と自身を比べるほど身の程を知らぬ私ではないが、私の作劇も悪くいって「衒学的」といわれることがある。だが、トリビアルなネタにあからさまな爆笑が起こるようなことはまず、ない。それがマイナーということであり、先に述べたような高度なパロディー・パスティーシュに届いていない、ということなのだろう。技術も観客も不足しているというわけだ。いつか客席で大きな声が聞こえたとき、自分の芝居のことを省みなくてはならないのだろうか。ま、それがくるかどうかはいま、考えてもしょうがない。とり越し苦労はしないポリシーだ。ポリシーってほどのこともないが。おおむね、テキトーなのだった。

■夜、年上の友人と下北沢を散歩した。かつては毎週のように通っていた街の象徴だった南口はいま、閉鎖され、駅前はチェーン店ばかりが並ぶ通りとなった。だが若者の顔は輝いている。疲れて、輝いている。それは変わらない。

■サニー・デイ・サービスのドラマー、丸山晴茂が5月に亡くなっていたそうだ。

■1996年。下北沢シェルターのライブ、私は14歳。1999年。新宿リキッドルームの解散ライブ。私は17歳。90年代後半、新宿、渋谷、下北沢。あの空気の中を東京で過ごせたことは幸福だった。学校にはいかなかった。街が学校だったから。時代も世代もただの思い入れと勘違いに過ぎない。同じ時間は二度と来ない、それだけのこと。いま、10代を過ごすすべての人も同じように、自分が生きるこの時代の、この街の時間こそが特別だと思っているだろう。それは正しいし、間違っている。ずっとずっと、そうなのだ。人は死ぬ。好きなことだけやって、死んでしまって、逃げ切ってやろうと思う。本当に、そう思う。

■訃報を知って、聞いた音楽はサニーデイではなかった。豊田道倫の『ROCK'N'ROLL 1500』。『移動遊園地』をいつまでも聞いていた。茹で上がるほどに蒸し暑い夏。きっとすべて、すぐに忘れてしまうだろう。

■稽古は一足飛びに、とはいかず。這って進むような日々。それしか方法を知らない。俺にメソッドはない。方法論では指一本、演出をつけることができない。だが稽古場に行けば俳優がいる。それが喜びであり、すべてだ。本番に近づくほど、私は不要な人間になってゆく。それまでの猶予期間を、アタマを抱えながら過ごす。日々の記録は
Facebookでも更新してますので、お暇な方はご覧ください。そしてチケットはお早めに。とても重要なことである。

小野寺邦彦



#142 仮想の狂気 2018.07.31 TUE


■夏休み。早朝、家の前を小学生が駆け抜ける音がする。ラジオ体操だろうか。と、キャーキャーと甲高い「もれてる、もれてる」の声。誰か粗相でもしたか。小学生だからな、とか思って、窓の外に目をやると、女子数名がスマホでの自撮り姿を確認していた。
「漏れてる」
じゃなくて
「盛れてる」
って言ったらしい。なんか、団体職員が投稿する新聞の投書欄みたいな光景だと思った。書いたら、ますますそう思った。女子高生が話すマクドナルドまでの道は遠い。

■ある俳優と、深夜から朝方までLINEで会話してしまい寝不足なんだが、その内容がとても面白かった。その人が、過去に所属していた劇団の名前を聞いて、検索したりした。数年前のその人がそこにいて、公演の記録映像の中で演技をしていた。それはとても自由に見えた。伸び伸びと、澄んだ水を泳ぐ水棲生物のようだと思った。

■私には、ずっと悩みがある。私の芝居に出演した俳優を、よその芝居で見ると、とても「うまく」見えるのだ。架空畳で演じている姿より、生き生きとして見える。かといって架空畳に出たら「へた」に見える、というわけではない。ただ、必死なのだ。頑張って演じているように思えてならない。それは自分の演出する現場で気づくことは難しく、他人の公演に出演している姿を見て、はじめて、ああ自由だな、と思う。

■私の芝居は、キッカケや決まり事がとても多い。俳優の動きはまるで自由ではなく、ほぼ全ての導線を私が決める。しかもそれは戯曲に書き込まれた人物の内面から、内発的に表れるものではなく、殆ど脈絡なく、強いて言えば「見栄え」によって決定される。 俳優が演じる役は、キャラクター・サブテキスト・内面の動きなどが明確ではなく、「心理」よりも「事象」が優先されるため、演じ手がそれを創造しなくてはならない。いきおい、俳優はキュウキュウと「段取り」によって締め上げられる。

