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生活と創作のノート

update 2019.08.14

生活の冒険フロム失踪者未完成の系譜TOKYO ENTROPY薔薇と退屈道草の星偽F小説B面生活フィクショナル街道乱読亭長閑諧謔戯曲集ここで逢いましょうROUTE・茫洋脱魔法Dance・Distanceニッポンの長い午後


ROUTE・

Canon.s NOTE


#146 茫洋のひと 2019.01.28 MON


■大分へ旅行にいった。

■劇作家大会、という催しがあったのだ。別に誘われてもいないが、飛行機に乗りたいな、というだけの理由で何となく行ってみたのだった。大分といえば温泉だ。宿泊した駅から徒歩一分のそのホテルにも、「天然温泉」がついていた。チェックインして10分後には、私は湯船にいた。真っ昼間である。広い温泉には私一人である。最高だ。最高じゃないか、大分。仰向けでジェットバスを堪能していると、赤い矢印と、デカデカとした文字が目入った。「屋上露天温泉」。そうかそうか、屋上に露天がなあ。結構じゃないか。つからない理由はない。矢印に誘われていそいそとドアを開けた。外である。階段がある。階段の脇にまた、赤い矢印だ。「屋上露天温泉」そう書いてある。それはまあそうだろう。屋上へ上がるには階段だ。しかし、これは何というか、フツーのいわゆる非常階段である。ビルの屋上へ上るための、味もそっけもない、例の鉄骨の、非常階段なのである。素っ裸でそれを上ると、そこは屋上だった。やはり味もそっけもない、本当に普通の、唯の「ビルの屋上」である。 そこに、湯船があった。あって当然ではある。 それがなければ、私は、真昼間、すっぽんぽんでビルの屋上にいる中年男である。湯船につかる。身を隠すような覆いなど何もない。 目と鼻の先に大分駅だ。ホテル前の道路を、人々がスタスタと歩いてゆく。 すぐ真隣に建つビルでは、鳶職人たちがせわしなく働いていた。二つのビルの距離は2メートルもないだろう。例えば私が、いまこの状態で、2メートル横にスライドすれば、犯罪者の誕生である。私は識る。たった一つ、湯船がそこにあるだけで、人は昼日中、ビルの屋上に素っ裸で居ることが出来るのだ。空気は澄み、空はどこまでも青かった。私はこれからどうすればいいのか、見当もつかなかった。

■劇作家大会、とはその名が示す通り、劇作家が集まり、いろいろとイベントをこなす大会だった。私も滞在中の2日間で、3つほど講演を聞いた。どれも面白く本当にためになったが、中でも岩松了氏のお話は興味深いものだった。岸田戯曲賞を受賞した際、別役実さんに「これは不条理劇だ」と言われて、そうなの?と感じ、不条理、とは何だろう?と考えたという話。(選評の一部は
→こちら) これは、YOUTUBEで公開している「岸田戯曲賞を読む」4回目で扱っている内容なのだが(まだ2回目の「小町風伝」の公開途中です。是非聞いてね)予習的にチラリと不条理の一般的な理念を紐解けば、「世界には意味はなく、人間がどんなアクションを起こそうとも、世界には何の影響もない。すべては既に試されたあとであり、物語の最初と最後で、閉塞しきった状況は何も変化がなく、ただ滅亡へと人は進んでいく」ということになる。それに対して、岩松氏は自身の作劇のポイントを以下のように喩えていた。

■例えば、ある晩、妻が夫を刺し殺した、という事件が起きる。だが、近所の者の証言で、二人は前の晩、仲良く買い物をしていたという。旧来のドラマは、この刺殺の現場を(状況的にも、人物の心理的にも)ドラマの中心に置く。だが実は面白いのはそこではない。前の晩、一見仲良く買い物をしている間にも、妻は夫に対する殺意を抱いていた。その思いを生活の中に隠しながら、日々を過ごしていた。極めて平凡に、平穏に。そこが面白いのであり、そこを描くのが重要だ、と。事件を描くのではなく、事件の「前日」を、そこに至るまでの「日常」こそを描く。不条理な世界で、絶対に回避できない世界の終わりや破滅や絶望にただ向かっていくことしかできないのと同じく、この物語の先には、妻が夫を刺殺す、という絶対に回避できない結末がある。そこに至るまでの「普通の日々」を描く。つまり必要なものは言葉そのものの力、などでは決してなく、 その言葉が使われた文脈、コンテクストなのだ。そういう風に捉えれば、確かにこれは完全なる不条理劇である。妻が夫をこの数時間後に殺す、という文脈の中では、普通の、仲睦まじいような会話、或いはなんてことのない会話…「醤油とって」「あれどこやったっけ?」などのセリフでさえ、別のニュアンスを持つし、ホラーにもなる、ということだ。なんの変哲もない、ドラマのにおいさえしない凡庸なセリフを「どこにどのように配置するか」でまるで意味が変容する。言葉の在りようは、いつだってそのシチュエーションに依存している。目の前の人間を、数時間後に殺す、という必然の中で、例えば妻が一言、「ねえ…」「ううん、なんでもない」と喋るとする。破滅が回避できない世界の中で、ウラジミールとエストラゴンが空虚な「遊び」で無為に時間を浪費する姿と、それは同じ風景だといえるだろう。

■世界の在り方は多様で、残酷だ。それは間違いない。私はまた、言葉の無力さ無意味さを痛感しながら、その「無意味な力」でシチュエーションの方を引き寄せようと思っている。不遜だと思う。どうぞ嘲笑って貰って結構だ。

■2019年。年が改まって特に何かが変わるわけでもないが。1月、既に友人みくにさんの写真展でリリーディング公演「天使病」を、メンバーの田村友紀と行った。この脚本は、またバージョンを変えて近くまったく別の形で上演する予定もある。3月は、昨年神奈川の戯曲コンペで最優秀賞を貰った「モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー」の柿食う客での上演もある。特に情報も出てこないし、どうなるか私にはサッパリ分からないが、戯曲提供は生涯初なので、それはそれで楽しみだ。気楽だしね。6月には架空畳での公演があるから、4月にはその稽古に入る。大きなたくらみを持った戯曲を毎日、部屋で、喫茶店で、アタマの中で、風呂につかりながら、考えている。書くことはまるで苦しくない。書けなかったことはない。書け過ぎてしまうことが、いつだって問題だ。書いたものを、削り、失い、忘れて、また書く。その作業の中に、たった一つ、すがるようなセリフが現れる瞬間を、待っている。今週木曜の夜まで、演者を募集するオーディションを受け付けているので、そちらも是非よろしく。

小野寺邦彦



#147 あの話の続きを 2019.02.28 THU


■駅前の駐輪場に、自転車を停めている。

■前輪をストッパーにカシャンとかけるだけの、青空駐輪場だが、初めの3時間は無料、そしてその後24時間毎に80円という破格の設定だ。毎日停めても、月に2400円。良心的である。昨年末、ひょんなことから、ちょっとカッコいい白のイタリア製ミニベロを譲り受け、日常の足として便利に乗り回している。

■先月のことだ。終電で帰宅し、駐輪場へと向かった。精算機で清算を済ませ、愛機のそばに近寄ると、闇夜にチカチカと赤く、何かが発光している。私の自転車だ。サドルに何かが取り付けられている。LEDのテールライトだ。けっこういいヤツだ。勿論、取り付けた覚えはナイ。1分くらい考え込んで、それを外し、柵の上に置いて去った。それから数日経って、また深夜、駐輪場に自転車を取りにいった。料金を精算し、キーチェーンを外し、シートに跨って、フラッシュライトをつけようとした瞬間に、違和感を覚えた。ハンドルバーにベルが取り付けてあるのだ。元々のベルは、本体フレームに取り付けてあるので、ハンドルバーにはライトしか付けていないハズだ。よく見ると、ビアンキのベルだ。けっこういいヤツだ。今度は5秒と考えずに、外して放り投げた。誰かが、私の自転車をグレードアップしようとしている。誰だ。そして何のためだ。何かのメッセージか。交通事故に遭った未来の私が、事故を回避するために安全グッズを取り付けにやってきたのか。赤毛組合的な策謀が陰で絡んでいるのだろうか。そして数日前のことだ。やはり終電で最寄駅に降り立った私は、ちょっと怯えつつ駐輪場へ向かった。ひょっとしたら、シートポストがERGONになっているのではないか。カーボン製のドロップハンドルが取り付けられているのではないか。いっそ、まるごとコルナゴのロードバイクに化けているのではないか。喜び勇んでそれに跨った瞬間、窃盗犯として逮捕される私。すべては罠だったのだ…。

■だが、自転車は普通だった。子細にチェックしたが、何も取り付けられていなかった。半ば安堵し、半ば失望しつつ、私は精算機を操作した。100円玉を投入しようとした瞬間、無人の駐輪場に機械的な音声が響いた。
「清算の必要はございません」
しばし呆然とし、すぐに事の次第を理解した。そう、『誰かが、既に料金を払ってくれた』。そして『初めの3時間無料』ゆえに、ソレは『この3時間以内に行われた』のだ。瞬間的に周囲を見渡した。私の自転車と、私自身に、親切を働く謎の存在。誰だ。誰なんだよ、お前は。親切は恐ろしい。親切は怖いよ。どんな暴力よりも、得体の知れぬ親切こそが人を恐怖に陥れる。取り敢えずいま、駅までは歩いて通っている。