■私の演出は、俳優にとってハッキリと抑圧である。まずフォーマットを決める。徹底して「決まり事」から入る。LINEで会話した俳優に言われた。一般的には、まず内面の発露から入って、役作りをし、そこから導線や対話、ミザンスをとっていくことが殆どだと。そうなんだろうな。きっとそれが真っ当なのだ。「共感」を生む物語とは、そうやって「内面」たるソフトウェアをまず作り、理解し、それを包むように身体や動きなどの「ハードウェア」をあてがってゆくのだろう。もの凄く模式的に示せば、「この台詞で泣きたい」→「涙を出すという身体」を選択する、ということだろう。だが私の演出は、これとは真逆である。まず「ハードウェア」を作る。そのサイズに中に「ソフト」を詰め込む。ハードが出来ないうちにソフトは入れることは出来ない。器がないのだから。何というか……。料理を作るために、まず、器を焼く。器が出来たらそれに見合った料理を考える。そんな感じだ。本末転倒と言われたら二の句もない。転倒どころではない。大回転である。 先の例にのっとれば、私はある台詞を「笑顔で喋る」よう演出する。だが俳優はその台詞で「泣きたい」と思う。すると「笑顔で喋る」ハードに「泣いている」ソフトが乗る。その捻じれこそ、求めるものだ。

■「内面」とは文字通り、「内部」に宿るもののはずだ。「外部」のないまま「内部」を作れば、その内面は、いくらでも「盛る」ことが可能だ。そのサイズを規定する外殻がないのだから。グロテスクなほど膨れ上がって際限がなくなる。心行くまで「内面」を活写し、太らせ尽くしたそこにハードたる身体をあてがえば、見事に肥満した、例の「恥ずかしい演技」が出来上がるというわけだ。それは身体への冒とくであり、物語への侮蔑である。魂は、あくまで肉体の中に閉じ込められ、徹底して不自由であること。その抑圧にあって、なお自由をつかもうと抗う術、戦略こそが「演技」なのだと信じている。だが、技術が足りない。毎公演の稽古で、きっと、俳優が私の抑圧から自由をつかむところまで、辿り着いていないのだ。それで、がんじがらめになってしまう。なんだか戯曲ばかりが褒められる。よくないな。俳優には、自由に泳いでほしい。だからこそ、締め上げる。その自由を得るための戦いこそを舞台上に結実させたい。石の中をも自由に泳ぐ生き物を作りたい。そんなことが可能だろうか。私は演技とマス・ゲームをはき違える大馬鹿者なのではないか。答えはない。巨大な質問だけが いつも目の前にあるばかりだ。

■また大きなことを書いてしまった。あきれ返る頭でっかちである。この間、永井には「頭身の比率が幼児と同じ」と言われた。稽古場では俳優に「ペンギンが歩いてるみたい」と爆笑された。何とでもいうがいい。おれは水陸両用である。潜るし、歩く。まるで意味のないことを書く。

■東京は亜熱帯と化し、人々は狂気を日常としてやり過ごす。平成30年の夏には、正しい未来の姿があった。夜、扇風機の掻き回す熱風に合わせて、 レゲエばかり聞いていた7月。Rickie-Gのカヴァーした「Virtual Insanity」がメイン・テーマ。

小野寺邦彦



#143 バッドブレインズ 2018.08.12 SUN


■稽古に向かう小田急線のホーム。『じゃ、また後で』 と言って、冷房車と弱冷房車に別れて乗り込んだカップルを見た。

■8月8日、台本が完本。とはいえ、渡せていなかったのはラストシーン手前の4ページのみ。それ以外は7月のアタマには出来て渡してあった。この4ページを書くのに一月、かかったことになる。それは壮絶な一月だった。ほぼ毎晩、ページを書いては、朝プリントアウトし、読んで捨てる。その繰り返し。捨てたページの総量は、台本ぜんぶと同じくらいになったと思う。毎日、少しずつ違うエピソードを書いた。書いて、捨てた。自分が捨てた物語に首を絞められる夢まで見た。ホントである。どうかしてると思うだろう。どうかしているのだと思う。

■一月の間に、いろいろな演劇を観た。知り合いが出ているものも、出ていないものも観た。どれも客席はギッシリで、みな楽しそうに芝居に見入っていた。私はひとり、客席の荒野で孤独であった。そこで展開される物語のすべてが、まるで自分に関係がなかった。ドラマも、エピソードも、それら自体はよく練られ、観客に届けるため、上手に仕立てられているのだろう。装飾は美しく、演技は繊細だ。だがそこには、その物語があることへの疑念がまるで感じられない。どうしてそれが語られなくてはいけないのか、切実さが感じられない。世界はいつだってそこにあって当たり前で、受け入れられることが前提の物語たち。俳優が舞台に登場するだけで笑い声が起き、滑稽な仕草をすれば爆笑に包まれる。私は呆然とするが、しかし、俳優はうまい。確かにうまい演技だ。なぜ、そんなに「うまく」演じるのだろう?それが可能なのだろう?いろいろなことが分からなくなる。ボンヤリしているうちに、カーテンコールだ。私は誰にも会わないよう、イの一番で劇場から逃げ出す。しかしこれは全く、私が悪い。要するに、劇中で提示される世界と、自分とが決定的にズレているのだ。私は観客としての資質に欠けているにも関わらず、そこに座っている阿呆である。救いようのない野暮天だ。

■当然のことだが、私は、私の芝居を観て、客席の荒野に連れ去られ、イの一番に劇場を出ていく観客も知っている。怒った顔、当惑した顔、表情のない顔。何人も、知っている。それを忘れたことはない。

■空白のページを、有り合わせのエピソードでしのぎ、それらしいテーマを匂わせ、一丁上がり、とすることは技術的にはた易い。だが、実際には一番難しい。なぜ、そのエピソードがそこになくてはならないのか。なぜ、私がそれを語らなくてはいけないのか。それが見つからなければ、私が私の芝居で呆然としてしまうことになる。それだけは御免だ。というか、演出がつけられない。自分が必要を感じていないものを、俳優に伝えることなど出来るわけがない。俳優に伝わらないものが、間違ったって客席に届くものか。私の戯曲は支離滅裂のデタラメで、崩壊するドラマを唯一つなぎ留めているのが、それを語る必然、という呆れたオカルトぶりだが、縋る「よすが」が消えれば、そこには空虚な言葉が群れなしているだけだ。ゾッとする。

■それでフと考えた。これだけ考えて書くことが思いつかないのなら、それを書こうと。
何も物語が思いつかないこと
捨ててきた物語に復讐されること
一気に書いて、稽古場に持って行った。演じる俳優は即座にその意味を汲み取ってくれた。そうだ、忘れてはいけない。彼女だってその台詞を一月、待っていたのだ。ホンの数ページの、その台詞を。感謝をしてもしきれない。いいシーンになった。本番まで18日。芝居が出来上がった。

■翌日には荒通し。作りたい芝居の像がハッキリと見えた。あとはどれだけ、舞台が俳優のものになるか。脳を掻き毟って書いていた台詞が、「作品」としての体裁が整ううちに、私の手を離れていく。すごい速度で離れていく。戯曲が離れ、演出が離れ、だんだん、自分で書いたのかさえ、忘れてしまう。それでいい。物語を偏愛する時期は終わった。あとは冷酷な批評者として、仕上げていく。しかし、ま、そこまで冷酷にもなり切れないのが、今イチ私の弱点である。困ったもんだ。ホントにね。

■お盆、俳優たちは僅かな稽古休みを使って、帰省したり旅行にいったりしているようだ。私はといえば、馴染みの喫茶店にデンと居座り、音楽を聴きつつ、小遣い稼ぎのゴースト作家稼業に精を出すくらい。納期、仕様書、見積もり…仕事で書く文章の、なんと簡単で詰まらないものか。まるでハナクソである。そんなとこ。