■舞台の打ち合わせのために新宿に向かう電車で、友人の光藤にバッタリ会った。

■大学一年生のたぶん秋頃だった。今は(立派な賞も取ったらしい)現代美術の作家となった光藤の、それは初めての作品だった。『風景に、付箋を貼る』。奴はそう言った。縦180センチ、横50センチほどのベニヤ二枚でガラスを挟み込んだオブジェ。ガラスはベニヤより数十センチ背が高く、挟まれたベニヤの間から、チョコンとはみ出して、遠目からみればそれは確かに付箋に見えないこともなかった。それを多摩川の土手に穴を掘って埋め、自立させるというプランだったが、光藤は今と変わらぬヒョロガリの虚弱児で、硬い土手の土をスコップで掘るにはまるで体力が足りていなかった。そこで私が、穴掘り屋として呼ばれたのだ。高校2年の冬休み、土建屋でバイトをしていた私の部屋には、現場からくすねてきた巨大なスコップがあったのだ。部屋に遊びにきた際、奴はそれを見逃さなかった。決行の前の晩、光藤の家に泊まり込み、翌朝から河原の土を掘った。60センチくらい掘ったと思う。 掘った穴にオブジェを入れ、土を戻すと、意外なほどシッカリとそれは地面に屹立した。光藤は上機嫌で、焼肉を奢ってくれた。その夜も泊まり、風呂に入り、芸術の話をいろいろ聞いた。私は間違って美大に入ってしまった人間なので、 それまで馴染みの薄かった現代アートの話は高尚に感じられると同時に、かなりバカバカしくもあり、面白かった。夢を喰って生きている人間が愚かで美しかった。それから暫くして、大学の構内で出くわした光藤にフと、あの『付箋』どうなった?と聞くと、ゴミとして撤去されたという。写真を見せてくれた。『これを不法投棄とみなす』という内容の自治体の警告文が、ガラスの中央部に貼ってあった。作家は風景に付箋を貼ったが、権力はその付箋にゴミのレッテルを貼ったというわけだ、と奴は自嘲気味に笑った。私はまだ、戯曲を書いたことがなかった。

■つい先日まで千代田3331で行われていた光藤のグループ展示には、ついに行けなかった。同じく大学時代、一緒に長い時間を過ごした、今をときめく美術史家の松下と行ったシンポジウムの日は、次回公演の俳優の写真撮影日だった。そういえば、松下とも昨年、渋谷の喫茶店で偶然隣の席に座って再会したのだ。別に湿っぽい話はしない。誰かの下宿で、徹夜でゲームしたり議論したりした15年前の『次の日』が『今日』なだけだ。 こんなとき、中年になって良かったなと思う。10年の時間など、つい『この間』に過ぎない。 電車は10分ほどで新宿に着き、光藤とは改札で別れた。 「メシ食ってくわ。じゃあ、また偶然会おう」そう言ってサッサと行ってしまった。私が行けなかった展示のタイトルは『終わらない始まり』という。そのステートメントの末尾の文章はこんな具合。

ところで、材料と道具を会場へ搬入する時から、既に作品の設置は始まっています。例えば自宅の生活空間で、手垢がつく場所、よくぶつかる場所、あると思います。そこに作品を置いても良い。 大事なものや重要なものを、必ずしも大きく飾らなくても良い。その空間のなかで働いて「なってしまったこと」だけで展覧会をつくっても良い。 この展覧会は、あなたにも出来ます。

まるで自分が書いた文章のようだ。そうと気づかぬうち、彼から大きな影響を受けていたのだな。彼らがいなければ、私は戯曲を書いていない。そうしたら今頃…もっと幸福な人生だったかもしれないけど。ま、それはいい。

■毎日、書き、捨てて、少しづつ、稽古が近づいてくる。『終わらない始まり』の中で、もう私の舞台は、始まっている。

小野寺邦彦



#148 永い午後 2019.03.23 SAT


■先週末、初めて降りた某駅でのこと。

■某駅、と場所を濁すのは劇団「柿喰う客」の稽古場にお邪魔したからだ。 その稽古場では、人気のいわゆる2・5次元舞台の稽古も行われており、 稽古場が知れてしまえば、イケメン求めてファンがやって来てしまう可能性があるからだ(自主規制)。 次元の壁を壊す重罪を追うわけにもいかぬ。恐ろしい重罪だ。罰として0・5どころか、1次元くらい取られてしまうかもしれない。ペッターンて。何を書いているのか分からない。

■駅前はほどよく活気があり、少しレトロなムードの商店街なども人で賑わっている。天気もよく、空気は澄み、足取りも軽く目的地へ歩き出した。だがおかしい。何かがおかしいのだ。ふと天を仰ぐと違和感の正体にはすぐ気が付いた。駅周辺に建つビルの窓という窓に張り出された店舗の看板だ。

もみ処、ほぐしサロン、リンパマッサージ、岩盤マッサージ、骨盤矯正、りらくる、カイロ整体…

揉まれ過ぎじゃないのか。マッサージ激戦区だ。マッサージ戦国時代なのか。マッサージ地獄に堕ちたのか。 マッサージバブルか。「揉み」が攻めてくる。この街で「揉み」から逃れられると思うな。 「揉まれる」と思ったときには、既に「揉まれて」いるのだ。恐ろしい。 「揉み」は恐ろしいよ。「揉み」の圧力に恐れをなして駅前を抜け、大通りに出れば、その道路脇には飲食店の群れだ。 気づけば工場街。働き者の工員たちが、その鉄の胃袋を満たすためにやって来る店は

串かつ、とんかつ、とんかつ、串かつ、とんかつ、串かつ

「かつ」ばかりじゃないか。「かつ」激戦区か。「かつ」戦国時代か。「かつ」地獄なのか。「かつ」バブルか。「かつ」コンビナートに迷い込んだというのか。そして「かつ」の合間に【からだファクトリー】って、まだ揉むのか。「かつ」の箸休めに「揉み」を挟むんじゃないよ。ふざけるな。かつ、マッサージ、かつ、マッサージ、かつ、かつ、マッサージ…私の気が狂ったのだろうか。ここは「かつ」と「揉み」の国。脂、揉み、脂、揉みだ。上質なロース肉の下ごしらえか。なにが【温活オイルリンパドレナージュ】だ。追いオイルか。ドレナージュする前に脂を控えたらどうだ。いっちょまえにドレナージュしてんじゃないよ。なんだ、ドレナージュって。【身ラクるマッサージ】とは何事だ。恥を知れ。…気づけば、私はドトールにいた。レシートと一緒に渡された小さな紙片には、こう書かれていた。