小野寺邦彦



#144 たくらみを頼りに 2018.11.17 SAT


■郵便局へ。

■週末だからか、混み合うATMの列に並ぶと、二台の機械のうちの一台を高齢の女性が独占していた。何冊もの通帳を出し入れし、延々と入金その他の作業を繰り返している。途中で手帳を確認したり、メモを取ったりもしていて、当分終わる気配がない。周囲にイライラとした険悪なムードが漂う。と、ある瞬間、彼女が後方の待機列に向かって、唐突に右手を突き出した。出しただけではない。人差し指と中指がビシリと突き上げられたその形は、紛れもなくピースサインだ。堂々たるVサインだ。声にならぬ、静かな動揺が広がる。宝くじでも当たったのか。遺産でも転がり込んだか。困惑する人々をよそに、老婆は右手でピースサインを掲げたまま、左手でATMの操作を続ける。手続きが完了し、機械からベロリと通帳が返却される。すると右手の中指が折り畳まれ、人差し指一本になった。どうやら、残りの手続き件数を「あと2件だ!」と表示していたのだった。そうか、そうだったんだ。終わりの見えぬ世界に突如、道標が現れた。あと1件か。そうだよ、あと1件なんだ。混沌からの脱出。それは感動的な瞬間だった。子羊には、救いが施された。人々は安堵の表情で満たされた。けれどたった今、私の後ろに新たに並んだ男には、その光景はカオスでしかないだろう。ATMを操作する老婆が、後方の待機列に向かって、右手の人差し指一本を高々と掲げながら、入金作業を行っているのだ。そして人々はそれを穏やかな表情で見守っているのだ。それは、男が、老婆が指を突き出した「以後の世界」に現れたからだ。いつだってきっと、そうなのだ。世界があるのではない。世界には、その「見方」があるだけだ。

■神保町のジャニスが閉店する。昔、ここで借りたCDのジャケットには自由に書き込めるシートが入っていて、感想や批評を書き込む、コミュニティスペースになっていた。 その個人的な・音楽通を自任する・普通の人々の書き込む文章が、私は好きだった。芝居を書き始めて、自分で劇伴を選曲するようになってからは、 ほぼすべての音源をジャニスで借りた。だが『かけみちるカデンツァ』の音源はすべてSpotifyとapplemusicから探した。世界中の音楽をデータにして、誰もが瞬時にアクセスでき、自由に持ち運べる時代は素晴らしい。時代が戻ることはない。ただ、個人的な記憶と感傷の記録として、頭の片隅に残しておきたいだけだ。まだホンの数年前、音楽が光る円盤の中に入っていた時代のおとぎ話。

■8月の終わりに芝居が終わって、今は11月も折り返し。年末だ。あれだけ暑さに喘いでいた日々の名残はもう、どこにもない。殆どすべては忘れてしまった。今は来年の公演のための準備を進めつつ、戯曲を少しずつ書き進めている。

■この間、いくつか芝居を観た。吉田康一さんの劇団「AntiKame?」の公演も観た。それは劇団にとって、次の展望を期した冒険的な舞台だったそうだが、まだ2作しか観ていない私には、その辺のことは詳しくはわからない。相変わらずのモノローグの応酬で、事象ではなく、その事象によって引き起こされた、人々の「気分」が描かれていく。恐らくは作者自身の、偏った人間観、殊に女性観が語られていく。観終わって、究極、私にはまるで理解できないと思った。そして、それが素晴らしいと思った。ここまで個人的な内省を舞台に仕立てる作者は、少なくとも自分を「いい人」だと思って貰おうとは思っていない。こう書かざるを得ない、こうせざるを得ない、という姿勢が、物語の端正さ、構成を崩していることを、当然、作者は知り尽くしているはずだ。けれど、その方法を選んだ。巷にあふれる物語は、ほとんどその逆の工程を踏んで作られる。私はそのあまたある「よく出来た」お話にまるで興味がない。本当に興味が沸かないのだ。自分だけに必要な、自分の為の表現、それをしかし人に観せるために必要になる、世界との了解のための最小限のコード、それが私にとっては物語だし、それ以外に価値を感じない。『じくりじくりと蝕まれていく』は、私の理解の外だった。しかし、その物語は、私をグリップした。胸のすく思いがした。これぞ作家の仕事だと思った。世間の評価は知らないし、興味もない。私には必要な物語だった。それだけだ。