「当チケット提示で30%オフ!今が揉みどき、ほぐし頃」

悪い夢を見ている。脂と揉みの悪夢。そしてそれは、決して醒めることのない夢なのだ。

■そんな悪夢に苛まれながらもなぜ稽古場に伺ったかといえば、 KAATで行われている神奈川かもめ短編戯曲フェスの一本として、 昨年行われた戯曲コンペで最優秀賞を貰った拙作『モダン・ラヴァーズ・アドベンチャー』が、 劇団「柿喰う客」(演出:中屋敷法仁、出演:七味まゆ味、田中穂先、永田紗茅)により上演されているからだ。 稽古、公開リハ、本番の1ステージ目を見た。その演出にはハッとするアイディアもあり、同時に、以前に私が施した演出と重複するようなシーンもあった。戯曲が導く必然と、そうでない部分というのがウッスラと分かってきて面白かった。これは創作者の特権だろう。 演出とは解釈であって正解はない。キャスト、空間によっても大きく変わるし。などとまあ、知った風なことを書いても仕方がない。 ただ、中屋敷演出、柿喰う客キャストの演技を眺めていて、そこにはハッキリと、直進的なベクトルが敷かれていると感じた。 その愚直さ、引き算によって削ぎ落とされた様式的でソリッドな振る舞いは、徹底的な開き直りと自信(開き直ることへの、自信)に裏打ちされたものだ。 それが、私には、ないんだな。私は、引き算で引いた箇所には、別の余計な脂肪を付けたくなる。 もしくは、引いてはいけない部分を引き、引かなければいけない部分は残す。何故そうするのか?といえば、そういう風にしか作れないからだ。 グズグズする何か余計なノイズがなければ、座りが悪い。ま、つまり開き直りがない。 その「座りの悪さ」を敢えて飲み込んで、「こういうものだ!」と提示する腹の座ったところがないのだな。 しかし、と、今回の上演を観て思うことは、やはり私がそれをやっても仕方がない、ということだ。「腹の座った」演出は、 その究極というべき姿で目の前に示されたのだから。私がその尻尾を追う意味はまるでない。柿喰う客から教わったことは、技術ではなく、 その態度である。私は私の戯曲を誰よりも愛しているし、私の俳優も愛している。だが、私の演出を愛しきれているかというと、やや心もとない。優劣ではなく、その「想い」が差であると感じた。ちょっと精神論入ってるようだが、その精神に肉を通す、自分だけの技術を稽古場で模索しようと思う。

■本当は今日、その「かもフェス」の関係者懇親会だったのだが、何時から始まるのか一向分からず、 ちょっと夕方まで仕事を入れてしまったら、あれよあれよと面倒ごとを頼まれ、「待ち」の時間が出来てしまった。 もう間に合わない。本当にこういうところが駄目だ。 社交を任せてしまったメンバーには本当に申し訳ない。当日になっても開始時刻が未定の予定でスケジュールを開けておけるほど、優雅な暮らしではない自分が情けない。 来年の劇場代だって稼がないといけないし。 ビンボー暇だらけ、がポリシーなんだけどね。そんなわけで、無為な時間の中で申し訳なくなりながら、このノートを更新しておく。

小野寺邦彦



#149 退屈の利用法 2019.05.08 WED


■駅前で、街頭募金をやっていた。

■駅目前の交差点にある信号機の真ん前。信号待ちの間に、サクラなのかもしれないが、人々が次々と募金をしていく。 その度に、募金箱を持った男が大きな声でお礼を言う。

「ありがとうございます。お預かり致します。」
「ありがとうございます。お預かり致します。」
「ありがとうございます。お預かり致します。」
「ありがとうございます。お預かり致します。」
「ありがとうございます。お楽しみください」


私はその一言を聞き逃さなかった。

■募金箱を持った男の顔を見る。自分が口走ったコトバの過ちに気付いてはいないようだった。 フと気を抜いた瞬間、言いなれた言葉がつい、口をついて出たということだろうか。 確かに、それほど自然な言い方だった。 彼の仕事はなんだろう?金を受け取った瞬間、反射的に「お楽しみください」と出てくるような仕事とは。 その受け答えはマニュアルなのかもしれない。 「お楽しみください」それがマニュアルとして発せられる世界。 世界は未知に溢れている。その接点は目の前にあるのに、私はそこに触れることさえ出来ない。