■芝居を観るとき、その内容とは別に、この作品の稽古場はどんな具合だったのかな~とよく考える。別に何か答えを探してるわけではなく、ボンヤリと考えるだけだ。 私は、自分の芝居しか作ったことがないので、ヨソの稽古場というものをまるで知らないのだった。 だからきっと、ひどく不器用なこと、トンチカンなことをしているに違いない。『かけみちるカデンツァ』の稽古は、とてもスムーズに進んだ。劇団員が一人も参加せず、こちらから声をかけた数人と、オーディションに来て貰った人々で作った舞台。それが、芝居を初めて12年目で一番、充実した稽古を組めた、という事実。皆、しっかりしてるな。おれたちがいかに普段、ダメかということが分かった。というか、おれだ。おれがダメだった。反省する。でも……、とないものねだりをすれば、皆、ちょっとちゃんとし過ぎてたな。もっとダメなところ、だらしないところ、よく分からないところ、理不尽なところも知りたかった。私の芝居がそうだからだ。架空畳は、劇団だ。プロデュースユニットなどでは、ない。たとえ一人も劇団員が出演していなかったとしても、劇団という「制度」を敷いてその上で上演をしている以上、そこには集団創作の「コク」がほしい。ただうまい人を集めた、それ以外の味が必要だ。大きな謎を孕んだ舞台を作りたい。それは方法化されない方法、とでも呼ぶべきもののはずだ。自明でないものを作る、だがそれは、決して観客の理解と真逆の方向を向いているわけではない。そう思って、数少ない劇団員と、また次の芝居を作りたい。それがどんな形をしているかは、まるで分からない。私はまだ、演劇に飽きてはいない。

■夜、友人に会うために外出しようとドアを開けると、寒風が吹きこんだ。慌ててクローゼットから、マフラーを引っ張り出して巻いた。春先からしまったままだったマフラーからは、柑橘類と消毒液の混ざったような、複雑で清潔な匂いがした。不思議な匂いに包まれて歩く夜の街は、楽しかった。

小野寺邦彦



#145 トロピカリア 2018.12.29 SAT


■「ウチの店長、8千人規模の美容師組合のNo.3なんだけど、その陰には21歳の新人スタイリストが絡んでるらしいんだ」
ベローチェで小耳に挟んだ。

■年内の仕事を納めて、Twitterをダラダラと眺めていたら、こんな書き込みが。


これが現代のドラマだ。ドラマとは、起こすものではなく、それを発見する視線のことである。 用意されたものではなく、見いだされるものだ。

■既になにがしかのドラマがあり、その結果として、今、「眼鏡もマスクもしていない彼女」が現れたのか。 それとも「眼鏡もマスクもしていない彼女」が現れたことで、そこから新しいドラマが始まるのか。 この考え方は因果律に即している。 普通われわれがプロット、と呼ぶものだ。しかしプロットからドラマは発見されるだろうか。予定調和で世界を理解する、その手つきに今、価値をまるで感じない。 その日、彼女は、出勤前にたまたま眼鏡を踏んで割ってしまったのかもしれない。 そして偶然が重なって、マスクを切らしてしまったのかもしれない。 合理性のない、その偶然の積み重ねを、物語の世界では「ご都合主義」などと言う。 作家は、その原因と結果の因果律に頭を悩ませ、ひねくりまわし、そこにドラマを創作してきた。 例えば心境の変化、恋愛その他の友人関係、その結果としての「眼鏡もマスクもしていない彼女」の出現、というふうに。 だが現実に、ドラマとは起こってしまうものであり、その発生の手続きのみに拘ったところで「だからどうした」」としか思えない。 物語とは嘘であり、その発生にいくら手間暇をかけても、所詮はマッチポンプに過ぎないのだから。 むしろ偶発的に、或いは意図的に、現れた「眼鏡もマスクもしていない彼女」の出現こそがドラマなのだと見たい。その結果、何も起こらず、世界に何ひとつ変化は起きなかった としても、その存在こそが既にドラマなのだ。繰り返すが、ドラマとは、起こすものではなく、それを発見する視線のことである。見出すものである。 「眼鏡もマスクもしていない彼女」が現れた要因や、それによって彼女に起こった変化を描くのではなく、「それ」にフイに遭遇してしまった「私」が 「動揺して一本満足バー買ってしまった」ことが、物語なのだ。 「眼鏡もマスクもしていない彼女」は、「私」が介入できない、変容する世界そのものであり、エニグマだ。「私」はその謎に手を触れることはできない。 世界にとって、「私」は無力で無価値である。だがそんな世界を「発見」することはできる。 そんな風に世界を見たいし、理解したい。私はプロットが書けない。