「彗星たちのスケルツォ」「かけみちるカデンツァ」の稽古時に、facebookに書いていた稽古メモを、サイトのWORKSページに移した。 マイスペースが過去12年分の投稿データを消失したり、 電気グルーヴの楽曲がクラウド上から一斉に削除されたり、ということが立て続けにあり。 結局ネットワーク、クラウドサービスというのは自分の財産を他人のコントロール下に置くということに他ならないのだな、と 改めて認識した。 p2p技術というものは、そのコントロールをユーザーに取り戻す、という思想の元あったはずだし、 最近では仮想通貨に用いられたブロックチェーン技術に発展した。 かつてスティーブ・ジョブスは、コンピュータ技術を資本家に独占させてはならない、と革命の思想でもって、 パーソナルコンピュータを開発したが、結果としてアップルコンピュータは、 最も技術開示に保守的な企業となった。 文化が、誰かの都合でコントロールされる。 それは恐ろしいことだ。 遊びは自由でなくてはならない。あったことをなかったことにしてはならない。 それが後の時代に、どれだけ不都合な事実となったとしても。 というような、高尚な考えでもって本当にしょうもない稽古メモだが、ソースを手元に残しておかねば、と思った次第。

■稽古が始まっている。【夜啼鳥篇】は架空畳に出演経歴がある俳優と、【土喰蛇篇】はオーディション中心の新しい俳優と、それぞれ作っている。 『能』をモチーフにした6篇。同じテーマと同じモチーフを少しずつずらしながら、決まりきった物語からどうやって離れていくか。 その離れ方、が問題なのだな。すごく遠く離れてゆくことは難しくない。ホンの少し離れ、微妙な距離と角度を試す。 見たことがあるようで、不思議に新しい物語。そういうものが出来ないだろうかと、日々稽古場で遊んでいる。 私も既に立派な中年なので、 「既存の価値観を疑う」 などと宣う事が保守的で退屈な言い草であると思うようになった。 むしろ「既存の価値観を盲信する」というのはどうか。 信じて、信じて、信じぬけ。 集めて真似して刻んで作る。

■昨年と同じく、情報サイト「カンフェティ」に記事も掲載して頂いた。当日はあまり深く考えず、テキトーなジャージ姿で行ったのだが 小学校の体育教師みたいだと方々で言われたのだった。 かもフェスのときもそうだったんだけど、カメラマンは私を写す際、「すごく偉そうにして下さい」と注文するのだった。 なんか、腕とか組まされるし。普段は絶対にしない。ぼーっとしている。でもきっと威張るのがお似合い、と 思われるツラなのだろう。気をつけたい。

■ま、しかし。 小野寺率いる架空畳 という文字を見るたびに申し訳なく思う。 実際には、架空畳に率いられてる小野寺なのだった。 思えば私は、集団行動の際必ずどこかへ行ってしまう幼児だったので、常に引率のマン・マークがついていた。 その引率をどう懐柔するかが重要なテーマで、社会だった。 今もそうだが。 自分を抑圧してくる社会や集団がなくなればいい、などと思ったことはない。 なんでも思う通りはまるで面白くない。 制度の中で、どうやってそれを出し抜き、少しはみ出すか。 そうやって既成の文脈にギザギザをつけて読みかえていくのが愉悦だ。 別に学校は不登校でもいい。 学校に行く、行かないは本人が決めればいいことだ。 だが、学校に行ってる者を馬鹿にすることはない。 それは不登校をなじることと同じだから。 他人のことは知らない。 自分のことは自分で決める。たとえ 誰も賛同してくれなくても。 それだけのことだ。当然のことだ。

■そんなわけで、日々戯曲と稽古。ちょっと人に会って喋る。それ以外の時間は読書と音楽。最低限の睡眠。 どれだけ時間に追われていても、私はいつも退屈だ。退屈こそが原動力だ。暇なのではない。 退屈とは、暇をも屈服させる不機嫌なエネルギーを持った空白のことだ。 妄想に血肉を通わせる時間のことだ。これほど有意義で、無意味なものもない。 何のことだかよくわからないが、そうなのだ。 目が回るような退屈に追われて、幸福な毎日。

小野寺邦彦



#150 雑談と雑学と雑文と雑音 2019.07.27 SAT


■散歩のついでに足を伸ばした遊歩道の脇。子供たちが走り回って遊ぶ公園の入り口に、彼らが乗ってきたのだろう自転車やキックスクーターが放り出されていた。 何気なく見たその内の一台が、BMWのキックスクーターだった。あるんだな、BMWのキックスクーター。ベンツの三輪車とかあるのだろうか。 ビアンキのベビーカーは実在する、らしい。かつて大学の同級生で、ポルシェのスニーカーを履いてる奴もいた。だからなんだということはない。 誰もが好きなモノに乗って好きな場所へいけばいいのだ。 。

■さて、芝居はとっくに終わった。終わってまずやったことは衣装の洗濯だった。千秋楽の翌日。20着の衣装を洗濯機に次々放り込み、回転させる。午前中に始めて、すべてを干し終わったときにはもう夕方が近かった。最後の一着を物干し竿に干した瞬間、めしり、と乾いた小さな音がして、竿が中心から静かにヘシ折れた。バキッ!と派手に折れたのではなく、あくまで控えめに、「ぬ~っ」という感じで折れたのだった。干したばかりの衣装がずるずる、と斜めに動いて傾いだ。 私は、ははは、と力なく笑ってそれを見ていた。それは極めて象徴的な光景だった。 地味に静かに朽ち折れたあの物干し竿の間抜けな姿を、この芝居を終えた後の印象として、ずっと覚えているだろう。

■芝居が終わったあとの恒例として、この一月、いろんな人に会って喋った。公演を観に着てくれた知人、来なかった知人、知人が連れてきた知らない人、出演者、劇団員。ちょっとお茶でも、と店に入ればあっという間に5時間、6時間、喋ってしまう。 勿論、実のある話などしない。喋るのはどうでもいいことばかりだ。雑談だ。これ以上の「雑」はない、という程の雑談である。実になるもの、役に立つもの、実用的なもの、 どうしてもそこに興味を覚えることが出来ない。 「で、それ何になるの?」そう言われるようなことばかりを集めて自身を縁取りたいという欲望がいつもあるし、 芝居だって、そうやって書いていきたい。でも、やはり、何というか…日寄ってしまう部分も大きい。

■「始まって終わった」…物語に必要なものは、それだけだと思う。大事なもの、必要なもの、なくてはならないもの、それら「以外」だけでつくられる物語。陰画のように、中心を回避し続ける嘘話。 それが理想だ。しかし技術と胆力のなさ故に、どうしても浮上してきてしまうテーマに身を預けてしまう瞬間がある。 無秩序で激しいノイズの中、ふと現れてしまうメロディーのように、それは抗いがたい、甘美な誘惑だ。それにロックされてしまう。易々と物語は出来上がってしまう。苦労して、もがいて、捻りだして出来たものを眺めれば、どこか必ず凡庸だ。 そこに無力感を感じてきたし、回避したいと思ってもきた。

■今回、誇大広告気味に「能楽集」と銘打ったのは、一度、物語に屈服した状態からスタートしようと思ったからだ。いつもとは逆の作り方で、まず動かせないテーマを設定し、それに沿いながらとことん無効化しようと思った。カノン、は最も類型的な反復のメロディーだ。私と俳優たちがやろうとしたことは、その類型を微分してゆく作業の中で、メロディーからコードへ、コードからビートへと、物語の皮膜を解体してゆくことだった。その結果、舞台上には俳優の存在のみが残される、そこまで持っていきたかった。それがどの程度達成できたかは、正直、心元ない。いい線いったような気もするし、まるでダメだった気もする。だがそのような、まあご苦労さん、というかバカげた方法論で(何せ、せっかく「既にある」ものをバラして遊ぶわけだから)まがりなりにも二本の作品を作れたことは素直に嬉しかった。すべて俳優のおかげである。稽古場に行けば俳優がいて、セリフが届くのを待っている、というのは夢のような環境だ。学生時代、日程を間違えて、休みの日に稽古場に行ってしまったことがあった。俳優が誰も現れない稽古場で、ついに私は愛想を尽かされたのだ、と思った。それで、誰も喋る者のいない言葉を書き続ける男のエピソードを書いた。書いて、捨てた。それはその瞬間の私に「必要なエピソード」だったからだ。それ以外の全てを書かなくてはいけない、と、翌日現れた俳優たちを前に思った。

■今や「どんな物語を作るか」はどうでも良くなった。心から、どうでもいいのだ。「どうやって作るか」興味はそこだ。その結果、極めてクラシカルなありふれた物語が出来上がってもいい。そこに辿り着く手つきにこそ拘りたい。交通整理された伏線、どんでん返し、キャラクター、用意周到なテーマ。 その魅力も、醍醐味も識っている。だがくだらない。つまらない。どうでもいい。それは私以外の誰かがやってくれればいい。きっとそれは素晴らしい作品になるだろう。胸震える旋律を導き出すのだろう。だが私の仕事ではない。

■課すことは一つ。終わらない雑談がないように、終わらない物語は作らない、それだけだ。雑談の醍醐味は、いつか終わるその瞬間を怠惰に先延ばしてゆく焦燥の継ぎはぎにこそあるのだから。ただ、今、この時間を過ごすことにだけ価値がある。語られた内容など、話した先から消えていけばいい。雑談と雑学と雑文と雑音。ノイズの中で、巨大な違和感だけをよすがにもう少し、抗ってみたい。傍流、ローファイ、オルタナティブ。 オモチャみたいなセリフを抱えて、沈むか浮かぶか。どうなんだろう。どうなんだ。

小野寺邦彦



#151 カレーは演劇ではない 2019.08.03 SAT


■体調を崩した。

■休むように、と言われたので、しばらく呆然をしてみた。読書はダメだ。没頭してしまうからな。プロスポーツ選手が、健康を極めてどんどんと肉体の破壊に突き進んでゆくように、読書は知らず精神を破壊へと導く。呆然への道は険しい。さしあたりギターを持って、座ってみた。右手を怠惰に揺らすと、ベーンと音がする。左指の形を動かすと、音が変わる。愉快だ。そんなことをしばらく繰り返していたら、驚くべきことに夜になっていた。無為である。呆然だ。呆然にかかわらず腹は減るので、自炊をする。大鍋いっぱいに作ったカレーは5日に分けて食べ続けられ、ちょうど今朝カラになったところだ。冷蔵庫には、余った野菜と肉が残っている。ではシチューにでもしよう。簡単だからな。みじん切りにした玉ねぎを炒め、じゃが芋と人参は乱切り、鶏肉は軽く茹でで灰汁をすくう。ズッキーニも半分あったので乱雑に切って、一緒に鍋に投入。ホールトマトとコンソメ、ヨーグルトで延ばして水と塩で埋めれば、完成したも同然だ。あとはトロ火で20分も煮詰めれば上等だろう。そこでフと思う。