■12月15日に行われた、神奈川かもめ短編演劇フェスティバルの戯曲コンペにて、拙作『モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー』が最優秀作品賞を取り、 夜にはその懇親会で中華街に連れていって貰った。 当日の会場、懇親会とも、ミョーに知り合いが多くて、まるで地元でのど自慢に出場する公務員みたいだな、と思った。でも、嬉しかった。 審査の席で川村毅先生が、「このテの作品は、こういう審査会ではまず、最終候補に挙がってこない」と仰っていた。 そうなのだ。 『モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー』は一度、某戯曲賞に応募したこともあったが、箸にも棒にも掛からぬ、一次審査落ちだった。 でもそれを恨むような気持はない。 私の作品には、100点か0点しかない。驕りではなく、どうしようもない実感として、それはある。 そして、概ね、0点取りがちである、ということも知っている。 私は自分のことは、とても凡庸で中庸な人間だと思っている。 心底、そう思っているのだ。 けれどどうやら、作るものはそうではないらしいのだ。戯曲を書き始めるまで、それは分からなかった。 しかし改めて考えれば、思い当たることはあったのだった。 幼児期からそうだった。 「どうして、お前はそうなの?」 と言われなかった時代は、私の歴史にはなかったように思う。 私はそれを「無理解な人」と決めつけ、関わることを避けてきた。 マトモなのはこっちで、向こうがどうかしてるのだと、本当に思っていた。 しかし芝居を作り、客席に向かったとき、多くの人が 「どうして、これなの?」 という反応を示して、ガーン、と少なくないショックを受けた。

■学生時代、芝居を観るのと同じくらい、戯曲を読んだ。 ただ楽しくて、趣味として読んだ。 古本屋へ通い、古い演劇雑誌を束で買い込み、書籍化されていない戯曲を読んだ。 芝居をやっている以上、それは当たり前のことだと思っていた。 小説を読まずに小説家になる人、 漫画を読まずに漫画家になる人、 音楽を聞かずに音楽家になる人、 絵を観ずに、画家になる人、 いるだろうか?いるのかもしれない。でもそれは、何十年に一度という天賭の才の持ち主だろう。 万人に一人の才能だろう。 「それ」のユーザーである、という体験をまずへて、「それ」を作ってみる方に興味を示す、その道筋を踏まずに、 突然「それ」を作ってしまう人って、いるんだと思うけど、ちょっと想像つかないな。 だが、戯曲を読まない戯曲家はゴマンとしている。 それでも平気でなんとかなる。そういう世界が小劇場なのかもしれない。 でも自分は違う。 そんな才能、まるで持ち合わせていない。微塵もない。 自分のことは、自分が一番分かっている。 痛いほど、分かっているのだ。 劇団を作って、戯曲を書き始めて、12年が経った。 それで、やっと、小さな賞を一つ、貰えた。 そのことを遅いとは全然、思わない。 自分程度の人間が、むしろ12年くらいで、人の目に留まったということが僥倖だ。考えもしなかった。芝居を書いて、誰かに褒められることがあるだなんて。 多くの選択肢から、作品を構築したのではない。 こうしか書けない、書けたものしか、私にはない。 自分よりも若い知り合い達が、才気煥発の舞台で超満員の観客を沸かせている客席で、一人、敵わないな、と思う。 両手いっぱいに、輝かしい多くを持っている人たちだ。 書きたいという欲望だけがあり、その方法を知らない。 私にあるのは、たったそれだけだ。

■懇親会のあと、横浜のバーに連れていかれ、赤澤ムックさんとずーっとお話しして頂いた。 そこで話した全ての些細なことが、財産だ。 私の戯曲に一番厳しく、そして一番読み込んでくれていた。帰りの電車の中でも話し、駅で別れる瞬間まで 芝居の話をした。 私にとって、演劇は、分からないもの、掴めないもので、だから好きだ。 絶え間ない思考と思索と失敗の繰り返しが好きだ。芝居とは、その結果「出来てしまうもの」であって その製作の過程こそが、喜びであり、悦楽だ。 「かけみちるカデンツァ」の稽古場は楽しかった。愉悦の日々だった。 分からないものを、分からない人たちと、分からないまま作りたい。それだけが望みだ。本当に、そうなのだ。

■書くときは、いつだって、自分を天才だと思って書いている。 書きあがった後には、なんて凡庸なんだと落ち込む。 その落差の中を、往復して書いている。 それは水面に顔を出したと思った瞬間に、足を取られ海中へ引きずり込まれるように苦しいことだ。 書いている限り、きっとずっと、苦しいのだろう。 海底に足が着くような場所を見つけてしまったら、終わりだ。 這うように書く。それだけだ。嫌なんだけど。仕方ないのだ。

■そんなわけで、2018年も終わるタイミングで、「ここで遭いましょう」もオシマイです。 また劇場で、それ以外で、いつだってここで遭いましょう。では。

小野寺邦彦




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