■これにカレー粉を入れれば、カレーになるのだ。

■カレーとシチューを分けるもの、それは目の前の物体に、カレー粉を入れるか否かという決断だけだ。カレー粉を入れない理由?それは何だろう。その答えを探す間もなく、私の右手は自動機械のように動き、鍋にカレー粉を投入していた。沸騰した鍋にカレー粉が落ち、溶け消える一部始終を、私は無感動に眺めていた。 ふと我にかえると、シチューであったはずの物体は消えうせ、驚くべきことに、そこにはカレーがあった。…思えば私がシチューなどというものをこれまでに作ったことがあっただろうか。そうだ鍋の中には、いつでもカレーだけが存在していた。シチューはいつだってカレーに化けることが出来るが、カレーはシチューにはなれない。カレーとは、先細ってゆく選択の先端に存在する、後戻りできない結果なのだ。愚かな私はいつだってその誘惑に負けてきた。そしてすぐに、それを忘れるのだ。だが手遅れというわけでもない。この悔恨の想いの消えぬうちに、今度こそシチューを作るのだ。食べれば、無くなる。それが料理の素晴らしい美点だ。いつだってやり直すことが出来るのだ。さあ、そうと決まれば次の料理に取り掛かる前に、サッサとこの鍋をカラにしてしまおう。そこから、新しい世界が始まるのだから。大丈夫。冷蔵庫にはまだ…「野菜と肉が残っている」。

■喫茶店へ行く。

■高円寺北口を出てフラフラと歩き、プイと空を見上げると目に飛び込んでくるステンドグラスのある店で、友人のミドリと話す。一緒に行こう、と約束していたけど、私が体調を崩していけなかったコンサートの感想を聞いた。聞きながら、私は次に書く戯曲のことを考えていたので、「今の話を戯曲に例えるとさあ」とボンヤリ口を挟もうとすると、眠そうな目で奴は言った。「例えるの禁止」。

■そうか。例えるの禁止か。確かに例え、は恣意的で陳腐だ。カレーが芝居だとすれば、演出家はスパイスの調合者、そして俳優は肉であり野菜。或いは主役を引き立たせる、らっきょうや福神漬けも必要…。馬鹿を言え。芝居はカレーではないし、カレーは芝居ではない。当たり前だ。劇場の前で公演の呼び込みをしている者に近づいて、聞いてみるがいい。
「この芝居はカレーですか?」
ぶん殴られてしまえ。だがもしその呼び込みがこう答えたらどうだ。
「ええ、俳優は肉であり野菜です」
瞬間、そいつをぶん殴れ。

■芝居を料理に例える。音楽に例える。人生に例える。時間に例える。天気に例える。飲み物に例える。足音に例える。機械に例える。数字に例える。色彩に例える。言語に例える。触覚に例える。性別に例える。距離に例える。経営に例える。自転車に例える。漫画に例える。擬音に例える。髪型に例える。恋人に例える。洋服に例える。週末に例える。休暇に例える。つま先に例える。居眠りに例える。まつ毛に例える。小説に例える。爪切りに例える。夢に例える。陰に例える。光に例える。信仰に例える。髪型に例える。ゴム草履に例える。…すべて簡単で、すべて間違いだ。そしてそうやって「間違い」を集めてはぐらかし続けるのが、私のしてきたことだ。「芝居はカレーではない」そう言い切ったとき、退路は断たれる。そして次の退路を見つけるのかもしれない。反らして、逃げる。私にはそれしかない。だが、そろそろ別の場所に逃げてもいい。目の前に「行き止まり」の札を出されたとき、自分が次は何処にどんな手段で逃げ込むのか。その逃走の方便を「論」などと呼ぶのだろうか。

■「特権的肉体論」も「内角の和」も「飛翔と懸垂」も「眼球しゃぶり」も「現代口語演劇のために」も「恋愛的演劇論」もよくよく読めばどれもデタラメで無茶苦茶だ。 よくもまあこんな頓智を、と呆れ、感心し、ゲラゲラ笑って読む類のものだ。無茶を通す胆力が、陳腐で凡庸な「例え」をうやむやにしようともがいている苦渋の記録だ。例える、とは置き換える、ということ。ほかの何かに置き換えが可能であるということは、それは固有のものではない、ということだ。演劇という巨大で漠然とした概念から、置き換え可能な要素を「例えて例えて例えまくる」ことで次々とはぎ取り、そして最後に、ほかの何にも例えられない「演劇そのもの」が残るのでは、という甘い幻想が「論」を振るわせるのだろうか。でもその結果「何にも残らなかった」「固有のものなんかなかった」「演劇は存在しなかった」、それが分かってしまったとき呆然が始まるのではないか。カラの鍋を見つめて「カレーなんかなかった」とうそぶくとき、次の料理は既に始まっている。

■何の話かまるで分からない。呆然の話だった気がするが、まあ、いい。脳を使わず書くとこうなるのだ。これは呆然の記録である。 私の文章には、意味がない。

小野寺邦彦



#152 僕の好きな睡眠 2019.08.14 WED


■薬の力で眠った。

■眠って起きて驚いた。それは私の知っている睡眠とはまるで違っていた。 意識がプツンと途切れて、次に気づいたのは8時間後だ。その間、何の意識も感覚もなかった。一瞬で8時間後の世界にやってきた。これか。これが睡眠だったのか。まるで死だ。 勿論、そんな喩えは陳腐に過ぎるが、私はこれまでその意味を正しくは理解していなかった。私にとっての睡眠とは、浅い川の水面に顔を出しながら横たわるような感じで、常にボンヤリと意識はあって、とりとめなく思考が浮かんだり消えたり。そのうちに3,4時間が経ち、ああ時間だなと思って自覚的に目覚める。そういうものだった。だから覚醒してすぐに身体を動かすことが出来たし、寝床から起き上がって5秒後にはカツカレーを頬張ることだって出来た。

■だが眠剤の力で眠り、覚醒した後は、しばらく身体が動かなかったし、胃もまるで働いている様子はなく、コーヒーすら受け付けない。夕方まで何も口にせずボンヤリと過ごした。そうかあ、こういうものだったのだな。身体を休める、とはその機能をシャットダウンすることだったのだ。それをまた再起動させるにはそれなりの時間がかかる。そのなんとなく、身体と精神を現世に馴染ませていく作法の中に生活がある。 寝起きに飲む一杯の水があり、簡素な朝食があり、出勤があり、仕事がある。そうやってウッスラ、身体と精神が立ち上がってゆくのだ。それに引き換えどうだ。私にあるのは、起床5秒後のカツカレーだ。起床5秒後のカツカレーのどこに生活があるというのか。起床5秒後のカツカレーに、馴染むも馴染まないもあるものか。起床5秒後のカツカレーを頬張る者に「昨日」と「今日」を隔てる子午線は存在しない。 まずカツカレーを取り上げろ。話はそれからだ。

■私にとって、眠る、というのは、横になるか、垂直に立っているかの違いでしかなかった。だがその習慣も終わりだ。薬だ。私には薬があるのだ。薬は素晴らしい。薬は最高だ。薬こそ人類の英知だ。薬の力で生活を手に入れろ。薬は凄いよ。何せ、8時間も寝ると、一日が14時間しかないのだ。楽器を演奏したり、芝居を書いたり、本を読んだり、散歩したり、コーヒーを飲んだりする暇がまるでない。そうだ、眠ると忙しくなる。なぜ周囲の人たちが、日々「忙しい忙しい」と言っているのか、ようやく分かった。眠っているからだ。眠る者は、忙しい。私はずっと暇だった。暇だから芝居やって楽器を弾いて本を読んで散歩して珈琲を飲んで生きてきた。一日を使い切ることが難しかった。 眠っていなかったからだ。だが薬の力で解決だ。これからはよく眠り、忙しい私だ。遊びの誘いを断ることも増えるかと思う。 「ごめんね、ちょっと最近忙しくてな」。そうだ、眠るのに忙しい。なにせ、8時間だ。毎晩、寝床では死が口を開けて待っている。

■戯曲を書いていて、私がセリフを思いつくタイミング。1位が寝起きで、2位が入浴中。執筆中の睡眠は、睡眠というより殆ど「労働」だ。一つのセリフを2時間、3時間、考えていてもまるで出てこない。もうダメだ、というタイミングで横になる。泥の中に頭を突っ込んだように、苦しく、どろどろと謎の想念が渦巻き、頭は重く、覚醒した際には、眠る前の2倍は疲れ果てている。だが、その呆然としたアタマでパソコンに向かうと、かなりの確率で、台詞がポンと出る。 まるで思いつかなくて頭を抱えていたセリフが本当に出るのだ。その一つのセリフがキッカケになって、あとはずんずん書ける。書いて書いて、また煮詰まると、すかさず風呂だ。44℃の湯舟にじっくりと浸かっているいると、これまた、ごく自然にセリフがするする沸いて出る。だから、戯曲を書いているときの私は、寝床と風呂を往復し、その合間にパソコンに向かっている。とても人に見せられた姿ではない。「さあ、いよいよ本腰入れて執筆しないとな」そのとき、私は寝床か湯舟にいる。悪ふざけとしか思えない。

■だが、眠りの質が変われば、その生態もまた代わっていくのかもしれない。意識がシャットアウトされてしまえば、寝ている間にセリフを思いつくこともなくなるのか。或いは、もっと簡単に出てくるようになるのか。変わらないのか。もし眠りの力を失えば、10時間くらい入浴しなければいけないかもしれない。完全に河童である。

■「カノン、頼むから静かにしてくれ」でも、眠りは大きなテーマとして扱った。特に、土喰蛇篇の一遍では、能の「邯鄲」を元ネタに、眠りと闇に関わる古事、民話、神話をミックスした。神話の中で、眠りは「死」と並ぶ「もう一つの現実」として捉えられてきた。覚醒と眠り、二つのレイヤーの境界を曖昧にする媒介として夢はある。薬の力で深く眠り、目を覚ました瞬間の浮遊感、非現実感には、新鮮な感動があった。一直線で、中年に向かっていく私の身体と共に、私の作品世界もまた、変わる。きっと、変わってゆくのだ。

■今日から、長野で少し、芝居の勉強をしてくる。勉強というのは、つまり遊びだ。私は遊んでばかりいる。遊んで死ぬ。やりたいことだけやって眠る。眠りを遊びに出来るか否か、が当面のテーマ。

小野寺邦彦




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